第41話 彼女達の絶望の過去を壊せ
前日に領主の病と呪いを治したレオとアリエスは、当初の目的を達成したということで比較的穏やかな翌日を迎えられていた。
数日間だがレオの心をあれだけ苦しめた悪夢の光景は今日は再現されず、本当の意味でリベラを救えたということが分かった。
そのため二人にとってしなければならないことは無いのだが、昼前から街の外に出ようとしていた。
大通りを歩きながら、多くの人が慌ただしく北に向かって走っていく様子が横目で見える。
「……上手くいったみたいだな」
「そうですね。おそらく今頃、領主の屋敷では彼が回復した事を医師を呼んで確認しているところだと思います。これでリベラさんの孤児院も助かるでしょう」
「あぁ、ならあとは一本角の魔物を倒さないとな」
領主を治した段階で、アリエスとレオに出来ることは終わったはずだった。
けれどレオはさらにその先を選んだ。
リベラとシェラを苦しめてきた元凶である一本角の魔物を討伐する、という選択を。
その魔物がどこに居るかは分からないけれど、少なくともこの街に居る間は、可能な限り探してみようと考えたからだ。
ずっとは無理だが、せめて今日明日くらいはとレオは考えていた。
二人は街を出て南下し、周辺の魔物を手当たり次第に刈っていく。
とはいえ剣を振るうのはレオのみで、アリエスはいつものように戦闘が終わるまでは待機という流れだった。
「……にしても、目撃情報もないなんてな」
「…………」
魔物を倒しながらレオは呟く。
ふと背後に視線を向けると、アリエスは白い結界の中で何かを考え込んでいるようだった。
「……アリエス?」
「レオ様、ふと思ったのですが、わたし達は一本角の魔物を探して南側へとやってきました。
確かにここから南下すると、タイル山脈に行き当たります。
山脈は強力な魔物も棲みついているということで、その頂上付近に居る可能性も考慮してのことです」
それは朝にアリエスから聞いたこと。
この大陸の東側であるカマリやハマルはタイル山脈と隣接しており、そこに強力な魔物が住んでいる。
今はもうないアリエスの村では、魔物から身を護るために姿を隠す魔法を村全体にかけるということもしていたらしい。
そのため、最も可能性のある南側を選んだ筈だ。
けれどアリエスは、どこか自分の選択に納得がいっていないようだった。
「ただ今になって思うのですが、もしも山脈に生息しているならもっと目撃情報があるのではないでしょうか。
ハマルの街は山脈からすれば近いですし、法国の首都であるレーヴァティからカマリの街に行く際には、必ず山脈に沿った道を行きます。
それなのにここまで目撃情報が無いということは、場所が違う可能性もあるのかなと」
「そういった場所があるのか?」
レオの言葉に、アリエスは考え込む。
「カマリの東西は大河に橋が架かっていて、王都と帝国との往来に使われています。
以上の点から、東西で住処があるならばこちらも目撃情報がある筈です。
けれど北には大河が流れているだけで、その大河のさらに先は人の往来がなかったはずです。
そこは少しでも北上すれば、宵闇の谷へと行きついてしまいますから」
「アルゴルか」
大陸の東側、その地方でも北にはアルゴルが広がっている。
魔王ミリアが治めていた城のある地域にして、砂嵐が年中絶えない荒野と砂漠の領域。
確かにあの付近ならば、誰の目にとまることもないだろう。
いくら深い谷で隔絶されているとはいえ、誰も好き好んで、魔王の領域に近づこうとはしないはずだ。
確かにそこなら、長らく目撃情報がない一本角の魔物が居てもおかしくはない。
アリエスの予想は、的を射ているように思えた。
「なら、今からでも北に――」
――ズキンッ
不意に、右目に恐ろしい痛みが走った。
内部から火で炙られているような感覚。視界が暗転し、昨日は見たが今日は見なかった光景が蘇る。
その時、レオは知る。呪いは昨日の夜、悪夢を見せなかったのではなく、新しい悪夢に切り替える期間だったのだと。
右目に映ったのは、多数の墓のある場所で倒れたシェラの横で、一本角の魔物にリベラの首が噛み千切られる光景だった。
声を上げなかったのはつい先日まで、同じ痛みを覚えていたからだろう。
油断していなければ同じ痛みに右目を抑えることはあっても、うずくまる程ではない。
「レオ様……まさか……」
「っ……アリ……エスっ……今すぐカマリの街に戻ろう。シェラさんの行き先を聞くんだ」
レオは痛みが引き始めた瞬間に、行動を開始する。
まだ痛みはあるが、立ち止まっている場合ではない。
素早くアリエスにかけた結界の祝福を解除し、彼女を横抱きにして走り出す。
アリエスもなるべくレオの邪魔にならないように暴れず、祝福でレオの痛みや疲労を少しでも治そうとしてくれる。
森を高速で駆け抜けながら、レオは見えた光景を話す。
「見たのはリベラさんが一本角の魔獣に殺される光景だ。
すぐ近くにはシェラさんも居て、どこかの墓地のような場所だった」
「それなら、おそらく今日シェラさんが向かったお墓だと思います!
