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第19話 彼女をこの手に取り戻す

 馬車の荷台に乗せられたアリエスは、どこに向かうかもわからない旅路の中に居た。

 けれどそれはレオと一緒の旅路とは違い、道中にも果てにも希望はない。


 あるのは、再び奴隷として生きていくしかないという絶望だけだ。


 同じく荷台の鉄格子に入れられた少女たちは、すすり泣いたり両親の名を呼んだりしている。

 そんな中で、たった一人何も言わないアリエスは異質だった。

 彼女には、もう名前を呼ぶ両親も、泣く理由もない。


 なくなってしまった。

 自分で、手放してしまった。


(もう……どうなってもいい……)


 アリエスは失意の底にいた。

 レオを裏切っていた自分にはお似合いの結末だと悲しく笑うくらい、彼女の気持ちは沈みきっていた。

 このままどこかの街に戻り、また奴隷として売られるのだろう。


 変身魔法をかけることすらしなかった自分は、おそらく今度は買われるだろう。

 その先に待つのは、絶望なのだと思う。

 今更、あの場所に戻ることに何の感情も沸かない。


 馬車が急停止する。

 目的の街に着いたのだろう。

 できればハマルの街でないといいのだが。


 そんなことを思ったけれど、アリエスの聴覚は外部からの音を鮮明に聞き分けていた。

 揺れる木々の音が、今いる場所がまだ街ではないことを伝えてくる。


 騒がしい外の様子。

 悲鳴、叫び声、血の吹き出す音。魔法が飛ぶ音。


 馬車が、襲われている。

 同じく檻の中に居る少女たちも外の異常事態に気づいたのだろう、震えているのが分かる。

 恐怖に泣くのを堪えている子も居るようだ。


 やがて外の喧騒は止み、代わりに布が取り外される音が響いた。

 温かな日差しが、肌を温めてくれる。

 けれど同時に、品定めするような嫌な視線を多く感じた。


「ひゅー、あったりぃ。やっぱ奴隷は買うんじゃなくて攫うに限るよなぁ」


「さすがっす親分。よく分かりましたね!」


「まあ、商人の馬車に似せてたが、少し動きがおかしかったからなぁ……でもこれで、こいつらは俺たちのもんだ」


 アリエスはその会話を聞いて、乗っていた馬車が盗賊に襲われたことを悟った。

 この様子ではアリエスを捕まえた男は殺されているのだろう。

 護衛も全滅に違いない。


「ひっ……」


「いやっ……いやあああぁぁぁ!」


 盗賊の姿を認めたであろうアリエス以外の少女たちの悲鳴が響く。

 奴隷として売られるために運ばれているだけで彼女たちは絶望の底に居たのだ。

 にもかかわらず、馬車は盗賊に襲われた。


 これで自分を含めたすべての少女は盗賊のものとなる。

 契約すら介さない虫けらのような存在にまで落ちるのだ。

 それは奴隷商に買われ、そこで売られるよりも、さらに悪い未来だ。

 そこには服も、食事もありはしない。

 ただ盗賊の欲望を満たすために使われ、最後は惨たらしく殺されるだろう。


 ここから先の未来は、真っ暗だ。


「うるせえぞ! 物風情がいっちょ前にしゃべるんじゃねえ!

 いいか? これから先うるさくした奴は殺す。泣いた奴は殺す。いいな?」


「「「…………」」」


 盗賊の声に、少女たちは息を呑んだ。

 今ここで叫べば、殺されると本能で察したのだろう。

 涙を堪えながらも、恐怖で震えながらも、盗賊の目にとまらないように静かにしている。


 そんな中で、既に今も未来も無くなっていたアリエスはふと思った。


(……ここで叫べば……殺してくれるのか――)


