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獣達の騎士道  作者: 春野隠者
王都経略編
56/115

酒保商人

 敵の首魁の一人である男の動きが、ユーグには手に取る様に理解できる。それは一つの巨大な才能であり、残酷なようだが人によっては全く身につかない類の特殊な能力の一つであった。無論ある程度は経験で補えるものであるが、ある程度以上の部分は才能という神様の依怙贔屓に頼らざるを得ない類のもの。

 例えば、相手の視線、得物の長さを瞬時に判別し、振り下ろされる剣戟を紙一重で交わす。相手が何を狙っているのか、振るわれる動きの予兆からそれらが手に取るようにわかる。類まれな才能であった。突き詰めていけば、戦いの中で相手の動きをある程度コントロールさえできる。

 敵の不規則に揺れる見開かれた血走った目と膨大に額から流れる汗の量は相手の焦りの兆候であった。ユーグはそれを無感動に観察する。

 そろそろ仕留める時期か、と。まるで冷酷な医者が救いようのない患者を診るような目で、あるいは利に敏い商人が商品の値段を見定めるような、熟練の農家が一つの大きな果実を収穫するために剪定をするような、そんな視線でユーグは敵の動きを観察していた。

「なぜだ! なぜ当たらん!?」

 歴戦の騎士であるゲランは、目の前の少年に翻弄されっぱなしであった。

 最初に抱いた印象は、顔が良いだけの少年。王国で持て囃される中性的な顔立ちに、すらりとした立ち姿は、人気の男娼だと言われればそう見えるし、舞台俳優だと言われても、なるほどと納得する。

 上級の騎士だと言われれば、なるほど漂う気品もあるのかもしれないと野良犬のような自身を卑下しつつも思っただろう。同時に所詮は戦場を知らないお人形だろうと、馬鹿にもするが。

 だが、その実この目の前の顔の良い少年の形をした何者かは、ゲランの予想を超えて強い。誰がこんなか細い少年から卓越した剣戟の才を見出すだろう。力では、そう腕力では確実にゲランが勝る。それが予想に過ぎないのは、ただの一度も、彼の攻撃が当たらないのだ。

「ぐぬぅぅ!?」

 踏み込む速度は、刻印武器マールクエイジャンの力を借りて、彼の全盛期よりも遥かに速い。たゆまぬ訓練を積んだはずだった。我武者羅に鍛錬を積めば、その先に、栄光が待っていると思えた若い頃の、記憶にあるそれよりも、なお速い。振り下ろされる長剣の速度が有り余って地面を砕く。その力さえ、ゲランがいかに努力したとて到達できるはずのない類のものだ。

 なのに、なのに全くと言っていいほど、目の前の顔の良い少年の形をした何者かに当たらない。当初こそ、挑発交じりに男娼として飼ってやろうなどと軽口を叩けていたものの、途中からその余裕は全く持って失われた。

 最初から全てを見切られているかのような錯覚すら覚える。それほどの見切り。少年の構えるのは細身の長剣と、破壊の短剣(マンゴーシュ)の二刀流。今のゲランの力なら、破壊の短剣(マンゴーシュ)ごと叩き切れる自信すらある。

 だが、そのための攻撃が当たらない。既に何度斬り付けたか数えるのも億劫なほど切りつけていた。

 息は切れ、肺が悲鳴をあげるのを怒りでもって押さえつける。

 ──こんなはずではないのだ。こんなはずでは! 

 小僧どもを手土産にさらなる資金を商人どもから受け取り、今よりもっと騎士隊を大きくする。金さえあれば自らに従う騎士の数ももっと増やせるはずなのだ。金こそが力。金こそが成り上がるための力!

「こんの、小僧どもが!」

 振りかぶった刻印武器(マールクエイジャン)に力が走る。刻まれた刻印が持ち主の意思に応じて力を発する。速度を、衝撃を上昇させるその力さえあれば、自分は力を手に入れたも同然。もっと上にいけるはずなのだ。

 怒りに燃える目で、ゲランは美貌のユーグを睨みつけた。

 ──こんな、容姿に恵まれ、女どもにチヤホヤされるだけの若造などに、俺の邪魔をさせるか!

