動き出す悪意②
エレベータが一階へ続く扉を開けると、栞奈は足早に出口へ真っすぐ向かった。
(とりあえず、捕まった場所の周辺を重点的に行ってみよう。何か手掛かりがあるかもしれない)
祖父の病室にあるテレビからの情報を頼りに栞菜は行動していた。亀の歩みのような地道さだが、『王国軍』を頼れない以上、できることはどうしても限られてしまう。
それでも栞菜に迷いはなかった。ほんの僅かな可能性でしかなくとも、復讐に駆られる栞菜が諦める理由にはない。
竹刀袋を掴む手に力を込め、いざ戦いに赴こうとした足は、不意に止まった。
「?」
入口近くの受付に不審な人間が陣取っていた。
栞奈と同い年くらいの少女だった。モダン柄の袴に髪を後ろに束ねた装いは、凛々しさの中に上品さが兼ね備わっている。それだけならお洒落をする女子にギリギリ見えなくもない。お洒落というよりコスプレ感が拭えない格好だが、不審とまでは思わない。
腰の左側に刀を下げてさえいなければ、だが。
(侍?)
奇しくもそれが一番しっくりときた。一尺三寸ある長い得物はまさに侍の魂そのものだった。着ている服との相乗効果でその印象を一層強くしている。
しかも、あの少女からは只者ではない気配を纏っている。おそらく『亜人士』だろうと勘が告げていた。
「……………………」
嫌な予感を覚えた栞奈は物陰になる場所まで戻り、様子を窺う事にした。離れていても『亜人士』の力で聴覚を強化できるから、問題なく聞き取れる。
「ご用件は何でしょうか?」
受付のナースは腰に差す物騒な物に一瞬体を硬くしたが、笑顔で応対してみせた。
少女は悠然とした物腰で笑みを浮かべると、開口一番に尋ねた。
「入江和総が入院している病室はどこかしら?」
(入江和総?)
誰の事か分からない栞奈は、聞き耳を立てながら首傾げた。
「申し訳ありません。関係者以外の面会はお断りさせていただいております」
ナースの返答は淡白だった。凶器を持つ者に教えることは無いとばかりに突き放す。
その胆力に少女はへえ、と感心した。
「そんなすぐに決めつけていいの?実は関係者だったりしたらどうするの?」
「特定の方以外へは口外しない決まりとなっております。どうかお引き取りを」
おちょくるような口調の少女に眉を寄せると、棘のある言い方で背後の出入り口を手で示した。取り付く島もなかった。
「そう……。じゃあ仕方ないわね」
言葉での説得が無理だと悟った少女が嘆息すると、スッと右手を上げた。
「ここからは実力行使といきましょうか」
その瞬間。
ガシャァン‼という轟音が鳴り、正面出入り口のシャッターが勝手に下りてしまった。
「っ!」
その音に驚いた受付の人は肩を跳ねさせた。
それに続くように全ての窓にシャッターが下ろされ、室内には一切陽の光が入らなくなった。院内は常に蛍光灯が点けられているから視界に影響はないが、そんなものは気休めにもならない。
「「「っ‼」」」
当然降りかかる非常事態に待合所にいる全ての者が等しくパニックに陥った。ここには見舞客だけでなく入院患者もいる。動ける者が閉まった出口へ殺到して巻き込まれでもしたらロクなことにならない。
そうなる前に、バチンッという音が全員の意識をそこに向けさせた。
「動くな‼動いたらこれを貴様らに撃つ‼」
いつの間にか現れた、武装した男が真上に上げていた手から電流を生み出していた。『天創士』の力だ。
パニックになっていた待合所の人達は男が『亜人士』だと気づくと顔を青くし、口を閉ざした。
そして、同じく武装をした者達がわらわらと姿を現し、見舞客たちを逃がさないように待合所をグルリと包囲していた。その異様な雰囲気に、人々は余計に委縮してしまう。
「一体何が………」
物陰にいたおかげで包囲から免れた栞奈は状況が読めず、どうにか情報を得ようと少女へ視線を戻した。
「っ‼」
そして、見えてしまった。
腕を上げた事により袖から露出した腕、そこに彫られていた『日滅』という入れ墨が。
「あれ…………は」
その文字の意味を忘れた時は無い。日を、日本を滅ぼそうとする組織なんて一つしか栞菜は知らない。
「……………っ」
そこからの動きは迅速だった。
栞奈は竹刀袋の紐をほどき、中に手を突っ込むと一振りの日本刀を取り出した。
和服少女のより短い鞘から刃を抜くとその刀身に白い光を纏わせた。
そして、栞奈はその光刀を横に構えると、迷いなく物陰から飛び出した。
