盗賊の討伐依頼の裏でⅠ
抜けるような青空に、大きな雲が浮かんでいる。眼前に広がる光景の広さに、ロズヴェータは瞬間意識を奪われていた。目に見える全てが川とそこから形成される肥沃な大地。
王国北部に広がる穀倉地帯と一面に広がる大河命の川。
獅子の紋と王冠の王国は東西に長い地形を形成している。聖地奪還を掲げた十字軍の遠征を成立過程とする国家の成立は、西から東へかけて十字軍の遠征経路沿いに国土を成立させた。その時補給を担当した、海岸沿いの諸都市には水の女王の影響力のある都市国家が成立し、今もなお都市国家として複数存在している。
遠征軍に物資と食料を、遠征軍からは財宝と奴隷をそれぞれ主要な交易品として、東西物流の主要な海上交通を成立させて以来、海上覇権は水の女王フェニキアのものだ。
陸運は、馬車や人の手による輸送が主である。そのため、輸送の主力は水運とならざるを得なかった。風さえつかめば、大容量の貨物を一気に運べるからだ。
獅子の紋と王冠の王国の中央付近は、なだらかな丘陵と豊かな穀倉地帯が広がる。東西南北へ延びる大動脈“信じる者の道”と呼ばれる比較的大きな道があり、その中でも東へ延びるのは、聖地へ延びる道として最も人通りが多い。
かつて王国に存在した英雄のおかげで、三日月帝国との間に講和が成立して、十字教の聖地巡礼の権限を、金さえ払えば認めさせることに成功したのだ。
王国東北部から流れる河川の最も大きなものは、命の川と呼ばれ、王国中央を通って東部で屈曲して南東部へと下っていく。度々氾濫するその河川沿いに運ばれる黒土と呼ばれる肥沃な土が積み重なって豊かな穀倉地帯を形成している。
王家の直轄領が命の川沿いに多いのも、そうした理由である。
海の覇権を握るのは水の女王であったが、彼らが内陸まで進出してくる必要性はなかった。河川の利権は、十字軍の遠征当時から各地の豪族が握っており、別個の税率を設けて通行する船から税を取っている。
時には隣接する有力な貴族家や王家直轄領の代官すら抱き込んでその利権を守る彼らのしぶとさは、王家の悩みの種。無論彼ら豪族側からすれば、先祖代々認めてきたものを、いきなり剥奪すると言われれば、反発するのは当たり前のことだった。
王家直轄領に暮らす豪族は、一つの貴族家としても良いぐらい権勢を誇っている。
「今年も王国北部の穀倉地帯は豊作みたいですね」
「……ああ」
黄金の穂を揺らす小麦の畑に、目を細める。
“吹き抜ける風に髪を揺らす黄金の乙女。豊穣の聖女の聖恩厚き、愛おしきエウザーラ……。”
過去に聞いた歌劇の一節を、眼前の光景に思い出しす。
「“愛おしき黄金のエウザーラ”、か……」
ロズヴェータの呟いた一節に思い当たったのか、ユーグが神妙な顔で問いかける。
「北部英雄譚の一節ですが……エウザーラがなにか?」
長い睫毛を瞬かせ、視線を北部随一の都市にしてエウザーラ地方の盟主エウザーラの方に向ける。高い城壁と、大河命の川の洪水を巧みに計算して設計された都市の配置。小高い丘の上に城塞が存在し、大河に面する港を保有する商業の都であり、そして何より、王家派閥の筆頭ルクレイン公爵家の直轄領その居城である。
「いや、なんでもないさ」
美貌の副官ユーグからの問いかけに、なんとはなしに心がざわめいた。小さな領地を運営する領主として、自分の領地が引っかかったのだ。
エルギスト村は、己の領地に一つしかない小さな村は、今年の冬を無事に越えられるだろうか。娘を売りに出さず、冬の寒さに凍えて、ひもじい思いをしないで済むだろうか。
そんな小さな感傷を抱いたロズヴェータは、受けた依頼に戻るため、気持ちを切り替えた。
「さあ、巡回の続きだ。盗賊と言っても小規模なものだが、放置はできないだろうしな」
「はい!」
いつもより、威勢の良いユーグの声が聞こえる。ロズヴェータは内心アウローラが居ないからだろうかと、少しだけ勘ぐった。
◆◇◆◇
ロズヴェータ達が、王都から北部へ北上して盗賊討伐の依頼を受けている最中、アウローラは王都に残ることにしていた。武官派閥から受けた盗賊討伐の依頼を受ける中で、人員的には少し余裕があったためだ。
しかし、アウローラを長としたのでは別動隊の編成は困難。
彼女は亡国の王女であり、彼女の影響力が増すのを嫌ったロズヴェータが、身の安全を保証できないとして却下したばかりだった。彼女の身分は否応なく騎士隊を割る。少なくとも当面、騎士隊が大きくなるまでは、彼女の身分は、一介の治療術師というわけだ。
というわけで、別動隊の長としてロズヴェータが指名したのが、筆頭分隊長のガッチェ。
