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ずっと続く物語③

 今の家から20分歩いたところにお寺がある。

 その中にある一つの墓の前で俺、入江和総は手を合わせていた。

(大学生になれたよ。お前が行きたがっていたあの大学に。言うのが遅くてゴメンな)

 火をつけたばかりの長い線香と、左右に活けてある花には目もくれず、その下で眠る彼女に今日までの報告をしていた。

 彼女が死んでからの一年間を。

「……………………………」

 部隊の復興や受験勉強、そしてひと月前の大事件。報告することは沢山あった。時間が許す限り、俺は報告をし続けた。

「和総さん。そろそろ………」

「分かってる。もう終わったよ」

 30分くらい経ち、後ろから声をかけられ俺は顔を上げた。

 腕時計の針は9時を回ろうとしていた。

 俺はスーツの胸ポケットから取り出した新しい眼鏡を掛けると立ち上がり後ろを振り返った。

 背後には入学式のために綺麗に着飾った麗華が後ろで待っていた。薄く化粧をしており、美貌に磨きがかかっている。上品な佇まいも相まって、昨日以上に注目集めるだろうなと予感させた。

「行こうか」

「はい」

 桶と柄杓を置き場へ戻し、二人で寺を出た。

「最寄りの駅はどこだっけ?」

「ここから5分歩いたところです。10分後の電車に乗れば20分前には大学へ着きますよ」

「十分間に合うな。それじゃあのんびり行こう」

「そうですね」

 人通りの無い、静かな細道を話しながら歩いた。

「報告は全てできましたか?」

「言うべきことは言えたかな。そういう麗華はどうなんだ?五分も手を合わせてなかったけど」

「私は何度か来ていますから。伝えるべきことはもう伝えてあります」

「そうだったのか………。それは知らなかったな」

 あの頃の記憶は曖昧で、誰が何をしていたかなんて把握する余裕がなかった。やることが多かったのもあるが、大切な人を失ったという現実を受け入れるのにかなりの時間が必要だったのだ。

 それもあり、一年前に墓が建てられてから今日まで墓参り来れていなかった。

「あいつ、怒ってないかな………」

 あまり怒らなかったけど、一年も会いに来ない薄情な人間に寛容になれるような丈夫な堪忍袋はしていなかったはずだ。墓の前で何度も謝ったが許くれたかは本人にしか分からない。

「心配いらないと思いますよ」

 悩む俺に麗華は首を横に振ってくれた。

「和総さんがこの一年でどれだけ頑張ったかを知れば、むしろ褒めてくれます。だって、あの大学へ進学できたのですから」

「そうだといいけどなぁ………」

「大丈夫ですよ」

 麗華腕を伸ばすとよしよしと俺の頭を撫でてきた。ハイヒールを履いているからか、腕を伸ばすだけで届いてしまう。同い年なのに俺は姉に慰められる弟のように、されるがまま撫でられる。

「ですから胸を張ってください。お顔を曇らせまま入学式に出席する方が怒られてしまいますよ」

「………………そうだな」

 可愛らしく両腕で小さくガッツポーズをする麗華に俺は気持ちが軽くなるのを感じた。

 麗華の言う通りだ。念願の大学に行けるのだからいつまでも肩を落としているわけにもいかない。むしろ胸を張らないと、そっちの方が怒られてしまう。

 麗華に励まされて、俺は笑みを浮かべると、麗華も嬉しそうに笑みを返してくれた。

 その時、俺のポケットにしまってある携帯が短く振動した。誰かがメッセージを送ってきた知らせだった。

「母さんからだ。もう大学に着いたってさ、って早過ぎるだろ………」

 『大学の正門ナウ♪』と送り先を間違えてないかと疑ってしまう文で到着を知らせる我が母は、入学式が楽しみなのか文末に音符をつけてしまうはしゃぎようだった。入学式の一時間前に到着するのは流石にやりすぎだ。

