羽ばたきのための助走
「父はロズヴェータ様が、エルギスト村を見捨てるのではないかと不安なのです」
村長の娘であるメッシーに直接会うと決めたロズヴェータは、彼女に会うとその真意を問いただす。女の身で兵士になることが危険だと、誠意をもって説得するつもりであった彼からすれば、彼女の発言は意外そのものだった。
「そんなつもりはないが、どうしてそう考えるのだ?」
ロズヴェータの問いに、メッシーはエルギスト村の現状を話しだす。
そばかすの残るあどけない少女は、とても好き好んで争いの中に身を投じるようなタイプには見えなかった。少なくとも、争いを好んですぐに人を斬りたいとせがむような輩とは一線を画しているようにロズヴェータには見えた。
淡く赤みがかった髪は癖っ毛なのだろう。ところどころが跳ねているが、新緑の瞳が自信なさげに揺れている様子は、小さな栗鼠を思わせる愛らしさがある。
「これといった産業もないですし、ご領主であるロズヴェータ様もこの村に来る頻度は少ないです。隣の村と比べると……」
王都で騎士としての働きを優先したロズヴェータとしては、耳の痛い話であった。視線を美貌の副官ユーグに向ければ、頷いた後にメッシーの話を補足してくる。
「隣の領地は、グランツ従士領となっています。在地領地で、一族在住で村の発展に取り組んでいるとか」
魔物の被害や盗賊の被害がないとはいえ、それは心強いだろう。開拓村を切り開いた村人は、戦う力を多少は持っているが、それでも従士や騎士には及ばない。だからこそ住んでくれるならそれに越したことはないのだ。
領地を賜ってから一度しか来ないロズヴェータの方が、開拓村では異例だと言っていい。
「もちろん、父はロズヴェータ様の意向に逆らうなんてことは考えておりません」
「そこで、村人の中から兵士を選抜して私の騎士隊に加えることで、つながりを確保しようと?」
努めて領主然と振る舞おうとロズヴェータは、人称を変えていた。騎士隊の中で求められる良き隊長と開拓村の村人に求められる良き領主の理想像は違う。それを敢えて壊すまいとしていたら、自然とそうなっていた。
まるで仮面をかぶって本性を隠しているような感覚に、少し息苦しさを覚えていた。それがこの村から足を遠のかせる理由なのかもしれない。
「そうなります。私自身の要望もありますから、それが全てではないのですが」
「君自身の要望?」
「その、外の世界が見たいんです。話に行く都会のお洒落な宝石店とか美味しい食べ物とか他の貴族様とか騎士様とか、あ、いえロズヴェータ様が悪いとかではなく、その……」
一息に言ってしまって失言に気づき、声が小さくなるメッシー。確かに300人程度の村では、娯楽と言っても少ないのだろう。店と呼ぶほどの物はなく、必要になれば行商人が月に一度モノを売りに来る程度だ。
森林を切り開いて20年程度とロズヴェータは聞いている。少なくとも、生きていくことに精一杯で、少女の好奇心を満足させるような娯楽はないのだろう。
「王都の話はどこで?」
「その、吟遊詩人様や旅の歌い手が……」
叱られると思ったのか、先ほどよりもいっそう小さな声でメッシーは答える。
時折訪れる吟遊詩人やジプシーは、貴重な情報の運び手であるとともに数少ない村の娯楽なのだろう。
身分の差というのは、厳然としてある。生まれてから100年程度の新興の国とはいえ、リオングラウス王国は、王を頂点にいただく身分制度を敷いている。だから開拓村のしかも領民が領主に向かって無礼を働くということは、死を賜っても仕方ない行為であった。
むろん、時と場合による場合や、厳しい緩いの差があるし、例外もある。
ただ一般的には、身分の差というのは大きなものだった。
「つまり、戦場で戦いたいというよりも?」
「ぇ、ええ。そうです。戦場で戦うなんて、正直怖くて」
「気持ちはわかった。少し考えさせてくれ」
「は、はい。大変失礼をいたしました」
よく躾けられた奇麗な礼をして、走り去る少女の後ろ姿を見送ったロズヴェータは、ユーグと話し合う。
「受け入れないというのは、難しいだろうな」
「戦力的にはあまり期待できません。しかし村の維持をするという領主としての仕事と考えれば、悪いことばかりではないかと」
村長の権威が高まるということは、それだけ村内の安定につながる。
村の安定は、税収の安定的な確保につながり、ひいてはロズヴェータの力になるだろう。逆にメッシーを危険にさらすようなら、村との関係はこじれるかもしれない。
「ロズヴェータ様! こちらにおいででしたか!」
走ってきたのは、村人の一人。
「どうかしましたか?」
