動き出す悪意④
「…………………は?」
栞奈は目が点になり、頭の全てが真っ白に塗り潰されてしまった。
そうなるのも仕方がなかった。真面目な顔で語るには、あまりにも現実味が無さすぎた。
「く、国を……一人で?本当に?」
「嘘だと言って欲しかったかしら?それはむしろ私達のセリフね。そうでなければこんなリスクを負う必要なかったもの。現地で目撃証言があったし、少なくとも入江和総が暴れていたのは間違いないわ。私達も大概だけど、どこにでも狂った人間はいるものね」
満里奈は呆れたように肩を竦めた。どんな理由があろうとも国相手に一人で戦争だなんて狂気の沙汰だ。余程の自信過剰か、現実が見えていない愚か者のどちらかしかやろうとすら思わない。
「一人で国を滅ぼすなんて……そんなことって可能なの?いくら『亜人士』が強いからって………」
栞奈はどんなに考えても信じることはできなかった。満里奈がさっき言った通り『亜人士』はこの世界のどこにでもいるのだ。個の力がどんなに強くても、集団ましてや国家規模の戦力を相手にまともな戦いになれるとは思えなかった。
だが、満里奈の返答は予想外のものだった。
「可能か不可能かで言ったら、不可能ではないわね」
「え?」
不可能と即答すると思っていた栞奈は呆然としてしまった。
「『亜人士』との戦闘経験が殆ど無いあなたでは、しっくりこないのも当然ね。でも、『亜人士』の戦いって単純な戦力だけで勝敗が決まるとは限らないのよ。相性や地形、戦い方などでいくらでも『まさか』は起こるものよ。実際にそれを成し遂げたって前例もあるみたいだし」
「ぜ、前例って、一人で国を滅ぼした人が他にいるの⁈」
「過去に何人かいるそうよ。うちの同盟国に、初代国王がそれを成し遂げて今の国ができたって聞いたことあるし」
「へぇ……………」
栞奈は満里奈が状況を忘れ、感嘆の声を漏らしてしまった。ずっと鍛えることしかしてこなかったせいか、『亜人士』の世界がいかに広いかなど考えたこともなかった。
そんな栞奈の反応が嬉しかったのか、気分を良くする満里奈はどんどん饒舌になっていった。
「まあ、そう簡単に起こるわけではないから、結局強さは妥協できないのだけどね。相手が国なら、尚更半端な力ではどんなに策を弄したとしても無理でしょう。あの戸沢幹也でも天文学的数字で成功率を捻りだせたら奇跡のはずよ」
「第一部隊の隊長でさえも…………」
栞奈は途方もない長い道を幻視してしまった。
最初から分かっていたつもりだったが、いざ具体例を出されると、いかに馬鹿げた偉業なのかが浮き彫りになってしまう。
『王国軍』の最強戦力である戸沢幹也でさえ奇跡を起しても出来やしないなんて、一体どれくらい強かったらそんなことができるのだろうか。
「なら、入江和総って人は戸沢幹也より強いってこと?そんな人がいるなんて聞いた事無いけど…………」
一番の疑問はそこだった。
戸沢幹也より強い『亜人士』なら知名度が高くなければおかしい。隠す必要が無いからだ。
強い『亜人士』というのは、存在するだけで他国には牽制となり、自国に住む人たちには安心材料となる。日本王国としてもそんな『亜人士』がいるのなら『守りの象徴』として祭り上げたいはずだ。
「それはそうでしょうね」
そんな疑問に満里奈は肩を竦めながら答えた。
「彼が戸沢幹也みたいに取りざたされることは無いはずよ」
「何で、そんなことが言えるの?」
「部下が集めた情報によると、入江和総の亜人値は”4桁”程度しかないそうだから」
「よ、”4桁”⁈」
大声が病院内に響き渡った。覚えたての知識が、満里奈の言った事の異常さを教えてくる。
「”4桁”ってことは……………」
自己申告だが、満里奈の亜人値は”5桁”だと言っていた。つまり………………
「情報が本当なら私より弱いってことになるわね。『王国軍』の基準に当てはめるなら、中隊長クラスかしら。国どころか一部隊を相手にさえ、どうこう出来るレベルではないわ」