 技術ではない。気力でもって捻じ伏せようと、憎悪とともに睨みつけた視線の先に──。

「──う」

 あまりにも冷徹なユーグの視線があった。

 まるで一切の熱を感じない。自身の中に吹き荒れる熱量を見透かすような、無邪気な子供が手足をもがれた昆虫を観察するような無慈悲な視線。

 その視線にゲランは気圧された。

 ──騎士隊を大きくしてどうする? 従う騎士を増やして、どうするというのだ?

 その視線は無意識のうちに命の値段(・・・・)を問うていた。

 それは強者だけに許される視線だった。だからこそ、ゲランは気圧された。その先がない。自身の命の値段につける答えが、ゲランにはなかった。

「このおぉぉ!」

 だからこそ吠える。その視線を遮るように、目を背けてしまった。

 一歩踏み出すと同時に振り下ろした一撃は地面を叩き、同時にゲランの胴体に一閃が走る。ゲランのわきの下を、ユーグの頭がするりと抜けていく。銀色の長い髪が風に流れるように動いた残像を、ゲランは見た。そして彼が見たのはそれが最後の光景だった。

 防具の可動部──その隙間を縫って走る剣閃がわずかの後に、血飛沫を噴出させてその戦いは終わる。

 倒れ伏したゲランを、害虫でも見下ろすようにして視線を向けたユーグはその首筋に最後の止めをきっちりと差して、完全に息の根が止まったことを確認した。

「ゴミが」

 舌打ちとともに言い捨てたその言葉。熱の一欠けらすら存在しないその言葉は周囲の温度を幾分か下げたようだった。

 類稀な美貌だからこそ、その声の発する冷たさに周囲は震える。表情すらほとんど動かさずに、価値の一片すら認めないその在り方に、華々しさなどかけらも存在しなかった。男なら誰でも憧れる雄々しさも、勇気も、何もかもこの美貌の少年の前では無価値なのではなかろうか。

 そんな錯覚すら覚えさせる決闘。寝物語に聞く決闘、あるいは吟遊詩人の謳う決闘とは全く異なる類のただの殺し合い。

 まるで必要な作業をこなしただけ。そんな決闘の結末の果てに、ユーグは敵の生き残りに対して視線と血濡れた剣先を向けた。

「降伏するか、死ぬか、選びなさい」

 ごくりと、敵味方として争っていた者たちの誰かが唾を飲み込む音がした。それほどの静寂があたりを支配していた。まるで雪原の中に唯一人取り残されたような悪寒すら感じて、剣先を向けられた彼らは震えながら得物を落とした。誰か一人が取り落とせば、それは自然と流れになってその場にいる全員が武器を捨てる結果になる。

 やけに空々しく響くその音を無感動に聞いたユーグは、ため息をつきそうになって──。

「ユーグ!」

「あ、はい!」

 まるでその声だけで、世界が色づいたように錯覚し、ユーグは振り返った。知らず、顔には笑みが浮かびこれからかけられる彼の主の言葉を期待している自分がいることを、美貌のユーグは無意識のうちに理解していた。


◇◆◇


「ロズヴェータ様!」

 嬉しそうに駆け寄ってくるユーグの無事な姿を見て、ロズヴェータはほっと胸をなでおろした。

「良かった。無事のようだな」

「ええ、勿論です。私は貴方の従士ですので、このような雑魚に負けるはずもありません」

 満面の笑みで答えるユーグに対して、ロズヴェータは不思議そうに首をかしげる。

「それにしてはなんだか……」

 周囲を見渡し、敵どころか味方の顔が若干ひきつっているような気がしてロズヴェータは、疑問を浮かべた。

「ふふふ、あまりにも圧倒的な私の勝利に、皆が驚いたのでしょう」

 クスリと笑うユーグの笑みに、冗談と受け取ってロズヴェータもまた笑う。

「俺だって相手の騎士を一騎打ちでだなぁ──」

「それはそれは! 是非とも武勇伝を広めねばなりませんね!」

「いや、それは……勘弁してくれ」

 じっとロズヴェータの姿を見たユーグは目尻を下げたユーグは、赤い瞳の奥に暖かなものを宿しながら問いかける。

「……まさか、また(・・)殴り倒したので?」

 無言のままぷいっと横を向いたロズヴェータの横顔に、ユーグはたまらず噴出した。その声にようやく周囲が温度を取り戻していくようだった。動きを取り戻す三頭獣ドライアルドベスティエは、降伏した敵を拘束し、持ち物を略奪してから順次ひとまとめにしていく。

