第89話 過去の幻影の終わり
「……は?」
アリエスの言葉に思わずレオは振り向く。
もう壊しきった魔王ミリア、いやそれを模した魔物は灰になって消えはじめている。
やや大きめの魔石が転がり落ちて靴に触れたが、それが気にすることすらなかった。
アリエスは両手で口を押え、信じられないといった表情をしている。
その様子に隣に立つリベラも困惑しているようだ。
「な、何を言ってるんだ? あれは魔王ミリアで――」
「違います、先生です!」
初めて聞くような彼女の強い言葉に、レオは押し黙ってしまう。
その様子を見て、アリエスははっとした表情を見せた。
「ご、ごめんなさい……で、ですが見間違えるはずはありません。
あの姿は、わたしが失明する前にずっとお世話になっていた先生のものです」
「い、いや……でも……」
そんなことを言われても困るのはレオの方だ。
魔王城に行き、そこで先ほどの姿をした女性を倒した。
それが魔王ミリアである証拠はないが、あの城で最も強かったのは彼女で間違いなく、さらに他に魔王に該当する者など居はしなかった。
アリエスはレオの知る魔王ミリアが先生だという。
しかし。
「アリエスは村に魔王ミリアを案内したんだろ?それが魔王ミリアだって言ったじゃないか」
「はい、そうです。ですから先ほどのは魔王ミリアではなく、先生です。
な、なぜあんな格好をして禍々しい雰囲気を漂わせていたのかは分かりませんが……」
「???」
アリエスと会話をすればするほどレオは混乱してくる。
彼女は魔王ミリアに出会っているけれども、それはレオの知る魔王ミリアではない。
さらにレオの思っていた魔王ミリアはアリエスの言う死んだはずの先生で。
もう意味が分からない。
「そういえば、魔王って名前は分かっていたけど姿は詳しく伝わってなかったよね。
ミリアっていう名前だから、女性だろうとは思っていたけど」
「…………」
リベラの言葉はまさにその通りで、レオも魔王ミリアを見たのは魔王城で対峙したときが初だ。
西の大陸に恐怖を振りまいた魔王はその名のみを轟かせ、戦場に姿を現すことはなかった。
魔王から力を授けられた強大な魔物はいくつか確認されているが、魔王本人を確認した事例もなかった筈だ。
「……終わったんでしょ」
混乱するレオとアリエスを他所に、ボソッとエリシアが呟いた。
いつもの無表情ながら、その雰囲気はやや冷たい。
レオに戦闘を取られたことや、話についていけないことに対して思うところがあるのだろう。
「と、とりあえず街に戻ろう。これで街を騒がせた魔物は倒した筈だからバランに報告しよう」
そう告げて、レオはアリエスに向き合う。
不安に揺れる彼女を落ち着かせるために、穏やかに微笑んだ。
「アリエス、あとでゆっくり話そう。アリエスの先生のこと、それに魔王ミリアのこと」
「……はい」
彼女と硬く約束を交わし、レオは落ち着かない気持ちを抱えたまま足早に街へと戻り始める。
その背後で、魔王ミリアの偽物が消えた場所をじっとエリシアが見つめていた。
×××
街へと戻ってきたレオ達はまっすぐにバランの宿へと向かい、事の顛末を説明した。
これまでの魔物は複数ではなく、同一の魔物の仕業だったこと。
その魔物は他の魔物に変身できるものの、元の個体よりも少し弱くなること。
話の中で最後は魔王に化けたという事までは説明したが、それがアリエスの言う先生だという話はしなかった。
それは自分たちの問題だからだ。
「魔王城に居た魔物達に変身出来て、少し劣るとはいえその力を発揮できる魔物か。
恐ろしいな……レオが居なければ、どうなっていたことか。エリシアもありがとう」
話を聞いたバランはベッドから上体を起こしたままで、深く息を吐いた。
そしてレオ達に深く頭を下げて、感謝の念を伝える。
それを、レオもエリシアも無言で受け取った。
「これで……解決なのだろうか?」
頭を上げたバランは晴れ晴れとはしない様子で小さく尋ねる。
レオはしっかりと頷き、答えた。
「おそらく、もう魔物が出てくることはないだろう」
今もまだ先ほどの戦場に結界を張っているが、祝福のざわつきは感じない。
完全に壊しきったと考えていいだろう。
それに変身する対象を考えても、魔王ミリアの次などない筈だ。
もういいか、と結界の祝福を解除したレオの言葉にバランの中から不安の感情は消えたように見えた。
けれどバランは、今度は寂しげな表情を浮かべる。
「……そうすると、もうレオともお別れか」
「…………」
しんみりした雰囲気が場を支配する。
誰も何も言わない、何とも言えない空気の中。
(まずいな)
レオの内心はこれまでにないほどの冷や汗をかいていた。
魔王城に関連する魔物を倒すという目的は達したものの、レオ達の目的である右目の光景についてはまだ解決していない。
昨日の夜も苦しめられたばかりであるし、手掛かりも少ない状態だ。
レオ達がこの街を離れるつもりは、今のところはなかった。
とはいえ、バランに何と説明するべきか。
呪いに関する気になる情報を手に入れたとあれば、国の皇子であるバランは協力を申し出るだろう。
そうなれば嘘はいつか明るみに出る。
いっそのこと、まだ話していない右目の呪いの光景について説明してしまうかとも考えた。
しかし、レオはバランの事を信頼はしているが、果たして誰かの死ぬ未来が見えるなどという荒唐無稽な話を受け入れてくれるのかまでは不安だった。
それに、この場にはまさに光景が映し出しているエリシアも居るのだ。
説明はできないだろう。
「……もう少し、教えて欲しい」
しかし、そんなレオに助けを出したのは、驚いたことにエリシアだった。
言葉こそ少ないが、それが訓練をして欲しいという事なのは想像に難くなかったためにバランはエリシアを見て穏やかに微笑み、レオに視線を戻した。
「それなら俺からも頼む。ほんの数日でいいんだ。任されてくれないか?」
「……ああ、分かった」
「助かる。良かったな、エリシア」
「…………」
微笑みかけるバランに、無表情のエリシア。
そんな二人を見ながら、レオは滞在する理由が出来たと安心する一方で、どこか引っ掛かりを覚えていた。
今のエリシアの言葉は彼女の本心ではなく、言わなければならない言葉のような気持が感じられたからだ。




