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動き出す悪意⑧

「むぎゅ!」

 誰かとぶつかった栞奈は相手の胸板に顔を激突、バランスを崩した。カチャンとプラスチックのような軽い音が床を鳴らした。

「イッテテテ……」

 音を立てずゆっくり閉じていく扉の前で、倒された誰かは呻き声を上げていた。少し低めの青年の声だったが、顔を上げた栞奈の耳は扉の向こうへ傾けられており、聞いていなかった。

(音が近づいてこない………?助かったぁ)

 良かった―、と栞奈は一安心して吐息を零した。

 それを祝福するように、パッと天井から光が降り注いだ。

「停電が………直った?」

 たったの数分なのに、久しく光を浴びてなかった時のように涙が零れそうになった。窮地を脱した安堵もあるのか、その場でへたり込んでしまう。

「あれ?でも、非常口を出たのに、どうして電気が……………」

 てっきり外に出たと思っていた栞奈が首を捻り、周りを見渡した。

 何も無い空間だった。あるのは上へ繋がる階段と、今度こそ外に出られるであろう扉が一つだけ。

「そうか、非常階段……!」

 どうして非常口の先に非常階段があるのか素人の栞奈には知り得なかったが、そんなこと今はどうでも良かった。棚から牡丹餅とはこのことだった。

「これで、おじいちゃんのところに……………」

「あのーそろそろ、どいてもらってもいい?」

 ついに欲していたものに巡り合えたと感激していたら、下から苦しそうな声が発せられた。

「ん?」

 栞奈は横の階段から真下へ視線を移すと、両足でお腹を挟んでいた。世に言う馬乗りというやつをやっていた。

 ここでようやく、栞奈は誰かにぶつかって押し倒したのを思い出した。

「わあっ、ごめんなさい!」

 女の子座りで男のお腹に乗るという、はしたない体勢になっていた栞奈は顔を真っ赤にすると、飛び上がるようにして横にどいた。それが、更なる災いを呼んでしまう。

 パキッと割れた音が栞奈の下から鳴った。

「あ」

「…………………え?」

 起き上がる青年が間の抜けた声を出す横で、栞奈は顔を青くして恐る恐るお尻を上げると、砕け散ったレンズと折れたフレームの眼鏡がそこにはあった。

「ゴゴゴゴゴメンナサイ‼」

 度重なる粗相で栞奈は涙目で土下座した。稽古以外でしたのは初めてだった。

「気にしなくていいよ。また作ってもらえばいいから」

 相手はまったく気にしていないのか、あっけらかんとしていた。声からして栞奈とそう年が変わらなだが、栞奈は気にする余裕は無い。

「そういうわけにはいきません!弁償をさせてください!」

 ひたすら平伏の姿勢を続けるものだから青年は頭を掻いてしまう。

「そんなこと言われても、これ貰い物しな。弁償されても逆に困っちゃうよ」

「で、でもっ」

「それに、あまり大声を出して欲しくないんだ。『維新軍』に見つかると面倒だからさ」

「っ!」

 栞奈は慌てて口を閉じた。気が動転して忘れかけていたが、今やこの病院の敵の巣窟となりつつある。一度は危機を脱したからといって、二度と危険な目に遭わないという保障はない。

「すぅー、はぁーー」

 栞奈は目を閉じ、顔を上げると大きく深呼吸を行った。普段の稽古でもやっているおかげなのか、たった一回で気持ちが凪のように落ち着いた。

「落ち着いた?」

「はい、すみませんでした。その、混乱していたもの………で」

 青年に優しく問われ、栞奈はその後何度目かも分からない謝罪を口にした後、目を開けた。

 そういえばまだちゃんと顔を見ていなかったな、なんて思いながら。

「……………っ」

 そして、息が止まった。

「何度も言ってるけど気にしなくていいよ。あんな暗がりじゃ仕方ないし、俺も注意せずに開けたのも悪かったよ」

 青年が申し訳なさそうに謝っても栞奈の耳には入らず、魂が抜けてしまったかのように青年の顔から目が離せなかった。

 眼鏡を失ったその素顔から。

「えっと、大丈夫?」

「ふぇ⁉だ、大丈夫です‼あっ……」

 我に返った栞奈がまたしても大声を出してしまい、すぐに両手で口を塞いだ。

「っ?とりあえず、情報交換しない?今がどんな状況なのか分からなくてさ」

「は、はい…………」

 青年が不思議な顔をしながらも提案すると、羞恥で顔を赤くしながらも素直に頷いた。

「………………………」

 青年と向かい合った栞奈は、二の舞にならないよう慎重に彼の顔を覗いた。

 端的に言うと彼はイケメンだった。

 目鼻がはっきりと整った顔立ちに、モデルと名乗ってもうっかり信じてしまうスタイル。髪には整髪料等はつけていないようだが、それがかえって端正な彼の容姿に馴染んでいて違和感がない。

