動き出す悪意⑤
(何、この力…………)
それは本能からの警報だった。満里奈や真鍋よりも高次にいる気配が背後から近づいて来るのを肌で感じた。すぐにでも逃げろと脳が訴えているのに、足が根を張ったように動かない。
それは真鍋も同じなのか、夥しい量の汗を流してその場に縫い付けられている。
気配の主は抜身の刀を肩に担ぎながら石像になる栞奈を悠然と追い越した。
「おいおい。何だよあっさり捕まっちまって、情けない妹だなぁ」
気配とは反対に、声は軽薄だった。
妹と呼ぶという事は満里奈の兄なのだろう。服も和服であることからもそれが窺える。しかし、満里奈と違って着流しのせいか、侍というよりは浪人に近い。見た目だけなら満里奈より下の身分にしか見えないが、実際はその逆であることは疑いようもなかった。
その事実を裏付けるように満里奈の口調が変わった。
「英二お兄様、良い所へいらしました。少々不測の事態に陥りまして、ご助力を願えますか?」
「助力だぁ?ぷっ、あっはっはっは何だよ!その程度の雑魚一人にてこずってんのかよっ!」
捕まった妹を見るなり、英二は子供のように笑い出した。かなり腹の立つ言い方だが、満里奈に苛立つ様子はなかった。
「力不足で申し訳ありません。お強いお兄様がいなければ殺されていたところでした。『強者』の妹になれて、私は幸運の限りです」
むしろ笑顔を絶やさず、不自然なくらいに英二をおだて倒した。『強者』を強調させていたのが印象的だった。
栞奈は少し露骨過ぎるのではないかと思ったが、英二はあっさりと調子に乗った。
「ふふん、そうだろう、そうだろう!俺にかかれば『王国軍』なんて怖れるに足らずってな!」
「…………………」
かぁーっかっかっ!と高笑いをする英二の見えないところで、満里奈が一瞬だけほくそ笑んだのを栞奈は見逃さなかった。妹という立場を利用した腹黒さに栞奈はジト目が止められなかった。
「その通りですわ。なのでここは一つ哀れな妹を助けて頂けないでしょうか」
「しゃーねーなぁ」
満更でもなさそうに頭を掻くと、満里奈の後ろにいる真鍋へ視線をやった。
「ふ~ん”5桁”、『王国軍』の副隊長ってところか。俺は余裕でもお前じゃそいつの相手は厳しいか。10回やれば3,4回は勝てるだろうけど」
「……っ」
真鍋は微かに目を細めた。
英二は見ただけで正確に力量を見抜いてみせた。軽薄なお調子者に見えて、『亜人士』を見抜く目は一級品だと認めざるを得ない。
「んじゃ、さくっと助けてやりますか」
完全に気を良くした英二は行動を起こすべく、肩に担いだまま歩き出そうとした。
「悪いが、そうはさせない」
真鍋は自分の体を隠すように満里奈を引き寄せて、英二を牽制するように爪を煌めかせた。
「いくら私が弱くとも、貴様より先にこいつの喉を突き刺すことくらいはできる。妹が殺されたくなければその場を動かず武器を捨てろ」
雑魚呼ばわりされたことをチクリと刺しつつ、真鍋は脅した。
「へえ、副隊長にも活きの良いのがいるんだな。満里奈より強いだけはあるみたいだ」
英二は面白そうに目を細めると戦意を失わない真鍋に賛辞を送った。
そして、真鍋以外の第二部隊員に視線を送った。
「「「「「「っ!!」」」」」」」
第二部隊員達はビクッ!と肩を跳ねさせた。実は英二が現れてから初めてして見せた動作だった。
それまでは放心したままその場で立ち尽くしていた。圧倒的格差を前にした時に良く起こる現象だ。栞奈が満里奈に屈した時の軽傷版だと考えれば分かりやすいだろうか。満里奈は『武装士』の力を放っていたが、英二は自然体でそれをやってのけた。まさに人災と呼べる存在だ。
真鍋はまだ戦意を維持できているが、余裕は欠片もない。
