新しい物語④
「やっぱり、こうなったんだな」
俺は短く嘆息すると、質疑応答に移った会見から目を離した。
入院している間に随分と状況は変わったようだが、国の危機を知らされても俺の驚きは少なかった。
事前に知っていたわけではない。ある程度、予想を立てられる立場にいただけだ。思っていた以上に侵攻は速いが、許容できる誤差だ。
(やっぱり、退院して正解だった……)
自分の判断は間違っていなかったと確信できた俺は、食事を再開しようとお茶碗を掴んだ。
その直後、
「ん?」
カチャンと茶碗の上に箸を置く音が向かいから聞こえ、俺は顔を上げた。
麗華は顔を伏せ、深い自責の念に囚われるように、その表情を暗く沈ませていた。
「どうしたの麗華?」
俺は首を傾げながらも話し始めるのを待つと、少しして麗華はゆっくりと口を開いた。
「私のせい……ですよね」
「…………え?」
聞き返すと、麗華は震える手を胸の前で組んだ。
まるで懺悔をする聖女ように。
「お母様に聞きました。今回の『侵攻』は"あの事件"が原因だったと、あれが無ければ紛争地帯が半分を超えることはなかったと言われました」
「でもあれは……」
"あの事件"が何を指すのかを知っている俺はすぐに否定しようとした。
が、麗華は首を横に振って遮ってしまう。
「元はと言えば、私が軽率な事をしなければ"あの事件"は起こらなかったはずです。もっと慎重に行動すればこの国を危険に巻き込むことはありませんでした。なにより和総さんが入院することも………なかったはずです」
耐えきれなくなったのか、麗華は瞳から感情が溢れ出てしまう。
「この国が戦火に包まれたら……私……」
「麗華………」
膝にいくつもの雫を落とす麗華を、俺は胸が締め付けられる思いで見ることしかできなかった。
麗華がこんなに悩んでいたなんて知らなかった。
きっと、俺が入院していた時から罪悪感と戦っていたんだ。俺を起こしにきた時も、ご飯が美味しかったか聞いた時も、笑顔の裏で苦悩を抱えていたかと思うと胸が張り裂けそうになる。
麗華には心から笑っていてほしい。
そう願ったから、俺はこの生活を手に入れたのだ。
「…………」
どうにか元気づけたい。
そんな衝動に駆られるが、こういう時なんて声をかければいいのか分からない。
大丈夫だよ、気にしないで、きっと何とかなる。そんな言葉に意味はない。麗華は頭が良い。下手をすると現状の深刻さは俺より理解しているかもしれない。そんな人に表面的な慰めなんてむしろ逆効果だ。
(…………はぁ)
無力な自分に失望しそうだ。明日から大学生になるのに、成長していない事実を叩きつけられた気がしてこっちまで落ち込みそうになる。
その時だった。
『難しく考えなくてもいいんだよ』
不意に『彼女』の声が頭に響いたのは。
これは過去の記憶だ。昔にも似た悩みを抱えていた事があった。人の励まし方が分からず途方に暮れていた当時の俺に、手を差し伸べた『彼女』は言葉をかけてくれた。
『そういう時はね、思ったことを言えばいいんだよ。どんなに拙くても、心から相手を元気づけたい、笑顔にしたいという気持ちがあれば必ず伝わるから。言葉は、心を伝える道具でもあるんだよ』
「……………」
蘇っていく『彼女』との記憶に導かれるように、俺は顔を上げた。
そうだ。忘れるところだった。大事なのは言葉を並べることではなく、言葉を使って自分の『気持ち』を伝えるということを。
言葉はそのために使うのだと俺は『彼女』に教わった。「小説の受け売りだけどね」と照れくさそうに笑いながら。
「…………っ」
俺は腹を決めた。自信が無くとも、拙かったとしてもきちんと言葉で『気持ち』を伝えようと。『彼女』の言葉に勇気をもらったあの時間を嘘にしないためにも。
「麗華だけの、責任じゃないよ」
「えっ?」
顔を上げる麗華に俺は出来る限り笑みを浮かべた。
『悪いのは麗華だけじゃない』と少しでも伝わるように。
「そもそも、"あの事件"は不幸が重なり過ぎたのがきっかけだよ。いろんな人の思惑や考えが全部悪い方向へ転がったせいで最悪の結末になりかけて、それを防ぐために麗華はその『決断』をしなくちゃいけなかった。そうでしょ?」
俺はさっき言えなかったことを改めて告げた。一度は遮られてしまったが、やはり伝えるべきだと思ったのだ。
「ですが………」
案の定麗華は納得していない。実際麗華に非はない。麗華は尻拭いをしただけで元凶ではないのだから。
「大体、一番悪いのは先に仕掛けた側のはずたろ?麗華が必要以上に責任を感じる必要はないよ」
「そう、かもしれませんけど……」
「それに、麗華の決断で国が救われた部分もあるんだから自分が悪いなんて思わなくてもいいんだよ。むしろ胸を張ってもいいんじゃない?」
「そんな厚顔無恥なこと、思えませんよ………」
麗華は涙を拭うと、恐縮そうに肩を狭めた。悲壮という、呆れているような様子で。
その様子を見て俺は、自分で言うのもなんだが、悪くない流れではないかと思えた。涙は止まり、顔からは憂いが薄れつつある。あと一押しで笑顔を取り戻すかもしれない。
しれないんだけど……
(あ、あとは何を言えば良いんだ?)
