第81話 右目が見せる光景の共通点
手に、足に、牙が食い込む。
血を吹き出し、肉を噛み千切られ、体中を獣たちに嬲られる。
そんな地獄のような状況で、彼女は嗤っていた。
生を諦めた笑みでもなく、自暴自棄の笑みでもなく、痛みで限界を越えたための笑みでもない。
心の底からの、けれども狂気に満ちた笑みだった。
その光景があまりにも歪すぎて、自分の知っている世界とは別のようで、レオは吐き気がした。
なぜ痛がらないのか。なぜ悲しまないのか。なぜそんな風に笑っていられるのか。
分からないけれど、レオの目には喰われているはずのその少女が一番の化け物に思えた。
(……なんなんだ……これっ)
いつもよりも一層軋んだ音を立てる心を無視して、レオは光景を見続ける。
見せられる光景には大地を覆いつくほどの魔物の数。
それらに阻まれて場所がどこかすら分からない。
視界に映るのは大量の魔物と、獰猛な色を灯した多数の瞳。
そして噴き出す血の赤のみ。
この世の地獄――いや地獄よりも惨い光景を、レオはただ見せられ続けた。
×××
何よりもまず感じたのは、手を包む熱だった。
何度も何度も助けられている熱に、レオは確認するよりも先に声を発した。
「……ありがとう、アリエス」
声をかけ、その後に白銀の少女を見たときに、彼女は泣きそうな顔でレオの手を両手で握っていた。
「レオ様……お辛そうでしたが……」
「あぁ、中々に酷い光景でね……でも、詳しいことは分からなかったよ」
「…………」
レオの言葉に対して、アリエスは何も言わず俯いた。
「アリエス?」
その様子を見て、声をかける。
すると彼女は何かを言おうとしたものの、それをぐっと堪えて顔を再び上げた。
「……ずっと考えていたことがあります。レオ様の右目が見せる光景の人物についてです」
「人物?」
「はい……わたし、リベラ、パイン、そしておそらく今レオ様が視ているのはエリシアさんだと思います」
レオはあの光景で狂気の笑みを浮かべるのがエリシアだとは露とも思っていない。
しかしアリエスはそれとは対照的に、それをエリシアだと言い切った。
だが右目が見せる光景の褐色の少女とエリシアはどうも結びつかない。
「いや……そんなわけ……」
「そんなわたし達には共通点がいくつかありますが、その中でもレオ様に関係しているものが一つあります」
「俺に関係した共通点?」
聞き返すと、アリエスはまっすぐな目ではっきりと告げた。
「全員、理由はどうあれレオ様を恐れないんです」
「…………」
絶句した。
アリエス達の共通点はレオとしても気づいていたことだ。
けれど、それが右目の呪いと関係している?
「正確には、レオ様の右目の呪いを恐れない人です」
「い、いやちょっと待ってくれ。それなら国王だってサルマンだってシェラさんだって……」
自分で言いながら、レオは気づいた。
彼らはレオを恐れなかったのではなく、恐れを必死に押さえ込めていただけだと。
そしてこの街にはレオを恐れない人は2人居るが、バランは彼らと同じように恐怖を抑え込んでいる。
けれどエリシアは……。
そこまで考えて、レオはアリエスの意見が正しいような気がしてきた。
けれどふと一人の灰色の少女を思い出し、胸のざわめきが一気に沈静化した。
「シェイミは?」
「……あ」
アリエスとしても完全に想定の外に居たのだろう。
並び立てる唯一の存在の名を出せば、彼女は今まで忘れていたような声を出して視線を外した。
「……えっと、その、あ、あの方は……その……」
「ま、まああれは特別かもしれないからね」
「……いえ、わたしの想定が間違っていたようです」
戸惑い始めたアリエスに助け舟を出すものの、何かが琴線に触れたらしくアリエスはすぐに間違いを認めた。
その雰囲気はやや機嫌が悪そうにも見える。
そんな気は毛頭ないが、アリエスの失敗を揶揄うようなことはしない様にしようとレオは決心した。
ついでにやりそうなリベラにも釘を刺しておこうとも。
「個人的にはかなり有力な意見だと思っていたのですが……」
「でも、なにかヒントにはなるかもしれない。ありがとう。
俺はもう起きてるから、アリエスは寝た方が良いよ」
「……はい」
いつものように心配そうな目線を向けつつも、アリエスはレオから手を離して隣のベッドへと入り込んだ。
しばらくはレオを気にするような雰囲気を感じていたものの、やがて睡魔に負けたのか彼女は穏やかな寝息を立てて夢の世界へと旅立っていった。
そんな彼女を見て、レオは閉じた窓の隙間から少しずつ明るくなり始めた空を見た。
(アリエスも間違えることがあるんだな)
当然かと思いつつも、どうしてもそう思ってしまう自分に、思わず笑みがこぼれた。
シェイミの事を考えていなかったのは仕方ないとしても、レオと同じ結論に至れなかったのは実際に光景を見ていないからだろう。
(あの褐色の少女が、エリシアの筈がない)
その結論だけは、何があってもレオの中で覆りそうになかった。
×××
翌日の昼前にレオ達は冒険者組合の前に行き、そこで待っていたエリシアと落ち合った。
挨拶を交わし、彼女の腰に差している刀を見せてもらい、刃こぼれの程度を確認する。
太陽の光を反射する刃は見事なつくりだったが、長年の戦闘によりかなり傷んでいるようだった。
もう一振りの刀も同じような状態だったために、レオ達は修復に必要な材料を買い求める為に、武器屋へと足を運んでいる途中だった。
大通りではいつものように多くの人がレオ達に目を合わせないように顔を背けている。
その光景を見て、レオは思わず隣を歩く白い獣人に声をかけてしまった。
「エリシアは、俺の右目が怖くないのか?」
先ほど刀を受け取ったときも彼女はレオと目を合わせていた。
それどころか、雰囲気的にはかなり好意的な様子だったようにすら思えた。
昨日から感じていた疑問に対して、エリシアはゆっくりとした動作でレオを見上げ、右目と視線を合わせる。
彼女の纏う雰囲気がいつかのアリエスのように冷たく、鋭くなったような気がした。
「……別に」
短い言葉と雰囲気にレオがしまったと思うと同時、エリシアは再び口を開いた。
「……もっと醜いものを知ってるから」
その言葉で終わりといわんばかりに、エリシアは前を向いて歩き出した。
いつもの無表情ながらも、その顔は何かを睨みつけているようで。
そして雰囲気は氷のように冷たく、これ以上聞くことを拒絶しているように思えた。




