四腕の毒蜘蛛
遠目に旗を見る。
「四腕の毒蜘蛛だ」
分隊長のヴィヴィが吐き捨てる様に言うのを聞くと、ロズヴェータは記憶にない名前にヴィヴィに視線を向けた。
「四腕の毒蜘蛛って言ってな、規模も実力も大きいが、略奪の酷さから嫌われてる奴らさ」
ロズヴェータから向けられた視線に応えて、ヴィヴィが苦々しく答える。彼女は三頭獣に加入する前から、兵士としての経験を積んでいる。
もう一人の分隊長バリュードと並んで兵士としての知識も豊富であった。
そのもう一人のバリュードは、先ほど襲った敵を襲撃して追撃から戻っていない。今は彼女の言葉を確認する術がなかった。四腕の毒蜘蛛の騎士隊の中から、一騎飛び出してくるのを見て、ロズヴェータは眉を顰めた。
騎士隊で騎馬を養っている所は多くない。
相当に資金が潤沢なところが背後についているのか、あるいはヴィヴィの言う通り、彼等自身の仕事が汚いのか。どちらにしても、吹けば飛ぶような相手ではない。脅威は上がったと考えて良い。
「てめえら、どこのモンだ!?」
まるきりゴロツキの口調で問いかける騎馬に乗った使者に対して、ロズヴェータは、それでも紳士的に答えた。
「リオングラウスのドライアルドベスティエ! 騎士ロズヴェータだ!」
「ドライアルドベスティエ? ふん、知らねえな!」
最初から喧嘩腰の相手に、三頭獣の面々が気色食む。
「ここらは、俺らの縄張りにするからな、さっさと出ていきやがれ!」
あまりに強引な申し出に、剣に手をかける者すら出たが、ロズヴェータはそれを抑えた。
「良いだろう、だが、こちらにも準備がある。少し待て!」
「はっ、どん亀かよ。さっさとしろよ!」
罵声に近い声に、ロズヴェータは目を細めるだけでそれ以上何も言い返さない。
「いいのかい? みんなやる気はあるようだけど」
使者に背を向けるロズヴェータに、そっとヴィヴィが寄り添う。美貌の副官ユーグが、険しい視線を向けるが、それだけだった。内心誰よりも激怒しているのは、恐らくユーグであったからだ。美麗な見た目とは裏腹に、ユーグは激情家である。
ことロズヴェータに関することで、彼のことを侮辱されることは、絶対に許さない。
「どうせ、移動する予定だ。大局的に見れば味方同士で争うのは、無駄に戦力を減らすだけの行為だし、それに……」
ロズヴェータの視線の先には、エルフィナスの兵士が逃げた方に向いていた。
「敵がいつまでも、俺達を見逃してくれるとも思えない」
ヴィヴィはため息を吐いて、周囲の殺気立つ兵士達を見た。
「……隊長も随分人が悪いな」
敢えて笑って見せて、こんなことは大したことがないのだと周りにアピールする。
「気を使わせて悪いな」
小さな声でヴィヴィに礼を言うと、ロズヴェータもヴィヴィの気遣いに乗って笑って見せる。
「さあ、予定通り移動の準備だ。次は丘を三つ越えた先に行くぞ! 追撃に出た人員をすぐに呼び戻せ、前進途中で合流するぞ! 宿営地を撤収するんだ!」
ロズヴェータの号令に従って三頭獣は動き出した。
◇◆◇
四腕の毒蜘蛛を率いるのは、その非道の噂からは意外なことに若い女の騎士であった。毒蜘蛛のリリーと呼ばれたその騎士は、険のある目元を更に険しくして、報告を聞いていた。
「簡単に引いた?」
「へい。奴らすぐに出て行くから攻撃はすんなと」
報告する兵士の内容に軽く舌打ちすると、考え込むように顎に手を当てる。
「で、そいつらは?」
「先ほど、出ていきやしたが……」
三頭獣が宿営地にしていた森の中、四腕の毒蜘蛛は、周囲の散策に当たっていた。
毒蜘蛛の名が示す通り彼らの得意としているのは、待ち伏せだった。末端の兵士ですらも、己が何をしなければならないか、本能的に理解している。
だからこそ事前の準備というものに、十分に時間をかける。
「ドライアルドベスティエだったか? そいつらが……」
そこまで言いかけて、リリーは何かに気が付いたように洞穴の壁の一点を注視した。
「……っち、野郎」
しっかりと隠された血痕。恐らくは、硬い刃物か何かで削り取られた岩肌の後を見て、前の住人がどうなったのかを、彼女は察した。
「おい! 襲撃場所をもう一度洗うぞ!」
怪訝な顔をする兵士達を蹴り飛ばし、絶好の襲撃地点として考えていた場所を再度見て回る。
「……やめだ」
肩まである赤銅色の髪をかきむしり、顔を顰める。
「は?」
「この場所はやめる。次を探すぞ!」
