鬼ごっこ
準備期間3日という少ない時間を、ロズヴェータ率いる三頭獣は無駄にしなかった。元々最初の依頼ですらも時間さえあれば依頼のために必要な訓練を割り出し、それに費やすのが当然といったロズヴェータに従順に従う騎士隊の面々である。
3日という時間は、使い方によっては非常に長く、終わってみれば短い時間であった。
その3日間をロズヴェータとユーグは王都の地理把握と走り込みにあてた。
その際に衛士隊を模した襲撃役を設定し、日がな一日王都を駆け回らせた。午前中に午後そして夜、長くて日に3回。午前中が早くに終わってしまえば、日に4回。
「じゃ3回目だな」
と言って笑うロズヴェータとユーグの姿を見た騎士隊の隊員達は、血を啜る悪魔が笑いあっているような錯覚を覚えた。彼らにとって命にも等しい給金を、捕まってしまえば吸い上げるのだからあながち間違ってはいない。
逃げる彼らは本気だった。
追いかけるロズヴェータとユーグもまた、本気であった。娼館を貸し切っての宴会は彼らの懐的に痛すぎた。このままでは騎士隊の増強のためには、依頼を受ける頻度を上げざるを得ない。
依頼を受ける頻度を上げれば危険な依頼を見逃し、いらぬ損害を受けるかもしれない。なるべく必要な依頼を必要なだけ受けることにして、リスクを管理したかった。
その結論に至った彼らは、しかしながら短絡的に給金のカットには踏み切れなかった。給金のカットは士気の減退を招く。
命を的に働く彼等に瑕疵なく、給金を削るなど騎士としての資質を疑われかねない。
とすれば、誰もが納得する形で給金を吸い上げるしかない。
博打か女か。騎士校でも、身を持ち崩す奴は大体この2つであったのだ。
そして今回の依頼。
彼ら二人の脳内に悪魔的閃きが走ったのは、組合から依頼を受けた帰り道だった。
「この案なら──」
「──いけますね」
談合する悪徳高利貸商人のイメージそのままの悪い顔をした15歳の二人は、鬼ごっこを提案する。
仕方ないのだ、と言って。
彼らを衛士隊から守るため仕方ないのだ。そしてただ鬼ごっこをするだけなら、本気にならない可能性がある。
騎士隊の面々にしても、頷かざるを得ない。皆大人と認められて久しい。今更子供のやる遊びに興じよと言われても難しいものがあった。だからこそ、そこに付け入る隙があったといえよう。
また彼らが命を的にして稼ぐ騎士隊というものだというのも悪い方に作用した。
得てして彼らは刹那的生き方を専らとしている。明日命がなくなるかもしれないのに、貯金など意味がないのだ。大事なのは、今、この時のみ。過去も未来も彼らの視界にはない。
つまり、騎士隊20名による本気の鬼ごっこである。
「くっ……ひぃ……ふ、はぁはぁ」
息を切らせて走るのは、ロズヴェータの故郷カミュー辺境伯領出身の分隊長ガッチェである。短槍が得意で小さな頃からその才能を周囲に認められていた彼は、従士家の三男であった。しかし従士家の三男では出世の目は見えている。
戦場で武勲を立てるにも、相応の金がかかるこのご時世だ。
だから辺境伯家の庶子ロズヴェータが騎士校を卒業し、騎士隊を立ち上げると聞いたときには、真っ先に手を挙げた。年齢は25と決してロズヴェータに比べると若くはないが、問題にはされなかった。
辺境伯家から審査の際の、あの無礼な文官たちの態度も、年齢ばかり上がった従士達の態度も問題にはしなかった。何より大事なのは、ロズヴェータの率いる騎士隊に入り、立身出世をすることだ。
最初の依頼は良かった。
短槍の腕を十分に発揮できたし、若い主君と仰ぐロズヴェータに有用性を十分にアピールできたことだろう。だが、2回目の依頼はよくない。
何より、昔から鬼ごっこは苦手だったのだ。
「ひぃ……うぅぇ……ヴァ、ァア……」
──いよいよいかん、喉の奥から変な音が聞こえる。
ガッチェ自身走るのは苦手だったが隠れるのには自信があったのに、その自信を速攻で木っ端みじんに打ち砕いたのは、あのやたらと顔が良い副官だ。確かユルバスウーヌ家の跡取り息子だったはずだが、父親にも全く似てないと働かない脳内で罵声を吐く。
口には出さないというか、出せない。出せば、変な音となって色んなものを吐き出しそうだったからだ……主に朝食とか。
女であれば顔が整っていることに嬌声を上げることもあるが、男のガッチェからすれば、整っているからこそ恐ろしいということがある。
隠れていたガッチェに対して、フード付きのローブで隠したユーグの表情は、まるで獲物を見つけた肉食獣か、借金をしに来たカモを見つけたヴェニキア商人の顔つきであった。
「みぃつけたぁ」
「ひぃ」
ニチャリと嗤う、ユーグの表情に戦場以上の恐怖を味わったガッチェは、それ以来走って逃げている。
──あれは、ダメだ。あれは、いかん奴やった。
後ろから軽快な足音が聞こえる。
──やばいやばいやばい!
