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第18話 失いたくなかったもの

 うっすらと明るくなってきた闇夜を、アリエスは一人とぼとぼと歩いていた。

 向かう先はハマルの西側。


 レオはおそらく来た道を引き返すだろう。

 それなら、彼は東側の道を行くはずだ。

 アリエスが西側から北上し、そのまま西に向かってしまえば、彼とは会わずに済む。


 本当はハマルとは正反対の方向に行きたかった。

 けれど魔物の居た廃屋の南には砂漠しかなく、真西には山脈がそびえていることをアリエスは知っている。

 そのため、仕方なく森を北上する選択肢を取った。


 今まで一緒に居たレオと違う道を行く。

 それが、今のアリエスが彼に対してできる、唯一の贖罪だった。


「ごめん……なさい……」


 先ほどから何度も呟いた言葉を、うわごとのようにまた繰り返す。

 頭を回るのは、レオの拒絶の言葉。

 それがずっと、アリエスを責めている。

 純粋な彼を騙した、アリエスを。


(わたしが……わたしが悪い……)


 とある事情で盲目になったアリエスは、それでも生きていく必要があった。

 そして彼女にはその力があった。

 自分の姿を偽る変身魔法。

 今はもう居ない師から教わった魔法の一つを、アリエスは毎日毎日、自分にかけ続けた。


 自分の本当の姿がばれないように、髪の色を真逆の黒に、そして人間ではなく獣人に。

 可能な限り他人から関心を得ないように、髪を伸ばし、目を隠すようにした。

 顔の造形も変えた。


『あなたは可愛いから、この魔法は使えるかもね』


 今は亡き師が教えてくれた魔法は、アリエスを何度も助けてくれた。

 この魔法がなければ、自分はとっくに誰か別の人に買われて、酷い目にあっていたに違いない。

 見た目がまあまあ良い盲目の少女の使い道など、限られているのだから。


 けれど、もう彼女には希望がなかった。

 奴隷となり、そうして誰かに買われる運命。

 サルマンの奴隷屋敷の奴隷は皆希望に満ちていた。

 その中で、アリエスだけに光がなかった。

 彼女は最悪の最悪を回避することはできたが、依然として先のない状況だった。


 魔法の才能に優れているわけではない。

 戦ったことなどないに等しい。

 冒険者と共に行動することは無理だ。

 今も、先もない少女は誰にも買われることはなかった。


 アリエスという少女は、あの殺戮の夜に死んだ。


 今ここに居るのは抜け殻でしかない。

 みんな死んだのに、なぜか一人だけ生き残ってしまった、存在していることが間違いの少女。


(死にたい)


 過去に何度も何度も思ったことを口にする。

 なぜあの夜に、自分は死ななかったのか。

 誰も居なくなった世界に、自分が生きている意味はあるのか。

 そう問い続けた過去。

 このまま何もしなければ奴隷の館で朽ちれると、ただ無気力に生きていた日々。


 何もない空虚な世界で、ただ一つ頭を占めていた言葉。


(あ……)


 けれどその言葉を、最近は思わなかった。

 死にたいなんて、思っている暇はなかった。

 だって彼はあまりにも不器用で、世間知らずで、支えなければ不安で仕方なかったから。


 彼と一緒に居れば、自分の生きている意味が分かった気がしたから。


(あぁ……)


 それなのに、騙した。

 レオが何に苦しんでいるのか知っているのに、いつも夜にうなされていることに気づき、その手を握っていたのに。

 自分が彼の最後の希望だなんて、考えればすぐにわかったのに。


 涙で視界が滲む。

 黙っていた。

 話さなかった。

 いつか、時が来たら謝ろうと、そう思っていた。


(わたし……馬鹿だ……)


 今すぐ過去に戻り、自分を殴りたい気分だった。

 今すぐレオに真実を告げろと叫びたい。

 初めて会ったときに、そう告げていれば。

 彼のあんな声を、言葉を、聞かなくても良かっただろうか。


(そんなわけ……ない……)