 麗華もそう思ったのかリアクションに困るような苦笑をしてしまう。

「それだけ楽しみにしていたのですね。昨日も記念写真をたくさん撮りたいとおっしゃっていましたから」

「写真が好きだからなぁ。きっと十枚や二十枚が済まないよ」

 高校に入学した時もそうだった。何かと思い出を残したがる母は、周りの目を気にせず一眼レフのカメラをマシンガンみたいにシャッター押していた。悪目立ちしていたのは言うまでもない。

「あの、その写真には私も一緒に写ってもいいのでしょうか?」 

 遠慮がちに上目遣いで聞いてくる麗華に俺は否は言えなかった。

「まあ、せっかくだしな。一緒に撮ろうか」

「っ!はい!」

 麗華は嬉しそうに頬を紅くさせた。

 一生に一度しかない大学の入学式だ。俺もできるなら麗華と写真を撮りたい。

 ただ、母さんのことだから一度カメラを構えたらとんでもない時間拘束されてしまう。絶世の美女である麗華と肩を並べている所を他の学生に見られるわけにはいかない。

「それにしても、今日は晴れてよかったですね」

 手を後ろに組んで、雲一つない青空を仰ぎ見ながら麗華は言う。

「一週間前の天気予報で曇りのち雨となっていた時は不安でしたが、良い入学式日和になりましたね。写真も綺麗に撮れますよっ」

 麗華はとても機嫌がよかった。そのままスキップで先へ行ってしまいそうなくらいに足取りが軽やかだ。

「……………」

 心から幸せそうにする姿に俺は報われた気持ちになれた。彼女の笑顔を見るたびにひと月前の決断は間違いではなかったと心の底からそう思わせてくれる。

 だけども、俺の心にはしこりが一つ残されていた。今日まで慌ただしかったこともありずっと聞けずにいたことがある。

 聞くなら、今が最後のチャンスだった。入学式を辿り着くまでのこの時間が。

これを逃したらもう一生聞くことはできないかもしれない。だから俺は意を決して麗華に尋ねた。

「なあ、麗華はもう大学は良いのか?」

「はい?大学、ですか?」

 俺が立ち止まって聞くと、少し遅れて足を止めた麗華はキョトンと首を傾げていた。そんなことを聞かれるとは思っていなかったような顔だが、構わず続けた。

「麗華もあの大学に行くために勉強してただろ?あの事件のせいで受験どころじゃなかったけどさ、お前の成績なら来年からでも行けるはずだ。なら、あの家に住んでる場合じゃないだろ」

 今の暮らしている一軒家には俺と麗華以外に住む人はいない。必然的に家事は二人ですることになるが、俺は大学の勉強に今後は部隊の復帰も考えている。第零部隊の仕事までこなすとなれば、家事の殆どを麗華に任せることになってしまう。

 広い方ではなくても二階建ての一軒家だ。掃除だけでも重労働だし、その他の家事までこなすとなれば勉強に割く余裕はない。いくら頭が良い麗華でも、片手間の勉強で受かるほどあの大学は甘くない。最終的に進学を諦めざるをえなくなる。

 ずっと頑張ってきたのを知っている俺としてはその努力を蔑ろにしてほしくはなかった。

「あのさ、大学に行きたいなら遠慮しなくていいからな?せっかく自由になれたんだから、やりたいことを我慢しなくていいんだ。一緒にあの家に暮らしくれるのは嬉しいけど、進学してからでも俺は…………」

