グレイ沼地
霧の帳が裂けた。
敵の騎士が、泥にまみれた甲冑を軋ませながら突進してくる。
「来るぞッ!」
トーロウが叫ぶと同時に、槍兵たちが一斉に構えを取った。
沼地のぬかるみに足を取られながらも、敵の重装騎士たちは怒りに任せて突っ込んでくる。
「投石!」
騎士が槍を振り上げて突入してくる瞬間、トーロウの号令で敵を怯ませるための投石がなされ、一瞬の隙を突いて槍が繰り出され、騎士は倒れる。
しかし、後続は止まらない。
次々と突っ込んでくる。
「押し返せ! 踏みとどまれ!」
トーロウの声が飛ぶ。槍が折れ、盾が弾け、兵達の叫びが霧に溶けていく。
グレイ沼地に、霧が降りていた。
昼なお暗い森林地帯である。マルレー子爵領から伸びる街道沿いに、いくつかある未整備の地域。開拓するには時間と人手と金が足りないため、後回しにされがちなその地域に、グレイ沼地はあった。
足元を踏みしめるたび、ぬかるんだ地面がぐじゅりと音を立てる。
幾重にも積み重なった腐葉土が、足元から柔らかな反発を返してくる。
ロズヴェータは、沼の縁に身を潜めながら、遠くに見える敵影を見据えていた。
「……来たな」
霧の向こう、ロッチル街道を進むマルレー子爵軍の列が、ゆっくりと沼地へ踏み込んでいく。
重装の騎士たちは、足を取られながらも進軍を続けていた。
――今だ。
ロズヴェータは手を挙げ、静かに振り下ろす。
次の瞬間、霧を裂いて矢の雨が降り注いだ。
「伏兵だ! 伏兵だァッ!」
敵の叫びが響く。
「側面に回り込んで包囲だ!」
ロズヴェータの号令に、分隊長達が応える。
矢の雨が霧を裂き、敵の先頭を行く騎士の一人が馬ごと崩れ落ちた。
悲鳴と怒号が沼地に響き渡る。
敵軍の列が乱れ、重装の騎士たちが沼の泥に足を取られながら、剣を抜いて周囲を見回す。だが、視界は霧に閉ざされ、敵の姿はおぼろにしか見えない。
「ヴィヴィ、右へ回り込め! 矢の第二射、準備!」
ロズヴェータの号令に、分隊長ヴィヴィが短く返す。
「了解! 右翼、ついてきな!」
軽やかな身のこなしで馬を操り、彼女は部下を率いて右手の茂みへと駆け込んだ。彼女の部隊は弓兵中心、霧の中から正確に矢を放ち、敵の混乱をさらに煽る。
「バリュード、突撃の準備を!」
「待ってましたァ!」
バリュードは笑いながら馬を蹴った。彼の部隊は接近戦に特化した精鋭揃い。霧の中を駆け抜け、敵の側面へと回り込む。
「トーロウ、中央を押さえろ。敵の進路を塞げ!」
「任せてください、隊長!」
トーロウの部隊が前進し、沼地の浅瀬を選んで布陣を固める。立っている木々や途中で拾った使えそうな石等をかき集め、即席の陣地を作り上げる。敵の進軍を止める楔となるべく、盾を構え、槍を突き出す。
「ガッチェ、後衛の警戒を怠るな。敵の増援が来るかもしれん」
「心得ております」
ガッチェは寡黙な男だが、その指揮は的確だった。後方の小高い丘に陣を敷き、弓兵を配置して味方の援護に備える。
そして、ユーグがロズヴェータの隣に馬を寄せた。
「敵の本隊、まだ動きが鈍い。今なら、中央を割れるかもしれない」
「いや、深入りはするな。奴らの後続が見えない。……事前の情報だと150だが、増えているかもしれない」
ロズヴェータの声は冷静だった。戦場の熱に呑まれず、全体を見渡している。
「だが、今のうちに混乱を拡げれば、誘導は成功する」
「了解。では、バリュードが突っ込みすぎないように見てきます。動かないでくださいね」
ユーグは手綱を引き、霧の中へと消えていった。
ロズヴェータはユーグの過保護っぷりに肩を竦めると、再び地図を思い浮かべる。グレイ沼地の中央を越えれば、地盤はさらに悪くなる。そこまで誘導できれば、敵の騎士は完全に機動力を失う。
「あと少し……」
その時、霧の向こうから角笛の音が響いた。
敵の増援だ。