「じゃあ、どうやって…………」
まるで難解な謎を解いている気分だった。低い桁で国相手に勝つ方法なんてあるのだろうか。
満里奈は疲れたように首を横に振った。
「正直私も完全に信じているわけではないわ。けど、”4桁”という情報が嘘ではないとして、考えられる推測は3つ。入江和総の情報が少ないせいで、確信が持てないものばかりだけど」
「その推測というのは?」
栞奈が尋ねると、満里奈はピンッと人差し指を突き上げた。
「まず一つ、実は一人じゃなくて影で協力していた組織、もしくは国があった。滅ぼされたあの国は常に戦争していたから、その敵勢力と手を組んで攻め落としたというのが一番無難な推理ね。でも、たかが一個人に協力してくれる所があるとは思えないし、大軍が攻め込んだ形跡が無かったのが妙なのよね。巧妙に隠したと言われたらそれまでなんだけど、大規模の証拠を丁寧に消す意味があるのかは疑問ね」
強引な推理だわと呟くと、人差し指に続くように中指を伸ばし、ピースの形を作った。
「次に二つ、この世界のどこかに『亜人士』の力を底上げする手段、もしくは技術がある。私達もこの世界の全てを把握できていないから、無いと決めつけることができないって程度のただの妄想だけどね」
いい年して恥ずかしいわと自嘲すると、最後に薬指を伸ばした。
「そして三つ、実は入江和総が『異端士』だった………これが一番マシな推測かしらね」
「『異端士』?それも『亜人士』なの?」
栞奈は目を瞬かせた。
『武装士』『獣士』『天創士』の3つしか聞いた事が無かった栞奈には聞きたことがない単語だった。
「どの系統にも属さない、特殊な能力を持った『亜人士』を総称してそう呼ぶのよ。数が圧倒的に少ないからあまり知られていないけどね。『維新軍』でも把握しているのは10人もいないわ」
「特殊な能力………確かにそれがあれば………」
いけるのかもしれない。と、栞奈は即座にそう思った。
頭の中に思い浮かべるのは、少年漫画の主人公だった。栞奈は漫画やアニメを嗜まないが、弟がそういう漫画が好きだったので知ってはいた。フィクションと同列に語るつもりは無いが、桁が低い『亜人士』が国を滅ぼすには、きっと誰も持っていない『異端の能力』なのだろう。
「あれ?でも、そんな力があれば尚更国が放っておかないんじゃ………」
「もしくはあえて隠しているのか、ね。国を滅ぼせる能力なんて核兵器と変わらないし、そんな人間が同じ社会の中で暮らしているなんて普通の人には恐怖でしかないわ」
「確かに……………」
栞奈はすぐに納得した。強すぎる力は、持たざる者からすれば恐怖の対象でしかない。核兵器が街中を歩いているなんて考えただけでも恐ろしい。
「まあ、その心配はいらないのかもしれないけどね」
「いらない?」
栞奈は何度目とも知れず首を傾げた。
「私たちが把握している『異端士』は、戦いというより支援や裏方に特化しているものばかりなのよ。身体能力は常人より高いけど、戦うなら他の『亜人士』の方がよっぽど向いているわ」
「じゃあ、これも可能性としては低いってこと?」
「全ての『異端士』を把握しているわけではないから0ではないってだけね。だからこの推測が一番マシなんだけど………やっぱりここまでが限界ね。名探偵ならもっとマシな推測が出来るでしょうけど」
満里奈はやれやれと、降参するように両腕を広げた。
「結局、”4桁”という前提自体が間違っているかもしれないから深追いしても意味は無いって結論に至ったわ。真実がどうあれ、入江和総があの事件にひと月前の事件に関与していたのは間違いない。だからこの『要塞病院』に足を運んだのよ。怪我が完治する前にね」
「その人を、殺すために?」
栞奈が目を眇めて問うと、満里奈は微笑を浮かべた。
「それもあるけど、できればその前に情報だけでも引き出したいわね。国を滅ぼす力に、何か秘密があるなら手に入れたいしね。二つ目の推測が本当だったら面白いけど………」
