第48話 神に愛された女教皇
スイード達は教会に気を付けろと言っていたけれども、レオの呪いを解く可能性が少しでもあるのなら関わらないわけにはいかない。
そのためレオ達は教会の総本山の建物へと足を運んでいた。
正確にはその前に広がる大きな広場にだが。
何故か広場にはたくさんの人が溢れていて、まるで何かを待っているかのようだった。
「どうやら、教皇の一人が姿を現して、相談を受けてくれるらしいです。
今の教皇はかなり人気なようですね。
ルシャという方で、まるで聖女のように皆さん持ち上げていましたよ」
周りで情報を集めてきてくれたアリエスが、リベラを見ながら説明する。
「聖女」という単語で引き合いに出されたリベラはむっとした様子を見せたものの、特に何かを言うわけではなかった。
「とりあえず向こうが相談の列みたいですので、そこに並んでみましょう」
アリエスが指さす先には、数人の列が出来ていた。
どうやらこの場に居るほとんどの人は、相談するわけではなく、ただ教皇を見たい人の集まりのようだ。
3人は列に移動し、そこに並ぶ。
周りから視線を向けられるため、リベラは居心地悪そうにしている。
前に並ぶ人は距離を取る始末だが、レオとアリエスは涼しい表情だ。
そうしてしばらく待っていると、民衆がざわつくのを感じた。
どうやら、教皇が姿を現したらしい。
視線を向けてみるものの、距離があり教皇の姿は見えない。
けれどレオの左目は確かにそれを捉えていた。
淡く光る、薄いベールのようなものを。
普段のレオは左目の祝福を看破する力を弱めている。そうでないと色々な人の祝福が見えてしまうためだ。
にもかかわらず見えるということは、つまり。
そう思って祝福を看破する力を強め、それを視認したときレオは珍しく目を見開いた。
「なんだ……あの祝福……」
天にも昇る程の強大な金の光。
見ただけで分かる程の大きさは、流石に自分には届かないものの、人間の中では驚嘆に値する量の祝福だと言えるだろう。
「言ってなかったっけ? 教会は祝福の量を重視しているの。
祝福は神が与えたものだーって言って、教会での地位にも大きな影響を与えるくらいにはね。
もし呪われていなければ、レオも教皇になれたと思うよ?」
「……流石にないな」
内心で苦笑いしながらレオは答える。
自分は剣を振る方が似合っているし、そんなお偉いさんにはそもそも向いていない。
むしろそういった立場は聡明なアリエスや聖女として活動していたリベラが相応しいだろう。
「……それにしても凄い祝福だ。正直、今まで見た中で一二を争うといってもいい。
本人が戦闘訓練をすれば、勇者にもなれるくらいだぞ、あれ。
教皇っていうのは皆が皆あそこまでの祝福を持っているものなのか。
もしそうなら、本人が戦場に出るだけでも士気が上がるぞ」
見えてくる祝福について説明すると、リベラは目を瞬かせた。
「……レオって、戦闘の事になると口数増えるのね」
「わたしと話すときはいつもこんな感じですよ?」
首を傾げるアリエスに対して、リベラは呆れたように息を吐いた。
「……気づいてないと思うけど、アリエスだからよ」
「まあ、長い付き合いですから」
得意げに笑うアリエスに対し、リベラはもう一度溜息を吐いた。
二人が男女の関係にないことを察して人生で最も驚いた彼女も、この二人の関係性には少しずつ慣れつつある。
「それにしても、レオ様からして凄い、と言わせる程の祝福ですか。
教会が祝福の量を重視する以上、今の教皇は長くその座に居続けるでしょうね。
話が分かる方だとありがたいのですが……」
「教皇様は穏やかな人が多いから、多分大丈夫よ」
リベラの言葉に、アリエスは首を横に振る。
過去さまざまな経験をしてきた彼女は、他人を簡単に信じない。
「人は見かけによりませんし、誰しもが裏の顔を持つものですよ。
まあ、猫をかぶっているかどうかはわたしが分かりますが」
「……なんでそこで私を見るのかな」
綺麗な笑顔を作ったリベラに対し、アリエスもまた笑顔で返す。
この二人、実はかなり仲が良いのではないかとレオは思っている。
言ったところで、二人とも否定するとは思うが。
そうこうしているうちに、相談の列は少しずつ前に進んでいく。
どうやらこの列の人間全員の相談を受け付けるようだ。
