争奪戦の終結
逃げることも、退くこともできずにカミュー辺境伯家及び竜殺しの槍騎士団が眼前に迫ってくるのをただ見て居るしかなかったハリール傭兵団。
結界が解かれたことにより、森が通常の空間へと戻っている。今まであった空間の拡張、幻惑の効果はなくなり、村の隣にある小さな森に戻っているからだ。
アウローラとの問答は一進一退だった。敢えてアウローラが答えをはぐらかし時間を稼いだというのもあるが、同行するとも同行しないとも言えないその態度は、実直な副長ルルを翻弄する。
「私に構っている暇など、あるのかしら?」
笑みすら浮かべて近づいてくる二つの勢力に視線を向けるアウローラ。それに態度を装っている余裕もなく、冷や汗を流す副長ルル。
「……いくらでもやりようはあります。貴方を人質にするとか、ね」
追い詰められた者の特有の目をしたルルに、アウローラが肩をすくめる。
「あら、怖い。でもあの人たちが、私の命に価値を見出すかしら?」
「……それは」
あなた方だって生死を問わずだったのでしょう? と問いかけられて、ルルは返す答えを持たなかった。一方的に副長ルルは、アウローラの命が価値があるからこそヘルギウス騎士団が追ってきたのだと考えていたが、それが考え違いということもある。
しかもカミュー辺境伯家といえば、活動地域は遥かに北方の勢力のはずだった。
「やってみなければ、わからないでしょう」
開き直りにも聞こえるルルの答えに、アウローラは嗤う。
「もっといい方法があるわ。全員を生き残らせる手段よ。聞きたい?」
「……是非拝聴いたしましょう。姫君」
苦虫を噛み潰したような表情でルルが口を開く。本来ならこんなことをしている暇はない。すぐに離脱をすべきところだったが、副長ルルは実直ではあっても悪辣さに欠ける。傭兵として生きてきたにしては、明らかに劣る部分であったが、そこを補ってあまりある戦闘力ゆえに彼女は生き残ってきた。
また彼女の劣る部分を補ってきたのが、団長ハリールであった。
実直な副官としてなら優秀でも、一つの集団を率いて交渉をするには、彼女はあまりにも力が不足していたし性格的にも向いていなかった。特に、魑魅魍魎が蠢くような王侯貴族などとは、役者が違った。
「貴方がた全員、私の騎士様に降伏しなさい」
にっこりと笑って、アウローラは視線をロズヴェータに向ける。満面の笑みに彩られたその笑顔は、遠目から見れば花が咲くような可憐さがあった。しかし瞳の奥では冷徹な計算を働かせるとともにどこかおもちゃを弄ぶ無邪気な残酷さが同居している。
端的に言って目が笑っていなかった。
もう一人、その発言を聞いたハリール傭兵団の副長ルルは、困惑の視線をロズヴェータに向ける。一縷の望みに賭けるような、自ら臨む絞首台を見るような怖いもの見たさの視線を、アウローラの視線の先の若すぎるロズヴェータに止めて、さらに困惑する。
そんな視線を向けられたロズヴェータは、二人の女性からの視線を受けて思わずたじろいだ。受けた毒の影響からか、頭の靄が抜けきっていないのと、肌に残る毒に犯された後の痣に嫌悪感を抱かれるのではないかと心配したのだ。
「貴方にではなく、ですか?」
「私は武力も何も持たないわ。貴方がたを養っていけるだけの財力も、今はね」
ロズヴェータは、彼女たちの交わす会話に耳をそばだてる。目を開いた瞬間から雰囲気の全く変わってしまったアウローラに当初は驚いていたものの、隣国のしかも実質敗戦して落ち延びてきた王侯貴族ともなれば、認識阻害の魔法ぐらいは使っていて当然と考えた。
「でも口添えはできるわ」
