神がそれを望んでおられる
「神がそれを望んでおられる!」
時の教皇ウルバティス三世が放ったその言葉は、史上最大規模の侵略と虐殺に大義を与えた。
都合4回100年の歳月をかけて行われた遠征により聖典教から十字教徒の聖地は奪還され、その過程で数々の悲劇の上に数多の国家が誕生した。
西から東へ繰り返された大遠征は、東の富を西へ持ち帰り、その道は老若男女、貧富貴賤を問わない死者達で埋め尽くされた。
持ち帰られた富は、教会の腐敗をもたらし、教皇の権威は失墜、派閥を生み出してようやく遠征する力を失うことになる。
すなわち、十字教の伝統的な信仰を旨とする伝統派。教会に頼らず、自ら祈ることが大切だと改革を志す普遍派、東方に根付き現地の土着宗教と融合する教会派。
東西の人と物が交流し、聖地の周りに出来た国の1つが獅子の紋に王冠王国。
騎士の国であった。
◇◆◇
リオングラウス王国には、騎士校と呼ばれる学び舎がある。通称【学園】と呼ばれ、ある程度の資産を持つか、類い希な才能を認められて推薦されて通うことが出来る一種のステイタスであった。
その目的は、国の戦力となる騎士を養成するため、また貴族の子弟を通わせ、自治を行わせることにより、貴族社会の端緒につかせるため、そして優秀な官僚を育てるため……。数々の理由の元に設立された【学園】は、その華やかさから国中の子女の憧れであり、腕に自信のある貴族子弟の登竜門であり、伝手を作りたい大人達の静かな戦場だった。
「親父殿は、なんと?」
ロズヴェータの問いに、ユーグは俯く。
「静観、とのことです」
「そうか」
首をひねるロズヴェータは、自身の父親にして、辺境の蝮と呼ばれる人物のことを、思い浮かべる。
あまりにも愉快な思い出がなくて、顔を歪め、吐き捨てる。
「……まぁ、考えても無駄か。転科の件についても了解したのだな?」
「はい。すんなりと」
ヒルデガルドとの婚約解消から早10日。初日こそ取り乱したロズヴェータであったが、最初の応急処置が良かったのか、翌日には頭の整理をつけて、【学園】での生活に戻っていた。
当然、針の筵のような視線には耐えねばならなかった。文官の道を自ら閉ざし、武官への道を進むのだ。そんな者は落第すれすれの、落ちこぼれでしかいなかった。だが、面と向かって聞いて来るような者は居なかったし、敢えて無視して10日もすれば慣れる。
それどころか、それを腹の底にためておくことに愉しさすら覚え始めた。
以前から、ユーグと歩くときはやたらと視線が五月蠅かったし、今更好奇の視線が増えた所で意外と平静を保っているように思えた。
復讐を成し遂げねばならない。そう思い決めたロズヴェータが、まず最初に思い浮かんだのが、両家のことだ。言ってしまえば、真実の愛とやらに目覚めて、両家の約束を破談にした元婚約者ヒルデガルドが貴族社会的に許されるのかどうか、そこを確認しないわけにはいかなかった。
当然、ロズヴェータ自身は許すつもりは無い。だが、その形を如何するのかが問題だった。斬り殺してやるか、それとも貴族としての辱めをあたえればよいのか。
辺境の蝮ことノブネル・スネク・カミュー辺境伯が、隣接するマルレー子爵家と結んだ婚約が破棄されたのだ。
いの一番に子爵領に駆け付け金目の物は一切合切分捕るくらいはしてもおかしくないとロズヴェータ等は考えていたが、相手がルクレイン公爵家ではどうしようもないと言うことか。
貴族は常にメンツ勝負。舐められるくらいなら恐れられる方がマシと言って憚らない男が、公爵家に尻尾を振っているように見える。
その不自然さに、ロズヴェータは首をかしげる。だが、辺境伯と言われるように、王都から遠く離れ近くに居ないあまり親しくもない父親のことなど考えても仕方なかった。
「まぁ、良い。そんなことより……分かったか?」
頷くユーグが語るのは、今回の顛末。
なぜ、ヒルデガルドがロズヴェータに婚約破棄を申し込んだのか。
端的に言えばリスクしかないように見えるそれに、何の意味があったのか、それをユーグに探らせていた。ルクレイン公爵一門が、辺境伯家を目の敵にして、喧嘩を売っているという話はとんと聞かない。
あるいは何かの謀略の一端に自分がいるのではないか、とロズヴェータは疑っていた。
辺境伯家の三男といっても、しがらみは茨のように、その血筋に絡みついている。
「まず、お詫びを。結論から申し上げれば、殆ど何も分からず終いでした。ヒルデガルド嬢が独断で動いたようで、侍女達も、驚いていたようです」
ロズヴェータは、黙って頷き先を促す。
「ルクレイン公爵家の方も同様です。特別親しくしていると言う風には見えなかったらしく、あくまで多く居る取り巻きの一人程度の認識だったようです」
だとすれば、一瞬で知己を得てすぐに恋に落ち、衝動的に婚約破棄をやったと?
