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「あれ、ヒメル! 珍しいね。何かあったの?」
主計隊の事務室にやってきたヒメルは、やや恰幅のいい女性に声を掛けられた。
彼女は主計隊所属の女性下士官。スナミ先輩。
ヒメルが主計隊に所属していた時に直接指導をしてくれた、一番恩のある先輩だ。
「お昼休み中にすいません。ちょっと調べたいことがあるんですけど、パソコン借りていいですか?」
「え~なになに? 何を調べるの〜?」
「いや~ちょっと内容までは〜……」
スナミ先輩、いい人なんだけど噂好きなんだよなぁ。
どうやって誤魔化そう。
(ここは司令官の名前を使わせてもらおう)
「実は、いま基地司令官から特命を受けまして……」
「特命? マジで⁉ やばッ! さすが司令部勤務!」
「えへへ、ま、まあ…。すいません、だから内容をお話しすることが出来ないんです。なんたって基地司令官の特命なので!」
「そっか~、庶務係ってホント色んなことするんだね〜大変。はい、ここいいよ。パスワード入れといたから」
そう言ってから、スナミ先輩は自分のデスクから立ち上がってイスを空けた。
「ありがとうございます!」
「わたし売店でお昼買ってくるから、使ってていいよ。終わったらちゃんとログアウトしといて。んじゃよろしく〜」
でかでかとブランドのロゴマークが入った長財布を小脇に挟んで、スナミ先輩は事務室を出て行った。
(良かった。細かいこと気にしない人で……)
ふう、と息を吐くと、ヒメルはおもむろに室内を見やった。
事務室内には向かい合わせで事務用デスクが置かれ、グループごとに島を作っている。今は繁忙期ではないはずだが、机上はどこもかしこも書類が山と積まれ、雑然としていた。
しかし座っている人の姿はない。
今は昼休みの時間なので、独身の下士官以下の兵士は食堂にご飯を食べに行っているのだ。
基地の外に住んでいる士官であっても、独身の場合は副官のように食堂を利用する人が多いので同じく不在している。
ちなみにスナミ先輩は下士官だが既婚者なので、基地内の売店で購入するなどして昼食にしているようだ。
今この事務室に残っている人間といえば、昼食持参の士官か既婚者、ということになるだろう。
元々が総勢でも30人に満たない小規模部隊なので、この時間になると数人しか室内に残っていない。
目的を果たすなら、今が絶好のチャンスと言える。
(さて、ぱぱっと調べちゃお!)
節電のため照明が消された薄暗い事務室内に、パソコンのモニターに照らされたヒメルの顔が浮かび上がる。
主計隊、その中でも給与課の担当者が業務で使用する専用端末。ヒメルはそれを使って、基地に所属するすべての兵士の中から『アキナ』という人物を検索しようとしていた──。
ガンデルク基地主計隊。
正式には、ガンデルク基地業務群主計隊という。
基地の経理部門を担当する後方支援部隊で、兵士の給与や旅費の支給、福利厚生や物品の補給など、その任務は多岐にわたる。
庶務係として副官室に勤務するようになる前、ヒメルはこの主計隊の所属だった。
イルムガード共和国軍では、新兵教育が終わると個人ごとに『技能』といわれる免許のようなものが与えられる。
スキルは各々の適性を見て決められ、配属先もスキルによってある程度決まってくる。
ヒメルが与えられたスキルは『主計』。
他にも歩兵や戦車、衛生や通信など様々なスキルがあるのだが、何がどう適正だったのかヒメルに与えられたスキルはこれだった。
そしてそのスキルによって初めて配属されたのがこのガンデルク基地主計隊だ。
右も左も分からなかった新人のヒメルを、一端の共和国軍人に育ててくれた部隊。
もともと数年で退役するつもりだったヒメルが、伍長への昇任を目指し試験に挑戦する気になったのも、ここで勤務していたからこそ。主計隊の軍人として生きていこうと思えたからこそだった。
それくらい思い入れのある部隊だったから、司令部に異動になった後もちょくちょく顔を出していた。
自分が所属していた頃の仲間は徐々に少なくなってきている。定期的に人事異動があるからだ。
だがスナミ先輩のように、顔を出せば暖かく迎えてくれる人が残っている限り、ヒメルはまたここを訪れるだろう。
ここは、いつかまた帰って来る場所。
自分の原隊だから……。
(アキナ、って名前の人……3人いる……?)
