第28話 完璧と思っていても、意外と抜けていることもある
夜の闇を、銀の剣が斬り裂く。
空中を素早く走った刃は、漆黒の狼の首を跳ね飛ばした。
その切り口から血が噴き出すものの、それは返り血とはならずに地面を染めるだけに留まる。
その光景をアリエスは綺麗だと思った。
いや、彼の事ならば初めて会ったときからずっと綺麗だと思い続けている。
一閃。
二閃。
三閃。
月明かりに照らされた刃が闇夜に踊るたびに、獣はうめき声を上げて絶命し、物言わぬ赤き結晶へと姿を変えていく。
鋭い牙も、爪も、素早い動きも、その銀閃の前では無力だった。
「そういえばレオ様、夕方に出会った勇者の方ですが、どういった関係なんですか?
わたし、勇者のことあまりよく知らないのですが……」
光の膜につつまれたアリエスは、レオの後を離れずに付きながら尋ねる。
膜は、結界は光り輝き、周囲を照らしている。
しかしまだ耳が良いままなので、時折急に出てきた獣の魔獣の声で声を上げてしまう。
決してびっくりしているわけではない。
「あの二人はカイルとヘレナ、二人で一つの勇者だよ」
息を切らすこともなく、ゆっくりと歩くレオが剣を振るいながら答える。
どこにも隙などはなく、ただ剣を振るうだけで敵が消滅する。
アリエスも最初は魔物に恐怖を感じていたものの、今ではその芸当で消えゆく黒い犬に哀れみの視線を向けていた。
剣に疎いアリエスでも分かることだが、レオは強い。
その実力は一線を画していて、戦闘経験がない自分の目から見ても、レオの剣技は美しく、見惚れる程だった。
力任せではないが、小手先の技術でもない、純粋な強い剣技だと思った。
そんな彼から、気になるワードが出てきた。
「勇者って、二人で一つなんですか?」
「あんまり有名な話じゃないけど、基本的に勇者は二人一組で行動するんだ。
さっきのカイルとヘレナみたいにね。
俺達の中では一人を指す場合には勇者候補生って言ったりするよ。
外だと皆、勇者って呼ぶけど」
「……あれ?そうするとレオ様も、もう一人相方みたいな勇者候補生?の方がいらっしゃったんですか?」
レオの話に疑問点を見つけたアリエスは尋ねる。
勇者は二人一組だと言うが、レオは一人だし、もう一人相方の勇者が居るなんて聞いたことがない。
それに元々組んでいた相方が居るなら、そちらを頼る筈だ。
体をわずかに斜めに向け、首だけを動かしてレオはアリエスを見る。
その状態で目を向けることなく魔物を刺し殺すのだから、本当に器用なことをするものである。
彼にとって、魔物と戦闘をしながらアリエスと会話をすることは赤子の手をひねるよりも簡単なのだろう。
「いや俺は例外だから、一人で勇者なんだ。だからパートナーは居ないよ」
「レオ様って、本当に勇者の中でも強いんですね。……いや疑っていたわけじゃないんですけど」
この金髪の元勇者の力を、アリエスはよく知っている。
彼より強い存在を、アリエスは見たことがない。
今日の昼にカマリの街で出会ったカイル、ヘレナという二人は確かに強者であったように感じた。
そこら辺の冒険者など、彼らの足元にも及ばないだろう。
けれど、レオの方が遥かに強いという確信があった。
(……本当、馬鹿な国ですね、レオ様を手放すなんて)
アリエスはレオからこれまでの話を聞いている。
呪いのことが民衆に知れ渡り、国はレオを抱えておくことができなくなった。
結果として、西の方へ呪いを解く旅に向かわせたと。
事実上の追放。
それに対してアリエスは今でも憤っている。
国としての体制上、そうした措置を取らざるを得なかったのは分かる。
レオが強すぎて、内部では邪魔者扱いだったのかもしれないとも思う。
結局、集団はどうしようもなく異物となってしまったレオを取り除く以外の選択肢はなかったのだろう。
言い方は悪いが、国内に今は危害を加えない魔物が居るようなものだ。
いつ心が変わるか分からないし、そうした異質なものを排除したがる人の習性も、かつて先生から教わったことはある。
けれど、理解することと納得することは別物だ。
「まあ、あの二人も本気を出せばそれなりに俺とは戦えるし、他にも強いやつらは居るから」
「……でも、一人で勇者なのはレオ様だけですよね? それってすごく強いってことだと思いますけど」
以前から思っていたことだが、レオは自己評価が低い。
彼は誰よりも力を持ちながら、そのことを鼻にかけたりしない。
それは自分の自慢の主の美点ではあるけれど、同時に低すぎるのも考えものだ。
そう思ってアリエスは言ったのだが。
