動き出す悪意⑥
ブツン、と室内の灯りが一斉に消えた。
「え?」
目を閉じていないのに真っ暗になる視界に、栞奈は訳が分からず周囲を見渡す。維新軍や人質、王国軍も同じなのか、動揺は声となり、室内は騒然となった。
「落ち着きなさい‼まずは明かりの確保を‼」
満里奈は大声で鎮めようとするが、人質たちの悲鳴でかき消されてしまい舌を弾いてしまう。
満里奈はどうにかして収拾をつけようと必死になり、栞奈から意識を外してしまう。
栞奈はその瞬間に活路を見出した。
(今なら逃げ出せるんじゃ!)
幸い非常口の場所を示す誘導灯だけは消えておらず、走る方向は見失わない。追われる可能性もあるだろうが、今を逃したらもう逃げられない。一か八か、やる価値はある。
「………………っ!」
栞奈は全身に力を込めると、緑光の矢印を頼りに全力で駆けだした。
「あっ、待ちなさい!」
力を感じた満里奈が止めようとしたが、栞奈はすでに通路の奥へ姿を消してしまった。今すぐ追いかければ捕まえられるだろうが、この場を放っておくことは出来ない。後ろ髪を引かれながらも満里奈は優先順位を間違えなかった。
それから十数分が経ち、騒ぎが落ち着いてきた頃に灯りが復旧した。
「何だったのかしら…………」
不自然な時間を体験した満里奈はとりあえず情報を集めようとするが、狼狽える看護婦たちを見て早々に諦めた。
「満里奈様!」
すると、さっき撤退の準備へ行ったはずの側近が血相を変えて戻ってきた。
「どうしたの?何か問題でも」
「シャッターが開きません!」
「……何ですって?」
これには満里奈も眉を寄せざるを得なかった。
「停電による不具合なのか、こちらの操作に反応しません」
「手動でも開けられないの?」
「ロックがかかっているので難しいかと。しかもここは『亜人士』の襲撃を想定しているのか頑丈な造りで、数人がかりでもビクともせず……」
「つまり、入江和総を閉じ込めるための使ったシャッターに今度は私達が閉じ込められたというわけね。何だか裏切られた気分だわ」
満里奈は固く閉ざす黒い防壁を睨む。無機物に当たっても仕方ないが、せっかくの戦勝気分を台無しにされてはどうしても苛立ってしまう。
「こりゃ相当頑丈だ。流石の俺でも簡単には開けられそうにねえな」
英二もシャッターを触れるなり、首を横に振る。その事実に満里奈の部下たちは顔を青くする。
「時間をかければこじ開けることは出来るだろうが、それまで外の連中が堪えられる保証はねえぞ」
「そうですね。それに、破壊するのは今後の計画に支障をきたします。困りましたね………」
満里奈は、細い指を顎に添えた。
今の優位はそう長くは続かない。不自然にシャッターが下ろされているのを目撃した外の誰かが、『王国軍』に通報しない訳がないからだ。病院を包囲なんてされてしまえば、いくら『維新軍』といえども逃げるのは困難だ。一応外にいる味方に時間稼ぎをしてもらってはいるが、それも永遠ではない。早急に逃げる手段を講じなければ、ここにいる全員が詰んでしまう。
「あの、援軍を呼ぶと言うのは…………」
一人の部下が小さく手を上げながらそんな提案を口をした。が、満里奈はその部下へ失望したような目を向けてしまう。
「馬鹿ね。同盟国との合流も入江和総を消すこともできていないのに、全面戦争の火ぶたを切るような判断を上がするわけがないでしょう?負けるリスクを背負うくらいなら、斬り捨てる方を選ぶわよ」
「そ、それは…………」
部下は言葉を詰まらせた。彼だって本当は分かっていた。負ければすべてを失ってしまうという事を。
今日まで綿密に立てきた計画が全て水泡に帰してしまうだけではない。どんな大義名分を掲げようと『維新軍』はテロリストだ。負ければ良くて解体、最悪粛清されるかもしれない。そういう戦いを彼らはしているのだ。
それでも言わずにはいられなかった。このまま『王国軍』に捕まる時まで待つなんて耐えられなかった。
「ですがっ!こちらには人質が!」
「それも、この状況では大した役には立たないでしょうね。上が動いてくれきゃ時間稼ぎくらいにしかないわ。詰むのが少し遅くなるだけよ」
「そんな…………」
部下は絶望で、その場に崩れ落ちた。
ざわッ、と再びロビーが騒つきだした。絶望する維新軍と希望に湧く第二部隊と見舞客が混ざり、停電した時に迫る声量まで高まってしまう。これではちょっとやそっとの声はかき消され、ろくな指示が送れない。
ガンッ‼︎。
「「「「「「「っ」」」」」」」
不意に床を叩きつける轟音で、ロビーは静まり返った。
「落ち着きなさい。この程度で狼狽えるんじゃないわよ」
部下達が声する方を恐る恐る振り向くと、刀を納めた鞘の石突で床を砕いた満里奈がこちらを賤視していた。
「まだ負けたわけでもない、せいぜい戦況が不利になっただけ。なのに、どうしてもう諦めた顔をしているの?そういうのは全ての手を尽くしてからでも遅くないはずよ。いつから『維新軍』はそんなに情けない組織になったのかしら」
