辺境伯家
叙任式を終えたロズヴェータは、辺境伯家からの使者に導かれるまま王都にある辺境伯家の屋敷に向かう。先導のためにやってきた従士を見てわずかに目を見開いたが、往来の中で声をかけるのが憚られたため、黙って従う。
辺境伯が王都滞在の折に居住する屋敷に通されると、来客用の応接室にて初めて従士が膝をついて首を垂れる。
「ロズ坊、いやロズヴェータ殿、騎士の叙任おめでとうざいます」
従者ユーグの父親、つまりはカミュー辺境伯家におけるロズヴェータの後見人がそこにいた。
「……その、なんというか、親父殿、いたずらにしてもむず痒いものでして」
「……くくく、ガハハハ! いや、すまんのう! やっぱり柄じゃないわい!」
「親父殿も人が悪い」
照れて頭をかくロズヴェータを見上げるように、立ち上がった。
「うむ、うむ。おおきゅうなったの!」
ロズヴェータの腕や肩を叩き、伸びた身長を見上げるその様子は己の息子を見上げるがごとく親愛に満ち、その表情だけでロズヴェータには、晴れやかな門出に相応しい幸福を感じさせた。
「そういえば、不肖の息子はどうされました? あれにも従士としての心構えを改めて教えてやらねばならないと思っていたところだったのじゃが」
表情の曇る後見人──ユバージル。
「ああ、申し訳ありません。親父殿が来ているとは知らず、用事を言いつけてしまいました。まもなく……」
ユーグの到着を知らせる召使の言葉に、鷹揚に頷くと、一瞬だけユバージルに目を向けて通して良いかを確認する。満面の笑みで頷くユバージルに苦笑しながら、ロズヴェータは召使に通すように伝える。
「ご命令通り組合に話は通し──父上!?」
「おう、いつも言っとるじゃろうが! そのけったくそ悪い父上とかいうのは、やめよ。ユーグ」
「いえ、年齢相応の呼び方というものが……」
「なんじゃつれないのう。小さい頃は、ととさま、ととさまと呼んでくれたのに」
「いつの頃の話ですか!?」
悲鳴を上げつつ、逃げようとするユーグをユバージルが抱き留める。
「悪い子じゃのう。ユーグ……悪い子には、どうするんじゃったかのぅ?」
「ぎゃ!? その髭! 痛い! 痛い! しかも臭い!? や、やめろ。このハゲ、チビ!」
「ふははは、じょりじょりしてやろう! ほれほれ!」
小柄なユバージルに捕まり逃げ出せないユーグ。絶世の美男子が中年のハゲでチビに捕まり、頬を擦り付けられている絵面は、危険な香りもするがそこに親愛の情以外はない。
一通り家族の触れ合いの場面を見ていたロズヴェータだったが、表情を改めて育ての親に、聞くべきことを聞く。
「……それで、今日はどんな御用で?」
常には、辺境伯家の本領にいて内は反抗的な他の貴族家や外には隣国に睨みを利かすユバージルが、王都までわざわざ来るのだ。相応の理由があるに違いない。
「……うむ。流石に、守子の成長を見たくてという理由だけではありませぬ。実は、お館様から言伝を言いつかっております」
「父上から?」
ここでいう父上とは、無論育ての親であるユバージルではない。血縁上の親である辺境伯ノブネル・スネク・カミュー辺境伯のことをさす。
一つ咳払いをして、ユバージルは姿勢を正す。まるでそこに敬愛すべき主君がいるかのように、厳粛な空気をまとって、しっかりとロズヴェータを見据える。
「此度の婚約破棄のこと、誠に遺憾。されども獅子に楯の一族は、正面から事を構えるには難敵、なればこそ時間をかけて復讐すべし。差し当たって……」
差し出された書状に目を通せば、依頼状であった。
「……騎士校での剣術大会のこと、聞き及んでおります。まことに見事。お館様もそれはそれは、見事なことだと、お喜びでございました。辺境伯領のことは気にせず、むしろ利用するつもりで邁進してほしいとのことでございます」