ロズヴェータと村人の間に入り込むようにして、副官ユーグが尋ねる。鋭い視線と硬い口調は、警戒の色を隠さないものであったため、村人はその対応に面食らう。しかしそれでも身分の差というものは、ユーグに対して村人の反抗を封じ込める。
「あ、ああ。ユバージル様が参られたと村長がお伝えするように、と」
「親父殿が?」
二人は再び顔を見合わせ、どういうことかと思案する。
「……何も聞いてないな?」
「ええ、ロズヴェータ様こそ」
とりあえず、行ってみようという話になり、村長宅で待っているというユバージルの元へ二人は向かう。行ってみれば、村長宅の回りは以前とは全く違う騒がしさに満ちていた。
「おお! やっと見えた。皆あれがロズヴェータ様だぞ!」
がやがやと騒いでいた中心にいたユバージルがロズヴェータを指さすと、その場にいた全員がロズヴェータを一目見ようと視線を向ける。
「若様!」
集団からいの一番に飛び出してきたのは長身の男だった。走ってロズヴェータの前に来ると、滑り込むように膝をついて、声高らかに宣言する。
「メルフェット・グランツでございます。父ガルアドの名代として罷り越しました! 槍の腕には自信があります。是非、騎士隊にお加えくださいませ!」
「あ、狡いぞ!」
「先を越されるな!」
その声に、ユバージルの回りで騒いでいた集団が我も我もとぞろぞろロズヴェータの周りに集まってくる。目を白黒させているロズヴェータと、ユーグを取り囲んだ彼らは好き好きに自己紹介をして、自らを売り込んでくる。
「マーニー従士家のヘルオンと申します。軍学をかじっております。是非騎士隊の末席にお加えください」
紳士然とした年かさの男が言えば、隣では、巌のような男が力こぶを見せながら迫る。
「俺ァガルムってんだ! 力には自信がある! どうだ、俺を雇わねえか!?」
次々雨のように降ってくる彼らの自己紹介に、混乱から立ち直ったユーグが叫ぶ。
「これは、一体何事だ! ロズヴェータ様に目通りを望むのなら、それなりの手順というものがあろう! 弁えよ!」
銀色の髪を怒らせ、紅蓮の瞳に氷の冷たさを宿した絶世の美男子がロズヴェータに群がる男達を払い除ける。剣すら抜きそうな危険な気配に、流石にロズヴェータを囲んでいた男達も危険を察知したのか囲みを解いて、距離を取った。
「まぁ、そういうなユーグ。皆こうして集まってくれたのだぞ?」
笑いながら近づいてくるユバージルに、ユーグはジト目を向けてため息をつく。
「今回の主犯は父上ですか。一体何なのですかこのバカ騒ぎは!」
「バカ騒ぎとはひどい。父は泣いてしまいそうだぞ」
そう言って下手な泣き真似をするユバージルを、ユーグは冷たい視線で見下ろす。
「で、何なのです? 大体の見当はつきますが、ご説明を」
「うむ。ロズヴェータ様に仕官を望む者達を集めてきたのよ」
「その件は、以前お断りしたはず!」
間髪入れず、反論するユーグに嫌らしい笑みを浮かべユバージルは反論する。
「しかしな、あの時とは状況が変わったであろうよ」
舌打ちするユーグの視線が横目でロズヴェータを伺う。
確かに、状況は変わっていた。
辺境伯家からの隊商護衛を引き受けてから、死地をさ迷いロズヴェータの三頭獣は大きな傷を負った。その傷を癒さねば、満足に活動もできない。そしてさらに厄介なのは、隣国の姫であるアウローラの存在と、成り行きとはいえ助けた旧ハリール傭兵団の面々だった。
自身の野望のためにロズヴェータの側にいることを望むアウローラと、帝国に帰れば依頼失敗の責任を取らされ、処刑の危機にあるハリール傭兵団の面々は、ロズヴェータの庇護を求めた。
その人数は、ロズヴェータが今まで率いていた三頭獣と拮抗する。つまり、彼らが一致団結してロズヴェータに反抗すれば、それを成し得てしまえる力を持った集団を抱え込まなくてはならなくなったのだ。
だからこそ、ユバージルの提案だった。
その意図がわかるからこそ、ユーグは舌打ちした。生え抜きの三頭獣の面々ならば、ロズヴェータの意見に反対することはほとんどない。少なくとも彼らとはそれだけの戦歴を共にしてきた。
だが、いきなり同数の毛色の違う集団を抱え込み、さらに辺境伯家の色のついた人員を送り込まれるなど、ロズヴェータを鎖につなごうという意図が見え見えだった。
露骨なまでのテコ入れは、ユバージルの野望故か、それとも別の思惑が辺境伯家に渦巻いているのか。今のユーグでは判断できず、ロズヴェータに視線を投げる。
ロズヴェータは少し考えていたが、至極あっさりと口を開いた。
「すまぬが全員は無理だな」
「なんと?」
首を傾げるユバージルに、ロズヴェータは何でもないことのように言ってのける。
「金がない」
辺境伯家の三男から出た言葉に、その場にいた全員が凍り付いた。
副題:ロズヴェータちゃん、もみくちゃ。