満里奈は捲し立てるようにして檄を飛ばした。折れた心を叩き上げるために。
「「「「「「「………」」」」」」」
しかし、部下達を立ち直らせるには至らなかった。喝を入れられても状況は変わらない。そう言わんばかりに項垂れてしまう。例外はベンチに寄りかかり暇そうにあくびをする英二と、満里奈の斜め後ろで空気のように佇む側近だけだった。
(これだから長い物に巻かれる愚物は)
誰もこちらを見ていない部下達に満里奈は舌打ちをしそうなくらい顔を顰めた。
『維新軍』も一枚岩ではない。王国を変えたい、より良い国に作り直したいなどと崇高な目的を持っている者もいれば、ここにいる者達のように勝ち馬に乗っただけの者もいる。
そういう者達は総じて逆境を乗り越えようとする力が弱い。強い方へ味方につき、安易に勝利の甘い蜜を啜ろうとする彼らは、少し負けそうになるだけでもすぐに屈してしまう。
このまま王国軍に病院を包囲されれば簡単に降伏してしまうだろう。それが容易に想像できてしまうくらいに彼らは脆弱だった。
(とんだ貧乏くじを引かされてしまったわね。作戦とはいえ、こういう人を見ると虫唾が走るわ)
もっと優秀な部下を連れて行きたかったと、満里奈は嘆息してしまう。
(仕方ない。予定より早いけど、最後の手段を使いましょう)
満里奈はそう決めると、息を吸い。つむじを見せてくる部下達へ口を開いた。
「思い出しなさい」
「「「「「「っ!!!」」」」」」
その瞬間、部下達の肩が大きく跳ねた。
その様は何かのスイッチを入れたかのようだった。
「あなた達は何故『維新軍』に入ったのか。どうして私達は国と敵対しているのか。それさえ忘れなければこんな所で絶望している場合じゃないはずよ」
「「「「「「…………」」」」」」
満里奈は滔々と『維新軍』の在り方について語った。
それは初心を取り戻す言葉だった。つい忘れがちな初心を思い出すことは士気を取り戻すきっかけとなる。困難な時ほど効果的だ。
だが、その言葉が彼らに届くとはずがなかった。大した動機も無い、長い物に巻かれただけの者達の初心なんてたかが知れている。
「「「「「「…………っ」」」」」」
そのはずなのに、部下達の目つきは変わり始めた。
何かのスイッチを押したかのように一人、また一人と『維新軍』は顔を上がる。
顔を上げ、ぎらついた目で満里奈の顔を真っ直ぐ射抜いた。
もう、絶望に怯える者はどこにもいなかった。使命に燃える『兵士』のみが立っていた。
そのあまりの変わりように、他の者達に怖気が走った。
「なんだ………これは」
無意識なのか、第二部隊の一人がポツリと呟いた。突然人が変わったように落ち着きを取り戻した『維新軍』に狂気すら感じた。
(ふふ、こういう時『催眠』って便利よねえ。簡単に操り人形が作れるんだから。彼女様々だわ)
麻里奈は真面目な顔を保ちながら心の中で嗤った。それが狂気の『兵士』に変えたカラクリだった。一定の地位にいない者達には、鞘を床にたたきつけた後に「思い出せ」の合図で発動する『催眠』がかけられていたのだ。あまり乱用をするなと、かけた本人には言われていたが、背に腹は変えられなかった。
「では、班を二つに分けるわよ。一班はここの守りを、二班は院内を見回ってきなさい。我々以外の人間がまだ残っていたなら問答無用で捕まえてここまで連れてきなさい」
「「「「「「はっ!」」」」」」
満里奈は手早く指示を出すと、部下たちはいっせいに行動を開始した。
(これで、役立たずの処理はなんとかできたわね。あとはこの停電をしでかしてくれた者の正体が分かれば言う事無しなんだけど…)
満里奈は天井を見上げると純白に光る蛍光灯を睨む。
「俺は暫く寝る。敵が来たら教えてくれや」
ロビーの長椅子でのんきに寝息を立てはじめる英二を相手にせず満里奈は思考の海に沈んだ。
(偶然にしてはタイミングが良すぎるから、この停電が人為的なものなのは間違いない。でもこんな事が出来る人間なんて……)
目的は当然、援軍が来るまでの足止めだろう。だが医療器具は電気を使うものが多く、電気の管理は厳重にしているはずだ。院長クラスの権限がなければ停電させるのは不可能だ。
それなら犯人は院長で話は済むが、満里奈は釈然としない。敵に占拠されてすぐ足止めをしようという判断を院長がしたとは考えにくい。こういった経験、もしくは相応の訓練を積んでいなければできない判断だ。
となれば、他にも王国軍人がこの病院に潜んでいることになる。
(第二部隊の残党だけならまだ良いけど、他の部隊までいたら厄介だわ)
満里奈は英二と別の椅子で眠る人質へ視線を落とすと、誰にも聞こえない声で呟いた。
「まさか………ね」
そんなはずはない。そう自分に言い聞かせても胸騒ぎは治まってはくれなかった。事態が変わりつつあるのをいやでも感じ取ってしまった。
「やっぱり、出し惜しみはすべきではないわね」
その予感に従い、満里奈は側近からタブレットを受け取ると手短にメッセージを送った。
真の奥の手を使うために。