 実は騎士校時代に剣術大会決勝戦で殴り倒して優勝したことを、結構気にしていることをユーグは知っていた。

「隊長!」

 呼びかけられた声に反応してロズヴェータが視線を向ける先には、後衛で略奪を許したはずの“ミグ”ルル。元帝国の傭兵団の面々も一緒に騒がしく合流を果たしていた。

「ああ、ど──」

「問題発生」

「う、だった……そうか。で何が?」

 一瞬だけ固まったロズヴェータは、すぐに切り替えた。最早問題が起こるのは、当然のことと受け止めていた。そうでもないと騎士隊の隊長などやっていられない。

「だーかーらー! 責任者に会わせろって言ってんの!」

 元帝国傭兵団の彼らに囲まれて連れてこられたのは、老人と似合わない厚化粧をした少女だった。いや、正確には少女だと思われる人物だった。少なくともロズヴェータには年齢不詳の女にしか見えなかった。しかもまるで絵の具を塗りたくったかのようにその化粧が似合っていない。

 そして騒いでいるのはその女の方だった。

「彼らは?」

「酒保商人」

「……おう。帝国だとアレも?」

 その言葉だけで分隊長ルルは頷いた。

「勿論。戦場に聖域はない」

「そうか……そうかぁ」

 ため息とともにロズヴェータは天を見上げ目をつむった。

 ──どうしよう。

 遠征をするにあたって必要な兵站をどう維持するか。それはいつの時代の軍を率いる者にとっても難題として立ちふさがる問題である。そしてこの時代の常識(・・)として彼らは、商人を従軍させるという選択によってその答えとしていた。

 つまり、面倒ごとを自分達以外に放り投げたのだ。だからこそ、いくつかの作法がある。

 ゆえに獅子の紋に王冠(リオングラウス)王国においては、彼らに対する略奪を禁止している。無論戦場のことだ。稀にそういうことがあることは、否定できないが積極的にやろうとはしていない。なぜなら、彼ら酒保商人には、その後ろ盾となる大手の商会が存在し、酒保商人のあげる利益をしっかりと回収しているからだ。

 だからこそ、酒保商人を敵に回すと大手の商会を敵に回すことになる。

 そして大手の商会を敵に回すと、途端に金回りが苦しくなるのが王国での実情だった。だからこそ、余程のことがない限りは、酒保商人を略奪の対象にはしないのだ。

 無論、三日月帝国(エルフィナス)をはじめとする異教徒は別だが。

 そんなわけで、ロズヴェータは天を仰いで目をつむった。

 ──どうしよう。いっその事、証拠ごと消しちゃおうか(・・・・・・・)

 そんな不穏なことすら頭によぎるほど、血を見た後のロズヴェータは危険な思考に走りそうになっていた。それほどに面倒な事態である。最悪この勝利に何らかのケチがつく。せっかく気分よく敵を撃破し、被害もほとんどない状態なのにも関わらず、彼の気分は一気に下降線を走ってマイナスにまで至ろうとしていた。

 そんな彼の様子など構いもせず、元帝国の傭兵団の異教徒たちは取り囲んだ同行者を、隊長のもとへ連れてくる。彼らにしてみれば、捕まえた獲物を主人に見せる気分であったのだ。気分は狩りに成功した猫かもしれない。

