悪意の裏側で④
和総は病院の廊下を、腕を組みながら歩いていた。
「ダメだったかぁ。まさか、あそこまで反対されるとはなぁ。頭硬いよ水羅さん」
「そういうことを言うものではありませんよ」
横を歩く麗華は和総の顔を覗き込むように体を傾けながら窘めた。
「それだけ和総さんを心配してくれているんですよ。横柄な態度をとっても真摯に向き合ってくれるのですから、感謝しないといけません」
「分かってるよ。水羅さんのおかげで俺はこうして生きていられるわけだしな」
感謝しているのは和総も同じだ。ひと月前だって、怪我があまりに酷すぎるせいでどの医者も匙を投げる中、水羅だけが諦めずに和総の命を繋ぎとめてくれるために奮闘してくれた。医者としての腕が平凡だと自負しているのに最後まで和総に迫る死神と戦ってくれたのだ。だから和総は水羅さんに頭が上がらないし、麗華も心から信を置いている。
「仕方ない。こうなったらきちんと治して、堂々と許可を貰うことにするよ。姉さん達には後で謝るかぁ」
「そうですね。急がずゆっくり治しましょう」
一緒にいられる時間が増えるからなのか、ニコニコが抑えられない麗華。あまりにも嬉しそうにするものだから和総はそれも悪くないかも、なんて思い始めていた。
そんな会話をしているうちに、二人はエレベータに辿り着いた。
和総がエレベータのボタンを押すと、光るボタンを見て麗華は首を傾げた。
「あの、どうして上のボタンを押したのですか?」
今いるのは二階。家に帰るのなら下のボタンを押す必要があるはずのに、和総はそれに逆らうように上のボタンを押していた。
「ちょっと、お見舞いに行こうと思ってさ」
「お見舞い、ですか?」
和総は止まりながらも、下がってくるエレベータの表示を見上げながら言った。
「一年くらい前にお世話になった人がいてさ。お礼も兼ねて会いたいんだよ。その人がいなかったら、俺はひと月前の戦いを生き延びることができなかったかもしれないから」
「っ!一年前に、そんな人が…………」
麗華は意外そうに目を見開き、次に顔を曇らせた。
一年前という数字。それは彼女達にとって、何より彼にとっては悪夢のような時を指す。今とは比べ物にならないくらい消沈し、生きていけないくらい絶望していた和総を助けたというのなら、確かに恩人と呼ぶべき存在だ。何もできなかったと思い込む麗華にとっても。
「本当は昨日のうちに済ませたかったんだけど時間が無くてさ。今日の診察が終わったら会おうって約束してたんだ。その人も俺に用があるらしいんだけど、要件はまだ聞いてないんだよね」
そんな麗華の気も知らず、和総は呑気にエレベータを待っていた。全てを乗り越えた清々しい顔で。
「………そうですか。なら、行かないといけませんね」
麗華は和総の横顔を見やり一度強く目をつむり開くと、いつも通りの笑みをみせた。自分だけいつまでもくよくよしていられないからと。
「ですが」
しかし、その笑みは一瞬で怜悧な顔つきに切り替わった。
「まさか、何も持たずにお見舞いへ行くわけではありませんよね?」
「え?あ………」
和総は言われて初めて気が付いた。そういえば見舞いの品を全く用意していなかったと。
「もうっ。知っている間柄だとしても失礼に当たりますよ」
「ご、ごめんなさい」
両手を腰に当てる麗華にプリプリと怒られ、和総は叱られた子供みたいに肩をすぼませた。
「仕方ありませんね。丁度近くにお花屋さんがあったはずなので、一度降りて見繕って参ります」
「なら俺が………」
「いいえ、待たせるわけにもいかないので和総さんは先に行ってください。選ぶだけなら私だけで十分ですから」
「あ、はい」
遠まわしに必要が無いと言われてしまい、和総はシュンとしてしまう。
エレベータが来たのはそれから1分も満たなかった。
「それでは………」
扉が開き、麗華が乗り込もうと一歩を踏み出した。
それと同時だった。
ガシャァン!と外の陽光を遮るシャッターが一斉に下りてきた。
「なっ、なにが………!」
乗ろうとした足を元に戻し、麗華が左に現れた黒いシャッターに目を丸くした。
「これって、確か避難用の防護シェルターだっけ。下ろしたということは外から敵でもきたのか?それなら、放送の一つもないとおかしいし…………誤作動でも起こしたのかな」
反対に和総は冷静だった。まるで慣れ切ったように天井に取り付けられた放送用のスピーカーを見上げて腕を組んで状況の把握に務めていた。
ここにいても情報は得られない。そう瞬時に判断した和総はひとまず事情を知っていそうなところへ行こうとした時だった。
「そりゃあ、俺達が閉じこめたからよ」
「「っ!」」
軽薄な声はエレベータの中からだった。麗華が乗ろうとしていたエレベータには二人の先客がいた。
「予定よりも少し早いな。まだ、手下どもの準備も終わってねえだろうにせっかちな妹だ」