交渉のための機微を熟知したタイミングで、アウローラは言葉を発する。相手に考えさせる言葉の間、表情や仕草までも【騎士校】でそのイロハを習ったはずのロズヴェータから見ても、完璧にそれを使いこなして見せるアウローラは、驚嘆に値した。
「貴方がた全員の助命を、彼にお願いすることはできる。そしてそれを彼は断らないのではないかしらね」
どこか楽しそうに笑みすら浮かべ、アウローラは視線をハリール傭兵団副長のルルに向ける。
「なぜです!?」
「秘密よ。敢えて言うなら、わたくしの騎士様だもの」
「そんなこと、できるわけが……」
思わずつぶやかれた弱気の発言に、アウローラの瞳が獲物の弱点を見つけた肉食獣のように光る。弱気に逸れるルルの視線が下を向き、それを見たアウローラは僅かに口元が勝利を確信して三日月に吊り上がる。
「では、もし仮に降伏した際のお話をしましょうか。勿論命の保証は大前提として。ふふふ」
再び向けられる視線が、先ほどよりも強いものになっていることにロズヴェータは気づいていた。
「狐狸の類です。気を付けてください」
肩を貸してくれていた副官ユーグの声の鋭さに、戸惑いながらもロズヴェータは頷く。
「あ、あぁ」
交渉ごとに慣れていないと一目でわかるハリール傭兵団ルルは、見るからに旗色が悪い。迫ってくる二つの勢力は、確かにハリール傭兵団とは敵対しているものの別にアウローラの味方というわけではないのだ。なのに、いつの間にかハリール傭兵団が降伏する話になっている。
自分を殺しに来たはずの相手を抱き込もうとしている精神的な強靭さに、ロズヴェータは目を見張らざるを得なかった。
「……ロズ」
瞳を潤ませてロズヴェータを気遣うユーグ。
「大丈夫だ。問題ない」
ため息をつきつつ、ロズヴェータは迫りくる二つの勢力を見つめた。
「……ユーグ、悪いが先頭へ」
「おすすめはしません。あの女は、この後もきっとロズを食い物にしようとしてきます」
その声の必死さに少しだけロズヴェータは笑った。
「だが、斬り捨てるわけにもいかないのだろう?」
目を覚ましてから事のあらましを聞いたロズヴェータは、驚きはしたものの、感謝の気持ちをアウローラに抱いていた。命を救われた恩義が、少しぐらいの理不尽は飲み込んでしかるべきと訴えていたのだ。それを自然に受け入れさせるだけの威厳を、彼女は備えていた。
「できることはやるさ」
苦笑して先を目指すロズヴェータに、ユーグは心配そうに寄り添う。ようやく集団の先頭にたどり着き、相対する二つの勢力の先頭が、はっきりと視界に入るようになった。
戦用の騎馬にまたがり、全身鎧に身を包んだ先頭の将は、ロズヴェータの姿を見るなり、下馬して声を張り上げた。
「若様! よくぞご無事で!」
聞き覚えの在り過ぎるその声に、ロズヴェータとユーグは顔を見合わせた。視線だけが、彼ら二人の間に芽生えた感情を正確に伝えていた。
先頭の将が顔を覆っていたヘルムを脱ぎ捨てると、そこにあったのは禿頭のユバージル。釣り下がった目尻から滂沱の涙を流し口ひげを濡らす様子は、はっきり言って絵面が汚い。しかしながら、自らを心配してのことだと思えば、決して悪い気はしなかった。
「おぉおぉ、そんな姿になって……苦労したのでしょう。きっとこの依頼を出した次男殿には、きつく文句を言っておきます故、どうぞご心配なされますな。ささ、これからは。この、ユバージルが万事取り計らいます故、どうぞ、どうぞこちらへ!」
実の父親の、あまりのわざとらしさにユーグはちらりと視線をロズヴェータに向けた。