 あの戸沢幹也にも負けていないと。栞奈は思った。

 年頃ゆえ、ついつい見入ってしまう栞奈は雑念を振り払うように軽く首を振ると、手短にこれまでの経緯を話した。

「そうか。ロビーで人質を…………」

 青年は小難しい顔で腕を組んだ。自分が想像していたよりもは状況が悪かったみたいだ。

「正確な人数は分かりませんが、徘徊している分も合わせるとかなりの人数がいると思います。私も逃げるのが精一杯でした…………」

 栞奈が悔しそうに顔を歪ませると、青年は首を横に振った。

「第二部隊の副隊長を簡単に倒しちゃうような『亜人士』相手に逃げられただけでも十分凄いよ。もしかして君も『亜人士』だったり?」

「あっ、はい。と言っても”3桁”の『武装士』なので大したことはありませんけど………」

 自虐的に言う栞奈に、青年は不思議そうな顔をした。

「大したことないって。確かに”3桁”は高いとは言えないけど、全体から見れば決して弱いとは」

 青年が率直に言うと、今度は栞奈が首を横に振った。

「それじゃあ、ダメなんです」

「ダメ?」

「私はっ、もっと強くならないといけないんですっ」 

 栞奈は叫びたくなるような衝動を、拳を握ることで必死に抑え込んだ。話しているうちに、ロビーでの感情がぶり返して来てしまった。

 暗闇を歩いたり、人の眼鏡を壊してしまった時はそれどころではなかったが、栞奈の内にあるどす黒い感情は今も胸の中にいる。

 しかし、今の栞奈には満里奈と戦いった時のような『自信』はなかった。

「こんなんじゃ『維新軍』と戦いえない。あいつにも、勝てない…………」

 栞奈は心が折れたかのように膝を曲げ、その場にしゃがみこんでんだ。

 戦う前までの栞奈は『亜人士』の力があればどんな相手でも楽勝、とまではいかずとも負けない自信はあった。でも現実はそんな栞奈の全てを否定した。具体的には満里奈という格上の『武装士』に粉々に砕かれてしまった。

「一体どうすれば…………」 

 何より栞奈が絶望しているのは、これ以上鍛錬しても強くなれないと直感してしまったからだった。

 前から予感はしていた。最初の頃は鍛錬すればする程強くなるのを実感できていた。力も速度も、そして刀も切れ味も、劇的と言わないまでも増していった。だがその実感も、時が経つにつれ緩やかになり、一週間前からほぼなくなっいた。この先、同じ方法で鍛錬しても満里奈や英二のような高みには至れない。そんな確信にも似た直感が栞奈を絶望の鎖で絡めとってしまう。

 やり方を変えれば改善もできるだろうが、その方法が分かれば苦労しない。

「『維新軍』と戦うか……………」

 青年は腕を組んだまま独り言を呟いた。

「一つ聞きたいんだけど、『王国軍』に在籍は?」

「その、していません。その、訳ありで……」

「なるほど、だからか………」

「?」

 一人で納得する青年に、栞菜が訝しく思いながら立ち上がると、青年はこんな提案をしてきた。

「良かったらなんだけどさ。俺と一緒に行動しない?」

「えっ、一緒に?」

 目を剥くと栞奈に、青年は情けないとばかりに苦笑した。

「実は一緒に来た人とはぐれちゃってさ。探しに行きたいんだけど、生憎俺には『亜人士』と戦う力が無くて、思うように動けないんだ。だから、用心棒がいると凄く助かるんだよ。あっ、勿論行きたいところがあるならそちらを優先していいから」

「突然、そんなことを言われても………」

 当然、栞奈は戸惑った。やったことも無い用心棒をいきなりやれと言われても快諾できるわけもなかった。

 だけど、断ることも憚られた。

 本人も言っていたように、青年からは『亜人士』の力を少しも感じなかった。”1桁”でも力は漏れ出るものだが、青年にはそれが一切ない。普通の人間であることに栞奈は欠片も疑わなかった。

 それに、佇まいを見ても武術を修めているようには思えなかった。隙だらけで、『維新軍』に襲われたら受け身も碌に取れそうにない。

 そんな人間を見捨てて一人で行動するのは良心が痛む。だからと言って、自信を失った今の栞奈では安請け合いするのも抵抗があった。例え相手が満里奈や英二でなくとも勝てると断言することができなかった。

 う~んと悩む栞奈を知ってか知らずか、青年は笑みを浮かべて気楽に言う。

「そんなに難しく考えなくていいよ。用心棒って言っても俺の代わりに『維新軍』と戦ってくれればいいだけだから」

 だから軽い気持ちで引き受ければいい。と、青年は言いたいのだろうが、栞奈は困ったように眉を八の字に曲げた。

「それが難しいから困ってるんですけど………」

「えっ、そうなの?」

 何を勘違いしていたのか、青年はポカンとした顔になった。意外と天然なのかもしれない。

「それに戦うにしても、武器がないことには………」

「あっ、そうか『武装士』なんだっけ。そこは考えてなかった…………」

「えぇ………………」

 栞奈は思わず口に出してしまった。腕を組んで考えていた割に、中身は想像以上に杜撰だった。

「まずは武器を確保しないといけないのか。えーっと、そうなると」

(本当に大丈夫かな………………)