兄妹が会話していた時に、真鍋は隙を見て部下に英二の測定を指示していた。いかなる状況でも上官の指示を逃さないよう訓練していた部下は考えるより先に測定器を英二へ向けた。ビデオカメラの見た目通り、レンズに対象の人物を収めるだけで測定される。一秒未満で測定が完了すると、震える部下の手が見せる数値を真鍋は目で追った。
英二 104900
「………………」
この時、真鍋は表情を変えなかった自分を褒めたかったに違いない。覚悟していたとはいえ、”5桁”に続いて”6桁”まで現れるのは流石に堪えた。満里奈の時と比べ『亜人値』の差が小さくとも、桁が変わるだけで実力差は隔絶としたものになる。優位だった戦況が、桁という壁のせいで今や風前の灯となってしまった。
(我らの隊長がいないのが悔やまれるな………)
こちらを薄ら笑う英二を睨みつけながら真鍋はつい無い物ねだりをしてしまう。戸沢幹也でも分かる通り、”6桁”は王国軍では部隊長クラスだ。幹也に次ぐ実力を持つ彼女がいれば、戦況はもっと違ったものになっていたはずだ。
(外と遮断されては援軍も期待できない……か。となると、この人質が我々の命綱だな。1対2という状況だけは防がねば)
だからと言ってすぐ諦めるのは真鍋の矜持が許さない。一つでも希望が残っている限り戦い抜かなければ『王国軍』の名折れだと闘志を燃やした。
「どうした、早く刀を捨てろ。妹がどうなってもいいのか?」
英二は斬らない程度に爪を首に当てると、自分が有利になるよう命令した。武器が無ければ『武装士』は力を発揮できない。そうすれば、こちらに危害を加えられる心配は格段に減ると考えた。
「は?なんで?」
ところが、英二は刀を捨てたりはせず、峰で肩を叩くだけだった。
ヘラヘラを笑い、明らかにこちらを舐めた態度を取る英二に、真鍋は露骨に眉を顰めた。
「言っておくが、その刀を少しでも光らせたら、その時点でこの首を跳ねるぞ。いくら格上でも武器を強化しなければ私を傷つけるのは難しいぞ?それとも、妹が死んでも構わないと思っているのか?」
「そんなことはねえよ。唯一血の繋がった家族だ。死なせたくないのが人情だろ?」
「ならなぜ刀を捨てない?私が人を殺せない臆病者とか思っているのなら今すぐ実行してもいいんだぞ」
「そうは思ってねえよ。目を見ればお前が殺しに躊躇がないのは分かる。刀を捨てないのはな、捨てても意味が無いからだ」
「なに?どういうことだ」
「こういうことだ」
真鍋は眉を寄せると、英二は肩を叩いていた刀を初めて下ろした。
(攻撃!来る‼)
真鍋は瞬時に警戒し、いつでも腕を動かせるように意識を集中させた。
のだがその直後、
ボトッと落ちる音が足元から鳴った。
「………………え」
真鍋は最初、足元を落ちている『それ』が何なのか理解が追いつかなかった。
軍服に包まれている『獣の腕』から赤黒い液体が流れ出ているのを、ただただ眺める事しかできなかった。
そのまま思考停止していられたら幸せだったかもしれない。しかし、頭が働いていなくても違和感には気付くようで、真鍋はやけに軽くなった体の部分へ無意識に視線を向けてしまう。肘から先がなくなった自分の右腕へ。
「……………………………ぁ」
全てを理解した代償は、激痛だった。
「ぐ、ああああああああああああああああああああああああああああ!」
「副隊長!」
「おっと、それ以上は行かせないわよ」
腕を抑えて狂ったように叫ぶ真鍋に部下たちは駆けつけようとするが、その前に満里奈が立ちはだかったせいで止まってしまう。
栞奈は混乱の極致にいた。
(なに………今の。何が起こったの⁈)
栞奈の目からは英二が刀を下ろしたのと同時に真鍋の腕が床に落ちた見えた。まるで、遠くから斬ったかのように。
