終戦歴1214年四ノ月十六日 モーキフ=ドゥーエ
年末は予定が立て込んでいるため、すみませんが来年までは不定期更新とさせていただきます
終戦歴1214年四ノ月十六日 モーキフ=ドゥーエ
モルズ男爵領軍一番隊隊長モーキフ=ドゥーエは、主の命を受けモルズ領南方の海域の調査を行っていた。率いているのは一番隊の兵士達二十四人と、ゾイル村で徴兵した男衆十人だ。
総勢三十四人の部隊を率いているにも関わらず、モーキフは渋面を浮かべていた。
新規に発生したと思われる魔境の調査という危険な任務のため、二、三十人は村の漁師を徴兵したかったのだが、ゾイル村はサハギンの襲撃を受けていることもあり、人員の供出を渋ったためだ。
そのサハギンの討伐も兼ねた任務ではあるが、ゾイル村は二度の襲撃で数人の負傷者を出し、死者も一名出ていた。数日前の襲撃の際には、冒険者が迎撃に当たり、最小限の被害で追い払うことができたが、まだ十分な数の冒険者が揃っておらず、また運悪く雨風が強い日だったため、サハギンを一体も仕留めることができなかった。
そのため、ゾイル村は緊張状態が続いており、モーキフとしても強引な徴兵は憚られた。
これだけの人数がいても、中級以上の魔物が数体現れれば、全滅の恐れがある。それだけ海上での戦闘とは危険なのだ。
せめて五十人ほど兵を揃えられれば、見掛け倒しでも魔物に襲われる確率は下がるのだが、とモーキフはため息を付いた。
「隊長!サハギンの群れを発見しました!」
暫く憂鬱な気分のまま舟を進めていると、【遠視】のスキルを持った索敵役の部下が、標的の発見を告げた。
「やはり、“南の大島”に居たか」
“南の大島”とは、モルズ領南海にある最も大きい無人島だ。大きいと言っても集落を築けるほど広くはなく、わざわざ開拓する利点もないような、有り触れた島の一つだ。
サハギンは浅瀬や岸辺に住処を作ることが多い。海から襲われれば陸に、陸から襲われれば海に逃げる事が可能だからだ。その性質と、サハギンが逃げた方向から、“南の大島”にサハギンの住処があると予測していた。しかし、その後に続いた報告は予想だになかったものだった。
「サハギンどもは海岸にある洞窟を住処としているようです」
「洞窟だと?あの島にそんな物は無かったはずだが?」
モルズ領軍は基本的に領都トトキクに駐屯しているが、土地勘を失わない程度には、領内各地で巡回や訓練を行っている。それは当然、周辺海域でも行っており、洞窟などという特徴的な地形を把握していないはずがなかった。
「ハッ、数ヶ月前に来た時には無かったはずです。しかし、大島の北側の崖に洞窟ができているのが見えます。見間違いではありません」
視覚強化系のスキルを持たないモーキフには、まだその洞窟を視認することはできていない。しかし、信頼できる部下がここまではっきり断言するのならば、洞窟はあるのだろう。
「おい、その洞窟はどの程度の大きさなんだ?」
同じ舟に乗っていた別の古参兵が、索敵役の兵に訪ねた。
「かなり大きい。この舟を隠すことができそうな程だ。しかもかなり深いように見える」
「何だと?だとすると自然にできたものでは無さそうだな。サハギンが掘ったのか?」
「サハギンがそんな大規模な巣作りをするなんて聞いたこと無いぞ。あの“恐れ知らず”どもか海賊の隠れ家じゃないか?」
「いくら奴らの操船技術が優れてたって、それだけの工事を領軍にバレずに行うなんて不可能だろう!海賊風情なら尚の事無理だ!」
「じゃあ一体誰が掘ったって言うんだよ?」
部下達が言う通り、この洞窟は明らかに不自然だ。南の大島は、岸からそれ程離れていない。人にしろ魔物にしろ自然現象にしろ、洞窟ができる程の何かしらの“力”が働けば、領軍やゾイル村の漁師達が気付くはずだ。それこそ神の力でも無い限りは―――
「まさか、迷宮が発生したのか!?」
「なっ!」
「まさか、本当に……」
モーキフの言葉に、彼の部下達が驚愕の声を上げる。可能性としては事前に示唆されていたが、誰もが本当に迷宮があるとは思っていなかったのだ。それほどまでに、モルズ領には迷宮が発生する条件が、全く持って揃っていなかったのだ。