「お、親分!こ、こいつ……」


「こいつは上玉じゃねえか……運がいいな。これは俺のものにする」


「えー、そんなぁ」


 近づいてくる気配。

 音を上げる床。

 布が擦れる音が耳に届き、アリエスは自分の顎が他人の指で持ち上がるのを感じた。


「ちっ、目無しかよ。つまんねえな……まあいいか、来い」


 顔から手を離され、左手を強く掴まれる。

 掴まれた部分が熱を帯び、痛みにアリエスは顔をわずかに顰めた。

 そのまま盗賊頭のペースで歩かされる。

 馬車を降りるときに手助けしてくれたレオとは違う、前に転びそうになるような乱暴な引き回し。


 やがてアリエスは馬車から外に出される。

 少し高さのある荷台から下りる際に危なくはあったが、この馬車の構造がはっきりと分かっているために、転ぶようなことはなかった。


 いつものアリエスなら大声を上げて抵抗しただろう。

 昨日までならレオの名を呼んだに違いない。

 けれど今、アリエスは何もしなかった。

 声を上げることも、抵抗することもなかった。


「親分……そのうち俺にも回してくださいよ」


「うるせえ、こいつは俺のもんだ。他の女なら好きにしていいから、勝手に――」


「お前のじゃない」


 ピクリと、アリエスの体がわずかに反応する。

 聞こえた声は、自分の願望が生んだ幻聴なのだろう。

 アリエスはそう思った。

 絶望的な状況で自分の脳が見せた、幸せな幻に違いない。


 こんなところに、彼が居るわけがない。

 彼が、居てはいけない。


「あぁ? なんだお前――ぎゃああああああああああ!」


 響く悲鳴。

 地面に落ちる血の音。

 人が倒れる音。


 居るはずがないのに。

 自分の耳は、気配を感じる器官は壊れてしまったのかもしれない。

 だってどっちも、彼が――レオが今ここに居ると訴えてくるのだから。


「……何者だ」


「レオだ」


 心が、震える。


(レオ……様……)


