王都での再出発
すいません。遅れました。
辺境伯家からの依頼を終えたロズヴェータは、三頭獣とともに、再び獅子の紋と王冠王国の王都へと帰還していた。
25名を数えた騎士隊の戦力は、倍増して49名となり、元帝国の傭兵隊と治癒術師まで加えたその一行は、再び王都の辺境伯家宅を拠点として活動を再開する予定であった。
辺境伯家から王都まで徒歩で約20日。
三頭獣では恒例の昼夜を問わぬ重装備で野山を駆け巡る訓練のおまけつきの移動は、新しく入った元ハリール傭兵団の帝国人達にはえらく好評だった。
「野山を駆け巡り、木々の恵みを得るとは、非常に素晴らしい」
兎のルルが代表して熱弁を振るうと、元傭兵団の構成員は一様に同意見の様子だったので、3人の分隊長をはじめとして、ロズヴェータに初期の頃から付き従っている者達は、何か異常な者を見るような目で彼らを見て居た。
「本気かよ。この拷問が、楽しそうですらあるぜ?」
驚愕に目を見開いた巨躯の女戦士ヴィヴィが唖然として言うと、隣のバリュードは普段と変わらぬ様子で、そしてガッチェは疲労困憊で喋る気力すら失ってそれぞれ感想を漏らす。
「やっぱ帝国人は変わってる」
「……もうやだ」
さすがに最初からロズヴェータに従っている者達は、もう何度もこの訓練に参加していることもあり、脱落する者はいなかったものの、唯一治癒術師のアウローラは当然のごとく脱落した。
「む、無理に決まっているでしょ。ば、馬鹿なの?」
息も絶え絶えに野山を駆け巡る彼らに追いつけず、村娘のメッシーとメルブの二人に支えられてなんとか山道を進んでいる。
「アウローラ様、御無理をなさらず」
「そ、そうです。あ、みんなもうあんなところに」
実の所、子供の頃から野山を駆け巡る暮らしをしている村娘二人組は、ロズヴェータの実施する訓練にそれほど抵抗はない。むしろやれと言われれば、相応にできる。
しかしながら、ロズヴェータ自身が彼女達を前線に出すつもりは当然ながらなかった。簡単な護身術を教えたら、王都における財産の管理や給与の計算など、そちらの方面で使い倒すつもりだったので、訓練への参加をさせていなかったのだ。
一方のアウローラは、全くの未経験である。
身体能力も頭脳も同年代に比して頭一つどころか二つ以上飛びぬけていると自負している彼女にとっても、山野を駆け巡るというものが、これほど体力と気力を奪っていくものだとは想像もしていなかった。
自生する植物は踏み出す足の先を隠し、小さな羽虫がブンブン飛び回るし、何より空気が重いような気がする。今は雨期に差し掛かっているところなので、余計にそう感じるのかもしれない。広葉樹と針葉樹から為る高い木々は、頭上から降り注ぐ日光を遮り、足元には名前すらわからない低位植物が刺々しい枝葉を広げる。
倒木から生える何か毒々しい色のキノコや、苔の色さえも、初めて歩くアウローラを翻弄しているようだった。また地形も起伏に富んでいる所が多く、非常に歩きづらい。
私をこんな目に合わせて、絶対後悔させてやる、と心に誓ってアウローラは執念で足を動かす。
精魂尽き果てた頃に、やっと到着した王都の姿は、彼女にとって福音の鳴り響く神の都にすら見えた。聖書に謳われる豊穣の約束された土地というものが存在するのなら、あるいはこんなところかもしれないと思えるほどに、初めての山野行は彼女にとって相応に地獄だった。
「つ、ついた……」
もはや異国の姫の威厳などどこへか消し飛び、旅に疲れた老人のようになってその場にへたりこむ。
「だ、大丈夫ですか?」
「すっごい城壁ですね」
アウローラを気遣う村娘メッシーと、初めて見る王都の城壁に呆然とするメルブ。
「なんかすごい久々な気がするね」
巨躯の女戦士ヴィヴィが晴れやかに言うと、他の分隊長も同意する。
「……微妙?」
兎のルルを初めとした元帝国の傭兵は、首を傾げるだけだった。