ヒメルは眼前のパソコン画面に視線を走らせ、検索結果に目をみはった。
主計隊は個人情報の宝庫だ。
本人はおろか、家族の名前や生年月日。住所や借金の有無など、すべての情報がここに集まる。
これは一種のネタ的な話なのだが、共和国軍情報部の中に、その存在自体が秘密とされる特殊部隊がある。
軍内部の人間にさえ、所属兵士の顔や名前はおろか、何人いるのかさえ明かされない謎多き部隊だが、そんな部隊であっても、軍から給与を支給している以上、主計隊にとっては他の部隊となんら変わりはない。
どこの誰でどんな家族構成か、つぶさに知ることができるのだ。
ただ職務上知り得た情報を漏洩することは違反になるので、いまヒメルがやっている行為は厳密には違反に当たるだろう。
だからできれば取りたくない手段ではあった。
(よし、とりあえず3人全員の情報を記憶して戻ろう……)
書き留めると証拠が残るのでできる限り暗記する。
一人目はアキナ・リーン。
部隊コード112。補給隊だ。
コードからすると役職は栄養士。食堂の栄養士さんだ。
二人目はアキナ・コーノミヤ。
部隊コードは101。基地司令部の所属か。
役職コードはA433…。A4系統は法務だから……──司令部の法務官だ。
あとは……、ロドリゲス・アキナ──。
この人、名字がアキナだからヒットしたんだ。
(──ってか、ロドリゲスってどう考えても男の名前じゃん!)
ヒメルは自分で自分にツッコミを入れると、それ以上見るのをやめた。
いくらなんでも男は対象外だ。
(ってことは、法務官と栄養士。この2人に絞られるってことか……)
所属部隊が分かれば、あとはスエサキ軍曹が蓄積している『女の子情報』でどんな人物か分かるだろう。
ヒメルは素早く机上を片付けた。ログアウトも忘れず行うと席を立つ。
それから食後の仮眠を取っている人の邪魔にならないよう、音を立てずに歩いて主計隊を後にした。
主計隊を出たヒメルは一旦司令部に戻った。司令官の昼食が終わっていたら、食器を片付けなければならない。
それが終わってから、ヒメルはやっとお昼ごはんにありつける。
ガンデルク基地の中には、兵舎で生活する兵士が日に三度の食事を摂るための食堂がある。
一度に数千人が食事をする事ができる、基地内でもひときわ大きな建物。
その建物には出入り口が2つある。
士官用とそれ以外の一般兵用だ。
だがヒメルはそのどちらとも違う出入り口を目指した。
基地司令官の給仕を担当しているヒメルは、その職務上、通常の兵士たちが昼食をとっている時間帯に食堂に行くことが出来ない。
よって昼休みの時間に関係なく食堂を利用することを特別に許可されているのだが、時間通りに利用している一般の兵士たちの手前、人目を避け裏口から出入りしていた。
「こんにちは〜」
裏の出入り口は、自動開閉式の表とは違い、普通の引き戸だ。しかも毎回軋んだ音を立てる。その音をドアベル代わりに、厨房から顔をのぞかせたのは、この食堂で調理を取り仕切っている料理長だった。
「おお、なんだよ。今日は来るの遅かったな」
ガンデルク基地の料理長、ジェイス・…、ん〜と何だっけ?
