第26話 路地裏での出会い
カマリの街の大通りでカイルとヘレナと出会ったレオは、ふとアリエスに告げる。
「なあアリエス、ちょっと話したいことがあるんだけど、こっちいいか」
「え? あ、あの……い、いいですけど」
突然のレオの言葉にアリエスは驚くが、二人は大通りから外れて路地裏へと入っていく。
路地裏には人の姿はなく、奥に入ってしまえば大通りの喧騒も聞こえなくなる。
二人だけの世界が、一瞬で出来上がる。
振り返ったレオはアリエスの目をしっかりと見て、意を決したように頷く。
いつもとは少し違う彼の様子に、アリエスが目を丸くした。
「え……な、なんですこの雰囲気……そりゃあレオ様のことはお慕いしていますけど、でもでも――」
「アリエス、ずっと前から話そうと思っていたことがあるんだ」
「は、はい……」
ごくりと、アリエスが固唾を飲んだ。緊張している様子が外からでもよく分かる。
よくよく見てみれば、顔も少し赤らんでいるようだ。
誰も居ないシチュエーションに路地裏という場所が、アリエスを緊張させているのだろう。
そしてレオはアリエスに言葉を告げる。
ずっと前から思っていた、ついさっき強くなった想いを。
「アリエスの首輪、壊した方がいいかな?」
それは彼女を奴隷足らしめるものを、壊すかどうかの質問だった。
「……はぁー」
「え、何その顔」
レオの言葉を頭の中でかみ砕いたアリエスは深く息を吐いて明後日の方向を見る。
「やってられねーっすわー」という表情。
しかしレオはなぜ彼女がそんな顔をしているのか分からない。
「いや、まあレオ様ですからそうですよね……えっと首輪でしたか?なぜ急に?」
「前から思ってたんだ。いろんな人がアリエスを見るときに、その首輪にも目を向ける。
それにさっき、ヘレナはその首輪を見てアリエスを奴隷って言った。
奴隷ってあんまりよくないものみたいだし、だから壊した方がいいのかなって」
アリエスを救出したとき、他にも奴隷になる予定の少女たちを見た。
皆が皆、首輪を嵌めていて、それが奴隷の証であることは、分かっている。
アリエスとの奴隷契約は解除したが、首輪は彼女の首に嵌ったままだ。
それは街に行けば、自然と人々の目に入る。
アリエスの顔を見て驚いた後に、首輪を見て似た目をするのだ。
自分を見ようとした者と似たような目を。
自分の呪いは隠せないし、消せないけれどアリエスの首輪を壊すことはできる。
それを先ほどのヘレナとのやり取りで強く思った。だから聞いたのだ。
彼女ならば、首輪を壊した方がよいと言ってくれるだろうと思っていたのだが。
「……純粋だと自分で気づいたときに対処が難しいですね」
返ってきたのは、聞き取れないほど小さな声だった。
「……なんて?」
「あ、すみません、えっとですね……この首輪、実は結構思い入れがあると言いますか、大切なものなんですよ。
だから壊したくないというか……でも街中で見られると確かに面倒ですし、なにかで隠しますね」
大切なものだったのか。壊す前に聞いて良かった。
首輪は良くないものなのかと勝手に思っていたが、どうやらそうでない場合もあるらしい。
それなら壊すのは辞めようと思った。アリエスの大切なものを、壊したくはない。
こうして、白銀の少女の7割くらい本当の嘘に元勇者は騙された。
ちなみに大切なのは首輪そのものではなく、首輪が示してくれるレオとの繋がりである。
そのことをレオは知らないのは言うまでもないだろう。
「あ、それならこれ」
首輪を何かで隠さなくては、というアリエスにレオは自分の首に巻いている橙の布を取ってそれを差し出した。
いちいち買いに行かなくても、これでいいのではないかと思ったのだが、目を見開くアリエスを見て正気に戻った。
「あ、ごめん、アリエスだって好きな色とかある――」
「いえ、わたしこの色すっごく好きですし、ずっと前から欲しいと思っていました。はい。ありがとうございます」
もっと明るい色が良いかと思い、引っ込めようとした手。
しかしそれよりも速く、アリエスが布を搔っ攫ってしまった。
素早い動きで、歴戦の猛者であるレオの目でさえ追えない程だった。
