それを恋と呼ぶのなら
「私の愛しいネリネ。大丈夫、きっとあなたは上手くやる。だって貴方は──」
瘦せ衰えた産みの母親のそれが別れの言葉だった。
枯れ木のようになった腕に抱きかかえられ、蜘蛛の糸のように細くなった希望にすがるような声、そんな声に送り出されて騎士ショルツの家の門を叩いたのは、ただただ貧困に喘いでいたからだ。
明日の食事にも事欠く現状、このままでは娼婦にならざるを得ないという境遇。
そしてそれを不幸だと理解してしまえるだけの無駄な教養が、彼女にその道を選ばせた。
「理解しているのかね? この仕事は、そう例えるなら”軍の狗”になるということだ」
王都から少し離れた、とある貴族の領都。
その貧民街では、有名な話であった。
騎士ショルツは、子供を買っている。
そして彼らは、誰も帰ってこない。
それでも騎士ショルツに批難が集まらないのは、養子になった子供の両親にしっかりとした報酬を支払っているからだ。
彼は、強引に買い取ることなどしない。あくまで募集をしているだけなのだ。しかも大っぴらにやるのではなく、貧民街の顔役に少しばかりの金を握らせ、適した年齢の子供を一人か二人集めるだけ。
彼らがどうなったのかなど知る由もない。
訴える者などあるはずがなかった。それどころか人徳者として名前が通ってすらいる。
その彼が、言ったのだ。
軍の狗になる覚悟はあるのかと。答えは、当然、諾と答えるしかない。選択肢など最初からないも同然なのだ。ここで否と答えるなら、それはあの生活への逆戻りを意味する。
爪の垢に火をともすような生活、最低のそのまた底があるような、そんな生活に、誰が望んで戻るだろうか。
”軍の狗”上等ではないか。餌さえくれれば、少なくとも生活には苦労しない。
そう考えてネリネは訓練を積んだ。
課される訓練は、決して生易しいものではなかったものの同年代に比して恵まれた体格は、必要な栄養分を摂取すると驚くほどに早い成長を遂げて彼女を、一端の戦士として覚醒させていく。
同時に彼女に与えられた課題は、諜報のイロハである。
暗号の読み方に、化粧の仕方、男を誘惑する方法、誰にも知られることなくショルツに連絡を取る方法など、末端の工作員としての教育が施された。
そして彼女はそれに見事にこたえる。
何人かの同じような境遇の人間の中で、点数だけを見れば最も優れた成績を叩き出した。
晴れて送り出された初めての任務。
それがロズヴェータロ率いる三頭獣を見張るというものだった。
身分は騎士見習い。
事実彼女は、これが終われば騎士校への入校を、騎士ショルツの推薦付きで獲得できる予定であった。
しかし、いざロズヴェータ率いる三頭獣に潜入する段階になって、習った技術と実践は別物だということを彼女は思い知る。
あくまで彼女が習ったのは、知識としての技術であった。
それを見ず知らずの相手に、他の人の目を盗んでやり遂げることの、なんと難しいことか。
特に、やたらと顔の良い副官の少年と、治癒術師という触れ込みの気位の高い少女から向けられる視線は、決して友好的なものではない。
無機質に、まるで処刑場所に送られる豚を見るような冷たさを感じて、彼女は背筋を震わせる。
以前猟師が、捕まえたイノシシを解体する現場に立ち会ったが、その時の壮年の猟師の視線そっくりであった。
どう調理しようか、どう解体してやろうか。
その視線に込められる意味に、ネリネは戦慄する。
騎士隊と言えば、荒くれものと言うイメージが強い中で、三頭獣は上品だと、事前に聞かされていたが、ネリネにしてみれば冗談ではない。
上品なのではなく、殺意を包み隠すのが上手いのだ。
背筋を流れる冷や汗にせっつかれるように、ネリネは、生き残り方を探す。
どうすれば、どうすれば逃げ切れるか。
「ネリネ殿」
そんな時彼女に話しかけてくるのは、見張れと言われた筆頭のロズヴェータ。
「随分、落ち着かないようだが……」
何を呑気な、と一瞬だけ怒りが脳裏をよぎる。
「……いいえ、少し緊張していまして」
表面上は友好的に、笑顔を切らさず対応する。ここで監視対象にまで警戒されるようでは、話にならなかった。
「そうかい? 君の任務は知っているつもりだが」
どきり、とそのロズヴェータの一言にネリネの心臓が跳ねる。
「……と、言いますと?」
副官の怜悧な美貌と比べれば凡庸としか言いようのない顔の造形。しかし、友好的に向けてくる笑みの質が、ネリネには先程までとは違って見えた。
