第87話 気になる彼女
黒衣の暗殺者を倒した後に再びバランの部屋へと戻れば、彼は上体を起こしてじっと扉を見つめていたようだった。
その顔には心配の色が見受けられたが、レオ達の姿を確認した瞬間に安堵の色に変わった。
宿の前での騒ぎは聞こえていたが、詳細までは分からなかったらしい。
「やけに大きな音だったが、何かあったのか?」
「黒衣の暗殺者を倒した。たまたま宿の前で出くわしてな。エリシアがやってくれた」
「そうか……まさかこんなに早いとは思わなかったが……やってくれたか。ありがとう」
レオから事情を聴いたバランは穏やかな表情で視線をエリシアに向けるものの、彼女は相変わらずの無表情で何も言わなかった。
「レオ達もありがとう。またこの国は救われたな」
「気にするな。俺達も気になっていた敵だ」
「……その口ぶりからするに、やっぱりレオが前に倒した魔物だったのか。
本当に、どうすればいいんだろうな。
元凶を叩けばいいのか、それとも現れ続ける魔物を倒し続ければいいのか、分からないよ」
「そう……だな」
溜息を吐きながら肩を落とすバランを見ながら、レオは歯切れの悪い答えを返した。
分からないのは、レオを含むこの場の誰もが同じことだった。
×××
昨日と同じ町はずれの草原に、レオ達は来ていた。
バランへの報告を済ませたあと、することもないとのことでエリシアを引き連れて訓練へとやってきたところだ。
円を描くように地面に座り込み、正面に腰を下ろしたエリシアをじっとレオは見つめる。
「それじゃあ、丁度いいからさっきの戦闘についておさらいをしよう。
エリシアも分かっていると思うけど、武器の強化が少し疎かだった」
「……うん」
エリシア自身もよく分かっているのか、しっかりと頷いて白い柄の刀を抜き放つ。
日光を反射する刃にもう片方の手を近づける。
すっと、白魚のような、けれど傷痕のある指を沿わせた。
刀身が、光を宿し始める。
しかしそれは淡い光で、強化されてはいるものの十分とは言い難かった。
「……むずかしい」
「いや、よく出来ている方だ。
慣れが必要な技術だからな。何度も繰り返し実践しているうちに、出来るようになるはずだ。
そのうち指を伝わらなくてもできるようにもなれる。
それこそ、二本の刀を一気に強化できるようにもなるさ」
「…………」
励ますつもりでそう言ったのだが、なぜかエリシアにはじっと見返されてしまった。
その雰囲気はやや冷たく、レオの言葉を疑っているというよりも、批難しているようだった。
左隣に腰を下ろしていたリベラが、首を傾げたのが見えた。
「レオ、それ普通の人はどれくらいで出来るものなの?」
「普通?……60年くらいか?」
普通という意味合いがよく分からなかったものの、一般的な兵士を考えてレオは答えた。
しかしその言葉にリベラは溜息を吐き、エリシアの雰囲気はさらに冷たくなった。
「……規格外」
ボソッと呟かれたエリシアの言葉の意味が分からずに、レオは困惑する。
さっきのはあくまでも一般的な兵士の話で、エリシア程の才があれば5年もあれば到達できそうなのだが、これ以上何かを言うと藪蛇だと思い、レオは口を噤んだ。
言ってくれた方が救われた言葉を雰囲気で封じてしまったエリシアは何度も何度も刀へ魔力を流しては止めてを繰り返していく。
戦闘特化の彼女はどうやら魔力の扱いはやや苦手らしく、苦戦しているのが手に取るように分かった。
けれど本当に少しずつだが刃に通う魔力の量が増えているのは、流石の才能と言えるだろう。
不意にその途中でエリシアは顔を上げ、じっとレオを見つめた。
「……全部終わったら、居なくなる?」
「……? あぁ、呪いを解くために、西を目指すよ」
