脅威
死者の手がゆっくりと振りかぶられ、落ちてくる。まるで話に聞く地獄の有様のようで、ヴィヴィはその光景に僅かに硬直した。
「分隊長!」
「──っ!?」
咄嗟に呼びかけられたその言葉に、体を動かす。
内心で舌打ちすると、幼い子供だったものを蹴散らした。
「ああぁァ! 胸糞悪いな!」
罵声を吐き出さねば、やっていられない。そう思いながら自身と部下を鼓舞する。後衛を守っていたバリュードと合流してからは、ロズヴェータの示した経路で森を迂回しているが、一向に出口が見えない。
「ヴィヴィ。おかしいぞ」
「わかってる。こんなに森は広くなかったし、大体道も踏み固めてきたからあってるはずだ!」
だからこそ違和感がある。
森全体がまるで彼らを閉じ込める様に、なっているのかと疑う。
「まるでお伽噺のクレタの迷路だ」
「ああぁン?」
バリュードの言葉に、苛立ちを含めて見返す。
「なんだいそりゃ?」
「知らないか? そうか。それより、一度隊長と合流するか?」
「ッチ、必要ないだろ!」
何かに納得したかのように頷くと、バリュードはヴィヴィに再度問いかける。退くに退けないなら、残ったガッチェと共に敵を迎撃すべきじゃないかとの考えに、だが彼女は首を横に振る。
「なんで?」
「隊長のことだから、勝ち目があるから残ったんだろうし、それに……」
そう言って後ろを振り返って視界に入るのは、商人達の姿だった。こと、この場に至って彼らは邪魔なだけだった。
「……」
ヴィヴィのことを甘いと、内心だけで評価してバリュードは無言を貫く。
だが、兵士という商売を続けていく上で、信義というのはある程度必要なものだとバリュードも理解している。それを蔑ろにすると、商売ができなくなるのだ。
斬った、斬られただけの単純な世界に身を置くと決めて兵士というものになったのに、ままならないものだと嘆きながら、彼は視線を前進すべき方向へ戻す。
「わかった。それにしても意外と隊長を信頼しているんだ?」
まだ、体力に余裕はある。
いよいよとなったら、邪魔なものは切り捨ててしまえばいいのだ。生き残らねば、斬ったり斬られたりできないのだから。
「あン? そりゃ、坊やなのに、あんなに頑張ってるんだ。信頼してやらないと可哀そうだろう。それに……なんだ?」
前方を警戒するヴィヴィの視界に映ったのは、動く屍どもを蹴散らしながら進む大集団だった。
「団体様のご到着だが……」
バリュードの声音が固くなるのを感じて、ヴィヴィも頷く。
「後ろから追いかけて来てた奴か?」
「多分」
斥候に出していた兵士は、ロズヴェータと共に残って囮になっているため、確認のしようがない。
「……やるか?」
見たところ、進んできてはいるがその歩みはだいぶ遅い。警戒しながらというよりも、怯えてさえいるように見える。バリュードとヴィヴィからすれば、怯えている集団は獲物だ。
「いや、できれば逃げた方が良いだろうけど」
後ろをチラリと見ながら死者の血肉を払うバリュードに、ヴィヴィもため息をつきつつ頷いた。
「まぁ、そうだよな。けど逃がしてくれるかどうか」
「……ちょっと交渉してみる」
「はぁ!? え、おい!?」
慌てるヴィヴィを置き去りにバリュードは両手を挙げながらその集団に近づいて行った。
◇◆◇
その森に踏み込んだ瞬間、違和感に“兎”のルルは、顔を顰めた。肌を撫でる空気、足元から這い上がる冷気が絡みついてくるようだった。まるで怨念が渦巻いて足元から這い上がってきているようだった。
話に聞く黄泉の地下世界とは、こんなところだろうかと、埒もないことを考えて被りを振る。
「……これは厳しいですね」
そして何より、足元から力が抜けていく感覚。
「異種族殺しか?」
「恐らく……酷く難解に練り上げてあります。専門の術者がいるとみるべきかと」
傭兵団団長“鷲”ハリールの問いかけに、副長のルルが頷く。
「逃げて行った騎士隊は、我らを誘導していると思うか?」
「まさか……とても、そうは見えませんでしたが」
「だろうな。俺もそう思う。だとすれば……事態はより一層切迫してきたな」
頷くルルを見返して団長“鷲”のハリールは、視線を後ろに向ける。
蠢く死者の群れと、その向こうに死霊術師の姿に、思わず眉を顰める。しかも死者の群れの中には魔物姿さえある。
「これが、この国の騎士団の在り方か……」
吐き捨てるように言った団長ハリールの言葉は、憤りに満ちている。
「みんな、こんなところで死ぬことはないぞ! 必ず生きて帰ろう!」
団長の檄に応えて傭兵団は、気勢を上げる。後方から迫る死者の群れを食い止めると、結界の術者を見つけるべく、森の中を進み始める。しかしそこで見たのは、残虐に殺された村人の姿である。
繰り返し見せられる残酷な光景は、次第に彼らの中に怯えを生み出していた。
