新しい物語②
和総は一階に降りるとまず洗面所で軽く顔を洗い、寝癖を整えてから一階のリビングへ向かった。
眼鏡の掛け心地を確かめながら、扉を開けると食欲をそそる匂いが鼻をくすぐった。丁度、麗華が台所から出てくるところで、上にはフワフワの卵焼きが乗っていた。
「美味そう………」
湯気が立ち込める黄金の直方体にゴクリッと和総は喉を鳴らした。
「今日のお昼は和総さんの好きな和食ですよ。退院したばかりで食べたいと思って」
「うん、食べたかった。入院中は点滴ばかりでご飯たべられなかったから……」
和総はテーブルの上に並ぶ料理に釘付けだった。眼鏡ごと目がキラキラしている。
テーブルの上には白米を主食に味噌汁、おひたしや焼き魚、そして卵焼き。どれも和総の食べたかったものばかりだ。しかも台所に調理の形跡があることから麗華の手作りであることが伺える。
「豪勢だけど、こんなにどうしたの?」
胸に温かなものが広がりながらも和総は疑問を口にした。昨日の夜に引っ越してきたばかりだから冷蔵庫は空っぽのはずだ。
「近くの商店街があったのでそこで食材を買いました。早くここの生活に慣れたかったので、午前中に探検しちゃいました」
ニコニコと楽しそうに麗華は語った。新生活だからか、珍しく浮かれているようだ。
「そうだったんだ。でも、一人でこの量を買うのは大変だったんじゃない?言ってくれたら買い物くらい行ったのに」
「大丈夫ですよ。お米と味噌はすでにあったので買ったのは卵とお魚だけなんです。それに、和総さんは病み上がりなんですから無理をしたらだめですよ?」
「で、でも」
「だ、め、で、す」
「あっ、はい」
笑顔の裏に凄まじい圧を感じた和総は引き下がるしかなかった。代わりに「ありがとう」とお礼して席についた。
「いただきます」
手を合わせてから箸を持つと、温かいうちに麗華の料理へ腕を伸ばした。
「どう、でしょうか…………っ」
向かいに座る麗華がドキドキしながら見守る中、卵焼きを一切れ頬張ると、目を見開いた。
「美味い……!すごく美味いよ!」
「本当ですかっ⁈よかったぁ」
麗華は安堵と喜びで輝くような笑顔を浮かべた。不安だったのか、目には薄っすら涙が滲んでいた。
「驚いた…。まさか"あの"麗華"がここまで美味しいご飯を作れるなんてなぁ」
「もう、どういう意味ですか?」
「あはは、ごめんごめん」
ぷくっと頬を膨らませる麗華に和総はつい笑ってしまうと、膨らませた本人もおかしかったのかつられて笑った。 二人だけの、温かい食卓がそこにはあった。
「麗華も食べよう。冷める前にさ」
「そうですね。いただきます」
麗華も遅れて手を合わせると、箸を手に取り、ゆっくりとご飯を口運んだ。
たったそれだけなのに気品があって、和総は意識を奪われてしまう。一つ一つの所作が洗練されており、良家のお嬢様を彷彿とさせる。
(綺麗だな………)
高校から付き合いだが、見る度に同じ感想を抱いている自覚が和総にはある。
所作だけではない。容姿も常人とはかけ離れている。
整いすぎた顔、腰まで伸びた黒い髪に黄金比のようなスタイルは女神の生まれ変わりと言われても信じてしまいそうになる。
高校を卒業し、少女から妙齢の女性に変わりつつある美貌は微かに幼さを残す分、まだ美しくなる余地があると思わせる。末恐ろしいと男の和総でさえ戦慄してしまう。
そんな彼女と今日から一緒に暮らせる俺は相当恵まれているのだろう。世の男達が見たら嫉妬に狂うに違いない。
ここまで来るのは決して平坦な道のりではなかったけど頑張ってよかった。今も笑顔を向けてくれる幸せそうな麗華を見て和総は心からそう思えた。
そんなことをぼうっと考えている時だった。
ざわっ、とした雑多な声が耳に届いた。