酒保商人との交渉
内心だけで勝利条件を確認する。
──部下を満足させるのと、商人から恨まれない……で良いのか? バリュードは、とりあえず早く決着をつけて早く休みたそうだし、ミグはとりあえず部下の食い扶持が減るのが困るって感じか。ヴィヴィは捕虜の方を気にしているから、面倒を減らしたい。
分隊長達をざっと視線で確認すると、それぞれの思惑を何となく察することが出来た。
──後は、目の前の商人連中だ。ここでごねる理由はなんだ? これだけの兵士に囲まれて殺される危険を承知していないのか? それとも殺されないと思えるだけの大手が後ろにあるのか? だとしたらそれは、見通しが甘い。場所がなぁ……。
そんなことを考えながら、まず状況を整理したかったロズヴェータは、“兎”のルルにどういった状況で彼女ら酒保商人を略奪するに至ったかの説明を求めた。
「……この商人の護衛が襲い掛かって──」
どうもこうもない、と頬を膨らませて無言の抗議をしているルルに、ロズヴェータは視線で続きを促す。
「ちょっと待て! 襲い掛かってきたのはそっちだろう!? しかも護衛殺しやがって!」
ルルが言い終わらぬ前に、女商人が抗議の声を上げる。それに若干イラつきながら、ロズヴェータは努めて平静になろうとしながら話の続きを促す。
「ああ、落ち着いて。まずはルルの話を聞いてからです。その後で否定はご自由に」
そう言って女商人を見つめた後、先ほどから何もしゃべらない老商人に視線を向けると、彼はコクリと頷くのみのだった。皺深い顔は日に焼けて赤銅色をしている。白髪の髪は短く刈上げられ、瞳の色は碧玉に近い緑。高い鷲鼻と鋭い眼光は、歴戦の商人を思わせるが先ほどから無言を貫いている。
──ああ、そうか。くそ、商人かあるいは部下が嘘をつく可能性もあるのか。それに見えている状況次第でそれが事実として認識されるのだから、どっちが嘘とも言い切れない可能性もある。くそ! これは失敗だな。にしても、なぜこの商人は黙っているんだ? 主張があるからついてきたんだろうに……。
それを訝しく思いながら、ロズヴェータは視線を再び女商人に向けた。
「二人連れてきたのは、彼らが別の商人だからか?」
「いいえ。彼らは一緒の酒保を開いていた」
じゃあなぜ、という視線に女商人が噛み付く。
「お爺ちゃんは、口がきけないんだよ!」
老商人が喉を隠していたマフラーをずらして自身の傷跡を見せる。喉に古傷があり、それが原因だと主張したいのだろう。
「……なるほど。商人とその代理、ね」
口の中だけで囁いたロズヴェータは、更に面倒になったなと思いながら、自身の忍耐力を振るい起こした。
「……面倒なら、なかったことにしてしまいますか?」
「そういう悪魔の囁きはやめてくれるか」
苦笑しながら耳元で囁くユーグをたしなめ、彼が下がると息を吐き出した。
「確認しますが、そちらの……」
女商人に視線を向け、そういえば名前も知らなかったなとロズヴェータは一瞬口ごもる。
「お孫さんの主張が、そちらの商会の主張でよろしいのですよね?」
初めて互いに視線を交わし合う自称孫と祖父。
「そうだ!」
と主張する孫に、首を振る祖父。
いや、ダメなのかよ。と思わず内心で突っ込むロズヴェータは、力の抜けそうになるのをなんとか耐えた。可能なら交渉相手は一人に絞った方がやりやすい。少なくとも、なんら責任の無い立場で変な主張をされるよりは、交渉がやりやすいとロズヴェータは判断した。
「筆談は?」
頷く老商人に応え、ロズヴェータは机と筆を用意させると、孫を分隊長ヴィヴィに言って黙らせると今度こそ交渉に入る。紙に文字を書きつける静かな音だけが、彼らの間で交わされる会話であった。互いに状況を説明して、主張を書きつける。
ロズヴェータ側からの主張は、襲撃に伴う勝者の権利を行使すること。つまり、商人の持っている荷を明け渡せ、ということに他ならない。三頭獣は、一方的に被害を受けた被害者であり、その自力救済を行ったに過ぎない。
山賊行為を働いた二つの騎士隊のその一つと行動を共にしていたのなら、その片棒を担いだに等しく、命まで取ろうとは思わないが彼の部下が満足する程度の物資は欲しい。
逆に、商人側からすれば彼らは戦場における酒保商人であり、あの場は戦場であったがゆえに酒保商人としての権利を求める。
