第61話 右の温かさ
日もすっかり沈んだ夜に、レオは木に寄りかかって開けた空間に目を向けていた。
その横にはアリエスとリベラも居て、レオと同じくそこで作業をしている兵士達を見ている。
エニフ谷の近くまで来たところで進路を少し変え、この開けた地へとやってきた。
毎年使っている場所のようで、兵士達は慣れた手つきで準備をしていく。
レオもまた誰に言うわけでもないが、魔物避けの祝福を使用していた。
アリエスに使用したような結界のように直接的な攻撃を防げるわけではないが、魔物が接近するのを嫌がるような領域を展開する祝福だ。
その領域は防御力を持たない代わりに、この場に居る兵士達ならば楽々囲ってしまうほどの広さとなっている。
「……本当にレオってなんでもできるね。いくつ祝福持ってるの?」
レオから説明された魔物避けの祝福についての話を聞いてリベラが尋ねる。
とはいえレオとしても自分の中にいくつの祝福があるのか正確には把握していないので答えに窮した。
その様子で読み取ったのか、アリエスは苦笑いをする。
「数えきれないほどいっぱいなんですね」
ふと兵士達の間から一人の女性がこちらに歩いてくることにレオ達は気づいた。
この旅が始まってからは会ってなかったレーヴァティ法国の教皇、ルシャだ。
彼女はいつもの穏やかな笑みを浮かべて、レオ達の元へとやってきた。
「こんばんはレオさん、道中お疲れさまでした。ララ枢機卿は粗相をしなかったでしょうか?」
「大丈夫だ。それと、念のために魔物避けの祝福を張った。
警戒するに越したことはないが、少しでも被害の軽減になればと思う」
個人的には軽減どころか起こることさえないと思うのだが、あえてぼかすことにした。
ルシャはレオの言葉に驚いたように目を見開き、すぐに頭を深く下げた。
「本当に、何から何までありがとうございます。
感謝してもしきれません………ところで、念のために兵士の皆さんにはレオさんの事を詳しくは伝えていないのですが、良かったでしょうか?」
「ああ、ありがたい」
レオとしても不要な注目を浴びるのは避けたかったため、ルシャの気遣いはありがたいものである。
一歩、白銀の少女が前に出る。アリエスはじっとルシャを見つめ、ゆっくりとその口を開いた。
「ルシャ教皇様、質問があるのですが……」
「そんなかしこまらなくても結構ですよ。気軽にルシャさんとでも呼んでください」
「ではルシャさん、昨日の件に関してなのですが……ルシャさんに強い恨みを抱くような人物について何か心当たりはないでしょうか?」
急なアリエスの質問だが、ルシャは特に驚いた様子もなく、悲しげに目を伏せた。
「……サマカ枢機卿の死に、あの爆発。
レオさんが居なければ私たちは死んでいてもおかしくはなかったですからね…………。
教皇という役職は恨みを買いやすいものですが、特定の人は思い当たりません。
とはいえ、ファイ枢機卿が状況や現場から調査を進めてくれています。
近いうちに真相は明らかになると思いますよ」
「……そうですね。それを期待します」
「それでは、私はこれで。レオさん達の場所にはなるべく近づかないように伝えてあります。
安心してお休みください。また、もしも何か不都合や必要なものがあればおっしゃってください。可能な限り対応します」
そういってルシャは来た時と同じように深く頭を下げ、立ち去っていく。
その背中を見ながら、ポツリとリベラが零した。
「……今のところは何も起きてないみたいだね」
「はい、ルシャ教皇も無事ですし、兵士達を見ていても怪しい動きはありません。
神聖玉を作成して、一仕事終えた後の隙を突くという可能性も十分にあるので油断はできませんが……」
「今日の夜はどうする? ルシャ教皇が攫われたりしたら目も当てられないけど……」
「いや、それなら問題ない」
心配そうなリベラの言葉を聞いて、レオはすぐに否定した。
「今張っている魔物避けの祝福に併せて、動作感知の祝福も展開している。
この場所から外に出ても、中に入ってきても知らせてくれるから、対応できる」
流石に外から誰かが侵入してこちらを攻撃するなら対処の必要があるが、中から秘密裏に抜け出すのならそれを知らせる仕掛けを使えばいい。
以前サマカの部屋に仕掛けようとした祝福の応用になるが、これで誰かが通れば寝ていても気づけるだろう。