しかも、見せつけられたその残酷な光景の中から、死者が蘇ってくる。それは悪夢以外の何物でもない。戦闘力の高い彼らだからこそ、余裕をもって戦闘自体には対処できる。それが、悪い方向に作用していた。
三頭獣のように、目の前の敵倒すのに精いっぱいならば、考えずに済む余計なことを、彼らは考えてしまったのだ。つまり、故郷より遠い異郷の地で動けなくなってしまったなら、きっとこの仲間入りをするのだろうと。
ある時などは、一見して生きている幼子を彼らに向けて近づけ、油断したところを魔物に変じて見せるなど身体的なダメージはなくとも精神的な負荷を常にかけ続けられる状況は、段々と彼らから余裕を失わせていった。
腹の底から背筋に至るまで氷塊を突っ込まれたような悪寒が、彼ら全員の背を襲っていた。それでも彼らが集団として崩壊しないのは、団長ハリールがあるからこそだった。
結果として足止めの効果を狙った暗黒騎士の策謀は、予想以上の効果を彼らに与えていた。勇敢なハリールとそれ以外の心理面は徐々に離れていく。
徐々に死者への対応が雑になり始めた時、彼らに前に現れたのは先ほど追っていた騎士隊だった。
「……どういうつもりだ!?」
思わず警戒して声をかけるのは、半ば当然のことだった。
「投降する」
両手を挙げた人間の姿にハリール傭兵団は警戒を強くせざるを得ない。今までこの罠の中で充分以上に精神的苦痛を与えられてきた身としては、何をしても警戒しすぎることはない。彼らの提案を即座に承諾できるほど、状況判断のための余裕はなかった。
「投降するだと?」
副長ルルがおうむ返しに繰り返すその声の硬さに、バリュードは被っていたヘルムを脱いだ。十代の少年のように見える外見に、思わずルルが彼から視線を外し団長ハリールを見る。
「お前が、彼らの代表──」
「──ぐるうぅぅうああがうああAaaaAaa!!」
空中からその特徴的な叫びを聞いた瞬間、その場の誰もが臨戦態勢を取って見上げた。
「──もう追いついてきたのか!?」
「空駆ける屍鬼!? 中級の魔物だぞ!? あんなものまで呼び出したのか!」
問答を繰り返しているうちに、暗黒騎士の張り巡らした罠の本命が彼らの前に姿を現す。空中において旋回しながら上げる不快な叫びは、生きとし生けるものへと怨嗟の声か憎悪の呻きか。
死者という群れのリーダーの上げる叫びに、周囲の森から這いずるような音が聞こえ始める。風が木の葉を揺らす音すらも、彼らに緊張を強いて精神を削りとる。まるでコップ一杯の水に徐々に水を注ぎ今にも零れ落ちそうなところへ、さらに水を加えていくような、そんな邪悪な意識が見え隠れしていた。
「左右と後方を警戒しつつ、上空の──ッチ!?」
その中でも的確な指示をだそうとしていた団長ハリールの声が途中で遮られる。彼の視界に映ったのは、上空からまっすぐ飛来する空駆ける屍鬼と、弓を構える黒い弓兵の存在。喋る余裕もなく回避行動をとる彼が、即座に指示を変える。
「──分散だ! 来るぞ!」
寸でのところで飛来する毒矢を回避し、さらに上空からの一撃を回避すると同時、団長ハリールは手にした短剣を空駆ける屍鬼に対して投げつけ、その眼球に命中させていた。
「──ぐるうぅぅうあ!?」
驚きに声を上げる不死者の声を無視して、団長ハリールは声を張り上げる。
「翼を広げろ! 地を行く大鷲の子! 吹き飛ばせ! 変身!!」
白熱する体から吹き出る水蒸気が表面を覆う。全身を覆う羽の紋様に、獣の魂を宿す鎧姿が顕現する。頭上に掲げた右腕に大鷲の紋章が力強く輝く。
「団長!?」
驚きに目を見開いたのは、副長“兎”のルル。変異術と呼ばれる魔法は、陣地構築された魔法と相性が悪い。著しく消耗の激しいこの魔法は、広く帝国で親しまれながらも、人間国家を圧倒しきれないのは、そこに原因がある。
だからこそ、敵の陣地のしかも異種族殺しの中で使うようなものではない。
「副長は温存、離脱のために力を残せ!」
そう言い残すや、瞬く間に加速。地上で叫びを挙げる不死者の統率者の懐に入り込む。
「はぁぁあァァ!!」
気合一閃、抜き放たれた長剣が空駆ける屍鬼の体を支える足を両断する。驚きに声を挙げながら態勢を崩す鳳の成れの果てに、今度は渾身の蹴激を見舞って距離を取る。
「副長! 投降者を確保! 急げ!」
「は、はい!」
いったん距離を取るも、その間に驚異的な回復能力で空駆ける屍鬼の体が再生していく。
「──グルゥゥウゥゥ!」
鳴き声の変わった空駆ける屍鬼の元へ、森で蠢く不死者達が近寄っていく。すると限界以上に大口を開け、口の端すら裂けた状態で不死者の統率者は、近寄ってきた他の不死者を喰い千切った。
副題:ロズヴェータちゃんの預かり知らぬところ。