「もう一度聞きましょう。今度はきちんと教えてもらえ………………」
蒼白になるナースに刀をちらつかせる少女の横顔へ栞奈は躊躇なく刀を振り下ろした。
室内なのに風のごとく駆け抜ける栞奈に、見舞客や『維新軍』は何事かと目を見張った。ロータリーで幹也を襲った一桁の青年を遥かに超える速度だった。相手はこっちを向いておらず、完全な不意打ちだった。
だが、刀から伝わる感触は肉ではなく、硬い鉄を叩くものだった。
「!」
栞奈は瞠目した。
少女の左手には親指で鯉口を切った状態の刀が握られていた。あの一瞬の間で鞘ごと抜いて迫る刀を片手で受けて止めてみせたということだ。
「どちら様かしら。いきなり襲い掛かるなんてご挨拶ね」
軽々と止めた少女は不敵に笑った。栞奈の速度は普通の人間なら目で追うのも困難な程速い。だが、少女は前を向いたまま防いでみせたのだ。どこから来るのか、見なくても分かっていたかのように。
「満里奈様!」
「来なくていいわ。持ち場に戻りなさい」
何事かと人質たちが注目する中、包囲していたうちの一人が駆け寄ろうとしたが、満里奈と呼ばれた和服少女に追い返されてしまう。
「『維新軍』‼」
そのやり取りすらどうでもいいと言うように、栞奈は満里奈しか見ていなかった。捜そうしていた組織が突如として目の前に現れたせいで栞奈は感情を高ぶらせた。
それに呼応するように、刀から白い光が溢れんばかりに輝いていた。力を制御できないくらいの怒りが、殺意となって満里奈の全身を突き刺した。
その殺意に部下たちが皆息を飲む中、満里奈はくすぐったそうに身をよじるだけだった。
「あらあら、随分と嫌われてるわね。私を一目で『維新軍』と見抜くなんて『王国軍』の関係者かしら。それにしては若すぎるけど、あなたもしかして……」
「うるさい‼」
怪訝に眉を寄せる満里奈に、栞奈は怒りに任せて刀を押し込もうとするが、
(う、動かない⁉)
壁を斬りつけているかのようにビクともしない刀に、栞奈の顔が戦慄に染まる。
両手で刀を握っている栞奈に対し、満里奈は片手しか使っていない。しかも、利き手ではない左手でだ。基本、鞘は利き手と逆側に佩くから、満里奈が右利きなのは明らかだった。なのに栞奈は完全に力負けしていた。
(そん……な)
栞菜はショックを隠せなかった。
体格はほぼ差が無いというのに、大人と幼子くらい以上の力の差が両者にはあった。
「連れてきた部下より少し強いわね。三桁の上位、900台の『武装士』と言ったところかしら」
満里奈は片腕にかかる負荷からおおよその強さを割り出していた。
「動きも素人ではないみたいだし、少し話をする必要がありそうね」
そう判断した満里奈は左手でぐっと刀を軽く押すと、それだけで栞奈を弾き飛ばした。
「ぐぅっ……。はあああああああああああああああ!」
ピンポン玉のように吹き飛ばされた栞奈は低い天井にぶつからないよう器用に一回転して着地すると、満里奈を無視して怒りの本能のままに再度突っ込もうとしていた。
「…………仕方ないわね」
会話をする気の無い栞奈に満里奈は嘆息すると、スッと鞘から刀を抜いた。
そして、その刀に『武装士』の力を解放した。
「っ⁉」
直後、刃に纏う純白の輝きを見た栞奈は足を止めてしまう。一瞬で怒りが吹き飛び、その代わりに芽生えたのは、恐怖だった。
(なに…………この光は)
武器に光を纏わせ強化するのは栞奈と同じ『武装士』の力だ。だが、その光は栞奈のより色が濃く、力強かった。
それだけで栞奈は嫌でも理解させられてしまった。『亜人士』としての格の違いを。
「「「?」」」
その光景を人質たちは不思議そうに眺めていた。『亜人士』ではない者達では満里奈の光を見ても力は伝わらない。栞奈がいきなり立ち止まり、一人勝手に苦しんでいるようにしか見えなかった。
「これで話が出来るかしら」
「かはっ!ごほっ、ごほっ!」
満里奈は発する圧を弱めると、栞奈は膝をついて、空気を求めるように喘いだ。無意識のうちに呼吸を止めていたようだ。
「さて、では聞かせてもらいましょうか。あなたはどうしてここにいるの?武器を持っているといことは、私たちと戦うつもりだったのかしら?」
優しく尋問しながら、全く警戒しない足取りで栞菜に近づいて行った。明らかに敵として見ていなかった。
「っ」
屈辱で震える栞奈は根性で立ち上がろうとする。が、それを遮るように満里奈は手を前にかざして止めた。