表現を変えて何度かお互いの主張をぶつけ合うが平行線をたどる。
ロズヴェータ側は、酒保商人が運ぶ物資をよこせ。商人側はそれはできない。
三度繰り返した際に、ロズヴェータは埒が明かないことを悟る。何か他の視点が必要だった。既に時刻は夕暮れに迫る。このままだと、部下が暴走しかねない。
「えー、疲れたよー」
と言ってバケツヘルムを被ったままのバリュードは、戦闘態勢を解いていないのだ。問答無用で商人を斬り殺して、物資と寝床を奪っても不思議ではないとロズヴェータは感じていた。
「……そういえば、貴方は人も扱いますか?」
長い睫毛の奥の碧玉の瞳を微妙に揺らし、老商人は頷いた。別段不思議なことではない。戦場で捕虜が発生するのは普通のことである。それを連れたまま戦を続けることが出来ない以上、兵站を担当するところに預けるのは普通のことだ。ましてや、捕虜がそのまま奴隷として売り払い、良い小金稼ぎになるとくれば、やらない方がどうかしている。
だからこそ酒保商人が捕虜を奴隷商人としての面を持っているのは特段不思議ではない。だからこそロズヴェータの問いかけに、老商人は頷いたのだ。
「なるほど、では一つ商談といきましょう。こちらが売りに出すのは、30名の奴隷。貴方が差し出すのは酒保としての物資の全て……いかがです?」
ユーグに命じて生き残った敵の騎士隊の人数を挙げさせると、それを買い取れと主張する。従軍商人の権利に、他国人と自国人に対する商売の自由の権利というものがある。
それは、商売の自由を保証した権利である。商人は自分の好きな相手に、商売ができるのだ。
「よろしいのですか? 一人残らず殺してしまった方があと腐れが無いと思いますが?」
ユーグの極めて好戦的な主張に、ロズヴェータは無表情で頷く。商人に奴隷を売り払うということは、生き残って復讐に来る可能性があるということだ。その危険性を受け入れるのかと、ユーグは確認していた。
「30人からなる奴隷の取引、うち一人は末端とはいえ貴族だ。さて商いますか?」
巌のようだった老商人に戸惑いの気配が伺える。
商えないことはない。しかし、問題はその対価が高すぎる点だ。いくら貴族が含まれると言っても、男爵家などの下級貴族。しかも三男等になれば、その価値は一部の例外を除いて非常に下がる。だからこそ、酒保の物資を全部と言われれば、奴隷30人程度では釣り合うはずもないのだ。
相場を知らない子供の戯言か、それとも商売としての駆け引きなのか。そのところがわからず、老商人はロズヴェータの態度に疑問を抱きながらも回答を保留していた。
「……私は無意味な殺しはしたくない。ですので捕虜に取った彼らも殺すつもりはないんです。ですがこの先急ぐ旅路だ。だからこの商談が成立しない場合、彼らを解放しないといけない」
じっとロズヴェータを見つめる老商人に、なるべく悪ぶった顔を見せるようにロズヴェータは口を開く。
「ですが、両手両足を縛られたままでは、捕虜もいずれ死ぬでしょう。それは本望ではない」
そこまでロズヴェータが言った後、彼を見つめる老商人の眉間にしわが寄った。それがもたらす事態を正確に予想したためだ。武器がないとはいえ、屈強な男が30人。それを壊滅させたであろうロズヴェータの騎士隊は既になく、そこには酒保商人だけがいる。護衛は既にない。
町からは既にかなり離れ、人里離れた山奥ですらある。騎士隊が盗賊稼業に手を染めて、逃げ切れると踏む程度には、人里から離れているのだ。逃げるとしても相応の速度が要求される。
運よく通りがかりの人に助けてもらう、等という幸運を期待するには、老商人は年を取り過ぎていた。
30人の荒くれた男達にとって、酒保商人達は供物に捧げられた羊にしか見えないだろう。少なくとも完全武装した騎士隊を一つ相手取るのに比べれば、何ほどのこともない。何一つ権利を妨害せず、ロズヴェータは酒保商人を殺せると主張したのだ。
彼らの助かる手段は、この商談自体を取りやめてすぐさまここから立ち去るか、それともロズヴェータの主張を受け入れ、物資を明け渡し、三頭獣と共に30人の奴隷を管理しながら進むしかない。護衛が消えた酒保商人の弱みを正確に突いてくるロズヴェータの主張に、老商人は苦虫を噛み潰したかのように口の端を歪める。
その口元を隠すように手を当て、記された文字とロズヴェータを交互に見る。