苦笑を張り付けるロズヴェータの姿に、ユーグはロズヴェータも気づいているのだと理解する。実の父親であるユバージルが、こんな臭い演技をするときは、何かあるのだ。
少なくともユバージルは、ロズヴェータのことをロズ坊と呼んではいても、若様だとは呼ばない。例え辺境伯の前ですら呼び方を変えないのだから、そう呼ぶときは、そう呼ぶだけの理由があるのだ。
例えばそう、横に並ぶヘルギウス騎士団は、決して味方ではない。潜在的な敵であるがゆえに、油断させておくことが必要な時などに。
「……ああ、全くそうだな。兄上には、しっかりとケジメをつけてもらおう」
だからこそ、普段決してしない傲慢な青二才を演じるロズヴェータ。
「まさにまさに! ささ、お付きの方もどうぞ、こちらへ。わしらが来たからにはもう、何も心配いりませぬ。我らが護衛し、無事送り届けましょうぞ」
両手を広げて自信満々に宣言するユバージル。それに待ったをかけたのが、ヘルギウス騎士団の若き騎士だった。
「ちょっと待ってくれ。あそこにいるのは、帝国の奴らだろう?」
「あァ!? なんじゃ小童、わしの大事な若様の連れに、文句でもあるってのかァ!?」
戦場で鳴らしたその声は、恫喝のように聞こえて……いや、完全無欠の恫喝だった。
今までの猫なで声はどこへやら、戦場で鳴らした年季の入ったユバージルの声に、若い騎士は首を竦めた。ユバージルの声に反応して、カミュー辺境伯家全体の殺気が若い騎士に向けられたのだから、たまったものではない。
しかしそれでも、ヘルギウス騎士団で若いながらも騎士を張るだけの実力ある騎士だ。一瞬だけ首を竦めただけで、抗議を込めた視線でユバージルを睨む。だがそんな若造の視線など、カエルの面にションベンだとばかりに、ユバージルは手にした槍の柄で自らの首筋をとんとんと叩きながら、口の端を歪める。
「わしのやることに、文句があるってぇのなら、いつでも掛かって来いやァ。相手になってやるぞ」
もはやどちらが無理を通そうとしているのか、わかったものではなかった。
ロズヴェータや、ユーグから見ても悪者はユバージルである。
「……ユバージルその辺でよい。こちらは負傷者も多い。早々に護衛を頼みたいが」
そう言って視線を若い騎士から、ヘルギウス騎士団全体を見渡すロズヴェータ。
「待って頂きたい」
だが、そんな雰囲気の中毅然と声を上げるのは、ヘルギウス騎士団を総括する“虎殺し”ジグネヴァディ。先ほど若い騎士がやり込められたのを横目で見て居たにも関わらず、声を上げる。
「ッチ」
聞こえた舌打ちは、ユバージルのもの。心底めんどくせえな、という風なユバージルは若い騎士から離れて再度騎馬に乗る。
「お前も、何かあるってぇのか?」
ロズヴェータとジグネヴァディの間に騎馬を乗り込ませて、ユバージルが凄む。
「ユバージル殿、心配せずとも、手を出すつもりはない。貴殿の若様に、二、三質問するだけだ」
向けられる高圧的な口調も殺気も、風に柳と流してジグネヴァディは笑みすら浮かべる。文字通り、今まで絡んでいた若い騎士とは、貫録が違った。そうまで言われてしまっては、ユバージルも遮りようがない。
ロズヴェータを傲慢な若様にはできても、返答にも答えられない軟弱者とするのはユバージルの矜持が許さなかった。舐められたら殺せを是とする騎士の弱点を突かれる形で、ユバージルは引き下がらざるを得ない。
「馬上から失礼する。カミュー辺境伯家のロズヴェータ殿とお見受けする。一つ、我らはさる姫君を保護しようとここまで来た。ご存じないか。隣国のアウローラ姫だ」