ロズヴェータは顔をしかめた。予想より早い。
「ガッチェ、後方の様子は!?」
「……見えません。ですが、音の反響からして、百はいます」
「くそっ……!」
敵の本隊が動いた。こちらの伏兵に気づいたか、あるいは最初から囮だったのか。
ロズヴェータ達三頭獣がグレイ沼地を通過する敵の先頭を抑え沼地の奥深くに誘い込もうとしている中、即座に敵はロズヴェータ達を包囲すべく部隊を動かしてきた。
敵には明らかにグレイ沼地の特性を知っている指揮官がいる。こちらの意図がばれているのではないか、その疑念が一瞬ロズヴェータの頭をよぎる。
ロズヴェータは決断を迫られる。
このままでは、挟撃される。
だが、ここで退けば、敵はそのまま領都へ向かうだろう。
――時間を稼ぐ。それが、今の自分の役目だ。
「全軍、後退準備! だが、敵を沼の奥へ誘導しながら下がれ! ナヴィータ、矢を惜しむな!」
「はいな!」
「バリュード、突撃は中止! 引け!」
「えーっ、もう!? ……分かったよ!」
各分隊が連携し、統率された動きで後退を始める。
敵は混乱しながらも追撃を開始するが、沼地の深みに足を取られ、思うように進めない。
ロズヴェータは最後尾に位置し、敵の動きを見張りながら、静かに呟いた。
「……これで、父上の本隊が動ける時間は稼げたはずだ」
霧の向こう、敵の旗が揺れている。
戦は、まだ始まったばかりだった。
◇◆◇
霧の帳が裂けた。
敵の騎士が、泥にまみれた甲冑を軋ませながら突進してくる。
「来るぞッ!」
トーロウが叫ぶと同時に、槍兵たちが一斉に構えを取った。
沼地のぬかるみに足を取られながらも、敵の重装騎士たちは怒りに任せて突っ込んでくる。
「投石!」
騎士が槍を振り上げて突入してくる瞬間、トーロウの号令で敵を怯ませるための投石がなされ、一瞬の隙を突いて槍が繰り出され、騎士は倒れる。
しかし、後続は止まらない。
次々と突っ込んでくる。
「押し返せ! 踏みとどまれ!」
トーロウの声が飛ぶ。槍が折れ、盾が弾け、兵達の叫びが霧に溶けていく。
霧の帳がさらに濃くなる中、戦場は混迷を極めていた。
投石の第二射を終えたヴィヴィの部隊が、素早く位置を変える。
「左へ展開! 敵の背を狙う! 野郎ども、ついて来い!」
ヴィヴィの声が霧に溶ける。彼女の馬はぬかるみをものともせず、しなやかに跳ねるように進む。
部下たちも慣れた手つきでスリングに石を構え、霧の切れ間から敵の輪郭を見つけては、次々と石を放った。
鋭い風切り音とともに、投石が敵の背を撃ち抜く。悲鳴が上がり、隊列がさらに乱れる。
「いいぞ、その調子だ! 敵の目をこっちに向けさせろ!」
ヴィヴィは獰猛に笑みを浮かべながらも、目は鋭く戦場を見据えていた。
一方、後方の小高い丘では、ガッチェが冷静に指揮を執っていた。グレイ沼地の中でも少しだけ他の場所よりも見通しが良い。そこから見下ろせば、グレイ沼地の地形が一望できる。
グレイ沼地と言っても、それは複数の沼地が集まって形成されている沼地群の総称だった。大小6の沼地の間を縫うようにマルレー子爵領からの街道が伸び、領都までの一本道。脇道は存在せず、水のしみ出さない場所をかろうじて街道が走っているという状態だった。
それ以外の地域はうっそうとした草に覆われ、虫が飛び交い、一歩間違えば膝上まで泥に埋まるような文字通りの沼地。
「第三列、左の樹木を倒して、視界を確保しろ」
彼の声は低く、だが確実に部下たちに届く。
投石兵たちは指示通りに動き、霧の切れ間を狙ってスリングを回す。
「……来るぞ」
ガッチェの目が、霧の向こうに揺れる影を捉えた。
敵の増援が、丘を目指して進軍してくる。
「第一列、散開。二射目の準備。敵が接近したら、合図で一斉射だ」
彼の指揮のもと、後衛は静かに、しかし確実に迎撃の構えを整えていく。やがて、角笛の音とともに、敵の騎馬隊が丘を駆け上がってきた。