「和総さん」

 それ以上は言わせないとばかりに、麗華に遮られた。

「遠慮なんてしていませんよ。元より大学へ行く気はありませんから」

「っ、なんで。あんなに頑張ってたのに……………」

 到底納得できなかった。あの事件の直前まで必死に勉強している姿を何度も目にしてきた俺としては尚更。

 行きたい理由があるはずだ。あの大学でなければならない理由が。そんなあっさりと諦められるような努力ではなかったはずだ。

すると、麗華は言いづらそうに眉を下げた。

「実を言ってしまいますと、大学へはもう未練がないんです」

「未練が………無い?」

 そんなはずはない。という言葉を俺は口に出すことができなかった。

 言いづらそうにしている割に、麗華の口調にはあまりに迷いが無かったことに気が付いた。

 心からの言葉だったのが分かってしまった。

 心の底から彼女は大学に未練が無いと言っている。

「どうして……………」

「夢が、叶ったからです」

 嬉しそうに、だけどどこか申し訳なさそうに麗華は本当のことを吐露する。

「夢?大学へ行ってないのにか?」

 どんな夢だろうかと俺は首を捻ると、麗華は足早に俺の前へ回り込んだ。

 そして、万人が魅了する笑顔で言った。


「あなたに選んでもらえましたから」


「……………………………」

 俺は衝撃のあまり言葉が出ず、あらんかぎりに目を見開いた。

「大学に行きたかったのは、単に諦めきれなかったからなんです。私ではなくあの人が選ばれてもあなたの傍にいたいと、そう願ってしまいましたから。そのためだけに勉強してきました」

「そうだったのか…………」

 全く知らなかった………。

 思い返してみると、麗華が勉強を頑張る理由をちゃんと聞いた事が無かった。尋ねてもはぐらかされるだけだったから、聞かない方がいいのかとあまり深入りいないようにしていた。確かにこの動機だと言いづらいかもしれないな……。

 麗華は恥ずかしそうに頬を赤くさせた。

「やはり、こんな動機ではあの人に怒られてしまいますね。お母様に打ち明けた時もよい顔はされませんでした」

「まあ、そうだろうなぁ。むしろ、よく打ち明けたな………」

 まじめ一辺倒のあの人にその話をするなんて俺にはとてもできない。

 さすが麗華、肝が据わってる………。

「ですが後悔は少しもありません。あの家が建てられた経緯を知る一人として、何より『入江』の一員になれたことだけは誰にも譲るつもりありません」

「………そんな大層な名前じゃないぞ?」

 少なくとも御園の方が格段に上なんだけどな……。その御園よりも入江の名にこだわるあたり、相当決意は固いみたいだ。 

 もしかして、昨日ずっと表札を眺めていたのはそういう事だったのか。

 あいつと同じように『入江』になれたという喜びをかみしめてくれていたんだな。

 そう思うと、なんだかくすぐったい気持ちになる。

「なので今の生活を手放すくらいなら大学へ通いたくありません。貴方の側にいられるのなら他は何もいりません。それだけが私の望みですから」

 俺の両手を握り少し低い位置から真っすぐ見つめてくる。その瞳を見せつけられたら俺も覚悟を決めなければならない。

「そうか。なら、これ以上は聞かないよ。その代わり俺からも改めて言わせてくれ」

 俺は麗華の両肩に手を乗せた。真摯に麗華と目を合わせた。

 一度は拒み、それでも好きだと言い続けてくれた彼女の前だけでは誠実あるために。

「これからも俺の側にいてくれ。身勝手かもしれないけど、どうか俺を支えて欲しい」

「ずっと………それを言ってもらえる日が来るのを待っていました………。勿論です!」

 頬に雫を落としながら綺麗に笑う麗華をそっと引き寄せ自分の胸へいざなかった。新品のスーツに化粧が付いてしまうだろうが、気にしなかった。

『完結した物語の後ってどう続くと思う?』

 あいつとの会話が頭を過る。あの時はまともに答えることはできなかったけど、今なら胸を張って答えられる。

 この物語だけは終わらせない。

 答えになっていないかもしれないけど、静かに漏らす嗚咽を聞けば、間違っていないことだけは確信できる。一度破った誓いを今度こそ守れるために、俺は抱きしめる腕に力を込めた。

 春の日陽気に祝福されているように、腕の中はとても温かかった。


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