(そんなことが『武装士』にできるの?でも、武器は光っていなかったし、ただ刀を下ろしただけで腕が
斬り落とせるはずが…………)
明らかに『武装士』の力ではない。
そう思った栞奈は英二の方を振り向き、その目を大きく見開いた。
英二の耳がいつの間にか細く尖っていたのだ。
「平和の中にいるのも考え物だよな」
英二は刀を担ぎなおしながら勝ち誇るように真鍋を見下ろした。
「刀を持っていた時点で『武装士』だと思い込むなんざ、実戦経験が足りない証拠だぜ。『王国軍』でも近接武器を使って戦う『天創士』がいることくらいは知っているだろ。まぁ、こんな長柄の刀を使うのは俺くらいかもしれないけどな」
「………っ」
真鍋は激痛のあまり声も出せず、脂汗にまみれた英二を見上げることしかできなかった。
「お兄様の偽装が上手過ぎたせいですよ。腕を斬る直前まで耳を変化させないなんて、誰でもできるものではありませんから。腕だけを切り取る技術も見事でした」
「これくらいできないと戦場では命がいくつあっても足りないからな。おかげでお前も助かっただろ?」
「ええ、感謝いたしますわ」
着物の袖を口に当て上品に笑う満里奈は自分の折れた刀を拾い上げると、お返しとばかりに真鍋の首に添える。
「これは人質が追加されたと考えるべきなのかしらね。第二部隊の全員は武装を解除しなさい。さもないと、私が止めを刺しちゃうわよ?」
「「「「「っ」」」」」
従うしかない部下達は一斉に武装を解除し、屈辱に歯を食いしばりながら『維新軍』によって縄で縛られていく。
「素直に従ってお利口だわ。ご褒美にこの副隊長は生かしておいてあげる。体が丈夫な『獣士』でもこれ以上血を流したら死んじゃうから、治療お願いできる?」
「は、はい!」
惨劇を目の当たりにして怯える受付の看護婦が震える手で応急処置を施す。
「これで入江和総の捜索へ当たれるわね。何か手掛かりがないか探しなさい」
「それならばすでに済ませております。受付で顧客名簿を見つけましたので、ひと月前までの入退院の記録を洗いました」
答えたのはいつの間に近くに控えていた部下からだった。側近なのか、恭しい態度が妙に様になっていた。部下というより執事に近い印象だった。
「結果は?」
満里奈は労わずに先を促すと、側近は途端に歯切れを悪くしてしまう。
「それが……記録の中に入江和総の名はありませんでした」
「無かった?入院している病院はここじゃなかったの?」
「いえ、それは無いかと。奴の怪我は半端な医療施設では治療できないはずなので、おそらくは狙われることを見越して意図的に記録に残していないのではないかと……」
「そう、厄介ね」
満里奈は忌々しそうに眉を寄せた。王国最大なだけあって病院内は広大だ。手当たり次第に探すのは酷く効率が悪い。
「ねえ、あなたは何か知らないの?」
真鍋に応急処置を施す看護婦に尋ねるが、看護婦は真っ青な顔を横に振る。
「そ、その。それに関しては私達にも秘匿されているんです。主治医と一部の看護婦は知っているみたいですが、それが誰なのかも私には………」
「ふーん、徹底しているのね。でもあなた最初、関係者しか居場所を教えられないとか、知っているような事を言ってなかった?」
「関係者は事前に居場所を教えられているので、手続きだけでいいようになっているんです。だから場所を尋ねてくる人は断るようにという指示しか受けていなくて」
「そういうこと……、賢いわね」
満里奈は眉間の皺を深くした。これでは探す手掛かりがまるでない。
「どういたしますか満里奈様。捜索は継続させていますが、あまり時間をかけては『王国軍』に包囲されるリスクが……」
