辺境伯家からの依頼(隊商の護衛)
エリシュとの食事を終えて数日後、なぜか機嫌の悪かったユーグの機嫌が少し回復したところで、彼の父であるユバージルから情報がもたらされる。
「ロズ坊、まもなく辺境伯家から依頼がありそうじゃ」
名指しの依頼は、その騎士隊を信頼して仕事を頼むものであり、成功すれば組合で受けられる依頼の種類も増える。信頼と実績を積み重ねるのに必要なものだ。
「詳しくは、ギルドを通じてとあるが、少し厄介そうじゃの」
「それは……?」
辺境伯家の王都の別邸において、ユバージルは普段の豪放磊落な様子からは想像できないほど眉をひそめて困ったという表情を隠さない。
「うむ……どうやら護衛任務になりそうじゃが、どうもキナ臭い。南の都市国家シャロンから辺境伯領へ向けての隊商の護衛ということじゃが」
「それは……随分難易度が高いのでは?」
口をはさむのは本意ではないのだろう。従士としての行いとして褒められた行動ではないと知りつつも、ユーグが口をはさむ。
「うむ、わしもそう思って本領へ問い合わせてみたが、これは兄君からの指名らしくての」
「ディリオン兄さまの?」
思わず温和な長兄の名前を口に出すが、ユバーシルは首を振る。
「いや、嫡子殿ではなく……ナルク殿のようですがの」
「次兄殿か」
「どう思われます?」
あまり親しくはない次兄の名前を上げられ、ロズヴェータは困惑する。長兄ディリオンなら比較的安心して依頼を受けられる。人畜無害というか、温和な為人から辺境伯領で過ごす間も比較的友好的な関係が築けていたはずだった。
しかし次兄は、ロズヴェータが物心つく前にはすでに王都におり、ロズヴェータと入れ替わるようにして辺境伯領へ戻っているはずで接点らしい接点がない。
それがもたらす依頼がどんなものか、不安に思わずにはいられなかった。
「わしは、今回の依頼避けてもよろしいと思いますがの」
髭をしごきながら、ユバージルは眉を顰める。
なんとも裏の在りそうな依頼を、しかも信頼できるかわからない者から受けるのは危険を伴う。例え成功したとしても口封じに消される程度のことは、あり得るのだ。
さすがに接点がないとはいえ、身内にそこまでしないと思いたいが、確証が得られない。なにせ、ナルク側がロズヴェータのことをどう思っているか、わからない。身内で殺しあうお家騒動がありふれているのが、リオングラウス王国の内情だった。
「いや、受けよう。辺境伯家をこんなところで割るような人ではないだろう?」
辺境伯家からの正式な依頼を断るのは、リスクが高い。ひも付きとみられているからこそ、避けられている非難や、金銭的な負担もある。
「ふむ……」
「それに、わざわざこの騎士隊を指名したのだ。父上は承知なのだろう?」
辺境伯家のひも付き、と周囲に認識されている騎士隊を指名するのだからそれなりの理由をつけねばならない。その大義名分があるからこそ、辺境伯である父がその依頼を許したはずだった。
「そのはずですが……」
一抹の不安をぬぐい切れないユバージルは、煮え切らない答えだった。
「であれば、受けても問題ないだろう」
「……少し、わしとしても探りを入れてみましょう。間に合うかは微妙なところでありますが」
「よろしく頼む」
ロズヴェータは、そう言って情報を得ると、組合で依頼を受けることにする。その夜ユバージルはユーグを呼び出して釘を刺す。
「何事です? 父上」
「今回の依頼、努々ロズヴェータ様の御身をお守りせよ」
「それほどまでに?」
「……杞憂であろうと思うが、どうにも心配でな。辺境伯家も一枚岩ではない。そして、我ら従士と立場を異にするのが、ナルク殿を筆頭とする方々だ」
「……兄弟仲が不仲とは聞いておりませんが」