ロズヴェータを見下ろす視線は感情を排した試験官の視線だった。まるでロズヴェータという騎士の器を図ろうとでもいうように、視線は鋭く、質問はジグネヴァディの性格を反映したかのように、決して避けられない所に鋭く踏み込み、核心をついてくる。
「それは──」
「その質問には、私がお答えいたします」
ロズヴェータの後ろから声を上げたのは、先ほどまでルルと交渉していたアウローラ。
「貴女は?」
「今、貴方が探している者です」
その言葉に、ざわりとヘルギウス騎士団がざわめいた。視線を鋭くするもの、あるいは手にした槍に力を籠めるもの。それらを視線だけで抑えて、ジグネヴァディは、視線をアウローラに向ける。
「我らは、南部伯爵家レジノール家の意向を受けております。ご同行願えませんでしょうか」
「私が本物かどうか確かめないのですね」
「人を見る目は確かと自負しております」
「折角のお誘いですが、お断りします。私は、既に護衛の依頼を出し、それを受けてくれたのは……」
毅然とした態度から一転、アウローラは視線をロズヴェータに向けて黙る。まるで恋する乙女のような様子をどうとったのか、ジグネヴァディは頷いた。
「よろしい。ヘルギウス騎士団のジグネヴァディが確かに承った」
ロズヴェータを見る目が、いっそう厳しくなったような気がして、頭の痛かった。
「今一つ、貴殿は騎士隊を率いているのか? 何故帝国の者どもを騎士隊に入れるのか。我らは南部の治安を預かる役儀ゆえに、答えて頂きたい。その後ろの者達は、我らが南部の国境を荒らした者達ではないのか」
まるで虎そのものと向き合っているような威圧の中、ロズヴェータは、ジグネヴァディの瞳をしっかりと見返す。
「国に善悪があれど、それがその国に暮らすもの全てに当てはまるとは、限らない」
ロズヴェータの答えに、ジグネヴァディはさらに切り込む。
「つまり、その者らに罪はないと?」
「私は、私についてくると言ってくれた者を守りたいだけです。もし彼らが帝国出身だからと罪に問われるなら、それは隊を率いる私の責任です。そう思われるなら、団長ジキスムント殿の名で辺境伯家に抗議されても構いません」
確信があるなら、掛かって来いと丁寧に言い返すロズヴェータにジグネヴァディは、鋭い視線を向けていたが、やがて苦笑するようにうなずいた。
「よろしい。その件確かに承った。森については以後、我らで不死者どもの掃討をする故、手出し無用に願いたい」
「よろしくお願いします」
「ああ、それと……」
視線をヘルギウス騎士団の中にやると、一人の男が運ばれてくる。それを見て息をのむのはハリール傭兵団の面々。瀕死の重傷だというのが、一目でわかるほどの傷だった。もはや彼に残されている時間は長くないのだと、流れ出る血と傷の深さから察せられてしまう。
「貴殿の騎士隊の者かと思い保護しておいた。引き渡しておく」
それだけ言いおいて、森の奥へ進軍を命じるジグネヴァディ。
「ちなみに、私から言うのも不快に感じるかもしれないが、この者の戦いは見事という他ないものであったよ。空駆ける屍鬼二匹とそれに従う不死者多数を相手に、商人達を守り通したのだから、称賛されてしかるべきだろう」
死にゆく者に対して、敬意を持った視線を向けるジグネヴァディ。彼はそういうと、自軍の最後尾を悠然と進んで森の奥へ消えていく。それに続いて、カミュー辺境伯家を率いるユバージルも森の奥へと進軍をさせる。
「湿っぽいのはどうにもな。後でな、ロズ坊」
瀕死の団長ハリールに駆け寄る副長ルルや他の団員達を横目に見ながら、ヘルギウス騎士団の後を追うユバージル。
不死者の去った森に、打ちひしがれた慟哭の声が響いた。
副題:ロズヴェータちゃん、依頼は失敗




