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『司令官はまつろわない〜陰謀編〜』1章と2章の間のお話。

本編はシリーズ一覧からどうぞ。

 ことの始まりは、私が『それ』を見つけたことだった──。


 毎朝一番のりで出勤するヒメルは、誰もいない副官室の腰窓を開けた。室内の淀んだ空気が途端に入れ替わっていく。

 少し冷えた風を頬に感じて深く呼吸をすると、先程仕掛けたコーヒーメーカーからいい香りが漂って来て、今日も一日頑張ろうという気持ちが湧いてくる。

 カラッと晴れた空。

 ヒメルは腕を真上に伸ばして身体をほぐす。

 開け放った窓からは、グラウンドのトラックで誰かが走っているのが見えた。


「うう〜ん! 今日も頑張るぞ〜!」


 いつもどおりの一日の始まりだ。




 ここはイルムガード共和国の北端に位置する港町ガンデルク。

 街としての規模は小さいが、この街には共和国にとって重要な施設がある。


 イルムガード共和国軍、ガンデルク陸軍基地。


 北の大国アルフ・アーウ国との国境に近接したこの街は、先の大戦において激戦地となった場所だ。

 そこに拠点を構える我が基地は、『もっとも死に近い部隊』なんて呼ばれて恐れられていた。




 ──のは、過去の話。


 現在、アルフ・アーウ国とイルムガード共和国は休戦状態にある。決して戦争が終わった訳ではないが、ここ二十年あまり目立った戦闘は起きていない。

 数々の激しい戦いを経験したこのガンデルク基地でさえも、今は平和な日常を謳歌するごくごく一般的な基地──。


 ヒメル・セイジョウは、そんな普通の陸軍基地の、普通の下士官軍人。

 ちなみに階級は伍長。

 軍隊での飯の数はそれなりになってきているが、階級で見ればはっきり言ってお尻から数えた方が早いくらいの下っ端軍人である。



 ふいにひゅーと風が吹き込んで、室内のデスクにのっていた書類が舞った。


 自分のデスクに乱雑に置かれていたプリント類が風に煽られ、部屋の中央奥にあるデスクの上に散らばる。


「わわッ、ヤバい」


 やってしまった。よりによって副官の机に飛んで行くなんて。


 この部屋の責任者である基地司令官付き副官、エルド・ロウ少尉。

 普段から整理整頓に厳しい彼の机上に、A4のコピー用紙が力なく広がる。


 大変だ。副官に見られたらなんて言われるか。もうそろそろ出勤してくる時間だっていうのに。


 まわりがちょっと迷惑なぐらい生真面目な上官は、いつもきっかり同じ時間に副官室のドアの前に現れるのだ。


 慌ててヒメルは副官のデスクに駆け寄った。ガサガサと書類をかき集め胸に抱える。

 そして自分の机に戻ろうとしたとき、副官のデスクの隅に貼り付けられた付箋紙に目が止まった。


(うん? こんなの昨日まであったっけ?)


 重ねて言うが、副官は机上の整理整頓に厳しい。例えメモ一枚でも、就業後に机上に残して帰るとは思えない。

 ということは、この付箋紙は昨日副官が退庁してから今朝にかけて付けられたもの、ということになる。


 気になりはしたが、内容を読むのは憚られた。

 もしかして、人に見られたくないプライベートなことだったら、勝手に見るなんて良くない。

 どちらかと言うとゴシップは好き……、むしろ大好物なのだが、これでも一社会人としての節度は持っているつもりだ。


 ヒメルはすんと澄ました顔で自分の机に戻り、書類の束を机上でトントンと整え始めた。


 あの、完全無欠にして冷酷無比な鬼副官──と言っているのは今のところ自分だけなんだけど──そんな彼のプライベートが書かれているかも知れない付箋紙か……



 …………。



(──めっちゃ見たいんですけど⁉)


 ヒメルはバンッと紙の束を机に叩き置くと、急ぎ副官の机まで戻る。そして貼り付けられた付箋紙の内容を目を皿のようにして読んだ。


『本日16時にお待ちしています  アキナ』


 なに、

 これ。


 ──なにこれッ⁉



 思わず付箋紙を手に取ってべりっと剥がしてしまった。


(え、え、待って。アキナって誰……?)


 名前からして女性だろう。

 副官にこんな親密なメモのやり取りをするような女性がいたのだろうか。


(いや、だってあの副官だよ?)


