悪意の裏側で③
「必要ありません」
ビクッと俺と水羅さんの肩が跳ね上がった。
俺は恐る恐る背後を振り向くと、笑顔の麗華が禍々しいオーラを放ちながら俺の手から眼鏡を奪い、顔に掛けさせてきた。覗き見している看護婦たちは震え上がっている。
「で、ですがね。今後もこのような無茶を続けたら今度こそ本当に……」
「ダメです。仕事なら他にも沢山あります。和総さんが見世物になる必要なんてありません」
水羅さんが必死に食い下がっても、麗華は聞く頑なだった。
綺麗な黒の瞳には決意が漲っていた。
「和総さんにアイドルをさせるくらいなら私が代わりに働きます」
「そこまで⁈」
麗華の半端ない覚悟にあの水羅さんがたじたじになっていた。彼女の家を知っている人間からすれば自ら『働く』という単語が出ること自体驚愕ものだ。
「それと水羅さん?私にかしこまるのはやめてください。今の私は『入江』麗華ですよ?」
「は、はい!申し訳ありません!」
本気で訂正して欲しいのか満面の笑みで『入江』を強調され、水羅さんは背筋を伸ばした。さっきまでの男勝りな態度が見る影もなかった。
水羅さんをあそこまで追い詰めるとは流石麗華、あの家の娘だ……………。
「じょ、冗談はそこまでにしてさ、そろそろ本題に戻ろうか」
「そ、そうだな。この後も患者が控えてるし」
この話はこれ以上よくないと、意見を同じにした俺と水羅さんは息ぴったりに話題を逸らした。
「それで、水羅さん。俺はどうしたら復帰できるかな?」
俺は姿勢を正し神妙に尋ねると、水羅さんはカルテを少し見直してから結論だけを言う。
「大前提として、力が戻らないと復帰は許可できない」
「やっぱりダメ?本当に戦わないよ?」
「テメエを信用していないのもあるが、『亜人士』は分からない部分の方が多いんだ。回復するどころか悪化してそのままぽっくり逝くかもしれない」
「それは……」
「ないと言い切れるか?」
「………………」
言葉を遮られて俺は黙り込んでしまう。遮らなかったとしても言い返すことはできなかった。
日本が王国になる前後あたりから現れた『亜人士』という存在は未だに多くの謎でまみれている。100年経ってようやく強さを数値で測れるようになった程度の、亀の歩みしか進んでいない。
「経過観察のためにもう少し入院して欲しかったところを、テメエがどうしても大学に通いたいと言うから通院という形に妥協してやったんだ。患者の命を預かる立場上、これ以上の譲歩はできない。わかったな」
「…………むぅ、分かったよ」
ピシってカルテを挟んだバインダーを差し向けられ、俺は諦めるしかなかった。俺が憎くて言っているわけではないと知っているだけにこれ以上は食い下がれなかった。
「そうしょげるなって。脅しはしたけど、話を聞く限り約一年安静にしていれば力は戻るはずだ。それまでは我慢しな」
しょんぼりする俺に、水羅は苦笑を浮かべるとカルテを机に置き、診察終了の判を押した。
「診察は以上だ。力が戻るまでは毎日来い、治療のしようはなくても、早く戻るように手は尽くしてやる」
「うん………ありがとう」
「ありがとうございました」
俺は麗華と一緒に頭を下げると、とぼとぼ歩き診察室を出ようと引き戸に手をかけた。
「なあ、力が戻ったらまた戦うのか?」
その時だった。
水羅さんがそんなことを訪ねて来たのは。
「ん?どうした急に」
引き戸を開けようした俺は振り返ると、水羅さんはまっすぐ俺を見ていた。
「ずっとこの国で暮らしてきた私には、戦争ってのをよく知らない。けどひと月前、テメエの大怪我を見た時、正直竦み上ったよ。私が同じ怪我をしたら、きっと外にすら出られないくらいに心が壊れていた。なのに、なんでテメエはまだ戦おうとするんだ?」
「……………………」
俺は水羅さんの目を見返した。
その目に浮かぶのは純粋な疑問。何も知らない幼子が親に尋ねるような素朴な問いだった。
「あれだけの目にあったのに、テメエは怖くないのか?」
「怖くないよ」
「なっ………」
水羅さんは俺が即答するとは思っていなかったのか、唖然としていた。
今日の水羅さんは色々と表情を変えるな。と、こんな時でも場違いな感想を抱いてしまう俺は自嘲気味に笑ってしまう。
「きっと、俺はまだ壊れたままなのかもしれないな。この国に来てもう三年も経つのに、平和に馴染みきれてない。常に次の戦いを考えてしまうよ」
「そうか。テメエは……」
俺の生い立ちを思い出したのか、申し訳なさそうな声を出す水羅さんに、俺は気にしないでと首を横に振った。
「別に戦いが好きなわけじゃないんだ。本音は麗華とこの国の人達みたいに平和に暮らしたいんだよ」
「和総さん………」
痛ましそうな目で見つめる麗華の肩に手を乗せながら「ただ……」と言葉を繋げた。
「国を一つ消えた程度で、この国が平和にならないのを俺は知っているだけだ」
「……………………っ」
水羅さんは声すら出せていなかった。カルチャーショックでも起こしたのだろうか。別世界の住人を見るような目がそれを物語っていた。
「だから必要ならまた戦うよ。なるべく水羅さんに迷惑をかけないようにするつもりだけど、怪我した時はよろしく頼むよ」
「あ、ああ悪かったな。変なことを聞いて」
「いいよ、気にしないで」
看護婦たちに注目されながら俺と麗華は今度こそ診察を後にするのだった。
和総達が診察室を出た後も水羅はしばらく動くことが出来なかった。
「矢田先生、そろそろ次の患者の診察をしませんと………」
「……………ああ、そうだな」
看護婦に遠慮がちの最速で、ようやく次の準備に入った。
カルテを読み直しながらも、頭の片隅では和総の放った一言が反響していた。
「あれが戦争を知る人間の重みか…………」
声を出ている自覚もなく、水羅は自分の仕事を全うすべく次の患者を呼んだ。