「隊長、こいつらが隊長に会わせろって言うもので……」

 傭兵団の一人がそう言って、老人と女の周囲から距離をとる。彼らの身なりを見た瞬間ロズヴェータの近くにいた分隊長達は顔を見合わせて、ロズヴェータとともに天を仰いだ。

 見るからにわかりやすく、連れて来られた彼らは商人であった。一縷の可能性にかけて違う可能性を期待したが、もうどうしようもなく分隊長達が見慣れた商人である。

「あー……」

 視線を横に流して分隊長の一人女戦士のヴィヴィにロズヴェータは視線を向けたが、彼女は肩をすくめて黙って首を振った。

 ──酒保商人です。

 だよね、と頷いてロズヴェータは溜息を吐いた。

「で、俺がこの騎士隊の代表者だが……」

 言葉を発しながらロズヴェータは急速に考えねばならなかった。どうするか、をだ。

「何か要求があるんだって?」

「酒保商人に対する権利の保証を要求する!」

 王国における信仰の名のもとに保障される権利。商人組合が大枚を叩いて教会に認めさせたそれを、女の商人は要求してきた。

 ──戦場における身分の保証、他国人と自国人への商売の自由、交渉の権利。

 首から下げたロザリオを突き付けてくる女商人の手には、確かにこの国の大多数が信仰する十字教の聖像。騎士校での学んだことを思い出しながら、ロズヴェータは商人と交渉かと口元を自らの左手で隠した。右手は腰に佩いた長剣の上にそのまま置いてある。

「まぁ、立ち話もなんだし、椅子を用意させようか」

「あまり時間をかけるわけには……」

「わかっている」

 耳元で囁くユーグの言葉に、ロズヴェータは頷く。本来ここで襲撃を受けることさえ予想外だったのだ。次の戦場に早く向かわなければならない立場の三頭獣ドライアルドベスティエからすれば、あまり長居はできない。

「そんな長い時間はかからないだろう! 私は自らの正当に保証された権利を主張しているだけだ!」

 似合わない化粧をしている女商人の主張に対して、ロズヴェータは目を細めるだけで華麗に無視した。

 用意された椅子に腰かけると、交渉相手に当たる目の前の二人に対しても椅子をすすめる。彼らが椅子に座り交渉の座についたことを確認すると、ロズヴェータは口を開く。

 ──とにかく焦らないこと。そして自分の強みを生かすこと。後は、なんだっけ……?

 まぁ、最悪なかったことにしてしまえばいい、と腹をくくってロズヴェータは彼ら二人を観察する。

「どうぞ、座ったらいかがかな?」

 あくまで言葉遣いは丁寧に、どう交渉が転がるかわからない中で言葉尻一つで失敗することもある。

「まずは、状況を整理しましょうか」

 周りには三頭獣ドライアルドベスティエの兵士達がぐるりと交渉を見守る。相当な圧力になっているはずなのに、女商人は全く怯む様子がない。

「なにが整理だ! 早く私達を解放しろ!」

「随分焦っているようですが、何かまずいことでも?」

「あるわけないでしょ! 貴方達には、わからないかもしれないけど、商人にとって時間は有限なのよ──」

 まくしたてる女商人の言葉に、ロズヴェータは慎重にタイミングを図る。

「──時は金なり、でしたか? 確か、商人組合ギルドの格言でしたよね」

「う、そ、そうよ」

 一瞬だけ怯んだ女商人に畳みかける。

「ですが、いかなる場合も商人なら利益を弾きださねばならない、ともありますよね? あるいはこの中でも商売のタネが転がっているのかもしれませんよ?」

 腕を組んだ女商人、依然沈黙したままの老商人は互いに視線を交わすと、椅子に座りなおした。

「それで、状況整理だっけ?」

 幾分か落ち着いた声音で女商人を確認して、ロズヴェータは交渉に入る。

 敵には回せない。しかし、略奪品を返せ、と言えば元傭兵団は面白くないだろう。命がけで働いた報酬が取り上げられるのだ。理屈ではわかってはいても納得はできない。

 どこに落としどころを持ってくるか、答えを見出せないながらもロズヴェータは交渉に臨んでいた。

副題:ロズヴェータちゃん血に酔う。

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[気になる点] どうすんのこれぇ… [一言] 素面だったら絶対胃が痛くなる状況ですね
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