彼女はそれを首に素早く回し、首輪を完全に隠すようにする。
レオのサイズだったために、アリエスからするとやや大きめだ。
けれど奴隷の証である首輪を隠すには十分な役割を果たしてくれた。
「これ、頂いてもいいんですか?」
「ああ、いいよ」
別に高価なものでもなく、ただ王国で貰ったもので、そこまで思い入れのあるわけでもない。
あれがあってもなくても自分の任務には何の影響も与えないだろう。
けれどアリエスが喜んでいるなら、それでいいと思った。
何はともあれ、これでアリエスの首輪に関しては解決だ。
ご満悦な表情を見るに、最適な答えのようにも思える。
(そんなに橙色が良かったのか)
嬉しそうなアリエスを見て、明後日の方向の結論を出したレオは頷く。
これでもう、この路地裏に用はない。
「さて、それじゃあ今度こそ宿屋に行こう。遠回りしちゃったね」
「はい……もう夕方ですが、どうしますか?」
「宿屋取った後に、少しだけ任務をしようかな」
「レオ様、任務ではなく依頼です」
他愛ない話をしながら路地裏の角を曲がる。
曲がった先を進み大通りに戻る筈だった。
だが曲がったところで、外套を纏った人物とレオがぶつかった。
外套を纏った人物は走っていたために衝突後に少しよろけたようだが、レオはその衝撃でも倒れることはなかった。
「す、すみません」
灰色の瞳をした女性だった。
ぶつかったときにはフードを深くかぶっていたが、衝撃でそれが外れてしまっている。
瞳と同じ灰色の長い髪をした、幸薄そうな印象の女性で、こう言ってはなんだがあまり記憶に鮮明に残るタイプではないように思えた。
そんな彼女は走っていたためか、息が上がっているものの、レオの顔を見ると驚いたように目を見開いた。
「ご、ごめんなさい、失礼します」
彼女はすぐに自分のフードが外れていることに気づくと、それをまた深く被り、目線を伏せてレオの横をすり抜けるように走り去ってしまった。
まるでやましいことから逃げるように、自分の姿を誰にも見られたくないという思いが見て取れた。
振り返り、小さくなっていく背中を見つめる。
彼女は路地裏の複雑な通りに左に曲がって入ってしまい、すぐに見えなくなった。
「…………」
レオは彼女が入っていったところをじっと見つめる。
別に顔を見られて逸らされたことが気に障ったわけではない。
そんなこと日常茶飯事だ。
それよりも。
「なあアリエス、あの人……」
「はい、変身魔法を使っていました」
やはりとレオは内心で呟く。
ぶつかり、目が合ったとき、レオの中に不思議な感覚が過ぎった。
以前アリエスが変身魔法を使ってくれていたからこそ気づけた感覚。
あの女性は、姿を偽っている。
「……ですが様子を見るに、わたしみたいに目が見えないわけではないようです。
それに、変身魔法の一部に綻びが見受けられました。
熟練の魔法使いさん、というわけでもなさそうでした」
「アリエスレベルの使い手が居るとは思えないけどね」
(にしても……変身魔法を使って向かう先が路地裏……)
もう会うことはないと思いながらも、レオは先ほどぶつかった女性が悪意を持って変身魔法を使っているようには思えなかった。
どちらかというと。
「……?」
「いや、とりあえず宿に行こう」
視線を向けたら、こちらを見ていたアリエスと目が合った。
彼女は不思議そうに首を傾げるが、レオは首を振って歩き出した。
(あの女性からは、アリエスと同じ感じがした)
あくまでも直感でしかないものの、どうしてもレオにはあの女性が理由があって変身魔法を使っている気がした。
変身魔法を使っているために、灰色の髪の瞳を見ても読み取れるものは虚構でしかない。
それはアリエスですでに経験済みだ。
けれど変身したアリエスの纏う雰囲気から彼女の感情や人となりが少しでも読み取れたように、彼女からもそれを読み取っていた。
ふと、レオは今自分達が居る場所を再確認する。
「路地……裏……」
なぜか分からないが、この街で初めて会った老人が話していた「路地裏の聖女」という言葉が頭を過ぎった。