諸々の感想を抱きながら三頭獣は、王都に戻ってきていた。
◆◇◆
ルクレイン公爵家の次期当主ガベルは、片膝をついて首を垂れていた。彼が首を垂れるのは、この国広しと言えども、神の前と至高の座を戴くただ一人の少年の前だけである。
「臣ガベル、全力をもってこれにあたらせていただきます」
頷く少年王の言葉を代行するように摂政である少年王の母親が口を開く。
「大義」
立ち居振る舞いは、優雅にして気品を纏わせる。ガベルの一挙手一頭足に、その場に居並ぶ全員の注目が集まっていた。王の両脇には武官と文官の代表者が並び、日の光を取り入れた室内は明るい。天井から差し込む陽光が、ステンドガラスを通して謁見の間に、神聖な空気を齎していた。
少年王の退出をもって、謁見の間で行われた儀式は終わる。
文官と武官はそれぞれの思惑を胸に、思考を巡らせる。
誰もかれも、腹に一物抱えた不遜な輩だと周囲を見渡して、ガベルはその場に立ち上がった。
「おお、ガベル殿この度は大変なお役目。微力ながらこのギーツお力になりますぞ」
笑顔で近づいてくる文官に、ガベルは仮面のような笑みを浮かべて対応する。
「よろしくお願いいたします。ギーツ殿」
「して、会談はいずこに?」
「王都の内での開催になろうかと思います。幸いなことに隣国の大使も揃っておりますし、内諾もいただいておりますれば」
「なんと!」
大げさに驚くギーツが、途端に相好を崩す。
「さすがは、王家に連なる公爵家の次期当主ガベル殿。このギーツなどでは決して及ばぬ手腕の確かさですな。いや、お見それしました」
あからさまな阿諛追従の言葉に、苦笑するガベルは、貴族の会話として対応する。
「そんなことはありません。ギーツ殿、むしろ大変なのはこれから、その際にはギーツ殿をはじめとしたお歴々の力を是非ともお借りすることもあるでしょう」
阿諛追従にはそれに応じたものを返すガベルは、満面の笑みを浮かべるギーツに切り返す。内心あまり良い返事ではないことに落胆しつつもギーツは、相好を崩すような若手ではない。
「ルクレイン公爵家の次期当主たるガベル殿の頼みとあらば、断る理由はございません。是非ともお手伝いさせていただきたいものです」
「ええ、その時には是非」
微笑と共に会話を打ち切り、ガベルが退出していく。その後ろ姿を、ギーツは爬虫類のような瞳で見て居た。
◆◇◆
王城は、王が政務を行うスペースと王族が居住するスペースに分かれている。
前者が公的な場所で外廷と呼ばれ、後者は私的な場所で内廷と呼ばれる場所だった。謁見の間が公的な場所とするなら、執務室は後者の私的な場所とされる。
「リオリス・ティアン・リオンモルト様、いらっしゃいました」
王城内の外廷を守るのが国軍の兵士だとするなら、内廷を守るは王族が私的に抱える近衛だ。
「入れなさい」
彼らが守るのは、一重に王族のみ。王国全体を守るのが国軍兵士とするなら、王族の私兵と言っても良い。重厚な扉が開き中に入るのは、未だ少年の域をでない騎士。
「リオリス参りました」
「お待ちしていました。リオリス卿。要件はわかっていますね?」
膝を折り、片膝を付いたリオリスは、顔を上げてしっかりと摂政エリザベートの目を見返す。
「はい。これも、王族の務め。身命をとしてやらせて頂きます」
「兄さん、あの……」
気弱な少年王の声に、リオリスは陽気に笑う。
「国王様にそう呼ばれるのは、とても嬉しいが、癖になるからな。気をつけなきゃ駄目だぜ」
朗らかな笑顔を向けられた少年王は、はにかみながらも頷くと、一つ咳払いをしてから謝罪の言葉を口にした。
「ごめんね。その、危険な役割を任せちゃって。それに王都から離れられないのは……」
「さっきも言ったがな、これでも王族の端くれだから、責務は分かってるつもりさ。金に不自由しない生活をさせてもらっているんだから、代価は必要だよ」