「急ぎサハギンを討伐し、洞窟を調べるぞ。島の西側に回れ」
「「「ハッ!」」」
モーキフの号令の下、部隊はサハギンに察知されないよう大回りで移動し、島の西側の海岸から上陸した。
「よし、崖の側面から洞窟に侵入できそうだな。第三班、サハギンに気付かれぬよう洞窟に近づき、奇襲を仕掛けろ。突入後は後続班が到着するまで入口を抑えるのだ!」
「ハッ!了解しました!」
モーキフはサハギンに逃げられぬよう、少人数で奇襲をしかけさせ、海への逃げ道と後続の橋頭堡を確保。奇襲部隊の戦闘開始と同時に、全員で洞窟内に雪崩込んだ。
サハギンは十二体と数が多く武器も持っていたが、サハギンと戦い慣れているモルズ領軍は危なげ無く、これを撃破。最初に突入した第三班に、数名の軽症者を出しただけでサハギンの討伐を成功させた。
しかし、彼らの任務はここからが本番であった。
「明らかに洞窟内の魔素濃度が高い。間違いない、迷宮だ」
「おおっ!まさか我らの領内に迷宮が生まれるとは!」
「この迷宮を管理できれば、多大な利益が望めますな!急いで男爵様にご報告しましょう!」
新たな迷宮の発見に、一番隊の幹部達は歓声を上げる。彼らはモーキフと同様に、モルズ男爵家に使える従士の家の出であり、モルズ領の発展で得られる利益を、直接享受できる立場だからだ。
「まぁ待て、流石に何の調査もせずに帰還するわけにはいかんだろう」
「しかし、モーキフ様。調査と申されましても、我々には迷宮に関する知識など、殆ど持ち合わせておりませんぞ」
モーキフは部隊に迷宮の調査を命じようとしたが、隊長としてもドゥーエ家としても腹心となる副隊長が待ったをかけた。
モルズ領軍はレベリングのために他領の魔境に遠征を行ったことはあるが、迷宮に入ったことは無い。近場に迷宮がないわけでもないが、その地と直接取り引きや交流があるわけではなく、迷宮の情報は噂話程度にしか入ってこない。
一番隊の者たちの迷宮に関する知識はそこらの農民と同程度であり、調査すると言っても何を調べればいいのか、何処を退き際とすればよいのか、判断材料となるものが何もなかった。
「ここは一度戻り、冒険者ギルドに調査依頼を出したほうがよろしいかと」
「しかし、副隊長殿。迷宮には貴重な財宝が眠っていると聞きます。それを冒険者どもにみすみす渡してやることは無いのでは?」
「そうですぞ、危険な魔物が居れば引き返せばよいのです。地形と出現する魔物を調べる程度なら、素人の我々にもできましょう」
帰還を進言する副隊長に、他の班長達が反論した。欲をかいて失敗する者の典型例のような台詞ではあるが、モーキフとしても同意見であった。
「迷宮の浅い階層には強力な魔物は出ないと聞く。我々ならば危険は少ないだろう。それに、全く探索せずに冒険者ギルドに丸投げするのは、金銭的にも面子的にも良くないだろう。徴集兵と三班をここに残し、他の者で調査を行うぞ」
「ハッ、了解しました」
モーキフの命令に副隊長が答え、部隊の調整や迷宮調査の準備を整えていく。副隊長としても、本気で帰還を進言していたわけではない。極端な消極的策を上げて、部隊が突っ走り過ぎないように抑制するのが、部隊内においての彼の役割なのだ。
調査を行うと決まってからは、舟から予備の武具や医薬品を運び込んだり、徴集兵に指示を出したりと、テキパキと雑事を片付けていく。
副隊長が準備を行っている間に、モーキフは他の班長達と具体的な迷宮調査に付いて会議を行った。
「今は二の時の半ばといったどころか。帰還も考えると四の時には調査を引き上げる必要があるな」
「そうですな、少し早いですが昼食を取り、その後一刻ほど調査を行いましょう」
「倒した魔物の素材はどうしますか?」
「うーむ、我々は魚の捌き方しか知らぬし、放置する他ないのではないか?」
「迷宮には罠が仕掛けられている場合もあると聞くが……」
「多少の罠ならば盾と鎧で防げよう。鎧を着た兵士が即死するような大掛かりな仕掛けならば、素人でも看破できようて」
「しかしそれでも何かしらの対策は必要かと―――」
日暮れまでにゾイル村に帰還する予定の一番隊は、迅速に調査方針を固めていった。
