第96話 エリシアの元へ、急げ
先ほど遭遇した魔物は、かつての月下の廃屋の時と全く同じだった。
姿も形も「実力」も、そのままだった。
昨日倒した魔物は魔王城の魔物を再現しているに過ぎなかったが、今回のは間違いなく再来だった。
だからだろうか、レオはいつか出会う気がしていた。
「……予想通りか」
目の前の光景を見てレオは呟く。
彼の後ろに立つリベラは両手で口を押え、目の前の光景が信じられないといった表情だ。
呪いで黒く変色した冒険者の屍肉を貪るのは、かつて完膚なきまでに破壊したはずの一本角の魔物だった。
姿かたち、そしてその強さすら以前と全く同じ魔物の再来。
戸惑いも、怪訝もあるけれど、いずれにせよ死を振りまくこの化け物を野放しにはできない。
これもまた、レオの大切な人を苦しめる元凶だからだ。
ならば、徹底的に破壊しつくすのみ。
前に進み出るレオに気づき、一本角の魔物は顔を上げる。
血に染まった獰猛な顔が、愉悦の色に染まるのを見てレオは疑問に思う。
あれほどまで壊しつくしたのに、まるでこの魔物には過去がないように思える。
先ほど出会った家屋に寄生する魔物はどちらかというと知性があるようには思えなかったためにレオの事を記憶していないのも分からなくはない。
けれど獣の姿をしている一本角の魔物がレオを見て怒りや恐怖を覚えないのは少しおかしい。
まるで過去を失い、新しく誕生したかのようではないか。
そんな事を思っていると一本角の魔物は地面を蹴ってレオに飛び掛かった。
直線的な軌道。速いものの、レオの目には止まって見える。
そこら辺の冒険者ならばともかく、相手が悪すぎる。
遅すぎるし、力があまりにも足りない。
体に命令を伝達し、必要最低限の動きで前に一歩踏み出すと同時、下から上に向けて剣を振るった。
一閃。
以前の再現のように魔獣の首を斬り飛ばし、再度壊しつくしたレオはその姿をじっと見る。
「……あれ?」
その時、レオは気づいた。
灰になって消えていく魔物から、深紅の魔石が落ちないことに。
思い出してみれば、家屋に棲みつく魔物も魔石を落としていなかった気がする。
そのことを不思議に思い、アリエスに意見を聞こうと振り向こうとしたとき。
「う……ううっ……」
苦しみ、うめく声が耳に届く。
見渡してみれば、まだ息のある冒険者や兵士も何人かいるようだ。
ただそれ以上に多くの人が、壊れきってしまっているが。
中には呪いに犯されて肌が黒く変色した人も居た。
カマリの街でのシェラと同じ姿に、少しだがレオの心が痛んだ。
「……呪いだけ、可能な限り治します」
アリエスはそう言って気を失い、うめく人の治療に当たっていく。
一本角の魔物は現れたばかりらしく、呪われた人は目に見える範囲にしかいないようだ。
ここで全員を治して、怪我に関してはバラン達に任せるということだろう。
「…………」
懸命に祝福を行使するアリエス背中を見るリベラが黙っていることに、気づいた。
彼女は呪いを移せる祝福を持っているけれど、それは彼女自身の体を蝕むものだ。
だからリベラには手出しをして欲しくないとレオは思ったのだが。
「私も……やる」
「リベラ……」
決めたといわんばかりに頷き、リベラは呪われた人に近づく。
彼女に対してレオは呼び止めることができず、ただ名前を呼ぶことしかできない。
そんなレオに対して、リベラは微笑んだ。
「大丈夫だよ。死ぬくらいまでは移さないし、アリエスに後で治してもらうからさ」
「……いや、それならまた俺に――」
「レオ」
まっすぐな目で、リベラはレオを見る。
初めて向けられたその目が酷くレオの心をかき乱した。
かつて見たアリエスの表情と同じくらい、見たくないと思った。
「何も言わないで。お願いだから」
「…………」
そう言われては無言を貫くしかない。
リベラは怒っても、悲しんでもいない。
けれど多くの物を抱えていて、そしてそれは自分ではどうしようもないものなのだろうと気づいてしまった。
「信徒リベラ、他者を救うその気持ち、お姉ちゃん感動しました。力を貸します。
少しでも神様達の助けにもなるように」
レオの横まで進み出て胸の前で指を組んだパインはそう告げて目を瞑る。
地面に金色に光る魔法陣が展開し、レオ達を同じ金の光が包んだ。
これが他者を強化する祝福であることに、レオはすぐに気付いた。
リベラは自身の両手を眺め、満足げに頷いた。
「ありがとうパイン。これならずっと楽に行けそう」
「いえ、神に仕えるものとして当然です。手伝いますよ」
二人は微笑みあい、呪われた人の元へと向かってしまう。