呆然とする兵士達の一人が反論する。それはちょうど、三頭獣を追い払って、この場所を確保した兵士だった。
「おい、ちょっと待てよ。いくら、てめえがカシラだからって勝手に決めてんじゃねえぞ。此処を見つけるのだって相応の危険を負ってやってんだぞ!」
交渉に当たった者からすれば、不適格だと言われたようで不満が噴き出る。
「あァ? なんだってェ?」
低く、腹に響く声が怒りの籠った視線とともに、彼女に食って掛かったものに向かう。同時に、彼女の腰から銀の一閃が走り抜け、その首筋に吸い込まれていった。
噴き出る血飛沫と、地面に倒れ伏す兵士の姿を冷たく見下ろして、リリーは周囲に言い放つ。
「へっ、ゴミが! 他に不満のある奴はいるのか!?」
怒鳴る彼女は、否を唱える者がいないのを確認して撤収を開始する。
よくよく地面を観察すれば、襲撃の痕跡が巧妙に隠されている。彼女の記憶に三頭獣と言う名前はない。あるいは売り出し中の騎士隊なのかもしれないが、騎士団という程大きいものではないのだろう。
不自然にならない程度に血痕の後に土が被せられ、折れた武器などは森の中の灌木の隙間に隠され、目立たないようになっている。臭いを消すために、ある種の植物を撒いたのだろう。
用意周到な奴らがよく、使う手だった。
それにしても、仕事が奇麗すぎる。よくよく見れば、ほとんどが兵士であり、荷運びの非武装の者はほとんど殺していない。
こんな周到な奴らが、簡単に狩場を明け渡すだろうか。
もし、自分ならと考えて、リリーは口の端を吊り上げる。心臓の高鳴る音と、吹き抜ける風がやけに大きく聞こえる。
こういう時は、罠に嵌められているという経験が彼女の判断を後押しした。
「撤収するよ!」
リリーの言葉に、ざわりと周囲の兵士が声にならない声を上げるが、面と向かって彼女に意見を言うものはいない。
先程までいたその蛮勇の持ち主は、今は物言わぬ屍となって地面に横たわっているのだ。自分がそうならないという保証はない。
「……面白くなってきたじぇねえか」
自分に逆らう者がいないことを確かめて、リリーは移動を開始する。跡には、屍だけが無念の表情を晒していた。
「……三頭獣の、ロズヴェータだったかぁ?」
舌なめずりして、リリーはその鋭い視線の先に、姿の見えなくなった三頭獣とロズヴェータの姿を見ていた。
同類なら、上下のケジメさえつければ利用できる。
そして当然ながら、上は自らの騎士隊四腕の毒蜘蛛。50近くの騎士隊だったと聞いている。ならば、半数を従えたとしても、自身の勢力をより拡大できるではないか。
にんまりと思い描く未来に、リリーは口の端を歪めた。
理想だとか、騎士の誓いなんてものを信じている甘い奴らに、現実と言う名の汚泥を擦り付けてやるのは、どんな気分だろう。それだけで、リリーは興奮して頬は紅潮し、涎が垂れてきそうだった。
◇◆◇
ロズヴェータ率いる三頭獣は、最初の狩場から距離を稼ぐため、進路を南にとった。治癒術師アウローラの故郷である都市国家シャロンに向かう方向である。
彼女の導きに従って辿る道筋は、そのままアウローラが故郷から逃げ出してきた道の逆を辿るものだった。まるでそれが罪であるかのように、アウローラは口数少なく、先導していく。
「何か、声をかけたら?」
分隊長のルルが、ロズヴェータの側でぼそりと呟く。
「大人しくて結構なことではないですか」
空気を敢えて読まない美貌の副官ユーグの発言を、鋭い視線だけで遮ってルルは視線を再度ロズヴェータに向けた。
「……何を?」
「優しく慰めるべき」
周囲に侍る長身の見習い騎士ネリネからも、そこはかとなく同意するという圧力と共に横目でロズヴェータに視線が刺さる。
「隊長、忙しさにかまけて女を口説かないのは、男の怠慢」
「なぜ、ロズヴェータ様があの性悪女を口説かねばならんのだ」
ルルの直球過ぎる言葉に、反射的にユーグが反論する。
「ルル、外国語、ワカリマセーン」
「……いや」
「ワカリマセーン!」
予想外の幼稚な反応に、ユーグは閉口して視線をロズヴェータに戻す。これはどうあってもロズヴェータが対応すべき案件だと、ルルは断固として譲らない姿勢を見せていた。
「エルフィナスでは、これが普通なのか?」
「国と人種に関係なく、女を口説くのは男の務め」
「……」
ロズヴェータは反論したかったが、口に出す前に頬を膨らませたルルの視線がそれ以上の反論を封じた。