一番隊の面々は、班ごとに別れ迷宮調査を行っていた。兵力を分散することは通常では悪手だが、狭い洞窟内では少人数の方が動きやすく、撤退も容易になる。また、洞窟内にはサハギンやゴブリンなど弱い魔物しか生息しておらず、一度に現れる数も少なかったため、危険性は薄いと判断したためだ。
第一班を率いるモーキフは、迷宮内の地図や魔物の種類を記しながら、迷宮の奥深くへと進んでいた。
罠への対策として、倒したサハギンから奪った銛で壁や床を突きながらの慎重な歩みであったが、迷宮内の壁が淡く光っているおかけで、それなりの速度で進むことができていた。
この時点で、規則正しく並んだ部屋の配置や、特徴的な植物の群生など、この迷宮が「成長型」の迷宮であり、発生から間もない幼い迷宮である可能性が高いと予測できる要素がいくつかあったが、モーキフがそのような専門知識を持ち合わせているはずもなく、一見してわかる以上の情報は得ることができなかった。
しかしそれでも、この迷宮から利益を得る方法をいくつも思い付くことができており、これからのモルズ領と自家の繁栄を想像し、興奮を抑えきれないでいた。
「モーキフ様、いくら弱い魔物しかいないとはいえ、ここは未踏破の迷宮。油断大敵ですぞ」
「う、うむ。すまん、少々浮かれ過ぎていたようだ」
副隊長から新兵にするような初歩的な諫言を受け、モーキフは態度を改めた。
更に探索を続けると、モーキフ達は別れ道に差し掛かった。その道は上から見ると「ト」の字のような鋭角な曲がり角となっており、モーキフ達は「ト」の字の右側から進んできた形だった。
「ト」の字の上側は行き止まりとなっており、下側はこれまで何度か通ってきた部屋と同じような広間に繋がっていた。モーキフ達は知る由もないが、これはダンジョンマスターが、撤退する敵の速度を落としあわよくば行き止りに追い込むために作った地形――所謂“殺し間”であった。
つまり、モーキフ達は迷宮の最終防衛線の手前まで辿り着いたのだ。
「隊長、部屋の中には今までと違い、五体のサハギンがいるようです。いかが致しますか?」
部下からの報告にモーキフは引き返すか、更に奥まで調査をするか思考を巡らせた。
サハギンの数はこちらと同数。陸に上がったサハギンなど大した脅威ではなく、一対一ならば武器のリーチ差があっても問題なく勝てるだろう。連携の面でも、魔物の群れと人間の軍隊ならば、後者の方が圧倒的に練度が高い。負ける要素は殆ど無いと言っていい。
しかし、今までとは明らかに脅威度が上がっていることも確か。ここから先は、サハギンの群れ以上の存在が出る可能性もある。時間的には少し早いが、ここで引き返すのも堅実な選択肢だった。
先程モーキフの油断を指摘した副隊長は口を開かない。モーキフが冷静に判断して出した決断であれば、どちらであっても異論はない、と言外に語っていた。
「……迷宮調査はここまでとする。帰還するぞ」
モーキフの出した結論は、撤退だった。この迷宮の調査は、モルズ領の最優先事項となるであろうが、必ずしも今やらなければならないというほどの至急性のあるものでもない。
また後日調査に来てもいいし、冒険者ギルドに任せてもいい。焦る必要は無いのだ、とモーキフは考えた。
危険を感じ取った訳ではなかったが、結果としてモーキフの判断は、自身と部下の命を守るものとなった。
「モルズ男爵領軍」…正規兵は百五十人弱。戦時や有事の際には領民を徴兵することで五百〜六百程度の兵数となる。
「モルズ領軍正規兵」…一般的な職業軍人のレベルが20程度なのに対し、モルズ領軍の平均レベル15程度である。装備も海戦を想定しているため陸戦に適しておらず、はっきり言って弱兵である。
「モルズ領軍徴集兵」…この世界では魔物や猛獣が蔓延っているため、漁師を始め狩猟採集を行う業種は、簡単な戦闘技能を有している。モルズ男爵領の徴集兵は、漁師を中心としており、銛を使った槍術と投げ銛を得意としている。正規兵ほどではないが、民兵としては高い戦闘力を持つ。また、一部の“恐れを知らない”漁師達はレベル30を超える者もいる。