「……………………」
栞奈はふざけ半分でほざく満里奈を無言で睨みつけた。とても『維新軍』らしい考え方だと思った。
外道だが、戦略的には間違っていない。もし、本当に入江和総が一人で国を滅ぼす力があるのなら、『維新軍』は単純計算で国二つ分の戦力を相手することになる。七対三の戦力差など殆ど無いに等しい。
多少のリスクがあっても最善のためなら妥協してはならない。どうせ嘘だと高をくくったせいで負けましたでは冗談にもならないからだ。
負けたら全てを失う。それが戦争だというのを『維新軍』はよく知っている。
「そういうわけで、私達はここにいるの。分かってもらえた?」
「分かったけど、どうしてそれを私に話したの?」
さんざん聞き入っていた栞奈だが、満里奈の意図が分からなかった。
話には納得できたし、整合性も取れている。が、それだけ重大な情報を内部事情を含め味方でもない栞奈に話す利点があるとは思えなかった。
満里奈はニコッと笑顔を深めた。自然な笑みなのに、どこか不気味さを感じさせる笑みだった。
「それは簡単よ。あなたの戦意を削ぐため」
「………………っ」
まだ何か企んでいるのかと栞菜は刀を構えて警戒するが、それはあまり意味をなさなかった。
満里奈の体がブレ、一瞬で姿を見失ってしまった。
「もう一つは、あなたを逃さないためよ」
声は背後からだった。
「っ‼」
栞奈は瞬時に振り向こうとしが、間に合わなかった。
「ゔっ!」
ひっ、と遠くで悲鳴のようなものが聞こえたが、意識を向ける余裕は無い。
刀を振るより速く頭を掴まれ、床に叩きつけられた。右手首を捻られ刀を落としてしまう。
「私の仲間にね、洗脳のプロがいるのよ。どんなに強い意志を持った人でも簡単に鞍替えさせてしまうスペシャリストがね」
「な、にを………」
全力で起き上がろうとしても背中の重心を膝で抑えつけられたせいでびくともしない。呼吸はできるが意識して行わないと酸欠に陥りそうだ。
「でもね。本人はその力を忌み嫌っているみたいで、余程の事情が無いと使ってくれないのよ。組織の情報を知られた、くらいの理由が無いとね」
「まっ、まさか、それだけのために…話を………」
栞奈は真意を知って背筋が凍った。満里奈は洗脳を用いて自分に都合の良い人格に改造する気だ。
「人質には聞こえていないだろうから、あなただけを拘束して『維新軍』の本部の所へ連れて行くわ。病院内を捜索させている部下が戻って来るまで少し時間があるから、その間眠ってもらうわね」
「くっ!」
そうはさせまいと全力で起き上がろうとするが1mmも体が床から離れない。杭で固定されているかのようだ。
”3桁”と”5桁”の差を、ここでも思い知らされてしまう。
「お休みなさい。可愛い、私の運命の人」
満里奈は愛おしそうに耳元で囁くと、手刀を首へ落とした。
栞奈は逃れられない運命に目を閉じた、その時だった。
「そこまでだ」
「っ」
ピタッと満里奈の手が止まった。
背後から聞こえる男の声に振り返ることができなかった。首の前に『刃物のように鋭い獣の爪』が当てられていたからだ。
(速い…………)
満里奈は周囲の警戒を怠ってはいなかった。栞奈に夢中になっていても、ここまで接近を許したりはしない。並みの『亜人士』なら気配を消していたとしても迎撃する自信すらあった。
つまりこの男は、純粋な速度で満里奈の背後をとったのだ。
事実、この男からは満里奈と同等以上の力を発している。
「い、いつの間に……」
正面にいる栞奈すらも声を聞くまで気がつかず唖然とする中、満里奈は獣の凶器を前にしても余裕の態度を崩さなかった。
「何者かしら。乙女の後ろに無断で立つなんて失礼よ?」
「私は王国軍第二部隊副隊長、真鍋拓郎だ。貴様たちはすでに我が部隊が捕らえた。観念して大人しく投降しろ」
軽口を叩くように誰何するが、男は応じることなく、事務的に降伏を促すのみだった。広間にいる満里奈の部下たちも青い軍服に『Ⅱ』のワッペンをつけた兵士に取り押さえられていた。訓練の賜物か、周囲の被害を一切出さずに拘束をしてみせた。形勢が逆転し、人質から安堵の声が漏れる。