 なんで、どうして、そんな言葉が頭の中をぐるぐると回る。

 けれど、それ以上にアリエスの心は温かくなっていた。

 これまで失意の底に居たはずなのに、まるで未来が明るいかのようだ。


 喜ぶ資格なんて無いのに、もう会わない方がいいと思っていたのに。

 今までずっと騙してきたのに。

 自分が最後の希望を奪ってしまったのに。


 レオは、アリエスを救いに来てくれた。




 ×××




 最後に発動した契約解除魔法と祝福の奔流の残滓を追って、たどり着いた先。

 その場所でレオは辺りを見渡す。


「……おい、やれ」


 アリエスを掴んでいた盗賊頭が周りの連中に指示を出す。

 数は数十人と多く、それに対してレオは一人。

 けれど、この状況において、いや戦闘においてレオが負けることなどありはしない。

 相手がこの何倍の数であろうと、レオには届くこともない。


 それをレオも、そしてアリエスだって知っているだろう。


 レオの右手に収まるたった一振りの剣。

 それを振るえば、盗賊が一人、また一人と斬り壊されていく。

 たった一太刀で一つの命をあっさりと奪う。

 斬撃も刺突も打撃も不意打ちも何も意味はない。

 複数方向から同時に攻撃しても、少しも届かない。


 今この場において、戦場を支配しているのはレオだった。


「……うそ……だろ?」


 時間はかからなかった。

 一振りのたびに、盗賊は一人、また一人と壊れていく。

 たとえ相手の数が多くとも、すぐに全滅するのは当然だった。

 レオの周りには、絶命した多数の盗賊。

 それに対して、レオは返り血一つ浴びず、息を切らしてすらいない。


 盗賊頭が唖然とし、間の抜けた声を出すのも無理はないだろう。


「くそっ!」


 しかし、それでも彼は盗賊の頭だった。

 襲ったのは奴隷攫いの馬車だった。

 そしてこの白銀の女に対して、「お前のじゃない」と告げた。


 なら、盗賊を全滅させたレオの目的が、今掴んでいる女であることは盗賊の頭からすれば明白だったのだろう。


 盗賊頭はアリエスの腕を力任せに引っ張り、彼女の首に腕をかける。

 逃げられないようにしっかりと拘束し、人質としてレオに見せつけてくる。

 強い者に相対するときに、弱者が出来る中で最悪の選択を彼は選んだ。


「動くな、動けばこの女を殺す」


「……はな……して……」


 かけられた盗賊頭の太い腕を両手で掴み、必死に外そうとするアリエス。

 さっきまでろくな抵抗すらしなかったくせに、急に暴れ出したアリエスにしびれを切らした盗賊頭は懐からナイフを取り出し、彼女の顔に向ける。

 それはアリエスをおとなしくさせるため、そしてレオを牽制するためだった。


 彼は、してはいけないことをした。

 結末は変わらないだろう。

 この場で息絶えた他の盗賊と、行く先は同じだ。

 けれど、その行動は、その愚かさは、過程を変えた。


 突き付けられたナイフに暴れたアリエスの頬が当たり、浅くだが斬り裂かれる。

 細い裂傷が赤くなり、その端から粒のような血液が漏れ出た。

 それが、決定打となった。


「うぎゃあああああああああ!」


 宙に舞う盗賊頭の腕。

 ナイフを握ったまま、目にも見えぬほどの速さで飛んできた斬撃に切断され、彼は腕を失う。

 切断面から血を流し、遅れて到来した強烈な痛みに盗賊頭が顔を顰める。


 アリエスを抑え込んでいたもう片方の手に力を入れることは叶わず、思わず彼女を地面に落としてしまった。

 尻もちをつく少女の姿が、盗賊頭が最後に認識できたことだった。


 消える。

 もう一度振るったレオの斬撃すら、盗賊頭の目には捉えきれなかっただろう。

 それどころか、自分が消滅することだって認識できなかったはずだ。


 二撃をもって、レオは盗賊頭を無効化し、彼を塵へと還した。


 欠片も残らなかった盗賊頭。

 そして周りで絶命している盗賊たち。


 レオが盗賊を壊すのは初めての事ではない。

 過去に国からの要請で、盗賊団を壊滅させたことはある。

 その時には、今の盗賊頭よりも強い人物だっていた。

 凶悪で、被害を多く出したために、討伐を国経由で感謝されたことだってある。


 けれどそのどれよりも、どんな任務よりも、レオの心は満たされていた。

 目に見えぬ誰かを救ったからではない。

 目に見えるアリエスを救えたことが、彼の心にこれまでとは違う光を射していた。


「アリエス……」


「レオ……様……」


 遠くで蹲るアリエスを起こそうと、レオは一歩踏み出す。

 その瞬間。


「ダメです……」


 アリエスの言葉で、レオは歩みを止められた。

 彼女は地面に座り込んだまま、顔をレオに向ける。

 目は見えないけれど、レオを感じているのだろう。

 彼女は、確かにレオを見ていた。

 それは、あの廃屋での光景によく似ていた。


「レ、レオ様は元勇者だから……だから……だから盗賊が許せなかったんですよね……国のためなんですよね……ごめんなさい……わ、わたし……迷惑かけて……もう会わないって、言ったのに……」


 必死に言葉を紡ぐアリエス。

 笑顔を作り、泣きそうになるのを堪えたその顔は、あの月下の時と同じだった。


 レオが今まで見た光景の中で、一番最悪なものと同じだった。


「違う!」


 初めて、レオは声を張り上げた。

 今まで戦いの中でも、呪いを受けた後も、こんなに大きな声は出したことがない。

 ここまで感情を声音に乗せたことは、今までにない。

 けれど、抑えきれない程の感情があふれ出してくる。


 彼女に、伝えたい。

 伝えなくてはならない。


「盗賊なんてどうでもいい! 国だってどうでもいい!