「そこまでの関わり合いはないからの。しかし、立場というものがある。こんな世の中じゃ、誰もが強い後ろ盾を持たねば、己の安全すら守れぬ」
考え込むユーグに、ユバージルは息子の肩を掴む。
「ロズヴェータ様が、辺境伯家を大切に思っているのは、御屋形様を支える一人としてうれしく思って居る。しかしな、時に公人としての立場は私人としての立場を許さぬこともある。それを忘れぬようにせよ」
「はい」
苦々しく顔を歪めるユバージルは、ユーグの肩から手を離すと厳しい顔を崩さず告げる。
「この依頼が終わったなら、騎士隊の増強を考えねばならん。手は回しておくゆえ、考えておけ」
生き残るために、ユバージルはユーグの肩を叩くと背を向けて出ていく。
◇◆◇
獅子の紋と王冠王国は、その成立過程から東西に長い地形を有している。西から東へかけて十字軍の遠征経路沿いに成立したためだ。同時にその十字軍の遠征において主な補給の役割を担ったのが、水の女王であったがために、海岸沿いの諸都市には水の女王の影響力のある都市国家が成立した。
遠征軍に物資と食料を、遠征軍からは財宝と奴隷をそれぞれ主要な交易品として、東西物流の主要な海上交通を成立させた。以来海上覇権は水の女王のものだ。
我らが内海を文字通り庭として、水の女王の旗を掲げて、交易の主役として莫大な富を稼ぎ出す。東西の大規模な衝突が収まって以降は銀、香辛料、絹織物、そして変わらず奴隷を主要な交易品として彼らの商業規模は緩やかに拡大していく。
そして、その覇権に常にライバルとして競り合っているのが、翼竜の紋章を掲げる商業国家翼竜の女王である。船団を組む水の女王に比して、個人の技量を重視するのが翼竜の女王である。
対照的なこの二つの海上国家は、常にライバルとして海上覇権を争い続けている。交易においても、海上戦力においても、そして謀略においてもまたしかり。
そしてその翼竜の女王の手は、一つの都市国家に伸びていた。
都市国家シャロン。
獅子の紋と王冠王国南に位置する都市国家であり、先頃三日月帝国と小規模な衝突を起こした国家であり、交易を主要な産業としている国家である。
獅子の紋と王冠王国と三日月帝国、どちらも海上の窓口を得ない陸軍国家であるがゆえに、海への足を持たない両国の海への玄関口として、中東における水上の女王の出先機関として重要な地位を占める。
崇める宗教は十字教普遍派。大衆の支持を繋ぎとめているのは、交易上の利益と宗教の二つであり、その運営は“評議会”という有力者の合議によって成り立っている。
その“評議会”は、今日も今日とて荒れていた。
議題は、隣国三日月帝国との関係をどうするか。
先日かの帝国との間で発生した小競り合いは、彼らの国家運営に多大な影響をもたらしていた。彼らの盟主たる水の女王が最も恐れている事態、それは巨大な軍事力を持つ国家が海上運営に乗り出してくることだ。
その意識は、シャロンとて同様である。そしてその最たるものが、三日月帝国からの侵略であった。異なる宗教を持つ彼らが、水の女王と交易をするのはひとえに儲かるためだ。
同じ一神教を背景として持つにも関わらず、頑なに異教徒を嫌う十字教に比して聖典教を奉ずる三日月帝国は、そこの部分に比較的寛容であった。
だからこそ十字教の過去の遠征に関しても、宗教を理由とした聖地奪還という事態に、信じられない思いを抱き、一致団結できなかった聖典教徒達は、津波のような十字教徒の大軍に敗れ去っていった。それを覆すために生まれたのが、三日月帝国である。
ただし宗教と経済は別という、現実的な視点を持っていたのも三日月帝国の特徴であった。聖典教の聖地も十字教の聖地も同じ地域に存在しており、その奪還は聖典教徒にとっても悲願であった。
しかし、儲かるのだ。