「やめておきなさい。私とあなたでは埋められない差があるのは分かるでしょう?」
「………………くっ!」
満里奈に現実を叩きつけられては聞く体勢にならざるをえなかった。
栞奈は敗北感で顔を歪めると、言われた通り刀を床に置いた。柄から手は離さなかったが、その程度でやられると思っていないのか満里奈は咎めなかった。
「そんなに悔しがる必要はないわ。私の『亜人値』は五桁。三桁のあなたとじゃ勝負にならないのは当たり前なんだから。恐れず挑んでくるだけ大したものよ」
「…………………………」
少し自慢を含ませて称賛する満里奈に、栞奈は怒りが再熱するかと思いきや、不思議そうに首を傾げた。
「『亜人値』って何?」
「え、知らないの?」
満里奈が固まった。『亜人士』にとって強さの指標となる『亜人値』を知らないなんて思いもしなったのか、ポカンとした顔を晒してしまう。
「あの、もしかしてだけど、測定したことないとか?」
「測定?」
それすら聞いた事無いと素の反応をされて満里奈は面食らってしまう。『亜人士』なら自分の強さを知るために一度は数値を測定しているはずだ。嘘を疑いたかったが、栞奈の疑いようの無い純粋な瞳を見てしまい、顔から変な汗が出た。
「もしかしてあなた、入江和総の関係者じゃないの?」
「さっきもその名前出していたけど、誰のこと?」
本当に知らないと眉を寄せる栞奈。これが嘘だったら主演女優賞だって夢ではない。
「これは、予想外だわ…………。私を一目で『維新軍』だと見抜いたから、入江和総の関係者だと思ったのに。情報を得られなくても、人質にすれば少しは効果あると期待したのに………」
満里奈は自分が重大な勘違いをしていた事に気づき、手で顔を覆った。見つけた宝箱を開けたら中身が空っぽだった時のような嘆きっぷりだ。
「入江和総って何者なの?」
栞奈は初めてその人物に関心を寄せた。『維新軍』が血眼になって捜す程の人物だ。余程の重要人物なのは予想できる。
「部外者のあなたが知る必要はないわ」
当然と言うべきか、にべもなく拒まれてしまったが、それでよかった。
「………………」
栞奈は馬鹿正直に尋ねたところで教えてもらえないことは分かっていた。なのにわざわざ口に出したのは、攻撃の意志があると悟らせないためだった。
栞奈はまだ諦めていなかった。格の差を見せつけられ一度は恐怖に膝を屈しても、戦意だけは失っていない。その程度で折れるような半端な復讐心ではないのだ。
(大丈夫、次は絶対に当てる!)
頭の中はクリアだった。一度膝をついたおかげなのか、頭に上っていた血が良い塩梅で引いていき、実力を十全に発揮するコンディションが整っていた。
これなら、技が出せる。祖父から受け継いだ『武装士』の剣術を。
(刀は斬るだけじゃない。それを最大に活かすことができるのが『武装士』の光………)
師匠でもあった祖父がよく言っていた言葉を思い出しながら、密かにタイミングを計っていた。
この技はタイミングが命。速すぎても遅すぎても失敗に終わる。しかも満里奈が相手では通用するのは一回だけだろうから、鍛錬していた時では味わえなかった緊張感に襲われ、刀を握る手に自然と力が入る。でも、不思議と失敗する気はしなかった。日ごろの鍛錬の賜物なのか、緊張しながらも集中力だけは高い状態を保てていた。
(へえ、まだやる気なのね)
だが、それに気づかない満里奈ではなかった。理性を取り戻した栞奈の目を見て、密かに警戒のスイッチを入れた。闇雲にかかってこられるより、冷静に攻撃を繰り出される方が何倍も厄介なのをよく知っていた。どんなに強くても、心臓を一突きにされたらあっさりと命を落としてしまう。それは『亜人士』の間でも通用する常識だ。
(何も情報が得られないのならこの子に用は無いわね。一矢を報いられる前に仕留めるとしましょうか。入江和総を探さないといけないし)
満里奈も刀を握る手に力込める。
来るのが分かれば怖くない。最初の一撃から分かる通り、二人の力には大きな差がある。栞奈がどんなに速く動いてもそれより早く動いて、刀を砕くなり腕を斬り落とすなんて容易だ。
余程の不意打ちでない限り万に一つも傷を負うことはない………はずだった。
「っ!」
栞菜の右手から一瞬たりとも目を逸らしていなかった。なのに、次の瞬間にはキラリと蛍光灯を反射させた白刃が満里奈の下から迫っていた。
栞奈が振り上げた刀だった。