カマリの街の冒険者組合に行ってください。そこならシェラさんの向かった先が分かるはずです!」
胸の中のアリエスの返事を聞き、レオは森の中を駆け抜ける。
たった一度しか見ていないけれど、あの光景は確かに昼間の光景だった。
もうすでに昼にはなっている。間に合うかどうか、分からない。
×××
カマリの街の冒険者組合でシェラの父の墓の位置を聞いたレオは、再びアリエスを抱えて疾走していた。
馬車ならば時間のかかる距離でも、今のレオならば問題なく走破できる。
とはいえかかる負担がすさまじいので、アリエスの事は常に気にかけ、さらに祝福で護らなくてはならないが。
それでも、北の集合墓地にたどり着くまでにそこまで時間はかからなかった。
「っ、アリエス! 頼む!」
「はい!」
けれど、遅かった。
目の前には、地面に倒れ伏す剣士の冒険者。ピクリとも動かない彼を見て、レオはアリエスに声をかけた。
彼女を優しく下ろせば、アリエスは足早に冒険者に近づいていく。
その様子を見届け、レオは坂の上に視線を向ける。
あの冒険者はまだ息があった。襲われてからそこまで時間は経っていないはずだ。
そう考え、一気に坂を跳び越えたその先で。
まさに光景と同じ景色が視界に入った。
座り込むリベラに噛みつこうとする一本角の魔物。
目線を向けたときには、もうリベラの輝くような金の髪は黒に呑まれる寸前だった。
咄嗟に右手が動き、彼女に祝福をぶつける。
この街に来て新たに作成したばかりの鎧の祝福を発動し、リベラを包む。
「っ」
けれど、それでも魔獣は気にすることなくリベラの首に噛みついた。
彼女の首を噛み千切る勢いで、彼女に死をもたらそうとした。
それがどうしても許せなくて、許せなくて。
レオは、壊すことにした。
イメージは、破壊。
その瞬間、鎧の祝福は新たな力を獲得する。
害意をもって攻撃をした相手を吹き飛ばし、傷つけるという新たな力を。
レオの祝福は発動し、それに牙を立てた一本角の獣ははるか遠くに吹き飛ばされ、地面を転がった。
それを見てレオは全身の祝福を開放。剣を取り出し、たった一歩でリベラの前まで移動する。
「遅くなった」
そう告げたレオは剣を携え、一歩一歩、前に進む。
一本角の魔物はレオの姿を認め、立ち上がり、威嚇をしながら警戒を強めている。
その姿を見て、レオの剣を持つ手に力が入った。
――壊す
人だとか魔物だとか、そんなことは関係が無い。
ただ、レオの前で彼にとって目に見える救える命を奪う相手を許してはおけない。
確実に壊す。
剣の刀身が光り輝き、夜空を映す。
カイルやヘレナ、他の勇者たちが持つものと同じ分類の装備が、この世に顕現する。
けれどそれは同じ分類であるだけで、この世界でレオしか所持していない唯一の武器。
黒い魔獣はその剣を見て、角に呪いの光を収束させる。
時間をかけずに集まり、一条の光がレオと魔獣の間に流れる。
まるで黒い流れ星のような破滅の光。
(こんなものか)
剣を上から下へ、迫ってくる光に対して上から叩き落とすかのように振り下ろす。
ただそれだけで、人を死へ至らせるほどの呪いを内包した光線はレオの剣の刀身が映し出す、どこに繋がっているかも分からない夜空へと消える。
自分の必殺の一撃が通用しないことに、獣であるはずの魔獣ですら動きを止めている。
その赤い眼は見開かれ、まるで信じられないとばかりに体は僅かだが震えていた。
その様子を見て、レオは内心で溜息を吐く。
(この程度なら、受けても問題はなかったな)
確かに、恐るべき呪いだった。
普通の人間相手ならば誰でも呪い殺すことができる程強力な呪いだろう。
けれど、レオからしてみれば児戯に過ぎない。
例え剣を使わず体で受けたとしても、レオの祝福を突破できるとは思えなかった。
現実を認められない獣は再度威嚇を行い、地面を素早く蹴る。
冒険者の剣士を一撃で吹き飛ばした、全体重をかけた突進。
仮にそれが防がれたとしても、まだ自分には爪がある。牙もある。
そんなことを思ったのだろう。
目にも止まらぬスピードで黒い魔獣は地を駆け、レオの白銀の胸当て目がけて角をぶつけようと体ごと突撃する。
「…………」
その全身全霊の攻撃を、レオは黒い獣に認識できぬ速さで避け、そのまま剣で獣の腹目がけて振り抜く。
夜空の剣はいとも容易く獣の肉を斬り裂き、全く抵抗を感じさせない動きで背中まで突き抜けた。
上半身と下半身を両断される致命傷の一撃を、黒い獣は視認できなかっただろう。
剣が自分の体を斬り裂く光景どころか、レオが剣を振るい、そして振るい終わった動きすら捉えられなかったはずだ。
ただ気づいたときには自分の体は二つに分かれていて、力なく地面へと落ちるだけだった。
(終わりだ)
完全に一本角の魔物が壊れたことを認識し、レオは剣を再封印し、収納する。
振り返って見下ろしてみれば、黒い獣は灰になって消えている最中で、その消えゆく体の奥から血のような深紅の結晶が覗き始めていた。
レオに立ち向かった敵の、これまでと同じ当然の末路だった。
「終わ――」
「レオさん! リベラをっ……リベラを助けてっ!」
終わったぞ。そうレオはリベラに声を掛けようとした。彼女を安心させるために。
けれどその言葉はシェラの大声によって遮られる。
駆けつけたときには意識を失っていた彼女はレオが戦っている間に意識を取り戻したのだろう。
今はリベラを抱え、必死の表情でレオに訴えかけている。
腕の中のリベラに外傷はない。けれど、レオの呪いを見抜く祝福は捉えた。
彼女の姿が見えないくらい大きく膨れ上がった、呪いの黒い靄を。




