第21話 アリエスの過去
レオとアリエスは二人並んで、南の方向に道を進んでいた。
あのあとアリエスと同じように囚われていた少女たちを助け、保護を求めて近くの村を訪れた。
アリエス主導で少女たちを引き渡した結果、村の方で対応してくれるということになった。
少し時間がかかるかもしれないが、少女たちは元々生まれ育った場所へと帰ることができるだろう。
喜ぶ少女たちを見て、レオは内心で「良かったな」と呟いた。
なお、その際にアリエスに関する話が持ち上がったものの、「わたしはこの人の奴隷ですので」と凄んだ目で見られた村長が冷や汗を流していたことをここに示しておく。
ちなみにレオはその様子を見て、いつもの無表情だが、内面は少し嬉しそうにしていた。
そうして一段落した後にレオとアリエスは二人でこの後のことを話し合ったのだが、その途中で廃屋の魔物についての話になった。
討伐はしたものの二人ともそれどころではなかったので、それを証明する魔石を取得していない、ということに気づいたのだ。
『南の廃屋に戻りましょう。あの様子なら、まだ魔石が残っているはずです』
そう言われ、二人は再びあの廃屋に向かっていた。
ハマルから南に伸びる道に出て、以前と同じように進む二人の男女。
しかし、彼らの姿は、関係は前回とは大きく変わっていた。
時刻は日も落ち始めた頃で、茜色の夕焼けが二人を照らしている。
この空気を心地よく感じ、レオはぽつりぽつりと語り始めた。
「なあアリエス、話しておきたいことがあるんだ。
……その、俺の呪いが見せた光景についてなんだけど」
右隣りを歩く白銀の少女を見れば、彼女はレオを心配するように見上げた。
これまでとは違い、雰囲気だけでなく表情もレオを案じている。
「だ、大丈夫ですか?……無理にとは……」
「大丈夫だよ。もう終わったことだから」
アリエスはレオの呪いの光景については深く聞かなかった。
それは自分のことを思いやってくれたからだろうとレオは考えている。
いつか話してくれればいい、そんな聞こえない言葉を当時のアリエスから聞いたような気がした。
そして、今がその時だとレオは考えている。
「俺がずっと見ていた少女は、アリエスだったんだ」
「……え? わたしですか?」
レオから衝撃の事実を告げられたアリエスは躊躇いがちに聞き返す。
おずおずと、恐れながらといった様子だ。
「あぁ、変身魔法で姿が変わってたから昨日まで気づかなかったけど、間違いないよ」
けれどレオは、それこそ脳が焼き切れるほど見せられたのだ。
見間違えるはずがない。
アリエスはレオの言葉に考え込むようなそぶりを見せる。
右手で握りこぶしを軽く作り、人差し指を唇に当てている。
その行動にレオは思わず意識が彼女の唇に向かってしまい、目を逸らした。
「廃屋でレオ様が倒した魔物に、わたしが殺されていたということですよね?」
「……え? あ、ああ。そうだね」
「ひょっとすると、レオ様の呪いは悪いことばかりではないのかもしれません」
アリエスは手を下ろし、レオへと視線を向ける。
二人の視線が、まっすぐに絡み合った。
「確かに周りの人に不快感を与えるという点はものすごく悪い点ですが、事前に誰かが死ぬ光景を見せてくれるということは、それを助けられるということです。
実際、わたしはレオ様に救われました」
なるほど、とレオは内心で感心した。
そういう考え方もあるだろう。
あの廃屋で、もしもレオが光景を見ていなければ、間違いなく間に合わずにアリエスは死んでいたはずだ。
あの時レオの攻撃が間に合ったのは、彼女の逃げる後ろ姿がいつも見ていた光景と被ったから。
もし、それがなければと思うと、ぞっとする。
少し怖いことを考えたが、アリエスらしい考えだと思った。
自分では思うことすらしなかったであろう着眼点は、流石としか言いようがない。
それに、もしそうなら。
「……ひょっとしたら、アリエスを助ける為に呪いが見せてくれたのかもな。
俺たちのために」
「……っ」
レオが歩きながらぽつりとつぶやいた言葉。
それは思っていることが思わず声に出てしまったのだが、声量もかなり抑えられていた。
耳を澄ましても、普通の人では聞き分けられないくらいには。
「そ、そうです! わたしのことについても、レオ様に知っていただきたいのです!」
「……え?」
思わずレオは考えるのを辞めてアリエスを見る。
なぜか赤い顔をしているアリエスは、ちょっと早口でそう言った。
レオに話したいという気持ちは伝わるけれど。
「いいのか? 過去のことは……その……」
言いづらそうに口ごもり、レオは目線を外してしまう。
少なくとも王都の宿屋では、アリエスは自分の過去について探られたくない様子だった。
だから今までこの話題は極力避けてきたのだ。
それどころか、アリエスの過去に繋がりそうな話題すら避けるようにしていた。
けれど視線を戻してみれば、アリエスはまっすぐとレオを見つめていた。