東から来た産物を西に流すだけ、それだけで巨万の富を得ることが出来る。宗教的情熱と現実的利益から導き出された結果が、現在の均衡状態である。聖地の管理は三日月帝国が行うが、巡礼に際して十字教徒に対して相応の便宜を図る。
たったそれだけの条件を整えるために、何十万という犠牲が必要であった。
その彼らが、都市国家シャロンとの間で戦端を開いた。
戦いに参加したのは、帝国の西方を管轄とする総督イブラヒム・ヒディスハーン・アルヒリ。黄金に輝く長髪と、怜悧な眼差し、白皙美顔の純潔の耳長族である。
対する都市国家シャロンは、帝国の一総督との戦いに、ほぼ持てる戦力の全てを投入した。
率いるのは“評議会”の代表ネクティアーノ・ヘル・ノイゼ。商会長にしてシャロンと水の女王に地盤を持つ有力貴族の彼は、元は十字教の遠征に根を持つ海賊の家系である。
結果と言えば痛み分け。
国境の小さな村落をめぐる戦いは、帝国の西方総督イブラヒムを撃退はしたものの、打ち取るまでには戦果は拡大せず、都市国家シャロン側にも相応の被害を与えて終幕を迎えた。
講和の席で帝国の総督が示した条件は、責任者の首。
帝国の首狩り総督。帝国においても好戦的な総督として中東世界に知られることになる西方総督イブラヒムの綽名は、こうして世に広まった。
交渉の席で苦しいのは、やはり都市国家シャロンであった。
いかに海上の雄である水の女王の傘下にある都市国家と言えども、陸軍においてはやはり広大な領地と人口を誇る帝国を相手にして勝てるものではない。痛み分けでも十分によくやったと褒められてしかるべきであったが、問題は相手の強気の姿勢だった。
その対応をめぐって“評議会”では日夜激論が交わされていたが、その流れは大きく二つ。徹底抗戦か、降伏か。極論すればその二つに分類される。
そしてその形勢は、降伏に傾きかけていた。
つまり、勇敢にも帝国を相手に戦ったネクティアーノの首を差し出すことだ。
◇◆◇
星の瞬く夜であった。
透き通った空気は、昼間の暑さを嘘のように消し去り、冷涼な空気を大地に吹きかけるようだった。都市国家シャロンのネクティアーノの屋敷において、辺りは静まり返っている。まるで主の無事をひた隠しにするかのように、使用人たちは音を立てることにさえ気を付けて、日々を過ごしていた。
その彼の屋敷の応接間に、一人の少女が呼ばれる。
「父上、アウローラ参りました」
ネクティアーノの娘の一人、アウローラ。
プラチナブロンドの長い髪を無造作にポニーテイルでまとめ、白磁の肌に、印象的な青い瞳は強い意志を感じさせる氷結の蒼。目鼻立ちのはっきりした少女は、若さの中に大人の魅力を兼ね備えていた。
十人が十人とも美人だと答えるであろう彼女は、緊張に表情を強張らせ応接室に入る。
「いよいよ、だ。手筈は整えておいた、頼むぞ」
窓の外を見ながらネクティアーノは後ろを振り返りもせず告げる。
「必ずや、父上の策を成功させてみせます」
「それでこそ、わが娘。ヘル・ノイゼ家を継ぐものだ」
頷く彼女は、だが一瞬だけ寂しそうに視線を伏せる。
その一瞬で彼女は、視界を覆われた。
「アウローラ」
「父上……」
抱きしめられた少女は、その温かさに涙を流す。
大好きな、何よりも尊敬できる父であった。
巌のような強さ、アウローラや家族にだけ見せる優しい眼差しも、全て大好きだった。
だが、時間はない。
少女は決意を新たにして、旅立ちを迎える。
瞬く星だけが、彼女の旅立ちを知っている。輝く月だけが、彼女の決意を知っている。今となっては敵こそが味方。彼女の安全を保証するのは、翼竜の女王の傭兵達。彼らに守られ、彼女は最愛の父のいる故郷を後にした。
ロズヴェータが獅子の紋と王冠王国の国境で隊商の護衛を引き受ける十日前の出来事である。
副題:ロズヴェータちゃん、うかつ。