全部というのがどこまでを指しているか分からないものの、予定は決まっているのでそう答えるとエリシアの纏う雰囲気が暗く重いものになった。
よくよく見てみれば、本当に少しだけだが彼女の頭の耳が前に傾いている。
「…………」
黙ったままでいるエリシア。寂しがっている子犬のような影が頭を過ぎった。
そんな彼女を見て、レオは思わず口を開いてしまう。
「なら、全部終わったら一緒に来るか?」
レオとしても、この少女の先が見たいという気持ちがある。
それに訓練をつけている以上、彼女を強くするのが自分の責務だ。
だから彼女が良ければ、旅に同行してくれればそれを叶えられる。
レオの言葉にエリシアの耳がピクリと反応し、雰囲気の中に弾けんばかりの喜びの色が見えた。
「…………」
けれどその喜びの色は次の瞬間には消え失せ、先ほどよりも重く苦しいくらいの雰囲気へと変わった。
先ほどと同じく黙っているエリシア。
けれど先ほどよりも言葉を自分の中に必死に押し込めているような、そんな気がした。
やがてエリシアはゆっくりと、しかし、しっかりと首を横に振った。
「……そうか」
「…………」
拒絶の意思を見せられてしまえば、レオにはどうすることもできない。
残念ではあるが、無理強いをすることなど出来るわけもなく、レオはそのことを忘れるように努めることにした。
エリシアも短く答えた後には再び刃に魔力を通す作業へと戻っている。
刃の輝きは、エリシアが同じ作業を繰り返せば繰り返すほどに増していく。
それと同時に、レオの中でも喜びは大きくなる。
教えればそれ以上のものを吸収してくれる彼女の成長が嬉しい。
けれど。
嬉しい筈なのに、頭をいくつかの光景がどうしても過ぎる。
黒い鎧に死んではならないと強迫観念のような雰囲気で襲い掛かっていたエリシアが。
全てを諦めたような、そんな目をしたエリシアが。
――そういえば
先ほど黒衣の暗殺者を倒したときにはアリエスがじっとエリシアを見ていた気がした。
あれは何だったのか、それを聞くわけでもないものの、なぜか気になったレオは彼女の方を向いて。
アリエスが何かを探るようにじっとエリシアを見ていることに気づいた。
「……アリエス? さっきから――」
さっきからエリシアの何がそんなに気になっているのか。
それを小声で聞こうとした瞬間にアリエスは顔を素早くこちらに向けた。
「レオ様、もしも次に魔王城に居た魔物と戦う――」
「……今日は、ここまでにする」
アリエスの言葉を遮る形でエリシアは声を発した。
白銀の少女は小声で話していたために意図的に遮った形にはならないのだが、エリシアの言葉がレオに向けられていることは相違なかった。
「そうだな、一気にやるのも良くない。ゆっくり慣れていこう」
アリエスの言葉の続きが気になるものの、レオは穏やかな表情でエリシアに答える。
するとエリシアは珍しく首をはっきりと縦に振ってくれた。
訓練は、これで終わり。
アリエスとは街に戻った後にでも会話の続きをしよう。
そう思ってレオは草原から立ち上がる。
続いてエリシアが、そしてアリエス達が立ち上がり、柔らかな風が吹く大地を踏みしめながら街へ戻ろうとする。
時間はまだ昼過ぎ。日差しは温かく、過ごしやすい時間帯だ。
「――――」
にもかかわらず、レオは気配を捉えた。
振り返って、次にその姿を捉えた。
それは、先ほどまではその場に居なかったもの。
もしも居ればエリシアやパインが気付いたに違いない。
そもそも自分が敵を認識できない筈がない。
巨大な黒い馬と、それに跨る漆黒の甲冑を着た騎士が、居た。
ヘルムの奥の真っ赤な眼光は迷いなくレオ達を見据えている。
巨体が放出する重々しい雰囲気には、覚えがある。
「……また……か」
魔王城で遭遇した魔物の再来に、レオは思わず呟いた。