「……どうして病院に王国軍がいるのかしら?自分たちの管轄はどうしたの?」
少しでも情報を得ようと満里奈は軽口を叩くが、真鍋は一切相手にしなかった。
「答える義務はない。頭部と胴体が泣き別れしたくなければ余計なことはしないことだ」
「はいはい……」
満里奈は肩をすくめると、栞菜から膝をどかして立ち上がった。
「早くここから離れなさい」
「は、はい……」
真鍋に言われて、栞菜は匍匐前進で満里奈の手の届かないところまで離れた。押さえつけられたダメージのせいで、立ち上がるには少し時間がかかりそうだった。
真鍋は立場として、栞菜を案じるべきなのだろうが、彼女が這いずる間も満里奈から手も目も離さなかった。慎重過ぎるくらいに満里奈を警戒している。
元からそういう性格だからというのもあるだろうが、一番の理由は満里奈が手練れの『亜人士』であると瞬時に見抜いたからだった。年端も行かない少女でも一桁あれば普通の成人男性よりも強くなるのが『亜人士』という存在だ。見た目で判断すると痛い目を見るのを、この副隊長は良く分かっていた。
長年王国軍に所属する経験が和服少女を油断するなと訴えていた。
「数値は?」
真鍋は二歩後ろで待機している若い男に尋ねた。おそらく部下だろうと思われる若い男は腰に下げている銃にもビデオカメラにも似た機材を満里奈に向けると、画面に映し出された結果だけを簡潔に答えた。
「44861です」
「やはり五桁か」
真鍋はそう漏らすと満里奈へ強い目を向ける。想定通りだったのか、動揺は無かった。
(それって、さっき言っていた『亜人値』?)
栞奈はよろよろ立ち上がりながら数字の意味を推察した。満里奈自身が五桁だと公言していたことからも間違いない。
「測定器を常備させているなんて随分と念入りなのね。しかもそれを私に使ってくれるなんて気前がいいじゃない」
「貴様に立場というものを教えるためだ。私の『亜人値』は約90000、まともに戦えば負けるのはどちらか言わなくて分かるな?」
真鍋は現実を叩きつけると、満里奈は鼻で笑った。
「ふっ、だから無駄な抵抗をするなと言いたいの?確かにあなたの方が強いでしょうけど、同じ五桁なら誤差みたいなものよ?だから、戦わずに降伏させようとするんでしょ?」
「…………………」
満里奈の言う通りだった。
『亜人士』は数値が高い程強いのは自明だが、最も重視されるのは『桁数』だ。どんなに数値が離れていても同じ桁なら実力に大きな差は生まれない。たとえ倍以上の差があったとしても、ちょっとしたきっかけで勝敗は簡単に覆る。10000と99999であっても同じだ。
それでも真鍋は動じなかった。
「無駄だ。その理屈は同じ『亜人士』でなければ通じない。刀を持っている時点で貴様が『武装士』であることは明らか。『獣士』である私とは相性が悪い。その上、左手まで怪我をしている。そんな状態でまともに戦えるとは思えんな」
「…………あら、そこまでバレていたのね」
あっさりと見破られ、肩を竦める満里奈。少しでも油断していればいくらでも隙を作れる自信があったのだろうが、真鍋が慎重過ぎるせいでそれも叶わなかった。
「詰みね。もう私に打つ手が無いわ」
満里奈は嘆息をしながら折れた刀を捨てると、両手を上げ降参の意を示した。
「賢明な判断だ」
「後ろを取られた時点で私の負けだもの。どう動いでも首を切られるだろうし、確率の低い賭けで命を張る程馬鹿ではないわ」
満里奈はおどけるようにして、肩を竦めた。
「だから私の役目はおしまい。ここから選手交代よ」
「交代だと?貴様は何を言って………。っ‼」
真鍋は急弾かれるように顔を上げる栞奈の背後の通路へ目を向けた。
「?」
栞奈はそんな真鍋を訝んだが、すぐにその訳を知った。
「っ‼‼‼」
直後、全身に電気が流れたような怖気が走った。