差し出された依頼状を見れば、組合を通じての騎士隊への依頼であった。
「……お見通しですか」
「我ら、辺境の蝮などと呼ばれておりますが、獅子に負ける道理がどこにありましょうや。大蛇は生き延びるために獅子すら飲み込まねばなりません」
にやりと笑う育ての親の顔は、獰猛な戦士の顔。
「これは、わしからの助言でありますが……王都でぬくぬくと権力闘争などやっておる者どもに、目にもの見せておやりなさい。我ら辺境の守り人。しかれども、我らが守るに値しないと判断すれば、一息に飲み込むこともありえるのだ、と。ロズ坊、気迫じゃよ、世の中そんなもんじゃい!」
豪快に笑って肩を叩く親からの言葉は、何よりの餞の言葉であった。
「おおっと、これもあった」
そういって取り出したのは、成人の証を認める指輪と短剣であった。
「以前渡したものは小さかろうと、指輪は、お館様。短剣はわしと妻からです」
「……大切にします」
紋に刻まれているのは、いずれも剣に巻き付く蛇。辺境伯家の紋章だった。
「家族の証。辺境伯家は、何があってもロズ坊を見捨てることはせんとのことです」
この時代、例えば戦争で捕虜になったとしても、身代金を払うための身分証明書がなければ、どこのだれとわからず、兵士とともに奴隷となって売り払われてしまう。その身分証明書が指輪であった。
「ありがとうございます。新しい紋にもよく似合う」
独り立ちした騎士は、自分の紋を掲げることがある。それはどの係累なのかを示すとともに、自分自身の旗幟を明確にするもの。騎士隊を立ち上げるのなら、決めておかなければならない意匠だった。
「いつか、ロズ坊が独り立ちして自らの紋を掲げる日まで、と思っていましたが……こんなに早くお守り代わりになってしまうとは……それでどんなものに?」
「それは……」
視線をロズヴェータが従者のユーグに転じれば、懐から取り出したのは小さな紙きれ。絵心のある者に頼んで描いてもらった紋の意匠だった。
もし、この意匠が気に入られるなら機織りギルドに依頼して、紋章旗を作ってもらうことになる。
「狼に蛇ですか」
あまり獅子の国では、好まれない狼という意匠に首をかしげるユバージル。
「不満そうだな?」
「というよりも疑問ですな。なぜ狼なのか、と」
「狼は、我が育ての父に関するものだからな。これ以上身元をはっきりさせるものはない」
「……ロズ坊」
そう言ったきり絶句するユバージル。ユーグの姓は、狼の毛皮という。そこからとったと言われれば、育ての親としては最大の名誉と言ってもいい。
だが、ユバージルは首を振ると、その名誉を否定する。
「生憎、わしはそこまでの栄誉をもらえるほど、何かをしたわけじゃあない。わざわざ紋章旗で不利を引き受けることもないと思いますがの」
「そうだろうか?」
ロズヴェータが視線をユーグに転じると、その視線の意味を悟ってユーグは頷く。
「この国では不吉の象徴、厄介者ぐらいの意味合いですからね。獅子の頭を追加などしてはいかがでしょう?」
ユーグの提案にロズヴェータは眉をひそめて考え込む。
「二頭の獣か。それじゃ蛇は尻尾にでもするか」
図案を再度修正すると、今度はユバージルが口を出す。
「わしの敬愛する蛇を尻尾とはつれない。せめて大蛇にして頭にしてくれませんかの?」
「三頭立ての獣……むぅ。まぁ様になってはいるのか?」
美術的センスはあまりない、三人の男たちの結論がどうやらまとまりそうであった。
「神話にある地獄の番犬でも、犬ですがの?」
「強そうではありそうです」
「まぁ、良いだろう」
最後にはロズヴェータの裁可を得て、新たな騎士隊の紋章旗が決まった。獅子と狼と大蛇の頭を持つ獣の紋章旗。勝利と不吉と再生を意味する三頭の獣。
三頭獣の旗は、そうして生まれた。
副題:ロズヴェータちゃんお父さんが二人!?