「今だ、撃て!」
ガッチェの号令とともに、投石の嵐が敵を迎え撃つ。先頭の騎士が馬ごと倒れ、後続が混乱する。
ガッチェはすかさず次の指示を飛ばした。
「第二列、投げ槍をつがえ。近づかせるな」
そして、霧の中を駆ける影――ユーグは、バリュードの部隊の動きを追っていた。彼の馬は泥を蹴り、低く構えた姿勢で茂みを縫うように進む。
やがて、前方にバリュードの姿を捉えた。
「バリュード! 突撃中止だ、戻れ!」
「おっと、副長! ちょうどいい、副長も一緒にどうだい?」
「バカを言うな、敵の増援が来てる。今は引く時だ!」
バリュードは舌打ちしながらも、すぐに馬を反転させた。
「了解、了解。ったく、いいとこだったのになぁ!」
彼の部隊もまた、霧の中をすり抜けるように後退を始める。
ユーグはその背を見届けると、再び馬を返し、ロズヴェータのもとへと急いだ。
戦場は、まるで生き物のようにうねっていた。
霧と泥、怒号と悲鳴、矢の音と金属のぶつかる音が交錯する中、ロズヴェータの指揮のもと、三頭獣の各部隊は見事な連携で敵を翻弄し続けていた。
だが、敵の包囲は確実に迫っている。
◇◆◇
霧の向こう、角笛の音が響いた。
その音を聞きながら、マルレー子爵軍の指揮官ヴァルク・エバンは、白くなった顎髭をゆっくりと扱いた。マルレー子爵家に騎士として仕えて三十余年。
親辺境伯家の人間として、カミュー辺境伯家と親交もあったヴァルクがこの軍の指揮を執ったのは、偏にマルレー子爵家の尻拭いのためだった。決して指揮を引き受けたのは、名誉の為ではない。
マルレー子爵家は沈む泥船。
辺境地域で最大の勢力を持つ辺境伯家に逆らって生きて行くなど、至難の業だった。少なくとも当代辺境伯ノブネル・スネク・カミューは、そんな裏切りを許す程甘い人物ではない。
目端の利く者達は、既にマルレー子爵家を去った。
商人も、騎士も、従士すらも、あるいは村落の一部は辺境伯家に臣従の使者を送り出しているとも聞いている。
それは、ヴァルク自身も知っている。
マルレー子爵家の中で親辺境伯家の人間として、辺境伯家の従士長ユバージルから辺境伯家に誘われたことも、一度や二度ではない。
しかし当代の側室に娘を差し出しているヴァルクは、一門としてマルレー子爵家を見捨てることができなかった。少なくとも、孫にあたるマルレー子爵家の末娘だけは、なんとしても生かしたかった。
未だ10歳になったばかりの、かわいい盛りの孫娘だ。
文字通り目に入れてもいたくない程可愛い孫娘。
子爵家の判断で、王家派閥に入ることを聞いた時、激しく反対したのも、ヴァルクである。辺境伯家の三男ロズヴェータとマルレー子爵家の長女ヒルデガルドの婚姻を破棄してまでの決断は、最悪を通り越して、裏切りですらある。
信義を通せぬものが辺境で生きて行くことなど不可能。
そう言って当主の説得に当たろうとしたが、当主は首を振るだけだった。
話を聞けば、すでに王都の騎士校で、ヒルデガルドとルクレイン公爵家の御曹司が、盛大にやらかした後だったというのだ。
ここに至っては、当主マルレー子爵は既に進退窮まっていた。
娘を叱り飛ばそうにも、勘当しようにも、全ては手遅れだ。既に辺境伯家には、マルレー子爵家の婚約破棄が伝達されている。まんまとヒルデガルドとルクレイン公爵家の御曹司ノインに、出し抜かれたということだ。
その屈辱を思う度、ヴァルクの血は煮え滾った。だが、怒りをぶつけられる相手は遠く、王都の空の下。老いた拳がたたきつけるのは、ただ木製の卓上だけだった。
このうえは、全力で裏切り、王家派閥に保護を願うしかない。
裏切り者らしく、王家派閥の長たるルクレイン公爵家の靴裏を舐め、その庇護のもとに生きて行くしかないのだ。
誇り高く、辺境で敵と対峙してきた、このマルレー子爵家が!
