第91話 リベラが唯一移せない者
黒い外套が、夜風に揺れる。
アルティス郊外にある南の平原。
レオと黒騎士、そして魔王ミリアが戦闘を行った場所に、その人物は立っていた。
いくつもの他の魔物に化けていた異形はレオの手により討ち取られ、魔石も回収された。
けれど、その人物の――さらにその中に居る存在が必要としているものはまだ残っている。
魔王ミリアが崩れ、灰となった場所に手のひらを向ければ、黒い靄が吸い込まれるように入っていく。
中に居るおぞましい怪物に、力を与えていく。
これまでのあまりにも小さすぎる力ではなく、大きな力。
『ケケケ、満ちた! 満ちたぞ! ケケケケケケ!』
その力により、体内の異形が目覚める段階に来たことを知った。
けれど同時に疑問もある。
彼は――アトはこのときを待ち望んでいた筈だ。
自分の体を奪い、この世に顕現する、それが彼の狙い。
だが、ならばなぜレオに対して引き留めるようなことを言わせたのか。
アトからしてみれば強大な力を持つレオが近くに居る段階で顕現するのは危険なのではないか。
そう思ったところで問いを投げかけることなどしない。
自分とアトの関係は一方的なもので、対話などない。
聞いたところで答えは返ってこないだろう。
意見をする権利があるのはアトだけで、自分にはない。
しかも、もしその命令を拒絶すれば全てを失うことも思い知らされている。
『力比べだ。東と西、どっちが強いのか。それを俺様が証明する』
理解不能なことを告げたアトは笑い声を止め、低い声で告げた。
『まずはバランとメイドを殺せ。あれに近くない、親しい者からだ』
『……っ』
この時が来てしまったと拳を強く握りしめた。
また自分は罪を犯さなければならないのか。
赦されることもなく、自分で自分を裁くこともできない罪を。
『……返事が聞こえねえな。いつかみたいに、俺が代わりにやってもいいんだぜ?』
『……っ、わかっ……た……』
初めから自分に選択肢などない。
アトに寄生されたあの日からただの操り人形でしかない。
もしも逆らえばどうなるか。そんなことは決まっている。
皆殺しだ。
剣を教えてくれた父も優しかった母も良くしてくれた村の皆も、死んだ。
――エリーが、殺した。
唇から血が出る程噛みしめ、泣きそうな顔でアルティスへと歩き出す。
過去も未来も、そして今も奪われた少女、エリシア・ラックはこの世という地獄に居る。
×××
ようやく、ようやくこの日が来た。
長かった。カマリの街を出てからレーヴァティを経て、アルティスでもそれなりの日数を費やした。
けれどようやく、終わりを迎えられる。
深夜。
レオ達が寝静まった後すぐに、リベラはこっそりと起き上がった。
まだレオがうなされるのには時間がある。
今ならまだ、アリエスも起きていない筈だ。
『消えきったよ』
先ほど聞いた言葉をどれほど待ち望んだことか。
アリエスの祝福により、レオの体内にあった呪いは今日完全に消失した。
それに大きな喜びを見せたアリエスやパイン。
けれど表面に出さなくとも最も喜んでいたのはリベラだった。
これで、ようやく代われるから。
一度は死にかけた量の呪いを戻してしまえば、自分は耐え切れずに死んでしまうだろう。
それに呪いが残っている状態ではレオの右目の呪いを移せないかもしれない。
だから確実に移すために、この瞬間を待ち続けた。
「やっと……やっと……」
うわごとのように呟きながらリベラはベッドで眠るレオへと近づく。
穏やかに眠っているのは、部屋の中に自分達しかいないからだろう。
いつもは凛々しく、さらに戦闘の時には異次元の強さを持つ彼も今はまるで子供のようだった。
けれどその穏やかな寝顔も少し経てば苦悶の表情へと変わる。
(でも……もうそんなことはさせない)
ゆっくりと手を伸ばし、レオの右手に触れる。
躊躇いなどある筈もない。とっくに覚悟は決めた。
レオの右目の呪いを、自分に移す。
そうなれば自分は周りから忌避の目を向けられるかもしれない。
そして毎晩、右目の見せる光景にうなされるかもしれない。
けれど、それがどうしたというのか。
自分を救ってくれたレオとアリエスが少しでも前を向けるなら、その方がずっといい。
彼らは自分を責めるかもしれない。
なぜそんなことをしたのか。そんなことをしても、嬉しくないと。
けれど、それでも。
リベラは、それでもやると決めた。決めていた。
レオに救われたときから、この身を犠牲にしてでも彼を助けると。
(待っててね、レオ)
久しく使っていなかった祝福を開放する。
レオの中に居る呪いに対して強く、強く呼びかける。
私はここに居ると。私こそが、お前の居るべき場所だと。
さあ入れ。入って、レオの代わりに私を好きなだけ苦しめろ。
だから。
――だから、もうレオを解放してあげて
祈りのような強い感情に祝福が反応し、まばゆい金の光を見せる。
語り掛けたレオの呪いがピクリと一瞬だが反応したような、そんな気がした。
呪いを移す祝福。
その力を持って、リベラはレオの中の呪いを移す。
彼の中に宿った忌々しき呪いを、なんの呪いも持たないリベラの体の中に。
たった一人の男性を救うために、彼女は自身の全てを差し出した。
そしてそれはゆっくりと終わりを告げた。
次第に弱まっていく金の光。役目を終えたといわんばかりに終わるリベラの祝福。
その果てで、リベラは。
「は……ははっ……」
涙を流し、笑っていた。
「……っ!」
大きな音を立てず、リベラは宿屋の部屋を後にする。
今はこの部屋には、居たくなかった。
禍々しい紋様が消えていないレオの姿を、見ていることなど出来るはずもなかった。