そして、感知した段階でレオよりも速い人間は片手で数える程なので、ほぼ間違いなく捕らえることができる。
「なら、問題はなさそうですね。仕掛けてくるのは明日の可能性が高いので、今日は早く寝てしまいましょう」
「レオの右目の事もあるしね」
二人の言葉にレオは頷き、三人は歩き出す。
少しだけ離れたところには、兵士が立ててくれたテントが2つ。
それらを見て、レオ達は立ち止まった。
「……え……っと……」
言葉を詰まらせるリベラ。しかしアリエスはレオを見上げる。
「レオ様、どちらのテントを使いますか?」
「……どっちも同じじゃ?」
見たところ、一般的なテントのように思える。
勇者時代に使用していたものよりは少し小さいものの、左右のテントで大きな違いはないだろう。
そう言った意味で問い返すと、アリエスは頷いた。
「はい、ですので右か左か好きな方をお選びください」
「じゃあ左で」
なんとなく右という単語を避けたかったので左と告げると、アリエスは頷いて歩き出した。
左のテントへと。
「見た感じ十分余裕はありそうです。小さすぎなくて助かりました。
これで今日もしっかりとレオ様の手を握ることができます」
「……握ってくれるのはありがたいけど、まだ十分休んでないだろ」
「昨日よりは少しマシになっているので、大丈夫です」
そんな会話をしながらテントに足を踏み入れる。
やはり思った通りやや小さいものの、3人で使う分には問題ない広さだった。
最後に入ってきたリベラが何とも言えない様子でテントの幕を下ろす。
「……言いたいことは山ほどあるけど」
溜息を吐いてレオとアリエスを見て、リベラは再度溜息を吐いた。
「いや、まあいいや。
ところで、私とっても良い案を思いついたんだけどさ、手を繋いだ状態で布とかで縛ればいいんじゃない?」
「……手を繋いで、布で?」
頷くリベラを見ながら、レオは考える。
確かにそれならば、アリエスも寝ることができる。
睡眠に入りにくくはなるかもしれないが、寝ないよりはずっと楽なはずだ。
しかしアリエスは賛成というわけではなく、何かを考えているようだ。
「……良い案だとは思うのですが、それでレオ様の苦しみが和らぐでしょうか」
「やってみないと分からないよ。ほら、手だして」
「い、いまですか?」
少し困った様子を見せるアリエスだが、おずおずと自身の右手を差し出してくる。
その手を、レオは馬車から降りる時と同じように握った。
「……それだと寝るときに手首変な感じになるでしょ、こう!」
リベラはアリエスの背を押し、レオの横に並ぶように位置付ける。
重なっていた手の向きは変わり、以前スイードとメリナが握っていた握り方に近いものになったとレオは思った。
「……んしょっと、これで良し。じゃあ、もう寝よう」
何故か楽しそうなリベラ。
テントの中には寝台は二つしかないので、寝るには十分なスペースがないことに気づいていないのだろう。
レオは無言で布を外した。
「ちょっと」
「いや、寝台足りないだろ。リベラに持ってこさせるわけにはいかないし、俺が持ってくるよ」
そう言ってレオは隣のテントへと向かう。
きょとんとした顔をするリベラと、やや顔の赤いアリエスには気づかなかった。
×××
隣のテントから寝台を持ってきて、それを並べる。
やや重い寝台だが、レオからすれば紙のようなものだ。
「今度こそこれで……よし」
そうして再びリベラに繋いでもらい、レオとアリエスは寝台へと進む。
アリエスが一番奥に、レオが真ん中、そしてリベラが一番手前だ。
アリエスに続いて寝台に入るときには、リベラがテントの明かりを消している最中だった。
暗くなる視界。闇が、テントの中を支配する。
寝台の布の温かさが体に伝わる。今日は、右目の光景に深く入らないつもりだ。
それにアリエスに握ってもらっているのだ。そこまで深刻なことにならないと信じたい。
体に命令し、レオは深い深い眠りに落ちていく。絶望の地獄へと向かう。
落ちる意識の隅で、右耳が一瞬だけ声を捉えた。
「……レオ、負けないでね」
次の瞬間には、その声の事も忘れてしまった。
その日、視た光景の影響はアリエスのお陰でやや少なかった。
精神的にも楽だったし、起きたときにも震えや寒さは感じなかった。
起きたときに右手も温かいと感じるくらい、これまで視た後では最も良い朝だった。