そう言ってカラカラと笑うリオリスに、少年王は戸惑うように頷くと、その後を次いで、摂政として君臨する王太后が口を開く。
「頼みますよ。リオリス。親族といえど信頼できるのは一握りです。貴方を騎士としたのは、後の国軍総司令官を任せるつもりなのですから」
子を守る母親の強さを表情に宿して、摂政エリザベートは宣言する。近衛は王家の私兵である。その指揮権は無論王族にあるが、国軍は国に仕える兵士であり、国王の私兵とまではいかない。
だからこそ、王族出身の国軍総司令官は、民の人気を非常に集めやすい。誰しも、強い英雄を求めている。弱い王族は好まれない。
「はい。お任せ下さい。まぁ、暫くはかかりそうですが、王が成人し親政を始められる頃までには相応の地位を獲得いたしましょう」
「……本当に頼みますよ」
一瞬だけ、摂政にあがる前の気弱と言ってもいい性格が顔を出し、彼女はすぐにそれをしまい込む。
「依頼は、組合を通じて指名させます。必ず受けるようにしなさい」
一つ小気味良い返事をして、リオリスは笑う。少年の頃よく遊んだ弟分とその母親を少しでも安心させるため、内心の不安も不満も押し殺し、努めて気楽なものだと笑って見せる。
「兄さ、あ、いや、リオリス卿……」
尻すぼみに声の小さくなる少年王にリオリスは苦笑して、好きに呼んで良いと答える。
「ありがとう! そうだ。一つ何かお願いごとは、ないかな? 僕で叶えられることなら、何でも……」
「──王!?」
驚いたのは摂政エリザベート。自らの息子の突然の言葉に彼女は、慌てふためいて思わずその小さな肩に手をかける。
「その、誕生日プレゼント……まだ、だったでしょ?」
だが、摂政エリザベートの手は、続いて発せられた少年王の言葉に力なく引っ込められた。やれ、期待するだの、信頼しているだの言ったとしても、自らはその相手の祝うべき日ですら、記憶していなかったのだと、自己嫌悪に表情が歪む。
「おぉ、覚えてたのか!?」
「当たり前じゃない! 前はよく一緒に祝ったんだから!」
ニコニコと笑う少年王は、年相応よりも幼く見えた。そんな弟分の優しさに、リオリスは、首をひねって考える。
断るのは、悪い。しかし、金などには困っていなし、何もしていないのに報奨などもらっていては、周りからの評価が途端に最下層まで落ちるだろう。
出来れば、この少年王を守れるような何かに繋がる使い方をしたいと考えたリオリスは、一つ頷くと、口を開く。
「今回の依頼、可能であればもう一つ騎士隊を指名して貰えませんか? それが願いです」
「え?」
思っていたのと違う願いに少年王は、視線を母親に向ける。
「構いませんが、どうしてですか?」
難しい顔をしながら摂政エリザベートが口にすると、リオリスは笑って答える。
「一つには、今回の依頼の万全を期すためです。もう一つは、個人的に仲良くしたい奴が居まして」
その途端、捨てられた子犬のような視線で少年王は、リオリスを見つめる。
それに苦笑して、リオリスは更に言葉を続けた。
「カミュー辺境伯家の3男が、ちょうど帰ってきているみたいなので、一緒に依頼を受けてみようかなと」
カミュー辺境伯家と言った瞬間、摂政エリザベートの眉間は深い谷間を刻み、考え込まざるを得なかった。
「……味方にできるのですか?」
その先を彼女は口にする勇気がなかった。王家から見て辺境伯家の態度はとても褒められたものではない。
事あるごとに国軍の出動を願い、隣国との緊張を高めているようにしか見えないのだ。本音を言えば、彼女はカミュー辺境伯家を恐れている。いや、カミュー辺境伯家だけでなく、武器を持って生業とする輩を恐怖の眼差しとともに見ていた。
だからこそ、王家の力の増強に熱心だし、国を安定させるための教会との付き合いも深い。王家こそ最大の力を持つべきだし、その力の差が隔絶していればしているほど、諸侯や宮廷貴族達が素直に従うと思っている。