あくまで表面上の連絡役としての任務だと、何とかごまかすしかない。
「上手く、騎士ショルツに伝えてくれると嬉しい。どうも私は伝え方があまり上手ではないようだからね」
にっこりと笑っているように見えるのに、その裏の意味を察しろと言われている錯覚に陥る。ロズヴェータと話している最中、突き刺さる背中への冷感すら伴った非友好的な視線が、彼女の精神を音を立てて削る。
「……それは、勿論」
「ありがとう」
そう言って、ロズヴェータが僅かに後ろを振り向くと、彼女に向けられる非友好的な視線が和らぐ。
思わずロズヴェータの視線を追えば、不穏な副官と治癒術師が視線をそらしていた。
その様子に、目の前の少年は、全てわかったうえで自身のためしているのだと、ネリネは感じた。
まるで縄で雁字搦めにされて身動きの取れない中で、ロズヴェータに生殺与奪の権を握られているような感覚。
「仲良くなれると、嬉しいな」
まるで首を真綿で締め付けられ、ふとした瞬間に息ができるようなロズヴェータの気まぐれで生かされているような錯覚。
しかし、なぜだかネリネはそれを快感と感じた。
息ができるその一瞬だけ、胸が高鳴り、頬は紅潮し、体の奥がぎゅっと締め付けられるように感じるのだ。思わず乱れた息を吐き出してしまう。
初日はこんなことはなかった。
では二日目か。
二日目もそんなことはなかったはずとネリネは反芻して、自分でもどうしようもないのだと気づかされた。
いつからかは、わからない。
しかし、いつしかネリネがロズヴェータを潤んだ視線で追いかけるようになり、ずっと見ていたいのに恥ずかしくて、目をそらさずにはいられないような不思議な感覚を味わう。
「おーい、ネリネ手が止まってるぞー」
分隊長のバリュードが声をかけるも、ロズヴェータの姿を視線で追いかけるネリネには聞こえていないようだった。
「お前、本当に隊長が好きだよな。もしかして恋でもしてるのか?」
そのバリュードの言葉に、言葉をかけたバリュード自身がびっくりするほどびくりと飛び上がり、勢いよくバリュードの方を向いた。
「恋ってなんですか?」
「あー、うーん? なんて言えばいいんだろ?」
ひどく真剣な様子で詰め寄るネリネに、バリュードの方が困惑する。
「娼館で一回いくらで売ってる──」
「──私真剣なんですけど」
そう言って抜かれた長剣と視線の鋭さに、バリュードは両手を挙げて降参した。
人を斬るための斬り合いは好きだが、これは不本意だ。
「女が好きなものらしいぞ。俺にはよくわからんけど、寄ると触るとその話をしたがるしな。なんでも相手のことを、身分とか関係なく好きになるらしい」
「相手のことを、身分関係なく……」
自分はどうだろうとネリネは考えて、そもそもロズヴェータを好きなのかと言う問いにぶつかる。
首を絞めつけられるような圧迫と、それを解放された時のあの何とも言えない解放感。しかも、相手に生殺与奪の権利を握られていて、いつその解放感が味わえるかわからない緊張感。
喘がせた口元から、流れる涎さえ、きっと舌で舐めとれば甘露に違いない。
ぺろりと、ネリネは唇を舐めた。
赤い舌が、艶のあるふっくらとした唇をゆっくりなぞる様子は年齢不相応の艶めかしさを感じさせた。
「で、恋してるのか?」
バリュードの質問に、ネリネはそっと頷いて、妖艶に笑う。
「嗚呼……食べちゃいたい」
視線の先には、ロズヴェータ。
きっと同じことをロズヴェータにしたら、喜んでくれるだろう。
手足を拘束し動けないようにしてから、あの引き締まった身体が、快楽に跳ねる様子を想像するだけで、あの優しい声で苦し気に喘ぐ声を想像するだけで、ネリネは体の奥が鈍く疼く。
「んふ、ふふふふ」
実にねっとりとした粘着質な視線を、ロズヴェータに注ぐ。
「ま、優秀だから良いんだけどね」
と、我関せず鼻歌すら歌いながら、バリュードはロズヴェータの未来に少しだけ同情した。
◇◆◇
「……」
報告書に視線を落としていた騎士ショルツは、考え込むようにその報告書を今一度見返していた。
三頭獣に対する報告書が、ネリネから上がってきたのだ。
報告の概要をまとめれば、決して危険度は高くないが、監視を継続する必要がある、とのこと。
理路整然とした過不足の無いその報告書に、だからこそショルツは違和感を覚える。
普通、密偵として送り込んだ人員からの報告書は、不足が発生するものなのだ。人目を忍んで最低限の情報を命がけで伝えるのだから、当然と言えば当然。