かなり長くなりそうだが、そのくらい民を思ってくれているのだろう。
民衆から人気な理由は、こういったところにあるのかもしれないな。
そんな事を思いながら、レオは列が進み、教皇に会える時を待った。
×××
「あら……」
最初に瞳の奥に見た感情は、驚きだった。
ようやく順番が回ってきたときに、レオは初めて教皇を見ることができた。
レーヴァティの女教皇ルシャは順番で現れたレオを見て言葉を発し、口を押えてしまった。
しかしそれが失礼に当たると思ったのか、すぐに目じりを下げ、腕を下ろした。
「すみません、驚いてしまいまして。
ここまでの呪いは初めて見たものですから……お辛いことも多かったでしょう」
「……いや、大丈夫だ」
レオの目からして、ルシャは非常に好意的に映った。
彼女は瞳の奥に恐怖の感情を有しながらも、目をしっかりと見て話してくれているからだ。
リベラと初めて出会ったときのような感覚が体中を駆け巡る。
アリエスとリベラに続く3人目の自然体で目を見て話せる人物。
この世界にはとても少ないけれど、彼女たちのように自分を忌避せずに会話をしてくれる人が居ることが、レオの心を熱くした。
ちらりとレオはルシャを一瞥することで、その姿を脳裏に映す。
教皇という立場は教会でもっとも偉い役職だと聞いていたが、ルシャはそういった服装をしていなかった。
確かに頭には金の装飾の入ったケープ付きの帽子を身に着けているが、それはおそらく教会から支給されたものであろう。
身を包むのは黒の修道服であり、リベラが身に着けていたものよりはややフリルがあしらってあるものの、豪華絢爛というわけではなかった。
その証拠に肌を露出している部分はほとんどなく、上半身は長袖で、下半身はロングスカートでしっかりと隠されていた。
だがその状態でも彼女の豊満な胸部は服と首から下げた紋章のような金属のついたネックレスを押し上げてしまっているが。
まっすぐ伸びた長い桃色の髪を風に遊ばせながら、穏やかな表情をした彼女を表す言葉は教皇というよりも優しいシスターの方が近いように思えた。
「……レーヴァティには、呪いを解きに?」
そんなルシャはレオを気遣うように声をかけてくる。
瞳の奥にはレオを侮ったり、嫌悪するようなものは全く見えず、純粋に心から心配しているように思えた。
後ろに立つリベラなんかは、ルシャを見て、「これが教皇様……」と感嘆の声を上げているくらいだ。
アリエスもレオを嫌わない彼女に対して好意的な気持ちを抱いているようだ。
「ああ、解けるかどうかを聞きに来た」
「解けるわけないだろ……そんなの」
ルシャの左後ろに立つ男性が声を出し、反射的にそちらを向いてしまう。
男は目線が合うや否や、目に恐怖の色を宿し、顔を背けてしまった。
背後に立つアリエスとリベラから苛立ちの雰囲気をレオが感じ取ったその瞬間。
「サマカ枢機卿、言葉には気を付けるべきです」
ルシャの右後ろに立つ別の男性がそれを諫めた。
さらに、そんな彼の隣に立つ女性も、首が取れてしまいそうなほど頷いている。
「ファイ枢機卿の言う通りです。そのようなことを言ってはなりません、サマカ枢機卿。
この方はわざわざレーヴァティを訪れてくださったのです。
そんな方に対し、そのような物言いは許されません」
「……申し訳……ありません」
驚いたことにルシャは身内であるはずの男性に対し、キッと目を吊り上げて窘めるように咎めた。
すると男性、サマカは目線こそ合わせないものの、レオに対して頭を下げた。
その謝罪を見て頷いたルシャは、目じりを下げてすまなそうに声をかけてくる。
「申し訳ありません……よろしければお名前を聞かせていただけますか?」
「レオだ」
レオの後ろではアリエスとリベラが先ほどの男性、サマカに対して睨むような視線を向けている。
リベラに関しては「あんなのが枢機卿……」と言葉にさえ出している始末だ。
アリエスも全身から嫌悪する雰囲気が出ている。まるでヘレナと相対しているかのようだ。
ちらりとルシャの後ろを流れるように確認する。
今怒られたのがサマカ枢機卿。おそらく教会指定であろう黒い祭服を身に着けている。
そして彼を諫めた眼鏡をかけた知的な印象を受ける男性がファイ枢機卿。
服装から考えるに、彼の隣に立つ女性も枢機卿の一人だろう。