エレベータを出てシャッターに向かって独り言を発する男だが、その格好は奇特の一言に尽きた。浪人のような着流しを身に纏い、腰に刀を差している。少なくとも堅気には見えなかった。
誰何しようとしたが、後ろで侍女のように付き従えるように立つ女性の服を見て、和総達は目を剥いた。
ロータリーでも見かけた軍服だった。
「『維新軍』‼どうしてここに⁈」
和総は咄嗟に麗華の腕を引き背中に回した。
「何だ俺達を知ってんのか。いつの間にか随分と知れ渡っちまったようだな」
男は困ったーと言いながら嬉しそうにヘラヘラ笑った。
和総は男を睨みながら尋ねた。
「病院を閉じこめたって、何のためにそんなことを…………」
「あ?そんなんお前に教える義理はねえよ」
男は心底面倒くさそうに和総をあしらった。その目は路傍の石を見るかのようだった。
「ただの一般客か。連行すんのもダルいし、放っておいても手下がなんとかしてくれるだろ。ん?お前は………」
男はふと、和総の後ろにいる存在に目を止めた。
和総の背では隠しきれない綺麗な黒い髪と端正な顔が目に留まった瞬間、男は下卑た笑みを浮かべた。
「おーおー、こんなところにとんだ大物がいるじゃねえか。しかも写真よりもいい女だ」
「「っ!」」
二人は瞠目した。麗華のことを知っている口調に驚きを隠せなかった。
麗華は四御家の人間だから大物なのは間違っていない。が、本来四御家の情報は当主以外は徹底的に伏せられているはずだ。関係者ならまだしも『維新軍』が麗華を知るはずがないのだ。
(どうやって麗華のことを………)
和総は背中で麗華を押して、男から距離を取ろうとした。この男が危険なのは考えなくても明らかだった。敵対する組織にとって四御家の人質は喉から手が出る程欲しているはずだ。大切な人だというのを差し引いても、麗華を渡すわけにはいかない。
だが、男は和総の警戒心など構うことなく、無造作に近づいた。
「たまには暇つぶしで散歩とかしてみるもんだな。しかも、ろくな護衛もいねえときた。攫い放題じゃねえかよ」
「っ、そうはさせ………」
和総は麗華を守るため男の進行を阻もうとするが、無理だった。
肩を掴もうした和総の手が、空を切った。
「邪魔」
「がっ!」
直後に首に衝撃が走り、通路まで吹き飛ばされてしまった。男の右手は手刀の形になっており、目にも留まらぬ速度で叩きつけられたのが窺えた。
「和っ………」
「おっと、お前はこっちだ」
「っ」
麗華はすぐさま駆けつけようとするが、男の手刀に声も出せずに沈んでしまう。
「麗…………華」
和総はどうにかして麗華を助けようと手を伸ばすが、遠のいていく意識を抗うことができなかった。吹き飛んだ拍子に眼鏡が外れてしまったが、そんなことを気にしてはいられなかった。
伸ばした腕をそのままに、和総は意識を手放した。
「よし確保っと。さっさとこいつを運ぶとしようか」
一仕事を終え両手を叩く着流しの男、英二は麗華を抱え上げようと膝を曲げた。
「お待ちください。英二様」
手を伸ばす前にポンと、肩を叩かれ英二は後ろを振り返った。
英二は侍女のように控える部下に胡乱な目を向けた。
「何だよ。これから運ぼうって時に」
「その方は私が運びます。英二様はもう一人の方をお願いします」
部下はさっと奪い取るように麗華を軽々と抱えると、うつ伏せに倒れる和総へ目を向けた。派手に吹き飛んだが胸あたりが微かにじょうげしていることから、死んではいないようだ。
英二は露骨に顔を顰めた。
「えぇーっ。男を運ぶ趣味はねぇーんだけどなぁ。おめえが運べばいいじゃねえか」
「いけません。どんな相手であろうと人質は丁重に扱われるべきです。それに私、見ず知らずの男に触れたくありませんので」
「テメエ、結局それが本音じゃねえかっ!つうか、俺の方には触ってたろ!」
「英二様は男とすら思っていませんので」
「あっそう……………。前から思ってたけど、俺のこと舐めてるよなお前………」
元から知ってたとはいえ上司に遠慮のない部下に、英二は小さく肩を落とした。そして、踵を返すと通路へは向かわず、ボタンを押してエレベータを開けた。
「放っておいてよろしいのですか?」
放置される和総を横目に尋ねると、英二は拗ねたのか腕を組んでそっぽを向いた。
「俺だって男なんざ触りたくねえんだよ。そのうち手下の誰かが持って来るだろ」
「承知しました。では満里奈様のいるロビーへ合流いたしましょうか」
部下は拗ねる英二を一切気にせず麗華を抱え直すと、エレベータの扉をくぐった。
「ここは病院の端の方だからロビーまで結構遠いな。辛いなら代わりに俺が運んでやろうか」
「お断りします」
英二がさりげない仕草で麗華へ手を伸ばそうとすると部下はさらっと避け、横に取り付けたあるボタンを押して扉を閉じた。
そして、エレベータは麗華を一階へと連れ去ってしまった。
和総を一人残して。