 俺が救ったのはアリエスだ! アリエスだから救ったんだ!」


「……レオ……さま……」


 アリエスの笑顔の仮面が、剥がれ落ちていく。

 作られた笑顔が、消えていく。

 閉じられた目から、堪えきれなくなった涙が零れ落ちる。

 それを制止するかのように首を横に振るものの、一度決壊した感情は止められない。

 アリエスの両目から、涙があふれる。


「ごめん……ごめん……分かっていたんだ……アリエスは俺を騙そうとしたわけじゃない。

 分かっていた……のに……」


「ちがい……っ……ますっ……わたしはっ」


 レオの視界も滲み始める。涙なんて、流したことはない。

 これまでの戦いでどれだけ痛かろうと、辛かろうと、誰かが壊れようと、レオの目は何も反応しなかった。

 自分は敵を壊すための兵器だから、そんなものは不要だと一番初めに教わった。


 でも、この涙は不要なものじゃない。

 不要なわけがない。


「俺……俺っ……アリエスと一緒に居て、楽しかったんだ。

 安心したんだ……これまで一人だったけど、いろんなことをアリエスから教わって……俺……今までがそうだったから……わかんなかったかもしれないけど……」


「レ……オ……様っ……」


 アリエスの目が見えないとか、彼女が自分の呪いを認識できないとか、そんなことは些細なことだ。

 伝えたいことは、たった一つ。


「俺には……アリエスが必要だ……また、一緒に行きたい。

 こんな俺だけど、来てくれないか?」


「……っ……」


 座り込んだアリエスが両手を強く握り、顔を伝った涙が地面に落ちる。

 ぽろぽろと流れていく涙。

 けれどそれが、止まらない。

 しっかりとレオを見て、息を呑んで、アリエスは伝える。


「はい゛っ……」


 心が、繋がった。

 レオはアリエスと一緒に行きたい。

 アリエスもレオと一緒に行きたい。

 声に出さなくても、二人の気持ちは同じだった。


「いきましょうっ……いっしょにっ……」


「ああ……」


 アリエスは目が見えない。

 けれど、彼女はレオをしっかりと見て微笑んだ。

 泣きながらも笑ったその顔は、作ったものではなく心からの笑顔だった。

 そしてレオもまた、同じように笑顔を浮かべていた。


 安心したような、付き物が落ちたような、そんな笑みを二人は浮かべている。

 レオは生まれて初めて心から笑顔を浮かべ、アリエスもまた昔のように花のような笑顔を浮かべる。

 その笑顔は、レオが最悪の光景で見た、死んだ白銀の少女が浮かべていた笑顔よりも、綺麗だった。


 白い光が、アリエスを包む。

 その光は、彼女の内から出ているようにも思えた。

 思わずレオはアリエスに近づく。

 しゃがみ込んで心配そうにのぞき込むものの、触れていいのかが分からず、レオの手が空中で静止する。


 そのとき、体内の祝福が反応する。

 外部の祝福を判別するレオの祝福が、アリエスに祝福が発現したことを伝える。


「アリエス……それ……」


「なに……これ……?」


 光はより眩くアリエスを包む。

 盗賊頭につけられた頬の傷が、修復を始める。

 まるで時間の巻き戻しのように赤い線が消える。

 地面に落ちたときに傷ついた膝の怪我も治っていく。


「治癒の……祝福……」


 唖然としてレオは呟く。

 戦場において傷を癒す強力な祝福だ。

 傷ついてから時間が経つと癒せなくなるものの、先ほどの傷を治すくらいならば訳もないだろう。


 祝福は、個人に顕現する。

 けれどそれは、いったいいつ、どんなタイミングで現れるかは分からない。

 生まれながらに持っている場合もあれば、気づけば習得している場合もある。

 けれど、なにか壁を越えたときに手に入ることもあった。

 アリエスは今、祝福に目覚めたのだろう。


「なっ……」


 レオは目を見開く。

 アリエスの体からあふれ出た光が、彼女の両目を包み始める。

 それは祝福が治そうとしているということだ。

 見えない筈の、ずっと昔に見えなくなったはずの、彼女の両目を。


 それは普通の治癒の祝福では不可能なこと。レオですら不可能な権能。

 時間という制約すら越えた治癒の祝福。

 それが、アリエスの目を癒していく。


「レオ……様……」


 ゆっくりと、アリエスが目を開こうとする。

 今まで閉じられていた瞼が動き、まるで扉が開くように、本当にゆっくりと。

 宝石のような輝く蒼の瞳が、レオをじっと見つめ返してくる。

 探すではなく、まるで最初からそこに居ることを確信しているように。


 開いてからずっと、レオだけを見続けている。


「見え……ますっ……レオ様の顔が……見えますっ……」


 アリエスはレオの顔を見ている。

 涙でぐしゃぐしゃになった顔でも、決して目を逸らすことなく見つめている。

 呪いの右目すら、その瞳に映している。

 恐怖の感情は、読み取れなかった。


「怖く……怖くっ……ないのかっ……」


「怖くなんて……ないですっ……だってレオ様を知っているから。

 だから、怖くないですっ」


 目線を合わせ、アリエスは微笑む。

 彼女はレオの内面に深く触れた。

 だから、呪いを見ても恐怖が喚起することはない。

 どれだけレオが恐ろしい見た目をしていても、その内面にあるものがとても美しく、綺麗であることを知っているから。


 レオは昨日、たった一つの希望を失った。

 いや、それは最初からなかったのかもしれない。

 けれど今日、レオは新しく希望を見つけた。


 アリエスという、彼の呪いを恐れずに目を合わせてくれる、唯一の星を見つけられた。


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