 うーむ、と考える青年に栞奈はだんだんと不安になってきた。ていうか、見た目と中身のギャップに頭が痛くなってきた。

「あの、そもそもなんですけど、武器の確保って出来るんですか?ここ病院ですよね?」

「それは大丈夫。ここは『要塞』も兼ねているから、いつでも『王国軍』が駐屯できるように武器庫になってる部屋がいくつかあるんだよ」

「ああ、そうか。『要塞病院』ですもんね」

 考えてみれば当然の話だった。生まれてこの方、この病院を要塞として利用したことが無かったからすっかりそのことを失念していた。

「でも、その場所がここからだと結構離れてるんだよなぁ。病院の端だから仕方ないんだけど」

「えっ、武器庫の場所を把握しているんですか?」 

 栞奈が瞠目すると、青年はそんな反応するとは思わなかったのか、戸惑いながらも頷いた。

「う、うんそうだけど、それがどうかした?」

「どうしたも何も…………」

 青年は何でそんなに面食らっているのか分かっていないようだが、栞奈の反応は正しい。普通、一般の人が武器庫の場所を把握しているはずがないのだ。しているとしたら病院の関係者か、警備を任されている『王国軍』のどちらかだ。会話から前者の関係者という線は薄そうだからあり得るのは後者だ。『亜人士』でなくても、補給や衛生兵などで『王国軍』には所属できるはずだ。だが、

(非戦闘員が武器庫の場所を把握する必要あるのかな?)

 そういう事情もあるのかもしれないが、栞奈には『王国軍』の事情を知らない。

 尋ねずにはいられなかった。

「あの、あなたは……………」

 しかし、それは途中で遮られてしまった。

「そこで何をしている?」

「「っ‼」」

 栞奈が青年と同時に上を見上げると、地味な軍服を着た男が階段上の踊り場に立っていた。

(『維新軍』⁈)

 栞奈は瞬時に左腰に手を当てるが、刀を落としたのだと思い出し歯噛みした。

「まだ捕まっていない奴がいたか。お前たちに恨みは無いが、我々と一緒に来てもらう」

 男はそう言うなり、自らの耳を鋭く尖らせた。抵抗すれば容赦しないという無言の圧力だ。

 強さだけなら栞奈と大して変わらないが、武器を持っていない栞奈では倒すのは厳しいだろう。万全でなければ互角とは言い難い。一人だけだったら、それでも応戦しただろうが、今は隣に戦えない人がいる。その人を危険に晒してまで衝動の言いなりになることはできなかった。

(ここは、逃げるしか…………)

 栞奈は即決すると、青年の手を握って、さっき使った扉へ駆け込もうとした。

 だが、それを簡単に許すはずもなく、

「無駄だ」

 男は栞奈が手にかけようとするよりも早く、扉全体が氷漬けにされてしまった。

「そんなっ!」

 栞奈はドアノブを握り無理やりこじ開けようとするがビクともしない。内部まで凍りついてしまったみたいだ。

「諦めろ。ここから逃げられたとしても他の味方に見つかるだけだ。捕まるのが早いか遅いかの違いでしかない」

「くっ!」

 圧倒的優位から見下ろす男を、栞奈は悔し気に睨みつけるしかなった。

 逃げ道を塞がれた以上、戦うしかない。防御手段を持たない栞奈では、あの氷をまともに食らえば一巻の終わりだろうが、一切の抵抗もせず蹂躙されるのは栞奈の矜持が許さなかった。

(せめて、この人だけでも)

 栞奈は、一瞬横にいる青年を自分の後ろへ引っ張ると、階段上にいる敵へいつでも飛び出せるように腰を落とした。

「無駄な抵抗を…………」

 こちらを睨みつけてくる栞奈に、男は大げさにため息をこぼした。手間が増えたことを嘆くように。

「見たところ戦えるのは一人だけのようだな。後ろに隠れているのはただの人間の、よう……だが」

 男は後ろの青年に視線をずらすと、その瞬間に表情が固まった。

「?」

 栞奈は訝しく思っていると、男は顔を俯かせ、肩を震わせた。

「ふっあはははははははぁ!」

 そして、大きく口を開けて笑い出した。

「その顔。そうか、そこにいたのか!何という幸運だっ!これで満里奈様にお褒めいただける!」

「何を、言っているの?」

「その様子だと、お前はそいつの仲間ではないみたいだな。我々はその男を捕らえるためにこの病院を占拠したのだ。最大の脅威である我らの『敵』を!」

「え?」

 栞奈の表情が固まった。その話を聞いたのは初めてではなかった。

 あの時、ロビーで確かに満里奈も言っていた。リスクを冒してまで『要塞病院』へ来た理由を。『維新軍』にとっての脅威を排除するために占拠したのだと。

 たった一人の『亜人士』を捕らえることで

「そうだろ。なあ、入江和総‼」

「っ!」

 やはり、と栞奈は後ろの青年へ振り向いた。

 青年は目を見開いて、目元に手をやると、眼鏡が無いことを思い出したのか顔を青ざめさせていた。

 その反応が、『維新軍』の言葉が嘘でないことを証明していた。

 これが、入江和差と橋口栞奈の出会いだった。

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