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「セイジョウ伍長、戻りました!」
再び副官室に戻ったヒメルは、部屋に入るなり電光板を見た。
司令官は在室している。しかし『来客中』の表示が出ている。
(ああ〜もう~こんな時に〜!)
司令官執務室の扉を前にして地団駄を踏むヒメルに、デスクに掛けた副官が無言のまま不審げな顔を向けてくる。
「あ、す…すいません。ながらく席を開けてしまって……。お客様がいらっしゃっているんですか?」
「茶はもう出したぞ」
抑揚のない声音で副官が言い放った。
本来、来客者にお茶を出すのは庶務係のヒメルの仕事だ。
「すいません…」
仕事サボってどこほっつき歩いているんだ。と言われているような気がしてヒメルは縮こまる。だが、副官がヒメルに対し小言を言ってるわけではないことはすぐに分かった。
「いや、いい。気にするな。どうせ副司令官が暇つぶしに来ているだけだからな」
そう溜息まじりにぼやく副官。
どうやら来客者は副司令官らしい。
本当に暇なのかどうかは分からないが、副司令官は度々こうやって司令官の部屋に来て、お茶を飲みながらあまり益のない世間話をしていく。
ガンデルク基地副司令官、レオナルド・ハンター中佐。
その気さくな人柄から一般兵士からの人気も高い、言わずと知れたガンデルク基地のナンバー2だ。
しかし格闘技競技会以後、副官の中では『面倒事しか持ってこない迷惑なおっさん』にでも成り下がってしまっているのか、あまり変化しない表情の中にもうんざり感が否めない。
副官って有能だけど、有能だからこそ色々と面倒なこと頼まれやすいんだろうな……。
なんて勝手に憐憫の情を感じていると、不意に副官が席から立ち上がって言った。
「セイジョウ。悪いが俺はこれから不在にする」
言いながら、椅子の背もたれにかけていた軍服の上着を取って袖を通す。
「今日はもう司令官の予定は何も無い。火急の用件でもあれば別だが、特になければ終業まで連絡してこなくていい」
「え、え──」
咄嗟に室内の壁掛け時計を見る。
16時少し前。
ついにアキナとの約束の時間だ──!!
「副官、あの──、ど、どこかへ行かれるんですか?」
「…なんだ。何かあるのか? 見てほしい書類があるなら机に置いておけ。後で見る──」
「ち、違います! ア──」
アキナに会いに行くんですか──?
と言いそうになって、慌てて口を噤む。
そんなヒメルの様子を、副官は眉を寄せて訝った。
「……どうした?」
「いや、あの……」
(ああ〜、聞けない! ここまで出かかってるけど……‼)
聞いたらまたあの氷のような睥睨の眼差しを向けられてしまう。
「何か、約束です……か?」
「……まあな」
「場所は……、医務室?」
「……そうだ」
やっぱり──‼
副官と約束している『アキナ』は法務官なんだ‼
「特になければ、あとは頼んだぞ…」
副官はそれだけ言うと部屋を出ていった。
(司令官に報告しなきゃ──‼)
ヒメルは副官の足音が遠ざかっていくのを耳で確認してから、司令官執務室につながる扉の前に駆け寄った。そのままの勢いでノックをしようと手を上げるが、すんでのところでぐっと堪えるように動きを止める。
この部屋の中には今、副司令官がいる。
基地のナンバー1とナンバー2が揃っているのだ。そんな部屋に、自分なんかがおいそれと入っていけるのだろうか。
吹けば飛ぶような階級しか持っていない、下っ端の自分が──。
でも──…
ことは緊急事態。
今ここで言わなかったら、なんで教えてくれなかったんだと後で司令官に怒られそうな気がするし、
それに──…
失礼なやつだと副司令官が気を悪くしたとしても──
どうせ副司令官なんだからいっか!
──ゴンゴン!