 もう最初から歯車は嚙み合っていなかった。

 もっと早く言っていたとしても、変わらない。


 アリエスは、レオを裏切っていた。

 その事実だけは、変わらない。

 だからアリエスは、彼の前から去った。


 彼をこれ以上苦しめたくないから。

 自分を見ることで、彼が辛くなってしまうから。


 木々が揺れる音に交じり、枝を踏む音が聞こえた。

 けれど、アリエスは振り返ることはしない。

 今の自分には、レオと話す資格なんてないからだ。


「なんだぁ?朝を迎える前にこんな上質な女を捕まえられるとは、運がいいなぁ」


 背中にかけられる声に、アリエスはゆっくりと振り返る。

 盲目ゆえに発達した聴覚と、人の存在を気配で感じ取れるほどになった感覚が、答えを教えてくれる。


 上質な衣服の擦れる音。

 発せられる声の低さ、場所の高さ的に、一人の男性。

 そしてその後ろから、首輪の金属音が複数、アリエスの耳に届く。

 数人の奴隷を連れた、人攫いのようだ。


「高く売れそうな、いい女じゃねえか……ちっ、首輪付きかよ」


「…………」


 力なく、アリエスは笑う。

 ほら、やっぱり資格なんかない。




 ×××




 すっかり明るくなった道を、レオはとぼとぼと歩く。

 帰り道を、レオは早足で駆け抜けた。

 アリエスと一緒ならば時間がかかった道も、一人ならばこんなに早く着くのかと少し寂しくなった。

 ハマルの街が見えたときに急に意識が現実に戻ってきて、足が重くなった。


 もう目の前にはハマルの街が見えている。

 門をくぐれば、もうハマルの街だ。


「っ……すまない」


 黒いフードを被った人とぶつかってしまい、レオは反射的に謝罪する。

 レオよりもだいぶ身長が低い、アリエスと同じくらいの背だろうか。

 しかしその人物は何も言わず、レオの方を見ることもないまま街を出ていく。

 時間的には早朝。

 こんな時間に一人で街の外に出るのか、と一瞬思ったものの、関係ないことだと思い、レオは街の中に入る。


 街の大通りを歩けば、向けられるいつもの視線。

 昨日までは全く気にならなかったのに、今はやけにそれがレオの心を刺激した。


(どいつもこいつも、俺をそんな目で見やがって。結局見なかったのは……)


 頭を過ぎるアリエスとの日々。

 レオは首を振って、自分の頭の中から彼女を追いだす。


(違う、アリエスは俺を騙していた。見なかったんじゃない、見れなかったんだ。

 そもそもから違う。違うんだ)


 そう言い聞かせて、レオは顔を上げる。

 いつの間に着いたのか、目の前には冒険者組合の看板。

 ここで報告すれば、任務は完了だ。

 けれど気持ちを切り替えて一歩踏み出したとき、その足が不意に止まる。


 ――報告って、どうすればいいんだ?


 これまでの任務では、同行者がいたために討伐の瞬間を見てくれた。

 魔王ミリアの場合は同行者はいなかったけれど、それは特例だ。

 あれはデネブラ王がレオを信頼していたからに過ぎない。


 ここは冒険者組合。

 レオは元勇者とはいえ、ただの冒険者だ。

 何か討伐の証がなければ、いけないのではないか。

 それに気づいた。


「な、なあアリエ――」


 横を向いて、レオは声をかけようとするものの、その言葉を途中で飲み込んだ。

 視線の先には、信頼していたパートナーは居ない。

 あの廃屋で別れたのだから。


「……別に……アリエスが居なくても……」


 生きていける。


 自分は勇者だから、敵を倒せばいい。

 それに、最悪一人でもなんとかなる。

 路銀が無くても、なんとかなる筈だ。

 なんとか……。


『レオ様、路銀が尽きてしまうと、これから先苦しくなります』


 じっと自分を見て、これからのことを警告する少女。

 それはいつもの無表情だが、彼女はしっかりと自分を見てくれていた。


「呪いだって、そ、そのうち……」


 解ける……はずだ。


『レオ様の呪いを解くためには、西に向かわないといけませんね。

 まずはハマルの街を目指しましょう』


 地図を指さしながら、次の行き先を示してくれた。


「…………」


 見上げれば、冒険者組合の文字が入る。

 この生き方を教えてくれたのも、彼女だった。


『レオ様、申し訳ありません。わたしは……戦えないのに……』


 いい。

 戦えなくていい。

 自分が、全部倒せばいい。


『わたしは、レオ様の役に立てません』


 そんなことない。

 何度も助けられた。

 アリエスが居なかったら、ここに来れてすらいない。


 冒険者組合の路地裏が目に入る。

 光景が、蘇る。


『……でも、ちょっとだけ嬉しかったですよ』


 夕焼けに照らされたそこで、無表情の少女は嬉しそうな雰囲気でそう告げる。

 彼女の姿かたちは偽物だったけれど、その雰囲気は本物だったはずだ。


 少なくとも、いつも見る最悪の光景の何倍も、良い光景だった。


『ごめんなさい……レオ様』


 けれどあの廃屋での光景は、いつも見る最悪の光景の何倍も、心を締め付けた。


 無理やり作った笑顔。

 今にも泣きそうなのに、相手のことを想って、必死に、必死に。


 アリエスにそんな顔をさせたのは。

 彼女を泣かせたのは。


「……っ!」


 右の拳を自分の頬に叩き込む。

 全力で殴ったために、口の中に血の味が広がった。

 自身の祝福でその味はすぐに消えてしまったけれど、怒りの気持ちだけは消えない。


「何やってんだ……俺はっ!」


 自分に対する、怒りの感情だけは。


 振り返り、レオは走り出す。

 ハマルの南側に、駆けだす。

 彼女に会って、何を伝えればいいのかなんてわからない。

 今だって、アリエスが隠してきたことに対して怒りがないと言えば嘘になる。


 それでも。


 それでも、アリエスと一緒に居たい。

 彼女が居ないと旅ができないとか、呪いが解けないとか、そんなことじゃない。

 ただ、ただ。


 ――別れ際の涙を堪えたような笑顔を、して欲しくない。


 自分の中から聞こえていた硝子が割れる音が、消えた。


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