そう考えて、ロズヴェータは黙ってその考えを振り払う。
そんな馬鹿な……。
婚約は家同士の同盟の締結に等しい。そう教えられ、立ち居振る舞いを教えられたロズヴェータには、俄に信じられないことだった。
「どちらも共通して、多少夢見がちな所はあったものの、家の浮沈を賭けるほどではなかったと、いずれの家の侍女からも証言を得ています」
「……では、本当に?」
ゴクリと、ユーグがつばを飲み込む。
「現状では、本当に当人同士で相談し婚約を破棄、互いに約束を交わしたとしか思えません」
その言葉を告げて、ユーグは頭を下げた。
ルクレイン公爵家は、確か次男。子爵家は長女だったはず。
ありえるのか、そんなことが。
たたき込まれた常識をある日突然打ち破って、自分達だけの常識で生きていく。そんなことが可能なのか。
「……分かった。少し外で考えたい」
疑いを捨てきれない。だが、どんなに非常識でも、あらゆる可能性を排除して残った事実が、真実なのだろう。
「お供します」
信じていたい。そんな馬鹿な。彼女はノインに脅されて仕方なくしていることなのだと、弱い自分が言っている。そんな気がした。
◆◇◆
ユーグを連れてロズヴェータが外に出ると、視線を感じる。よくて同情的なもの、悪くて嘲笑混じりのものまで多くあったが、中でも貴族やその侍女からの熱い視線が多い。
原因はロズヴェータには、痛い程分かっていた。後ろを歩くユーグだ。
端的に言えば、非常に女性受けが良いのだ。
中性的な顔立ちに、涼やかで切れ長の目許。その整った鼻梁は、左右黄金比のバランスを完璧なまでに保っている。身長も高すぎず低すぎず、その年頃の子女が少し背伸びをすれば唇が触れ合う届く程度。
髪の色は輝くような高貴なる銀、柔らかく細いその髪を後ろで1つに纏めている。ロズヴェータも触ったことがあるが、何がどうしてこんな繊細な髪質になるのか、意味不明な程だった。
女であれば嫉妬を禁じ得ないとは、同期で自然と人の傷を抉る魔女猫ニャーニィの証言だ。
瞳の色は情熱的に赤く、その瞳に見つめられると、男ですらおかしなことを考えそうになるらしい。
歴史に習う多神教の神々になぞらえて、美の女神の生まれ変わりか、はたまた人を狂わす妖精の歌声の化身か、と謳ったのは旅の吟遊詩人。
立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花とは、東洋の女性の美しさを花に例えたものだが、ユーグも負けていなかった。
戯れに女装したユーグの姿は、まさに匂い立つ花のごとし。その微笑みは、年頃の男の性癖を歪ませ、年頃の娘の思想を深い沼の如く歪める程の威力があった。
夏の日に鍛錬場で汗を流す姿は、年頃の子女が卒倒するため、教師達の間で真剣に見学を禁止にすべきか議論をされたほどだ。
容赦なく照りつける灼熱の太陽は、流れる汗が薄い肌着を透けさせ、ほどよく引き締まった身体を肌着越しにうっすらとみせる。まるで見ているだけでイケないことをしている気分にさせ、年頃の子女の心拍数を跳ね上げ、夏の暑さ以上に頬を染めさせる。
声は甘く、低い。
年頃の子女の耳から入り脳を犯して心臓を蕩けさせる、まるで致死の毒薬。甘い恋の毒だと。
耳元で囁いてくれるなら、もう死んでしまう、幸せで、耳から犯されて! もうだめなの! とは、ロズヴェータを呼び出して目を血走らせ涎を拭きながら自身の性癖を吐露した令嬢の言葉だ。
無論ロズヴェータは、丁寧にお帰り願った。
可哀相に、もうだめ! なのはその令嬢の頭の中だったようだと若干哀れみの目を向けながら。従者で乳兄弟に貞操の危機が迫ったら、助け合うのが当然だった。
この国に理想としてある美男子の要素、そのほぼ全てを考えられる限りの水準で天元突破した天下無敵の美男子。
女に生まれていれば傾国傾城と謳われたにに違いない美貌の人。いやむしろ男であっても、その美貌で傾国傾城を成し遂げてしまいそうなその美貌。
何よりも恐ろしいのは、未だユーグが成長途中であること。儚さと、若々しさを兼ね備え花が蕾から今咲き誇る寸前の力強さが同居した恐るべき美貌の持ち主。
まかり間違って娼館にでも売られようものなら、ユーグを巡って血で血を洗う抗争が勃発し、客も従業員も男妾、娼婦ですらも誰も生きている者が居なくなるような妖しさを想像させる。
そんな男が、ロズヴェータの従者であった。
そして、ユーグは自分の価値を正確に理解していた。
そんなユーグが一言囁けば、年頃の子女どころか百戦錬磨のお姉様方、色を知らない無垢な少女まで頬を染めて、私ごと貰って下さいと言う勢いで口を滑らす。目を閉じてうっとりと頬を染め、あるいは目を血走らせて荒い息を吐き出しながら。まるで危険な薬に手を出した中毒患者のように、彼女達はユーグの頼みを断れない。
「ねえ、君だけにお願いがあるんだ」
自身の理想の声で、顔で、仕草で囁かれるお願いを耐えることが出来る者がどれ程いようか。
憂い顔で伏せる瞼の美しさ、まつげの長さを間近に見て、かかる吐息の香しさに、理性という名の鎧は容易く脱がされ裸にされる。
裸にされた理性を、まるで柔らかな羽で肌をくすぐるように、簡単な……至極簡単な願いを聞くだけで目の前の愛しい男の笑顔が見られる。それはあまりにも彼女達にとって割の良い安価な快楽だった。
そんなユーグが全力で主人であるロズヴェータの願い──ルクレイン公爵家とヒルデガルドの周囲を探らせた結果だ。間違いはない。
ちなみにユーグの両親は至って普通の容姿であった。なんなら父親の方は平均よりやや劣る程度。
ハゲでチビで非情なカミュー辺境伯家に長く仕える有力な従士であり、母親も銀髪ではあっても辺境によく居る肝っ玉母さんである。
やはりユーグの存在は、神の悪戯としか思えなかった。
そんな男が、ロズヴェータの従者であった。
周囲の視線など、ロズヴェータには慣れてしまえるものだった。
副題:ロズヴェータちゃんの従者は超絶イケメン。