──青き血を継ぐ守り手。
──大箆鹿の紋、弓を組み合わせた子爵家の一門の名は、地に落ちたのだ!
今や、彼に残された道は一つ。
そのことを思う度、全身の血が沸騰するかのようだった。
血走った目でヴァルクは戦場を眺める。
生きて戻るつもりなど、端からないのだ。領土を襲撃し、時間を稼ぐ。今回戦場に連れて来たのは、ヴァルクと同じく長年マルレー家に仕えた誇りを知る老いたる者達か、逃げ場のない者達だ。
全く辺境伯家はいい迷惑でしかない。
しかし、辺境伯家のやった荷止めは効いた。
「……あれをやられては、戦もやむなし」
書状の一つすらなく、宣言の言葉すらもなく、戦は始まった。
かつては2倍の兵力を投入できたことを思えば、マルレー子爵家の動員能力が半分以下に落ちてしまったのだ。そして、辺境伯家の領都を襲撃できたとしても、最終的にこの状況が改善することはない。
経済規模がそもそも違う。
徴兵能力が違う。
だが、それでもいけるところまで行くしかあるまい。
ヘイレルは、走り出したら、その大角に獲物をひっかけて跳ね飛ばすのが流儀なのだ。
このうえは、孫娘を逃がすため、あるいはマルレー家の堕ちた誇りを、王都にいる恥知らずどもに見せつけるため、戦うしかない。
「……左翼に、本陣を動かすぞ! 泥に汚れるのを、今更厭うな! 既にマルレー子爵家の紋章旗など、恥辱に濡れておるわ!!」
怒声を上げて、ヴァルクは本陣を動かす。
沼地を上手く使って劣勢を覆い隠す三頭獣を包囲する形だ。
敵の足止めの意図など、分かっている。
このうえは、名のある騎士と打ち合って果てるこそこそが、ヴァルクの望みであった。
ロズヴェータ:新進気鋭の騎士隊長
称号:同期で二番目にやべー奴、三頭獣隊長、銀の獅子、七つ砦の陥陣営、遠征軍の旗頭
特技:毒耐性(弱)、火耐性(中)、薬草知識(低)、異種族友邦、悪名萌芽、山歩き、辺境伯の息子、兵站(初歩)、駆け出し領主、変装(初級)、遭遇戦、策略家
同期で二番目にやべー奴:同期の友好上昇
三頭獣隊長:騎士隊として社会的信用上昇
銀の獅子:国への貢献度から社会的信用度の上昇
遠征軍の旗頭:騎士としての信頼度上昇
毒耐性(弱):毒からの生還確率が上昇。
火耐性(中):火事の中でも動きが鈍らない。火攻めに知見在り。
薬草知識(低):いくつかの健康に良い薬草がわかる。簡単な毒物を調合することができる。
異種族友邦:異種族の友好度上昇
悪名萌芽:行動に裏があるのではないかと疑われる。
山林歩き:山地及び森林内において行動が鈍らない。
辺境伯の息子:辺境伯での依頼で影響度上昇
陥陣営:連続で落とし続けている限り、味方の能力に強化効果。(連続10回)
兵站(初歩):兵站の用語が理解できる。
駆け出し領主:周囲から様々な助言を得ることが出来る。
変装(初級):周囲からのフォローを受ければ早々ばれることはない。
遭遇戦:臨機応変な戦いの経験がある。(1回)
策略家:他の騎士隊から戦術・戦略的助言を求められる。他の騎士隊に対して影響力上昇。ただし、警戒感を同時に抱かせる。
信頼:武官(+70)、文官(+42)、王家(+13)、辺境伯家(+29)+5
信頼度判定:
王家派閥:武官派閥から離れるの? よし、まさか断らないよね?
文官派閥:武官派閥から離れるの? よし、依頼しちゃおうかな!
武官派閥:まぁちょっと、距離を取ろうか。でも、心はこっちだよな?
辺境伯家:え、ちょ……ん? ん? やっぱり……。
副題:ロズヴェータちゃん、手負いの獣と対峙する。