「いや、俺以外にも一人で勇者なのは居るよ……まあ、確かにもう一人しかいないけど」
「……その人は強いんですか?」
少しレオの言うことが信じられなくて、目を見開いた状態でアリエスは尋ねた。
けれど、内心ではまさかと思っている。
アリエスの中で、レオは絶対で、彼よりも強い存在など居ない。
それはアリエスの中で揺るぎようのないものになっていたのだが。
「強いよ……本気で戦ったことはないけど、勝てるか分からないほどには」
レオは、その人物の強さを認めているようだった。
それが信じられなくて、アリエスは絶句してしまう。
けれど彼は冗談を言うような人ではないし、戦闘中の彼の瞳はどこまでも真剣だった。
「おっ、そろそろ良いかな。アリエス、数的には十分だと思うんだけど」
残っていた最後の魔物を斬り伏せ、レオは風の魔法で魔石を集め始める。
彼の言葉で放心していたアリエスは正気に戻ると、慌てて集まっていく魔石を、数えながら袋に入れ始めた。
その間、レオはアリエスの背後に立って辺りを警戒してくれている。
広範囲にも及ぶ贅沢な風の魔法を使えるだけの魔力量。
アリエスからすれば理解の範囲外にある驚嘆するしかない人物である。
今はもう居ない先生でさえ、似たことですら出来なかっただろう。
それを息一つ切らさずにできるレオは、間違いなく別次元の強さの持ち主だ。
加えて彼は魔法のみならず、剣技も超一流で多数の祝福を保持している。
どれか一つでもおとぎ話のようなのに、それが集まっているのがレオだった。
そんな彼に勝てるかどうか分からないと評される人物が恐ろしいと思うと同時に、羨ましいとも感じた。
その人物は、レオの隣に胸を張って並べるのだから。
――呪いを治すことのできなかった自分と違い、堂々と。
「……数、大丈夫そうです。依頼の完了報告をして、宿で休んで明日に備えましょう」
結局、魔物討伐の依頼はあっさりと終わった。
まだ夜になって少ししか時間が経っていない。
ちょっと街の外に散歩をしに行った程度の時間だ。
アリエスは冒険者について詳しいわけではないが、ここまで早く依頼が終わることは、ほとんどないだろう。
今レオが倒した黒い魔物の数も相当な数で、本来ならば一日二日かけるのではないだろうか。
「……もう少し、アリエスの防御を考えるか」
魔石を集め終わったアリエスを見ながら、レオは呟いた。
その言葉にアリエスは顔を上げ、不思議そうに首を傾げる。
レオは開いている左手をアリエスに向ける。
金色のベールがアリエスを包み、彼女をあらゆるものから護る絶対の鎧となる。
輝く自身の体を見て、彼女は目を見開く。
やや強度に不安が残る結界ではなく、彼女を包むような防御の祝福。
名を、「鎧の祝福」とでも名付けようか。
「レオ様……祝福が……」
「ああ、ある程度なら応用が効くんだ」
レオが世界中の誰よりも多くの祝福を持っていることをアリエスはよく知っている。
だが、それだけでなく、まさか祝福の数を増やすこともできるとは。
次々に出てくる規格外の行動に、アリエスはもう驚かなくなってきたのだが。
「あの……レオ様……」
「ん?」
少し言いづらそうに、アリエスは小さく口にする。
「これ……眩しすぎて前が全然見えないです」
「……なるほど」
レオが自分で使う分には視界を良くする祝福も使っているために気にならないのだが、アリエスに使うと前が見えなくなることまでは想定できなかったのだろう。
うーん、と唸りながらレオは何かを考え込んでいる。
「……光を弱めると祝福の力を弱めないとだし、それだと防御力に問題が出る……難しいな……しばらくは結界の方で行こう。そのうち改良するよ」
「…………」
レオは再度左手を向け、祝福を結界の方に切り替える。
自分の主人の普通ではない力の行使にアリエスは唖然とするが、少し困ったようなその様子に親近感が持てた。
思わず、笑みをこぼしてしまうくらいには。
「ふふっ、レオ様でも失敗するんですね。ちょっと安心しました」
「どういうこと?」
「いえ、ちょっと嬉しかっただけです」
「……完璧な祝福をそのうち作ってみせるよ」
主は確かに強く、世界でも並べるものが一人しかいないほどの強者かもしれない。
けれど、完璧ではない。それが嬉しかった。彼を完璧に近づけるだけの役割が、少しでも自分に出来ればと思う。
月明かりの照らす夜道を、カマリの街に戻るために二人は歩き始める。
レオに並ぶ存在に少し自分に自信を無くしていたアリエスだが、レオの新しい祝福のお陰で、その不安はどこかへ行ってしまっていた。