「そうねぇ。虱潰しで探すにはここは広すぎるわ。シャッターで閉じ込めたとはいえ時間が圧倒的に足りない。撤退すべきなのでしょうけど…………」
満里奈は決めかねていた。逃げるなら『王国軍』が駆けつける前に動くべきだが、成果を上げずにすごすごと帰るわけにもいかない。満里奈も『維新軍』での立場というものがあり、失敗したなんて醜態を簡単には晒すわけにはいかなかった。
せめて代わりになる成果があれば別だが……。
「一応こちらには第二部隊を含む人質がいるけど、『王国軍』を大人しくさせるには少し弱いわね。もっと強力な人質がいれば安心できるんだけど………」
どうにかならないかと思案していると、暇をしていた英二が近づいてきた。
「なんだ、人質が欲しいのか?だったら丁度いいのがいるぜ」
「丁度良い?そんなものがどこにいるのですか?」
首を捻る満里奈に英二は「おい」と声を上げると、女性の部下が一人の女性を抱えて現れた。
「これ、使えるだろ」
運ばれた女性を親指で指しながら英二は言った。
「これは…………」
満里奈はそれを見て驚くと、ニヤリと笑った。勝利を確信した笑みだった。
気を失っているが、妙齢に近づきつつある女神のように整った美貌に、腰まで伸びた艶やかな黒髪は見間違いようが無かった。満里奈はそれが誰だか知っていた。
「ふふふ、考えてみれば入江和総がいるなら、いてもおかしくないわね。どこでこんな大物を捕らえましたの?」
「散歩してたら偶然な。碌な護衛もいなかったから、アホみたいに楽勝だったわ」
「お忍びでお見舞いに来ていたって所でしょうね。棚から牡丹餅とはこの事だわ」
艶やかな黒髪をどけ、端正な顔を覗き込み確認すると踵を返した。
「どういたしますか。満里奈様」
そして、指示を仰ぐ側近に言い放った。
「撤収するわよ」
「撤収、ですか?」
戸惑う側近から背を向けながら満里奈は言った。
「もう探す必要は無くなったのよ。彼女さえいればいくらでも交渉ができるから」
「この方が、ですか?」
側近は半信半疑を目で眠る美女を見下ろしてしまう。
「何者なのですか?美しくはありますが……」
「王国にとってはかなりの重要人物なのよ。入江和総には特にね」
「………………………」
側近はまだ納得できていなかったが、満里奈の命令は絶対だ。言いたいことを押し殺し、側近は粛々と従った。
「かしこまりました。では、すぐに撤収の準備を致します。外の様子を確認しますので少々お待ちください」
「それでいいわ。王国軍はまだ来ないだろうけど、注意しなさい」
「了解しました」
満里奈の部下達は迅速に行動を始めた。一糸乱れぬその動きは軍と呼ぶにふさわしく、『王国軍』と遜色なかった。
「さ、あなたも一緒に来てもらうわよ。お嬢さん」
一通りの指示を出した満里奈は喜びの余韻に浸りながらも、栞奈の存在を忘れていなかった。
「………………」
冷や汗をかく栞奈はどうにか活路は無いか模索するが、背後に『亜人士』の部下が数人、その先には英二までいる。抵抗はおろか逃亡すら許されない鉄壁の守りだ。仮に手元に刀があったとしても事態は何ら変わらない。
「下手に抵抗されると面倒だから眠ってもらうわね。大丈夫、私が優しく運んであげるから」
満里奈は手刀を作ると艶っぽく笑う。
次の瞬間には背後に回られ、意識を刈り取られてしまうだろう。避ける事も防ぐことも出来ないのは十分過ぎるくらい思い知っている。
(私にもっと力があれば………)
栞奈は運命を受け入れるしか無い現実に涙が出そうになった。足掻いてもどうにもならないことが、こんなにも悔しいとは知らなかった。
満里奈が手を挙げ、一歩を踏み出そうとした。
その時だった。