「……物資、融通していただけますよね?」
追い詰められたのが分かったのか、それとも別の理由からか脂汗を流す老商人を尻目に微笑むロズヴェータ。
「──わかった。わかった! こっちの負けだ! ダグズ!」
そう言って会話に割って入ってきたのは、先ほどの女商人の方だった。
「お嬢……」
聞き取りづらい声ながらもしっかりと発声する老商人に、ロズヴェータの視線は鋭くなる。ヴィヴィに抑えられていた女商人が、両手を挙げて降参を主張する。
「面目ねえ」
先ほどまでの威厳はどこに行ったのか、一回りも小さくなったように感じる老商人から、視線は女商人に移る。
「あたしは、ラスタッツァ。この……チソッド商会の長よ」
訝し気な視線を周囲から受けて、それでも悪びれない彼女に、ロズヴェータの視線は、鋭さを増す。
「嫌だな。今度は本気! こちらの負けだ。物資は渡す」
「良い心がけで」
冷たく言い放つユーグの言葉にさえ、ラスタッツァはまるで動じた様子がない。
「商売も安全じゃねえんだから、色々あるんだよ」
「その似合わない化粧も?」
苦笑を深くしてラスタッツァは頷いた。
「まぁ、いいさ。商談は終わりだ」
そう言って立ち上がるロズヴェータに向かって、ラスタッツァが割符を投げる。それを空中で受け取ると、訝し気に視線を落とすロズヴェータ。
「割符いるだろ? 商売させてもらうぜ」
凄むラスタッツァの言葉に、眉を顰めてロズヴェータは無言で背を向ける。
「チソッド商会をよろしくな!」
追いかける様にかけられる声にため息を吐いて、ロズヴェータはその場を後にした。夕日は既に辺りを染めている。野営地にするには、血の匂いが染みつきすぎた場所ではあるが、他に適当な場所もなくその日三頭獣は、深夜まで働き詰めであった。
◆◇◆
「あの酒保商人はどうだ?」
「なかなか逞しいと言わざるを得ませんね」
ロズヴェータの質問に、眉を顰めつつ美貌の副官ユーグが答える。
それから三頭獣について移動するチソッド商会は、略奪されたとされる時点における物資を全て差し出し、奴隷30名を受け取るという契約を交わすが、そこから追加の物資を仕入れると、酒保商人としての活動を再開する。
追送品として町から定期的に商品を運ばせる手筈を最初から整えていたのだろう。送られてきた品物をもとに、三頭獣の面々相手に商売をして儲けを出しているのだ。
ユーグとしても暴利を貪るようであれば、手も口も出しようもあったのだが、程よく調整されており中々に難しい。
最も価格表などというものはなく、欲しい人が欲しい値段で買うため、時間帯によっては二倍にも三倍にもなるのが普通であったが、それでも暴利だと騒ぐほどの値段設定にはない。値段交渉に失敗して高い買い物を掴まされるのは、個人個人の才覚として許容されるとするのが常識だった。
三頭獣は、他の騎士隊に比して金銭の管理がしっかりしている。ロズヴェータからして最初は文官を目指していたため、金銭の計算はできるし、専門の会計士を置いている。しかも福利厚生のため、保険とも言うべき制度を導入し、借金をさせないように口を酸っぱくして部下を指導する姿は、半ば口うるさい母親のようだった。
それでも、借金をしてしまう者はいる。
それだけ行軍というのは、退屈で苦しいものなのだ。温かい食事、熱中できる娯楽あるいは一時心を慰める酒等、望んでも得られないモノがすぐそこにある。手元にある金銭で賄えると知れば、誰しもが誘惑に打ち勝つのは困難というものだった。
最も先の襲撃において略奪できた物資を換金するためにも、酒保商人の存在はありがたかった。ロズヴェータとラスタッツァの交渉が無ければ、30人からなる捕虜を次の街まで引っ張っていき、そこで換金しなければならないという事態が発生していたのだ。その手間たるや、一思いに息の根を止めてしまった方が楽なのではないかとすら思えるほどだった。
その手間を省き、即決で換金することができるのだから、やはり戦場における酒保商人の地位と役割は何にも代えがたい。
代替できる機能がないことから、やはり酒保商人は必要なのだという結論に落ち着く。
「うーん……」
思わずため息を吐いて考え込むロズヴェータの元に、ラスタッツァが訪ねてきたのは、酒保商人を連れて行軍を始めてから四日後のことだった。
副題:ロズヴェータちゃん、また厄介なボーイミーツガール。