いつも料理長料理長って言ってるからそう言えばフルネームは知らなかったな。まあ、いいか。
彼は最近この基地にやってきたプロの料理人だ。
いつものように、白いコックコートにコック帽をかぶり、首元を赤いスカーフで飾った出で立ちで、これもまたいつものように、にっこりというよりはいたずらっぽい笑みを浮かべた表情でヒメルを見下ろしてくる。
「すいません。ちょっと頼まれ事を済ましていたもので遅くなっちゃいました」
「なんだよ、頼まれ事って。またあのお硬い副官からなんか命令されたのか?」
「あ、いえ──」
「お前もよくやるな〜。オレだったらぜってえ息つまってるわ〜」
そう言って料理長は少し大げさに肩をすくめる。
彼はヒメルと比べるとかなり背が高いので、何もしていなくても威圧感がある。アイスブルーの瞳はデフォで睨むような視線だし、初めて対面した時は正直震え上がってしまった。
だが内面は決して怖い人ではないことをヒメルは知っている。
この食堂で何回か言葉を交わすうちに、本当は優しい人なのだと気付いたのだ。
何故なら、ヒメルが食堂にやってくるといつもこうやって顔を見せて、冗談なんか言ったりして和ませてくれるから。
ただ身長差のせいで対面で会話をしているとちょっと首が辛いんだけど。
「違うんですよ。本当に大したことない野暮用だったんです」
言いながら、ヒメルは慣れた動きで積み上がったプラスチック製のトレーを一枚とった。
基地の食堂はバイキング形式で、カウンターに並んだ料理を自分で取っていくスタイルだ。
メインホールにはたくさんの白い長テーブルが並んでいるが、今は誰も座っていなかった。昼休みの時間はもう終わっている。
カウンターの反対側で、料理長がおかずやスープを皿によそってくれる。ヒメルはそれを自分のトレーに取って載せる。
一人分の食事を取り終えると、長テーブルの一番端まで行って座った。
今日のメニューは白身魚のフライと、ひき肉と野菜のトマトスープだった。
「いただきま~す」
手を合わせてから箸を取り、スープに口をつける。
少し冷めてはいるが美味しい。
「なあヒメル」
昼休みの時間が終わって休憩タイムなのか、料理長はふうと息をついて、ヒメルの座るテーブルに現れた。はぎとったコック帽の下からキレイな銀髪が現れる。
「ちょっと聞いてくれよ」
「はい、なんですか?」
口をもごもごさせながらヒメルが返事をすると、料理長は神妙な面持ちで続けた。
「食堂のおばちゃんでちょっと困った奴がいてさ」
「困った奴?」
食堂のおばちゃんとは、この食堂で食事の配膳や調理補助などを行う人たちのことだ。
「お前、見たことねえか? おばちゃんっつっても結構若いんだけど、金髪に緑の目をした、ぱっと見カワイイ感じの──」
そんな人いたかなぁ。
自身が食事を摂る以外にも、庶務係の仕事として食堂に出入りする事が多いヒメルは、おばちゃんたちともすぐに顔見知りになる。
金髪に緑の目、しかもカワイイなんて人がいたら、記憶に残りそうなものなのだが。
「その人がなにかあったんですか?」
「それがさ、そいつ目を離すとすぐにいなくなっちまうんだよ。そんでいつの間にかふらっとあらわれたりしてな。どこに行ってたのか聞いても、はぐらかすばっかで言わねえし。まったく、困った奴なんだ」
「なんでそんな人が働いてるんですか?」
「知らねえよ。オレが雇ってる訳じゃねえ」
そりゃあそうか。
食堂のおばちゃんたちは食堂業務を請け負っている業者に雇用されている。基地が直接雇っている人材ではないので、どんな人が働きに来るのかなんて料理長が分かるわけがない。
──という実情は、ヒメルが元主計隊だから知っているだけで、一般兵士はあまり知らないだろう。
入札によって民間業者に食堂業務を外注するのも主計隊の仕事の一つだ。
「う~ん、あんまり問題のある人だったら、業者にお願いして入れ替えてもらうことは契約上できますけど~」