その足りない部分を想像力や経験から埋めていくのが、情報の集約先であろうショルツということだ。
しかし、ネリネの差し出した報告書には、その不足する部分が見当たらない。
考えられる可能性は二つ。
一つ目は、ネリネがロズヴェータの完璧な信頼を得て、自由な行動ができる場合。
もう一つは、ネリネが寝返っている場合だ。
ショルツは、自身の経験から後者の可能性が高いと判断した。
しかし、何かしら手を打つ必要は今の所感じていない。
寝返ったとしても、ネリネは継続的に情報を送って来た。いくらかの嘘が含まれているかもしれないが、それも一つの情報であることに変わりはないのだ。
そのつもりで割り引いて読めばよい。
不足する情報を空白の中に補うよりは、余程ショルツにしてみればやりやすい。
ショルツが探しているのは、ロズヴェータの弱点となりえる情報だ。
既に上では、今回の依頼を着実にこなすのであれば、問題視されないだろうが、三頭獣の首根っこを捕まえておく必要はあると、ショルツは考えていた。
彼らは、集団として優秀で山岳戦に強い。
しかも騎士隊には珍しく謀略に強く、辺境伯家の後ろ盾がある。
中々に使い勝手のよさそうな駒であった。
だからこそ、引き続きネリネが三頭獣に潜入して情報を送って来るのは、彼としても大歓迎であった。
上にあげる情報と、彼自身の中の判断は別。
仄暗い視線で、彼は報告書の文章を再度読み返していた。
◇◆◇
目の前に見えて来た最前線の砦。かつての国境をまたぎ西へと移動した三頭獣は、いくつかの補給拠点を回りながら、着実に依頼をこなした。
「ここまで無事にたどり着いたな」
騎士ショルツの言葉に、ロズヴェータは頷く。
隣り合って進む彼らは、師と弟子、あるいは教師と生徒のようであった。
「これも、騎士ショルツのご指導のおかげです」
「そんなことはない。騎士ロズヴェータの奮闘のおかげであろう」
長くもない口髭をそっとなでると、ショルツは視線を三頭獣の後方にいるネリネに向ける。
ショルツの視線を追ったロズヴェータは、それが何を意味してのことなのか、少しだけ考える。
「ネリネのことだが」
「はい」
「できれば、しばらく君の騎士隊に預けたいと思うのだが」
「彼女は優秀ですし、私としてはありがたいですが」
謹厳実直な騎士としての表情を崩すこともなく、ロズヴェータの疑問にショルツは答える。
「どうやら、彼女は君の隊が殊の外気に入ったらしい。手紙をもらったが、是非残りたいと」
そこで僅かにおどける様に肩を竦める。
「親としては、少し寂しい気もするがね。君さえ良ければ、になるが?」
「非常に光栄なことだと思います」
殊勝に応えるロズヴェータは、軽く頷き、ネリネが正式に三頭獣に同行することが決まった。
「折に触れて手紙を出させてほしい。これでも娘同然に思っているからね」
「わかりました。必ず」
三頭獣は、一人の加入者と武官派閥からの評価向上をもって依頼を終えることが出来た。
ロズヴェータ:駆け出し騎士(銀の獅子)
称号:同期で二番目にやべー奴、三頭獣隊長、銀の獅子、七つ砦の陥陣営
特技:毒耐性(弱)、火耐性(中)、薬草知識(低)、異種族友邦、悪名萌芽、山歩き、辺境伯の息子、兵站(初歩)
同期で二番目にやべー奴:同期の友好上昇
三頭獣隊長:騎士隊として社会的信用上昇
銀の獅子:国への貢献度から社会的信用度の上昇
毒耐性(弱):毒からの生還確率が上昇。
火耐性(中):火事の中でも動きが鈍らない。火攻めに知見在り。
薬草知識(低):いくつかの健康に良い薬草がわかる。簡単な毒物を調合することができる。
異種族友邦:異種族の友好度上昇
悪名萌芽:行動に裏があるのではないかと疑われる。
山歩き:山地において行動が鈍らない。
辺境伯の息子:辺境伯での依頼で影響度上昇
陥陣営:連続で落とし続けている限り、味方の能力に強化効果。(連続7回)
兵站(初歩):兵站の用語が理解できる。
信頼:武官(+20)、文官(+20)、王家(+14)、辺境伯家(+30)
信頼度判定:
王家派閥:少しは王家の為に働ける人材かな。
文官:若いのに国のことを考えてよくやっている騎士じゃないか。派閥に入れてあげても……良いよ?
武官:以前は悪い噂も聞こえたが……我慢も効くし。命令にはしっかり従っているし戦力にはなるな。
辺境伯家:このままいけば将来この人が辺境伯家の次代の軍事の中心では?
副題:ロズヴェータちゃん、愛され体質。




