第98話 最悪の一撃
深紅の瞳に最初に映ったものは、驚き。
そして次に喜びと、狂気。やはりという確信。
「ケケケケッ! どうした!? どうしたぁ!?」
防戦一方のレオがおかしいのか、アトは高らかに笑いながら刀を振り続ける。
右、左、右、左と連続で振り下ろされる刀を、レオは難なく防ぐ。
防ぎきってはいるが、今までに126回もアトを壊せる機会があったのにそれをしなかった。
それだけでアトは満足のようだ。
決定打を与えられなくても、攻撃が通用しなくても、防いでいるという段階でレオはアトに負けているも同然だった。
今のレオには、エリシアは「殺せ」ない。
アトの右手に持つ刀が呪いの黒い靄を纏い、振り下ろされる。
吸収した魔物の力をすべて使えるのか、昨日倒した変身する魔物の力も再現していた。
やや弱いものの魔王ミリアの力が凝縮された一撃は強力だ。
だがそれをもってしても、レオには届かない。
届かないけれど、レオの剣も届かない。届けられない。
「これでもダメとかとんだ化け物だな!
でもお前でも護れないものがある! さあ、エリシアを殺せ!」
防御など一切考えていない捨て身の特攻。
自身の体力が限界を迎えようと、腕の筋肉がどれだけ疲弊しようとも、アトは剣を振るうのを辞めない。
限界まで、いや限界を超えてもエリシアの体を酷使するだろう。
そしてそれを止める術をレオは持たない。
レオとエリシアの実力差は次元を画していて、さらにレオは他者を無力化する方法を持っていない。
他者を壊す方法しか知らない彼にとって、この状況は最悪と言えた。
このままでは、エリシアの体が先に限界を迎える。
「……っ!」
最大の注意を払って剣を振るい、アトの右手に持つ刀を打ち付ける。
エリシアの手のひらの骨が折れる嫌な音に、顔を顰めた。
しかし結果として刀は宙を舞い、地面に突き刺さる。
これで一本。あと一本を吹き飛ばせば少なくとも得物は。
そう思ったとき、地面に突き刺さっていた刀がひとりでに動いて飛来し、エリシアの折れた手に再び舞い戻った。
アトは痛みを感じないのか折れた手で平然と剣を握っている。
(クソっ!)
内心でレオは舌打ちをした。
得物を飛ばしても戻ってきてしまうなら、意味がない。
それに先ほどは運がよく出来ただけで、もう一度同じことをすれば今度はエリシアの腕ごと斬り飛ばすかもしれない。
体の中に呼びかけて敵の行動を阻害する祝福を作ろうとも考えたが、出来そうなものは全てエリシアを壊してしまいそうなものばかりだった。
ここに来てレオは初めて今までの自分を悔いた。
他者を壊すことしか考えていなかったために、それ以外の方法が取れない。
技術がないのではなく、意思が持てない。
少なくとも戦いにおいて、他者を壊すのではなく止めるという感覚が分からない。
こうしている間にもエリシアの体は限界に向かって急速で突き進んでいく。
それが分かっているからこそ、アトも笑みを崩さないのだろう。
「早く殺せよ、レオ!」
「くっ」
叫び、命を捨てた特攻を仕掛けるアトに対してレオは奥歯を噛みしめることしかできない。
(何かないのか……なにか!)
何度も何度も問いかけてみても、出てくる答えは一向に変わらない。
エリシアを壊すという答えしか、出てこない。
「俺を殺さないとこの街の魔物は止まんねえぞ!」
赤い瞳を宿す目を見開き、挑発を繰り返すアト。
忌々しいその顔を睨もうとしたその時。
彼女の後ろに金と白銀が現れ、その背に白銀が手を触れるのが見えた。
×××
レオとアトと名乗った少女が斬り合いを始めてすぐにアリエスは異変に気付いた。
そもそも、レオと斬り合っているという事が異常なのである。
アトはレオに力では到底及ばないことはアリエスでも分かる。
というよりも、自分の主に敵う人間などたった一人しか思いつかないのだ。
けれどそれでも斬り合っているという事はレオが加減しているからに他ならない。
そしてその理由など、斬り合っているのがエリシアの体だからという理由以外にはない。
「……まずいです」
あのままではレオではなく、エリシアの体がもたない。
アトは気にせずに、死に直行するように刀を振るっている。
それに対してレオは防ぐという事しかできない。
他者を無効化する術を持たないレオではエリシアを止められないと、アリエスは誰よりも早く気付いた。
腕を組み、拳を作り、人差し指の付け根を唇に当てて必死に思考を回転させる。
このままではレオは心に傷を負う。エリシアも助からない。
そんなこと、させない。
エリシアの体、アト、吸収した魔物の力、魔王ミリアの力、そして呪い。