 鉄仮面を標準装備しているあの副官が、どこかの女性と親密な関係になっている姿なんて、ヒメルにはまったく想像できない。


(ああ、でも、今はファンの子多いんだっけ…)


 実は、いま副官は基地中の女性軍人から注目されていた。


 彼はまだ赴任してきて間もないので、司令部勤務者以外の人間にはあまり顔を知られていなかった。

 だが先日行われた基地の恒例行事『格闘技競技会』で、圧倒的な力を見せつけ優勝してしまったことで、その存在が広く知られることとなったのだ。

 ちなみにその優勝の影にはヒメルの助力なんかもあったりするのだが、それはまあ、ここでは語らずにおこう。


 元々実力は十分だったのだろう。一時は出場するのを嫌がっていたくせに、なんやかんやしているうちに優勝した副官は、またたく間ににわかファンを生み出し、階級の高低問わず女性たちから黄色い声援を集める存在になりつつあるのだ。


(…まあ確かに、あの時の副官はカッコ良かったんだよな。もともと顔もイケメンだし……)


 しかしヒメルは知っている。

 エルド・ロウ少尉は真正の鬼副官である!

 

 司令官室の清掃に関しては細かすぎて、毎回ヒメルの神経をすり減らしにかかって来るし、時間管理については自身が直接電波時計の電波受信してんじゃないかと思えてくるくらい正確だ。


 はっきり言って、かなり面倒な上司なのだ。


 そんな彼に、親しく接する相手がいる?

 職務中の姿を見る限り、そんなようには到底思えない。


(で、でも、副官ってプライベートは謎が多いし…。そもそも休日は何をして過ごしているのか想像できないもんな…)


 独身の下士官であるヒメルは基地の兵舎で生活しているが、士官である副官は基地の敷地外にあるアパートに住んでいるので、私生活を窺い知ることができないのだ。

 それに、そもそも副官は普段から自分の事をほとんど語らない人だ。


(どうしよう~聞きたい〜!)


 ここに書かれた名前の女性は誰なんだろう。

 副官とはどういう関係なんだろう。

 ああ、もうすぐ副官がやって来る時間だ。


 ヒメルは時計を確認すると、剥がした付箋紙を慎重に元の場所に貼り付けた。それから一旦は自分のデスクに腰掛けるが、どうにもそわそわしてしまい、室内をうろうろ歩き回る。


(気になる気になる〜! でも聞いたらめちゃくちゃ冷たい目で怒られそうだな~)


 あまつさえ、侮蔑のまなざしで「仕事しろ」と突き放されそうだ。


 本人に直接聞くのはまずい。

 アキナって人がどこの誰なのか、自分で調べるしかないだろう。


「どうした? 何をやっている?」

「ぎゃあッ‼」


 突然後ろから声を掛けられ、ヒメルは飛び上がるほど驚いた。

 振り返ると、そこには軍服の男性がビジネスバッグを携え立っている。


 爽やかに切りそろえられたブラウンの短髪。涼しげな目元に、精悍な身体つき。

 ヒメルが心底恐れる鬼副官。エルド・ロウ少尉その人だ。


「ふ、副官ッ⁉ おは、おはようございますッ‼」

「なんだ、何かあったのか?」

「い、いえ何も……」

「だったら突っ立ってないで仕事をしろ」

「はい、すいません…」


 やっぱり言われてしまった。


(くそ~、鬼副官め!)


 ヒメルは大人しく自分のデスクに座る。

 だがあの付箋紙のことが気になって、気付かれないように副官の様子を盗み見た。


 副官は無言のまま自身のデスクに座ると、すぐに付箋紙に気付いた様子ではがし取る。そして内容を確認すると、表情を一切変えることなくくしゃくしゃと丸めてデスク下のゴミ箱にそれを放り込んだ。


(む、無表情! 何考えてるか分からない‼ 誰? 誰なのアキナってー‼ どこの女ー⁉)


 ヒメルは胸中で叫んだ。


 これはひょっとしなくても、大事件なのではないか。


(し、司令官に報告しないと‼)