俺はもうネタ切れだった。
すでに伝えたいことはもう出し尽くした後だった。伝え下手も災いして、これ以上何を言えばいいのか、何も頭に浮かばない。どんなに頭を捻っても同じ言葉しか出てこない。麗華の瞳は依然、不安なままだ。
な、何か言わなければっ………
「ま、まあ元はって言うなら俺が"あの事件"で色々しでかさなかったら、こんな事態にはなってないはずだよ。もっと冷静に動くべきだったって、実は凄く反省してるんだよね。そのせいで昨日はめっちゃ怒られたし……」
「それは、私がきっかけを作ったからで……(うるっ)」
「あっ待って、今の無し」
完全に選択肢を間違えたぁぁぁっ!!!
このタイミングで自虐しても痛ましい目を向けられるだけなのに、テンパるあまり考えが至らなかった。
どうにか挽回せねば………。
「つ、つまりさ。責任を負うべきなのはむしろ俺の方なんだよ。そのために、退院したんだからさ。麗華はそんなに思い詰めなくても………」
俺は焦るあまり、冷静さを失っていた。
だが、その焦りは致命的だった。
「えっ?あの、退院したのって明日の入学式に出席するためでは?」
「……………あっ」
俺は咄嗟に手で口を塞いだが、遅過ぎた。そんなことをしても口から出た言葉は戻ってくることはない。
「他にも目的があるのですか?」
「…………」
「和総さん?」
「…………」
悲しみから一変、ジトーーーーーッと胡乱な目を浴びせてくる麗華に、俺は眼鏡の下から冷や汗を垂らす顔を必死に横へ向けることしかできなかった。
退院した『もう一つの目的』はまだ麗華には秘密なのだ。納得させられるだけの材料を揃えなければ必ず反対されると分かっていたからだ。
俺は口を強く引き結んだ。これ以上、情報を与えるわけにはいかない。
だが、聡明な麗華には無駄な抵抗だった。
「復帰するつもりですね?部隊に」
「っ!」
ぎくうっ!と肩が跳ねてしまった。口を開かなくても身体は正直だった。
麗華はやはりと額に手を添えた。
「何を考えているのですか貴方は……。退院してすぐに戦うつもりですか?そのお身体で?」
「ち、ちがうよ!これには国を守るための深い訳があって……」
「深い訳、とは?」
麗華は逃してはくれなかった。膝に両手を重ねるように置き、聞く姿勢ができあがっていた。いつの間にか慰めの時間はもう遥か彼方へ飛んでいき、尋問タイムが始まっていた。完全に詰んでいた。
仕方がない………。
俺は全てを諦め、退院した『もう一つの目的』を吐いた。それはもう洗いざらい。
「なるほど」
綺麗な姿勢で一通り聞いた麗華は一言こぼすと、キッ!と眉を寄せ、目を尖らせた。
「あなたはまたそんな無茶をっ。戦わないのが本当だったとしても、危険であるのは変わらないではないですかっ」
「…………」
俺は何も言えず、頭を掻いてしまう。麗華の言う通り、俺がやろうとしているのはかなりの危険が伴う。なぜなら、この『目的』は日本の外へ出なければ達成できないからだ。真っ赤に染まる世界地図を見ればもはや説明は不要だろう。戦わないつもりでいても戦争に巻き込まれてしまう。それが、この世界だ。
そんな世界に病み上がりの人間が飛び込もうとすれば咎めるのは当然だ。俺だったらそんな人がいたら絶対に止める。
だというのに、俺は外へ出ようとしている。自暴自棄になっているわけではない。行かなければならない理由があるのだ。
「雪江さん達は知っているのですか?」
「う、うん。俺だけじゃ無謀過ぎるから協力して貰えるように連絡しといたよ。姉さん達はあまり乗り気じゃなかったけど、今後必要になるだろうからって渋々了承してくれた」
「そうですか……」
麗華はそれだけ言うと、考え込むように目を閉じた。
「あの、やっぱりだめかな?」
俺は判決を待つ被告人のような心境で尋ねた。最悪俺抜きで『目的』を達成してもらうしかないかと諦めかけていると、麗華は盛大にため息を溢した。
「いいえ、止めませんよ」
「えっ、いい……の?」
予想外の一言に俺は顔を上げ、恐る恐る確認を取ると、麗華は目を開け、諦めたように小さく頷いた。
「本当は止めたい気持ちでいっぱいです。ですが、国を守るためと聞かされてしまえば反対する権利なんて私にはありません。どんなに言い訳しても国を危険に晒した事実は変わりませんから」
「麗華………」
「ただし、条件があります!」
俺が何かを言う前に、麗華は言葉を被せてきた。
「じょ、条件?」
「貴方が企んでいる目的を遂行するには、私以外にも許可を貰うべき人がいるはずです。主治医の水羅さんとか」
「げっ!」
その名前を聞いて俺は露骨に嫌な顔をしてしまった。
「その様子だと、黙っているつもりでしたね?」
ふふん、と麗華は勝ち誇るように胸を逸らした。まさにその通りだった。多くの人達に反対されるのは目に見えていたから伝えるのは最小限にとどめるつもりだった。
「なので、その人達から必ず許可を貰ってください。話し合いの場には私も必ず出席するので、ズルはさせませんからね?」
「も、もしかして…最初から外へ行かせるつもりがないんじゃ……」
「さあ、どうでしょうね?」
麗華はふふ、と笑うともう話は終わったとばかりに食事を再開してしまった。
いつの間にか表情の翳りは消え、美味しそうにご飯を食べる麗華に結果オーライかと安堵しつつも、やっぱり頭脳勝負じゃ敵わないなかった項垂れるのだった。