そこまで考えて、アリエスは一つの、いや二つの答えを得た。
確信はないが、試す価値はある。
彼女は隣に立つリベラの袖を掴み、見上げる。
戦いを不安げに見ていたリベラも気づき、目線を合わせた。
「あれは自分が呪いだと言っていました」
「! それなら、私が移せば」
「それもですが、わたしが治すという方法もあります。
アトという存在を消せれば、エリシアさんを助け出せます」
この案にはあらゆる懸念を無視していることにアリエス自身が気付いていた。
意志を持ち話せる呪いなど聞いたことがないし、あんな風に表層に出ている呪いを消せるのかも分からない。
それにリベラが仮に移せたとして、その後彼女がどうなるかも分からない。
けれどエリシアという体からアトを出せるのであれば、その後は何とかなるかもしれない。
少なくともこの均衡状態を抜け出すことはできるはずだ。
「なら最初はアリエスで、次は私ね。
もし私が私でなくなっても、殺さないでよ?」
「非戦闘員のリベラなら私が殴って気絶させます」
「お姉ちゃんは縄で縛るね」
「……あんた達ねぇ」
頭を押さえ首を横に振ったリベラ。
しかしふざけるのも少しの間だけ。
レオとアトの戦いに目線を戻し、別の課題を指摘する。
「問題は、どうやってあれに触れるか。
正直、戦っている時のエリシアさんに私達が触れるとか難しすぎると思うけど」
「それならお姉ちゃんが祝福で援護するね」
不安を口にした傍からそれを解消するように、パインがアリエスとリベラの手を握った。
彼女の体を金の光が包み、繋がれた手を伝って光が二人に流れ込む。
他者を強化する祝福が、アリエスとリベラにいつも以上の力を与える。
体の奥底から力が溢れてくる間隔を覚え、アリエスは「ほぅ」と息を吐いた。
リベラも力を十分に感じているようで、得意げな表情だ。
「さすがお姉ちゃん。頼りになる」
「ありがとうございます、パイン」
「いえ、神様達のためならばどんなことでも!」
微笑んだパインに対して、アリエスとリベラは頷きで返す。
アリエスも目線をレオとアトに戻し、これから介入する戦いを凝視した。
レオがアトの刀を吹き飛ばしたが、どういう原理になっているのか、やがて刀は再びアトの手に収まった。
折れているにもかかわらず刀を握るその手が、悲鳴を上げた気がした。
「アリエス」
「はい」
答え、二人は走り出す。
パインの祝福を受けた体は驚くほどに軽く、大地をまるで風のように駆け抜けた。
最初は自分の体ではないかのように驚いたが、すぐに慣れた二人。
曲がったりすることなく直線で進むだけならば、問題はない。
レオとの戦いに夢中になっているアトに気づかれることなく二人は駆け抜ける。
素早い攻撃を繰り出すアトの後を取れば、それと斬り合うレオと目が合った。
驚き、見開かれるレオの目。
それを確認すると同時にアリエスはアトの背に手のひらを叩きつけた。
同時、彼女の体から白銀の光が立ち上り、アトを包む。
たった一つを除き、あらゆる悪を癒すアリエスの祝福は病も怪我も呪いすらも消す。
この力を持って、アトを無力化しようと思ったのだが。
「……っ」
深紅の瞳と目が合った。
呪いを癒す手ごたえも感じぬままに、首だけを振り向いたアトに睨まれアリエスは手を引いた。
呪いを治せないこともそうだが、このままでは命が危ないと脳が警鐘を鳴らした。
せめてリベラと同時に手をつけばまた結末は変わったかもしれない。
これではエリシアを、レオを助けることはできない。
自分の失敗が悔しくて顔を歪めるアリエスは隣に立つリベラを連れて離脱を試みる。
しかしその手をリベラ自身が拒んだ。
彼女はアリエスの腕を拒み、彼女の肩を押した。
もうすでにアトは体を半分ほど振り返らせている。
あと少しで刀が現れ、リベラの体を狙うだろう。
レオの祝福が護ってくれることは分かっている。
けれど知っていて凶器になぜ身を晒すのか。
それを考える間もなく、リベラがアトの腕に触れた。
「……っ」
彼女の顔が歪み、呪いを移せなかったのであろうことが分かると同時に刃がリベラを狙う。
魔王ミリアの力と説明された黒い靄が包む凶刃。
レオの鎧があるから大丈夫だと、分かっている。
だがアリエスの目には、その刃でリベラが死ぬように映った。
「ダメ――」
最悪の予感で、アリエスは声を上げようとする。
そのとき、彼女は気づいた。
アリエスの目ではエリシアの体の動きを追うのがやっとで、レオの動きを追うことはできない。
けれどそのときだけはやけに世界がゆっくりと感じられた。
刃が振り下ろされるよりも速く、レオの剣がアトの、エリシアの手首を斬り飛ばした。