「今のところ別に入れ替えるってほど問題じゃねえんだけどな。最近はシフトにも入ってねえから姿を見てねえし。このままいなくなることもあるわけだろ?」
「まあ、そうですね」
「つーかお前、入れ替えさせる権限なんかあんの?」
「ちょっと口添えするくらいならできますよ。主計隊の契約課長は私の元上司ですから」
「すげえなお前、何気にいろんな所に顔きくんだな」
「いやあ、そんなんじゃ……。あ、そうだ」
照れ笑いを浮かべていたヒメルははっと気付いて顔を真剣な表情に戻した。
「私も聞いてもいいですか?」
「あ? なんだよ」
「栄養士さんって、どんな人ですか?」
「は? 急にどうした?」
「いえ、私、新しい栄養士さんのことあんまり知らないので、ちょっと気になって……」
疑惑の『アキナ』の一人、栄養士アキナ・リーン。
栄養士という役職は、基地の食堂で提供される食事の献立を考える専門職だ。
食堂を有する基地にはどこも一人は所属しており、女性であることが多い。
一旦採用されるとよっぽどの事情がない限り入れ替わることがないのだが、このガンデルク基地の栄養士は前任が定年退職したことにより新たに採用された新人だった。
料理長に尋ねたのは、彼が栄養士に一番近い人物だと思ったからだ。
食事の献立を考える栄養士と、その献立通りに調理をする料理長。仕事の上で、2人は切っても切れない間柄だ。おまけに食堂内にある事務所でも確かデスクは隣り同士。
まだこの基地で働き始めたばかりの料理長だが、交流はあるはずだ。
「別にオレもお前と変わんねえぞ。オレだってここで働き始めたの最近だからな」
「でも毎日顔は合わせてますよね?」
「そりゃそうだろ。席となりだし」
「わかることだけでいいですよ! 確か栄養士さん、すごく若いんですよね?」
「あ? ああ、確かに若いな。新卒採用らしいから、大学を卒業したばかりってことだろ……」
「独身ですよね?」
「独身だな」
「可愛いですか?」
「かわ? う〜ん……まあ、人によってはそうかもな」
やっぱり、副官といい感じになってる『アキナ』って、その人のことなんじゃ……⁉
「もしかして、最近、誰かといい感じになってませんか?」
「は? いい感じって、栄養士が? んなこと知るかよ! つーかアイツ、男の好みやべーぞ」
「へ?」
「すげーおじ専なんだってよ」
料理長は眉毛を非対称に歪ませながら予想外なことを言い放った。
「おじ専?」
「おじさん専門ってことだよ。しかもかなりの」
えっと〜、それってつまり、自分よりかなり年上の人しか恋愛対象にならないってこと?
混乱するヒメルをよそに、料理長は更に付け加えた。
「だから、ここいらの独身のヤローどもなんか、まず眼中に入らねえって言ってたぞ」
「言ってたって、誰が言ってたんですか?」
「本人に決まってんだろ!」
え、どういうこと?
じゃあ、あの付箋紙の『アキナ』は、栄養士さんじゃないのだろうか?
「なんなら事務所に行って聞いてみろ……あ、ダメだ」
「ダメ? なんでですか?」
「今日いねえんだった」
「え? いない?」
「今日は栄養士学会で朝から出張してんだった。直帰するっつってたから、今日はもう基地にはこねえわ」
なんだ。だったらもう確定じゃないか。
栄養士さんは付箋紙の『アキナ』ではない。
出張で不在にしているのに、今日の16時から副官と会う約束をする訳がない。
「──ということは、残ったのは司令部の法務官だけか……」
思わず心の声が口から漏れる。
「は? 法務官がどうしたって?」
「い、いえ。なんでもないです!」
訝しげな表情をする料理長に、ヒメルは首を振った。それからお皿に残ったスープをかきこんで飲み下す。
「ごちそうさまでした!」
しっかり合掌してそう言うと、ヒメルは立ち上がった。
「お、おう。午後も頑張れよ」
料理長は腑に落ちない顔をしてはいたが、ヒメルがそそくさと食堂を立ち去っていったので、それ以上声を掛けては来なかった。