アリエスが、リベラが、パインが、それぞれのなすべきことをこの場でしている。
レオには出来ないことを、している。
それは仕方のないことだと分かっているけれど、レオは早くこの時間が終わることを思って顔を上げた。
紅の明かりに照らされた動かない鐘が、遥か高みにあるだけだった。
×××
バランの宿屋から出たときに火の手が街の中心である鐘の塔の方角から広がっていることを確認していた。
だからこそ北にある城にバランを送り届けた後に中央広場を目指して南下していたのだが、魔物はかなりの数に上っていた。
一体一体は弱く、レオの知っている物もあれば、知らない物もあった。
最初は自分の倒した魔物が再来しているのかと思ったが、どうやら違うようだ。
「アリエス、さっきの一本角の魔物を倒したときに魔石が出なかったんだ。
それに、今だってそうだ」
襲い掛かる魔物を一刀のもとで斬り伏せると同時に隣を歩く頼れる仲間に声をかける。
かつては魔物の勢いに驚いていたアリエスも、今では全く動揺しなくなるくらいにはレオとの旅に慣れてきているようだ。
「はい、わたしも気づいていました。これは魔物であって魔物ではないということでしょう。
そしておそらく、カギを握っているのはエリシアさんだと思われます。
タイミングが一致しすぎていますので」
いつもは考え事をしてから答えるのだが、今回は答えが分かっているかのようにアリエスは答えた。
そしてレオとしても同じ考えだった。
「……やっぱりか。じゃあまずはエリシアを探さないとな」
彼女がこの騒動の元凶かどうかは分からないが、何か関連性がある可能性は高い。
そもそも、魔物が跋扈するこの街に彼女を一人で居させるわけにはいかない。
それに、彼女がリベラに斬りかかった理由についても気になるところだ。
襲い掛かる魔物や倒壊した建物などを避けながらようやく中央広場まで後少しといったところ。
そこまで来て、レオは立ち止まった。
「……ほんと、どうなってるんだか」
「驚いたね、昨日の今日だなんて」
呆れたように呟いたレオに賛成するように、リベラは声を漏らした。
中央広場に繋がる大通りは業火に包まれ、レオ達を阻むように一体の魔物が佇んでいる。
漆黒の毛を持つ馬に跨った、フルプレートの同じく黒の鎧を身に纏う、それが槍を振り回す。
つい昨日倒したばかりの黒騎士が、いや黒騎士に化けた魔物だ。
けれどレオは構えない。
否、構える必要がない。
次の瞬間、地面が隆起し、大地の怒りが牙を持った巨大な顎となって黒騎士もろとも噛み潰した。
さらにそれだけでは飽き足らずに、鋼鉄で出来た槍が黒騎士をめった刺しにしている。
レオが手出しをするまでもなく、黒騎士が息絶えているのは間違いなかった。
それを行った二人は横の路地裏から靴音を鳴らしながら現れた。
「おい、どうなっていやがる」
漆黒に赤い紋様が多数走った槍を肩に預けた勇者ヴァンは忌々しいと言わんばかりの表情のまま、目線を向けることもなくレオに尋ねた。
「……分からない」
「ちっ、使えねえ」
苛立つヴァンの言葉に背後に立つアリエス達の怒気が膨れ上がるのを感じた。
しかし彼はそれを一切気にすることなく一人の少女を連れてこちらへと歩いてくる。
決してレオと視線は合わせない。
それはレオが呪われていなくても、変わらなかっただろう。
「元凶はお前に任せる。確実に殺せ。俺達は周りの雑魚を全部潰す」
けれど、彼はレオを認めていないわけではない。
この騒動の元凶を任せるくらいには、強さを信用している。
それを感じ、レオはしっかりと頷いた。
視界の隅でそれを捉えたヴァンはわざとらしく舌打ちをして歩き去っていく。
おそらく街に解き放たれた魔物を一匹残らず駆逐するのだろう。
本気の彼を止められる人物など、今この街には自分しかいないはずだ。
「レオ様、今の勇者が持っていた槍はひょっとして……」
そんな事を思っていたレオにアリエスが尋ねた。
「ああ」と言ってレオは歩き去っていくヴァンに目を向ける。
彼が肩に担ぐ巨大な槍を見て、頷いた。
「あれも俺のと同じ星域装備って言われているものだよ。
だから大丈夫。少なくとも街の魔物はヴァン達が何とかしてくれる筈だ」
「……そうですか」
態度は気に喰わないものの、勇者の強さを知っているアリエスは不満げに頷いた。
リベラやパインも同じような気持ちを抱いているようだが、今はそれよりも優先すべきことがある。
レオ達は誰かが何かを言うまでもなく、アルティスの街の中央へと足を進み始めた。
確信はないけれど、そこにエリシアが居るような、そんな気がした。