「わかった」
結局ロズヴェータは、ルルの無言の圧力に負けた。
「お供しましょうか?」
「いいや、ルルの言う通り確かに、俺が担当する案件なんだろう」
ユーグの心配そうな言葉に、若干諦め気味にロズヴェータは答えた。
他人が何を考えているか等、ロズヴェータには分かるはずがなかった。しかも同い年の女性の考えがわかるほど、ロズヴェータは経験豊富ではない。
今まで彼が経験してきたことは、戦場と末端の貴族としての振る舞い程度だ。
しかし、ロズヴェータは騎士隊を率いる騎士である。
兵士の体調管理も、彼の責務の内だと言われれば、まぁ確かにそうなのかもしれないと自分自身を納得させて、重い足を速めた。
ロズヴェータよりも年上のはずの、エルフィナス出身の女傭兵は、ロズヴェータの背中に不安と若干の期待を込めた視線を送る。
「何が目的なんですか?」
険のある視線と言葉をユーグはルルに向ける。ロズヴェータに負担をかける者は須らく彼の敵意の対象であった。
「目的?」
ふん、とその質問をルルは鼻で笑った。
お前、まさかそんなこともわからないのかと、勝ち誇ったようなルルの顔を、ユーグは殴りつけたくなる衝動を堪えるのに必死だった。
ロズヴェータやユーグよりも頭二つ分低い彼女は、遠目から見ると少女に見える。ツインテールにした髪が、歩きながらぴょこぴょこ揺れているのでさえ、ユーグには不愉快だった。
「恋愛だ!」
「はぁ?」
「人と人が心を通わせる。これを奇跡と言う」
「……新手の宗教ですか? 異端は教会に突き出さねばなりませんが……」
「心の寂しい奴だな」
二人の意見は平行線を辿り、容易に結論を見出せそうになかった。
「それで、なぜロズヴェータ様があの性悪女を口説く必要が?」
「ふふん、馬鹿だな。隊長がアウローラを口説けば、お金ざくざくだろ?」
「……」
「お金ざくざくになったら、私たちの給金もあがるだろ? それにきっとデートもする。そうしたら、私たちの休みも増える。誰もがハッピーじゃないか!?」
「……」
やっぱりこいつは、殴ろうか。そう密かに決意を固めているユーグの耳に小さな呟きが聞こえた。
「人間、生きてるうちに思いは伝えなきゃぁな……」
やけにしみじみと呟かれたルルの言葉に、ユーグは視線を遠ざかるロズヴェータの背中に向けた。
◇◆◇
「調子はどうだ?」
「ええ、悪いわね」
「……」
先導するアウローラに追いついて、一声かけた途端けんもほろろな返答を貰ったロズヴェータは、一気にやる気を失っていくのを感じた。
「冗談よ?」
「だと良いけどな」
くすり、と笑ったアウローラの表情に少しだけ安心して会話を続ける。土台、経験の少ない思春期も終わりの少年に女性を口説けなど、無理な注文であった。
日常の会話を続けるのが精々だ。
「誰かに言われてきたの?」
「……別に」
「ふーん?」
アウローラのからかうような視線に晒されて、ロズヴェータは、思わず視線をそらした。アウローラからすれば白状しているようなものであったが、自身が弱っていることを自覚している彼女は、それを追求するつもりにはなれなかった。
「まぁ、良いわ」
「……あとどれくらいで、シャロンにつくんだ?」
「前に説明しなかった?」
「聞いたかもしれないが、確認のために」
「三日もかからないと思うわ」
「シャロンは、どうなっているだろうな?」
「……さぁ」
僅かに俯くアウローラの様子に、ロズヴェータは、気まずくなって自分の失敗を悟った。
「あー……悪かった」
「別に気にしてないわ」
ぎこちない会話の中でも、ロズヴェータが気遣うような言葉を重ねれば、不器用ながらもアウローラにそれが伝わったようだった。
「まだまだ、女性を口説くには不足ね」
「……分かってたのか」
思わず愚痴っぽくなるロズヴェータは、気恥ずかし気にそっぽを向いた。
「まぁ、それなりに。貴方よりも、街中にはでるからね。市井の中で生きるなら経験はあるわ」
「遊んでいたわけじゃないのか」
「遊んでいたわよ? お店じゃないけどね」
貴方と違ってね、と暗に言われてロズヴェータは、気まずくなって視線を逸らす。確かに三頭獣が贔屓にしている娼館で、兵士達の労いをしているロズヴェータは、遊んでいると見られていも仕方ない。