そこには不機嫌な様子も、冷たい凍るような雰囲気もない。
「……あの時は、ごめんなさい。でも、今なら話せます。
それに、レオ様にもう隠し事はしたくないんです」
「いや、隠し事って……」
そんな大げさなとレオは思ったが、アリエスは意見を変えるつもりはないようだ。
まっすぐ見つめられ、レオは頷くしかなかった。
彼が頷いたのを見て、アリエスが大きく息を吸い、語り始める。
「わたしは、ここから西の方角にあるタイル山脈にあった、とある村の生まれです。
村長の娘で魔法の才能も有りました。
たまたま街に移り住んだ人に先生になってもらって、そこでいくつかの魔法を教わりました。
変身魔法もその一つです。
とはいえ、レオ様からすれば本当に些細な魔法しか使えないんですけどね」
アリエスの過去を聞いて、レオは思わず右を見た。
西の方角にそびえるのはタイル山脈という名前らしい。
けれど、彼女は自分の村の事を「あった」と過去形で語った。
それはつまり。
「けれど、わたしの育った村は焼かれました。
両親も友達も、良くしてくれた近所の人たちも、皆、目の前で殺されました。
そして先生も。魔物を引き連れた一人の女性により、村は壊滅。
わたしは目の前で大切な人を全員奪われた後に、魔物の爪を両目に受けて、痛みで気絶しました」
「…………」
語られる壮絶な過去に、レオは言葉を失う。
その時のアリエスの気持ちを推し量ることなんて出来ない。
けれど推し量れないとしても、胸が締め付けられる思いがした。
悲しげに山脈の方に目を向けるアリエスに、なんと声をかけていいか分からなかった。
「目が覚めたとき、先生は最後の力を振り絞ってわたしに治癒魔法をかけてくれていました。
けれど、呪われた目はもう何も見えませんでした……わたし、あんなに良くしてもらった大切な人が目の前に居るのに、彼女が亡くなるところすら見れなかったんです」
「……っ」
なんて、なんて悲しい。
いや、そんな言葉では物足りない。
そもそも言葉にできないほどの過去に、レオは立ち止まってしまう。
それに合わせてアリエスもまた、足を止める。
レオの数歩前に立つアリエスが振り返り、寂しげに微笑んだ。
「だから、わたしはずっと死にたいって思ってました。
わたしのせいで村の皆が死んだのに、わたしだけ生きている。それが、辛かった」
「……アリエスが悪いわけじゃないだろ」
彼女が死にたいと思うほど凄惨な過去であることは間違いない。
けれど、アリエスが悪いわけではない。
話を聞く限り、悪いのは魔物を引き連れた女性だ。
アリエスはただ運が悪かっただけだ。
そう思ったのに、アリエスはフルフルと首を横に振る。
「確かに、村を襲った女性は先生を狙っていました。
でも、その女性を村まで案内したのはわたしなんです。道を聞かれたから、案内した。
もし、わたしがそこに居なければ、わたしが案内していなければ……皆、もう少し生きられたはずなんです……もう少し、だけでも」
「……でも……それは……」
それは違うというのは簡単だ。
アリエスは案内をしただけ。
そこに居なかったらなんて仮定はしても意味がない。
それに優しい彼女ならば、道を聞かれれば案内だってするだろう。
だからそれは違う。
違うけれど。
アリエスが自分を責めているのは、そもそも理屈じゃない。
どうしようもなかった。
仕方なかった。
けれど、それがきっかけとなったなら彼女は自分を責めてしまう。
それが分かっているからこそ「違う」なんて、もう言えなかった。
「……でもレオ様に救われたんですよ」
両手を後ろに回し、アリエスは悲しみと喜びが混ざったような笑顔を浮かべた。
「レオ様はわたしに生きる意味をくれた。
何も出来なかったわたしに、出来ることをくれた」
「でも……でもそれは」
自分が彼女を頼ることで、彼女が救われているなら、嬉しい。
けれどそれは彼女の過去の傷を癒すことにはならない筈だ。
しかし、アリエスはまた首を横に振る。
そして目を開き、まっすぐにレオを見て、告げた。
「わたしの村を襲ったのは、魔王ミリアなんです」
「…………」
「だから、救われたんです。
あなたが皆の、先生の仇を取ってくれたから……だから……本当に……ありがとう……ございました」
深く深く、頭を下げるアリエスに対し、レオは何も言えなかった。
今までの人生で、人に感謝されたことは数えきれないほどある。
けれど、それをレオは表面的にしか受け取っていなかった。
深く知り合ったアリエスからの感謝であるからこそ、それをどう受け取っていいのか分からない。
彼女の過去の仇を討てたことは嬉しく思う。
けれど、素直に喜んでいいのかがレオには分からなかった。
「うん……それなら……良かったよ」
「……はい」
頭を上げ、微笑むアリエス。
レオはその顔を、これから先一生忘れることはないだろう。
あの月下の廃屋で見た、嫌いな笑顔ではない。
けれどそれは、レオの好きな笑顔でもなかった。