ヒメルは重厚な木製扉を力強く叩き、中からの返答も待たずにガチャリと開けて中に入った。
「失礼します!」
ソファーに向かい合って座っている二人に向かってヒメルは声を張る。
一人は我らが美少女司令官。気怠げにソファーの座面に両手を付いて座っている。
もう一人は痩身に色黒壮年男性の副司令官だ。二人は揃ってヒメルの方を見た。
「なんだね君は」
ティーカップを口元に持っていった姿勢のまま眉を寄せる副司令官と、キョトンとした顔をする司令官。そんな二人のもとに遠慮せずズカズカと近付いていきながら、ヒメルは口を開いた。
「司令官! わかりました。副官と密会しようとしている『アキナ』が誰か! それに密会場所も!」
「え、それ本当? ヒメルすごい!」
「時間がありません! 副官は密会場所に既に向かっています! 私たちも急ぎましょう!」
「そうだね! 行こう!」
司令官はソファーから立ち上がった。副司令官がその姿を呆然と見つめる。
「司令官? 一体何が始まるのです?」
「副司令官、急いでいるので説明する時間がありません。どうしても知りたかったらついてきても構いませんが──」
「な、なにか事件ですか…?」
「ええ、大事件です! ロウ少尉の逢引現場を押さえるのです!」
「あ、逢引ッ?」
副司令官は少女の返答を聞いて呆気にとられたようだった。
しまった。副司令官には呆れられてしまったかも知れない。仕事中になにを真剣にやっているのかと。
副司令官の顔色を盗み見ながら、やっぱりおっさんを帰らせてから話せば良かったかなという思いが頭をよぎる。
しかしヒメルの予想に反して、副司令官はすぐに大きくした瞳をすっと鋭くした顔に戻り、
「それは大事件ですな……!」
と低く唸った。
◆◇◆
洗車場から戻ってきたトーマは、軍帽を逆に被ったまま自分のデスクに座って一息ついた。司令官専用の黒塗りセダンは、3日に一回は洗車をしないといけないので地味に面倒くさい。
ヤニでも吸って休憩しようとポケットの中をまさぐっていると、司令官執務室からバタバタと数人が出てくる気配がして振り返る。
「なんだ?」
気になって廊下に出ると、司令官と副司令官、ついでに庶務係のヒメルまでもが何やら慌てた様子で目の前を通り過ぎていくではないか。
「お、おい! ヒメル! どこ行くんだ⁉」
咄嗟にヒメルを呼び止めると、迷惑そうな顔をして彼女が振り返る。
「なんですかスエサキ軍曹。私いま急いでるんですけど」
「なにって──、あれは司令官に、──副司令官⁉ なんかすごいメンツだな。何があったんだ?」
通り過ぎて小さくなりつつある人影は、あまりに予想外な組み合わせ。誰が見ても不審に思うだろう。
「事件なんです!」
「はッ? 事件?」
「詳しく説明してるヒマ無いんです! ああ、二人に置いていかれる! 早く医務室にいかないと!!」
「医務室? 医務室がどうかしたのか?」
「だから副官がアキナに会いに医務室へ──」
「副官が医務室──ああ、16時からだろ?」
「へ?」
なぜそれを? という顔でヒメルが素っ頓狂な声を上げる。
「ななななななんで知ってるんですか? 副官が医務室でアキナと密会するって──」
「密会? なんのことだ? 副官が医務室に行くのはあれだろ? 健康診断だろ?」
「け、健康診断⁉ ……え、だって健康診断って、来月ですよね?」
「あ? ああ、女性兵士はな。ヤローは人数も多いから、今月からもう始まってるぞ」
「え……?」
じゃあ、副官が医務室に行くのは、アキナと密会する訳じゃなくて、ただの健康診断……?
「いや、だって、私、見たんです! 副官の机に16時に待ってますって、アキナって女の人から──‼」
「……その『アキナ』ってもしかして、アキナ医師のことなんじゃ?」
「医師?」
「あれだろ。副官、忙しくてどうしても通常の時間に健康診断を受けられないから、特別に時間を設定してもらったとかじゃねえの?」
「……あ──」
『アキナ』は当初3人いた──。
栄養士のアキナ・リーン。
法務官、アキナ・コーノミヤ。
そして女性ではなかったため候補から排除した、ロドリゲス・アキナ──。
その先をよく確認しなかったけど、
確か役職は……医務官。
「そ、そんなあああああ〜‼」
ヒメルの顔がみるみる赤くなる。
かと思えば、今度はさっと青くなった。
「ど、ど、どうしよう! もう司令官は医務室に向かってる…!」
「副司令官もな」
ジト目になってトーマがすかさず付け足すと、ヒメルは絶望的な表情でこちらを見上げる。
「スエサキ軍曹おおお〜‼」
「俺にそんな顔されてもねー」
「うわあああん、見捨てないでえ!! ──はッ!」
突然、ヒメルは何かに気付いたような声を上げた。
「あ? どした?」
「わ、私……、ヤナギ少尉にも喋っちゃった……」
「は? ヤナギ? 誰だそれ」
サーッとヒメルの顔から血の気が引いていくのがトーマの目にもわかる。
「……あ〜、よく分かんねえけど、要するに医務室がやばいことになりそうってこと?」
こくこくこくこく。
ヒメルが顔色を悪くしたまま何度も頷く。
トーマは明後日の方向を見ながら、鬼副官の口から日に何度も溢れる溜息を、不覚にも真似てしまった。