辺境伯領出身で短槍の使い手。疲れた中年の顔に、強かさを隠している優秀な兵士。さらには忠誠心に厚く、何でも万能にこなす……とロズヴェータが認識しているガッチェである。
その評価をガッチェ自身が聞いたら、悲鳴を上げて倒れそうな高評価であったが、彼の分隊を残す代わりに帝国出身の元傭兵団“兎”ルルを筆頭としたエルフ達を、今回の依頼に加えている。
「頼むぞ、ガッチェ。お前だけが頼りだ」
領主の三男で、敬愛すべき騎士隊の隊長からそう言われれば、ガッチェに断る術はない。
勝手に人を斬り出すかもしれないバリュード。勝手に暴れ出すかもしれないヴィヴィ。と比較した結果だと考えれば、ガッチェも納得せざるを得なかった。
分隊長ガッチェの分隊の構成員は、全員がロズヴェータの出身である辺境伯領の出身者で構成されている。その分ロズヴェータとの付き合いも長く、“我らが隊長”としてロズヴェータを慕っている者ばかりだった。
今回王都に残すことをロズヴェータが決めたのも、彼らの忠誠心に期待して、という面が大きい。
「しかし、ただ飯を喰らわせておくわけにもいかない」
これは、騎士隊全員の共通認識であった。
とりあえず人が斬れれば何でもいいバリュードでさえも、部隊を分ける時に同意するのだから、珍しく騎士隊が一つの意見の元にまとまったと言っていい。
残る部隊にも、少なからず仕事を割り当て、当面の食い扶持ぐらいは確保せねばならない。
「そこで一つ提案が」
と言って話を持ってきたのは美貌の副官ユーグである。
彼の伝手で娼館周りの警護の話があるというのだ。その中性的な美貌は、リオングラウス王国の中でも傾国傾城の域に達している。娼館からの男娼の誘いや、他の貴族から愛妾としての誘いなど、それこそ数えきれないほどあったが、それを全て断ってロズヴェータの副官をしている。
その際を伝手を使って、娼館での短期間での護衛の仕事を引き受けられるというのだ。
「少なくとも、当面の食い扶持は稼げるはず。あとはガッチェ殿の裁量次第」
辺境伯領出身の分隊員からは熱い視線を、その他の者達からは極度に冷たい視線を受けて、ガッチェは内心の動揺を隠して頷いた。
「引き受けましょう」
声が震えなかったのが不思議なくらいであった。
そうして始まった娼館の護衛の内容は、贔屓にしている娼館の昼夜の警護である。
娼館であるからには、酒を提供する。他に娯楽も少ない王都においては、ほぼ最大の娯楽と言っても良い。そこには金が集まり、酒に酔った男や女が騒ぎを起こす。
火に吸い寄せられる羽虫のように、わらわらと集まってくるそれらを適切に処理していくことが求められる。
その仕事内容からして、必然的に分隊長ガッチェが選ばれるのは当然だった。
ロズヴェータ達が、盗賊の討伐のための依頼で北部へ出発すると、自然ガッチェが居残り組の長となって、三頭獣に指示を出す。
「では、まずユーグ殿から紹介された娼館へと調整に行ってきます。ブリューネル、ランドルは会計士の護衛を──」
「私も、独自に動いていいかしら?」
アウローラの一言に、無表情を装って、ガッチェは頷いた。
「──ええ、もちろん。隊長からは了承を戴いています。ワーミル、エディン護衛を」
「……そう」
無論、ロズヴェータはそんなことを言っていないが、ガッチェは全てロズヴェータの了解を得ている旨の発言をしてから、許可をする。少しだけ驚いた様子で目を見開くアウローラに、護衛として呼ばれた二人が、元気よく挨拶をした。
「よろしくっす。エディンっす」
「アウローラさん、よろしくっす」
それぞれにアウローラが視線を向けると、まるで田舎の少年のような純朴さで返事をする分隊員達。彼らが護衛で本当に大丈夫なのかと視線をガッチェに転じると、無表情のまま頷かれた。
一回り年齢が違うということは、アウローラからしても、そしてロズヴェータからしても完全に年上の大人である。見るからに自信満々に無表情で頷くガッチェの様子に、アウローラは納得するしかなかった。
彼女の経験上、比較対象は少ないながらも偉大な父親は常に威厳を保っていたし、その周囲を固める大人たちも、自信がない場合は素直にそれを告げていたからだ。
「ええ、よろしく」
「では、他の者は待機」
それぞれに役割を告げると、ガッチェは自身娼館との打ち合わせのためにその場を後にする。内心では、自信など全くなく、冷や汗を全身から流していたが、全ては彼の無表情に隠されて厄介な子供たちや彼を親とも慕う分隊員達には、気づかれることはなかった。
副題:ロズヴェータちゃん、留守の間に色々ある。