「申し訳ありません、当教会では確かに呪いの解除の実験を行い、成功しています。
しかしそれはあくまでも、とても小さな呪いの話。
残念ながら、レオさんの規模ですと手も足も出ません……本当に申し訳ありません」
「いや、謝る必要はない」
頭を下げたルシャに対し、レオは素早く返した。
呪いが解けないのは残念ではあるが、それでルシャを責めるような気は毛頭ない。
けれどルシャ自身は心の底からすまないと思っているのか、頭を上げるのもゆっくりとした動作だった。
(教皇っていうのは……凄い人なんだな……)
レオは内心でルシャに対して舌を巻いていた。
今までレオが出会った偉い人と言えば王族や貴族であり、その全員が程度の違いがあれどレオを下に見ていた。
しかしルシャにはそういった気持ちが全くない。
本当に聖人というのはこういった人を指すのだろうと、そう思ったくらいだ。
まあ、彼女の横に立つサマカという男性はこの状況においても不機嫌な様子を隠していないので、そこはどうかと思うのだが。
確か枢機卿とは教皇を支える立場の人物の筈。
別に敬えというわけではないが、特に何もしていないのだからそんな不貞腐れたような態度を取らなくてもいいのではないかと思ってしまう。
いずれにせよ、このレーヴァティでも呪いを治すのは無理そうだ。
それが早く判明しただけでもルシャには感謝だ。
次の目的地に向かうために、彼女に礼を告げてここを去ろう。
「けれど呪いに関しては分かった。ありが――」
そう告げ、去ろうとしたときに、右目が疼いた。
思わず右目を押さえる。痛みが、体を焼く。
「だ、大丈夫ですか?」
「……っ」
ルシャの心配する声が聞こえるが、レオは痛みに堪えるので必死だ。
そして彼の目は、「死」の光景を映していた。
その光景を見終わり、右手を右目からゆっくりと離してレオは深く息を吐く。
彼にしては珍しいくらいに、時間をかけてゆっくりと。
「……すまない、発作のようなものだ。もう大丈夫だ」
「……本当ですか? 呪いに効くかは分かりませんが、もしよければ教会の医師に通しますが」
流石にそこまでは及ばないとレオは首を横に振る。こっちにはアリエスが居るのだ。
彼女よりも優れた医師が居るとは思えない。痛みも消えた上に原因ももう分っている。
「大丈夫だ。ところで、この教会には地下や牢屋はあるか?」
先ほど見た光景で気になった部分をルシャに尋ねる。
それが呪いの右目が見せた場所にして、目の前の女性の死地だからだ。
「地下に牢屋ですか? 聞いたことはありませんが……知っていますか?」
「そのようなものはなかったと記憶しています」
しかしルシャは心底不思議そうな顔でファイ枢機卿に確認を取っている。
彼も知らないようで、首を横に振っていた。
この様子ならば、彼女達は本当に知らないのだろう。
けれどそうすると困るのはレオだ。この意味不明な質問に対して何と弁解しようか、考えていなかった。
後ろを見ればリベラは不思議そうな顔でこちらを見ている。
ならば、頼りの綱であるアリエスは。
「じ、実はわたし達歴史なんかにも興味がありまして、そういった施設はあるのかなと」
なんとか取り繕ってくれたものの、レオからしても厳しい発言だった。
現にリベラは「何言ってるのこの子」という顔でアリエスを見ている。
アリエス、本当にすまない。そうレオは内心で深く謝った。
「そういった観光施設は街にはありませんね。
図書館があるので、そちらならば法国の古い歴史なども分かると思いますよ」
しかし女神のような心を持っているであろうルシャは疑うことなく親切に教えてくれた。
相手がルシャで本当に助かったと、レオは内心で胸を撫で下ろした。
「分かった。ありがとう」
「いえ、あなた達に神の加護がありますように」
ルシャからの別れの言葉を聞きながら、レオは列から外れて歩き出す。
一刻も早くアリエス達と情報を交換したかったのもあるが、もう居る意味がないからだ。
けれど、この国に居る意味は得た。得てしまった。
右目は地下牢のような場所で鎖に繋がれ、ボロボロのルシャが事切れる光景を映した。
そしてレオの言葉に確かに目を見開き反応した人物が居ることを見逃さなかった。
ルシャの隣に立っていた男、枢機卿サマカは教会にそういった場所があることを知っている。