◆◇◆




 司令官室に昼食を配膳するのは、庶務係であるヒメルの仕事だ。その時なら、ヒメルは司令官と二人きりになれる。

 昼の休憩時間のタイミングで、事の次第を司令官に報告することにした。


 基地司令官、ツルギ・ハインロット大佐は、美貌の少女司令官だ。

 齢17歳にして陸軍大佐の階級を持ち、先日このガンデルク基地に赴任してきた。

 琥珀色の瞳と髪。陶器のように滑らかな肌。

 なんでこの子軍人なんて職業選んだのかななんて思ってしまうほどの美少女だ。


「ええッ⁉ 副官の机にッ⁉ それ本当なのッ⁉」


 司令官は磨き上げられた宝石みたいな目をくりくりさせて言った。


「ホントなんです! 私、見たんですから。デスクの真ん中に、堂々と付箋紙が貼ってあったんです!」

「アキナ……、一体何者……?」


 芸術的な眉を歪ませて司令官が呟く。


「残念ながら、現状では名前以外の情報がありません」


 ヒメルが悔しさをにじませた声音で言うと、司令官もまた真剣な表情でう~んと唸り声をあげた。


「期日は今日の16時。密会場所がどこかも分からないし、これは、すぐにでも敵情を解明する必要があるね……」

「はい。事は一刻を争います」


 『敵情の解明』は、共和国軍内でよく用いられる作戦用語である。


「問題は、どうやって敵情解明するかってことなんだけど──」

「司令官!」


 ヒメルは執務机の前でビシッと右手を上げる。


「スエサキ軍曹なら、何か知っているかもしれません!」

「え? トーマスが?」


 トーマス・エサキ──、じゃない。トーマ・スエサキ2等軍曹。

 それは、ヒメルと同じく副官室に席を置く下士官の名前だった。



 

◆◇◆




「スエサキ軍曹、ちょっといいですか?」


 司令官の食事の配膳を終えたヒメルは、副官が昼食をとるため士官食堂に向かったことを確認してから、スエサキ軍曹に声を掛けた。


 彼は基地司令官専用車の運転を職務としている専属ドライバーで、ヒメルのデスクの正面に座っている一番近しい同僚だ。

 階級が自分より上なので一応敬った態度で接してはいるが、不真面目&女好きの性格がヒメルにはどうしても受け入れがたく、普段は深く関わらないようにしている人物だった。

 しかし、今回ばかりは仕方がない。これも任務なのだから。



「ん? なにヒメルちゃん。俺メシ食いに行きたいんだけど」


 軍帽を斜めにかぶり、脱いだ軍服の上着を肩に引っ掛けたスエサキ軍曹は、気だるげに返事をした。


 いつも思うんだけど、なんでこの人、常時だるそうにしているんだろう。

 なんて頭の隅で思いながらヒメルは口を開く。


「アキナって名前の女性兵士がどこの誰か知りませんか?」

「アキナ? ん〜、いや、知らないなあ…」

「ええ~⁉ スエサキ軍曹なら知ってると思ったんですけど」

「いくらなんでも、名前だけでどこの誰かなんて分かるわけないでしょ」

「え? 把握してないんですか? 基地にいる女性たちすべての名前」

「いや普通に無理だし! ヒメルちゃん俺のことなんだと思ってるの?」

「なにって、ナンパ野郎」

「もうちょっと言い方ないの? 傷付くわ〜」


 とか言っている割に、その顔はまるで堪えているように見えない。だいたい否定しないし。


 それにしてもあてが外れた。

 この人に聞けば分かると思ったのに。


 スエサキ軍曹でも分からないとなると、どうしよう。何か別の方法を考えないと……。


「アキナねえ……うーん。せめて所属部隊が分かれば、そこにいる女の子の顔はだいたい浮かぶんだけどねえ……」


 なんともなしにこぼれたスエサキ軍曹の呟きに、ヒメルは腕を組んで考え込んだ。


「所属……」


 実を言うと、ヒメルにはひとつ『あて』があった。

 だがそれは、出来れば使いたくない方法だった。

 なぜなら、正攻法ではないから。


(う~ん、でもやっぱりあれしかないか……)


「わかりました! 所属ですね! ちょっと調べてみます。スエサキ軍曹、また後で聞いてもいいですか?」

「へあ? ……ああ、まあ、いいけど」




 訝しげな顔をするスエサキ軍曹を副官室に残して、ヒメルは部屋を出た。

 向かう先は、司令部所属となる前まで自分が勤務していた部署。

 古巣であり、原隊。


 ガンデルク基地主計隊(しゅけいたい)だ。





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