だから虎視眈々と力をつけている辺境伯家のことを、快く思ってはいないのだ。
「それは、分かりませんが……」
リオリスの言葉に、摂政エリザベートは、思わず強い視線を向ける。
「ですが、我らは騎士の誓約をしています。その前提は何よりもまず、己に恥じない生き方が出来るか、というのは言い過ぎでしょうか?」
頭を掻きながら、リオリスは照れくさそうに言うと、子を想う母親に真っ直ぐ視線を合わせる。
「……いえ、その通りだと思います」
項垂れるように、視線を足元に向けた王妃エリザベートは、人の上に立つ者の問ではなかったと拳を握りしめた。
「分かりました。指名しておきましょう。それでその騎士隊の名前は?」
「確か、三頭獣。隊長の名前は、ロズヴェータ」
◆◇◆◇
ガベル・リード・ルクレイン。リオンセルジュの長兄が、その報告を受けたのは、諸国との調整を任された直後であった。
「誠に、誠に申しわけありせん」
平身低頭する初老の副官ハーデギアから報告を受けて、マルレー子爵家の令嬢ヒルデガルドの元婚約者が、謀略の魔の手から生き延びたことを知った。
「かくなる上は、この命を賭けましても……」
悲壮な覚悟を固めつつあるハーデギアの肩を叩くと、ガベルは、首を振る。
「無用、証拠はないのだろう?」
「幾重にも偽装は施してあります」
「ならば良い。今回は時期ではなかったということであろう」
豪放磊落を絵に書いたようなガベルであったが、その性は極めて緻密であった。不必要な駒はなるべく盤上から排除したいと考える彼にとって、ロズヴェータの存在は、不確定要素が多すぎる。しかも、悪い意味でだ。
さらに、なんの因果か先程王家の尖兵たるべく教育しているリオリスから、そのロズヴェータの騎士隊を今度の会談の警備に加えたい旨の申告があったのだから、驚きは二重であった。
自身のことを、けっして清廉潔白の士ではないと知っているガベルからすれば、ただ真っ直ぐに王家のために力をつけているリオリスは、眩しくも青臭い少年だった。
だからこそあの王太后と少年王から信頼を勝ち得ているのだと思えば、警戒されている我が身の不徳の大きさに苦笑するしかない。
「下した決断は変わらぬ。辺境伯家の3男は、排除する方向で良い。しかし今は不味いな。それに……」
言葉を切ったガベルは、隣国の姫、火種を持ち込む都市国家シャロンのアウローラ姫に考えを及ぼす。
「あの娘……ネクティアーノ・ヘル・ノイゼの娘は、公式に立場を名乗ってはいないのだな?」
「その点は間違いなく。治癒術士として、騎士隊に加わっているとのこと」
ふむ、と呟いてガベルは考えを整理する。今は、彼らを害する利益よりも、不利益のほうが大きい。こちらの関与を知られていないのであれば、少し時間を置く方が賢明であろう。
王都では隣接する各国の大使を集めて、同盟の関係構築に腐心しているところだ。これがなれば、王家派閥の力は大きく伸びるであろう。だからこそ、余計な火種は必要ない。
文官派閥の中にも、一定程度王家派閥の者たちがいる。決して主流派ではないところが、悔しいところであるが、彼らの力と王家のコネでなんとか纏まりそうなのだ。
「ならば、このまま使うとしよう。リオリスの顔を立ててやる意味もあるからな」
謀略の罠を生き延びたのだから、それなりの実力はあるはず。ならば、リオリスによくよく監視させればおかしなこともするまいと腹を決める。
もし、おかしな真似をすれば、リオリスの首に首輪をつけることにも繋がる。それはそれで、ガベル的には悪くない。
あるいはリオリスを通じて、王太后と少年王をより良く導ければ、今回が失敗したとしてもお釣りが来るようなものだ。
一通りの計算を終えて、ガベルは、リオリスに返事を認める。
お前の友の騎士隊を使うことを承認する、と。
副題:ロズヴェータちゃん前途多難