だが、それを口説いている最中の女性から指摘されれば、そっぽを向きたくもなった。何か、効果的な反撃はないかと考えて、言葉に詰まる。自分自身の口論の弱さに、若干落ち込むと無難な返答をせざるを得なかった。
「それでいいのか、お姫様」
繰り返される他愛無い会話、それでも気がまぎれるのかアウローラの表情は次第にいつもの調子を取り戻していく。
「騎士校の教育も、もう少し貴族教育に力を入れるべきかもね。……そろそろ到着するわ」
都市国家シャロンの領域に差し掛かっていた。
港湾を望む城壁で囲まれた狭い地域と、周囲に広がる耕作地。それが今の都市国家シャロンの支配領域だった。オアシスから水を引いた灌漑農法により、砂漠にも緑が存在する。
育てられる植物は、色とりどりの果物が多数。
主食である小麦は少量生産しているものの、人口に比して自給率は低く、輸入に頼っている部分が大きい。兵士は傭兵が主だが、自前の常備兵もいる。
そして今、リオングラウス王国の兵站線の攻撃により、その都市国家シャロンは膝を屈したエルフィナスからの補給を絶たれつつある。
僭主ネクティアーノ。つまりはアウローラの父たる人は苦しいだろうな、と漠然とロズヴェータは考えた。エルフィナスに膝を屈したのは、戦いの結果だ。
民にとってこれ以上わかりやすいものはない。極端なことを言えば僭主ネクティアーノが弱いからこそ負けたのだ。これで生活が良くなるならまだしも、食料にも事欠く有様では、その支配が揺らぐことすらありえる。
かといって、リオングラウス王国に支援を求めるのは、難しい。リオングラウス王国は、決戦の時期を定めて兵士を動員するための食料を集めている最中だった。
だからこそ、今回の騎士隊への兵站攻撃の依頼は、現地調達が基本となっている。
国が公に奪って良し、と言っているのだ。
三頭獣のように、エルフィナスだけを狙う上品な騎士隊だけではない。先に遭遇した四手の毒蜘蛛のように、軍だろうが民だろうが無関係に襲う仕事の汚い騎士隊も存在する。
遠目に見る都市国家シャロンの城壁に、アウローラは何を思っているのか、その横顔を覗き見たロズヴェータは憂いに沈んでいる彼女に、何と声をかけるべきかわからない。
「アウローラ……」
思わず胸が苦しくなるような感情のはけ口として、彼女の名前を呼ぶが、それ以上の言葉が出てこない。
「……大丈夫、まだ、大丈夫のはずよ」
祈るようなその言葉は、ロズヴェータと自分自身に言い聞かせるような呟きに聞こえた。
ロズヴェータ:駆け出し騎士(銀の獅子)
称号:同期で二番目にやべー奴、三頭獣隊長、銀の獅子、七つ砦の陥陣営
特技:毒耐性(弱)、火耐性(中)、薬草知識(低)、異種族友邦、悪名萌芽、山歩き、辺境伯の息子、兵站(初歩)、駆け出し領主、変装(初級)
同期で二番目にやべー奴:同期の友好上昇
三頭獣隊長:騎士隊として社会的信用上昇
銀の獅子:国への貢献度から社会的信用度の上昇
毒耐性(弱):毒からの生還確率が上昇。
火耐性(中):火事の中でも動きが鈍らない。火攻めに知見在り。
薬草知識(低):いくつかの健康に良い薬草がわかる。簡単な毒物を調合することができる。
異種族友邦:異種族の友好度上昇
悪名萌芽:行動に裏があるのではないかと疑われる。
山歩き:山地において行動が鈍らない。
辺境伯の息子:辺境伯での依頼で影響度上昇
陥陣営:連続で落とし続けている限り、味方の能力に強化効果。(連続7回)
兵站(初歩):兵站の用語が理解できる。
駆け出し領主:周囲から様々な助言を得ることが出来る。
変装(初級):周囲からのフォローを受ければ早々ばれることはない。
信頼:武官(+20)、文官(+28)、王家(+17)、辺境伯家(+50)
信頼度判定:
王家派閥:少しは王家の為に働ける人材かな。無断で不法侵入はいかがなものかと思うが、まぁ大事に至らなくてよかった。
文官:若いのに国のことを考えてよくやっている騎士じゃないか。領主として? 勉強不足だよね。派閥に入れてあげても……良いよ? けれど、招待状の貸しは大きいわよ。
武官:以前は悪い噂も聞こえたが……我慢も効くし。命令にはしっかり従っているし戦力にはなるな。最近何かしたのか?
辺境伯家:このままいけば将来この人が辺境伯家の次代の軍事の中心では? 元気があって大変よろしい! 領主としてもしっかりやっているしね。
副題:ロズヴェータちゃん、肉食系の先輩に目を付けられる。