振り向けばもうすぐそこに、追っ手の魔の手が迫ってきていた。
「ガッチェさん、捕まえたァ」
「ひぃぃぃ」
悲鳴を上げて倒れるガッチェ。荒い息を吐き出し、膝から崩れ落ちる。
「……ふふっふっふ」
わずかに息を弾ませ、フードの隙間から見える表情は悪魔が恍惚と微笑む様子に似ていた。
「さぁ、次は誰かな」
哀れ次なる犠牲者を求めて再び舌なめずりする捕食者が動き出す。
打ちひしがれた様子のガッチェは、息も絶え絶えに四つん這いでその様子に慄いていた。
「……ぅ、はぁ…こ、怖かった……」
この世には、逆らってはいけないものがあるのだとガッチェは再認識していた。
◇◆◇
魔女猫ニャーニィは焦っていた。
「くそぅ、お父ちゃんのせいだぞ!!」
癖毛の黒髪を後ろで一つに束ね、杖を片手に走り回る。決めておいた集合場所に仲間と集まり、情報を交換し合うと、すぐに次の行動に移る。いくつか検討していた中の最悪。そのど真ん中を走り抜けていた。
「いた?」
首を振り、青い顔をする仲間の肩を叩き、次なる指示を出す。
「それじゃ次は東区、今の時間帯なら金色亭っていう酒場兼宿屋が良いと思う」
「わかりました。すぐに」
走り去っていく仲間を見送り手元の地図に目を落とす。王都のうち商業区はあらかた探し終えていた。
「くそぅ! なんだよ不良貴族家って! 絶対にとっちめてやる!」
仲間の一人が誘拐されたのだ。
しかもニャーニィにとって地元の幼馴染。
父親連中が、軽い調子で田舎から王都に送り出し、ついでにニャーニィが今後活動するはずだった資金を持たせたものだから、二重に最悪だった。
哀れ田舎の純朴な娘は生き馬の目を抜く王都で一日と経たず攫われ、今や不良貴族のエメシュタンの元にいるらしい。ニャーニィの活動資金とともに、だ。
「絶対に、ぶち殺す!」
騎士隊の仲間と共に探し回ること半日。ついに幼馴染と金を奪った不良貴族の根城を突き止めた。
「良い? 見敵必殺、敵は残らず叩きのめすのよ。そうじゃないと……」
目を血走らせ、青白い顔でニャーニィは仲間と顔を寄せ合う。
「騎士隊は解散、あたしらは無能な屑として田舎に帰らなきゃならなくなる!」
集まった仲間16人が一斉にその事実に顔を引きつらせる。
彼らは同郷の出身だ。魔女猫ニャーニィの出身地天衝く氷三山の出身者で固まった騎士隊である。彼らは地元では、嫡男の予備や予備の予備といった不遇な立場の者たちだ。
ニャーニィが地元に帰って王都に連れて帰ってきた者たち。新たな希望を胸に踏み出したはずの者たちだった。
だからこそ、失敗は許されない。
彼らはニャーニィの意見に頷くと、彼女と同じように追い詰められた表情で得物を手に立ち上がる。
「場所は、商業区から外れた南区郊外。やるなら今夜よ。即効でぶちのめして、氷炎化け猫を舐めた落とし前をつけるわ!」
「姉御、手筈は」
「姉御じゃない。隊長と呼びな! 油に浸した布と棍棒、フード付きのローブを準備。夜陰に紛れて襲撃して、一切合切証拠は消す!」
「へい。姉御!」
「化け猫の尾を踏んで生きてられると思うなよぉ……」
準備を終えた化け猫が暴走気味に走り出す。
◇◆◇
「さあ、みんな仕事の時間だ」
上機嫌に笑うロズヴェータは鼻歌でも歌いだしそうだった。
「今回、獲物は王都中の鼻つまみ者。叩いても感謝こそすれ非難される恐れの少ない哀れな藁人形だ。準備は良いかい?」
無言のうちに頷く三頭獣の士気は高い。
「臨時報酬は出るんだよな、隊長?」
鬼ごっこで三度捕まったヴィヴィが目を爛々と欲望に輝かせながら聞く。
「もちろんだ」
隣のユーグと頷きながらロズヴェータは鷹揚に頷いた。
この後彼らは強欲な借金取りと合流し、不良貴族家に襲撃をかける。時刻は深夜を回り、常ならばすでに就寝している時間である。目深にフードをかぶったところでロズヴェータから、頬あてが渡される。
「念のため、だよ。鬼ごっこの成果だ」
まるで仮装舞踏会だな、と誰かが言って密やかに皆で笑う。
面白いもので、親しい者であれば目元だけ見えれば相手の表情までわかるものらしい。視線を交わして頷くと、三手に分かれて宿を出発する。こういう時、辺境伯家の息のかかった宿屋はありがたい。
何事も見ざる言わざる聞かざるの精神が徹底されている。
「それじゃ、頼むよ」
一番最初に出ていくのはロズヴェータの組だった。強欲商人と合流するため、最も早く出発する。寝静まった夜の王都は、昼間の喧騒とは無縁の沈黙の中に沈んでいる。
王都の南水の女王の勢力下の諸都市では、夜に街灯を照らし闇を駆逐するのだという。伝統派の僧が非難しつつ、世に喧伝したそれを、ロズヴェータは風の噂で聞いたことがある。
もしそんなものがあったとしても、夜の闇に紛れる今回の依頼では使えなかっただろうなと、ぼんやりと考えながら、砂を踏む足音さえ響く夜の中を強欲商人たちと合流した。
「ご機嫌いかがですかな?」
合言葉を交わし、符丁を確かめ合った強欲商人達は、4人。護衛の数も入れれば8人もの数に上る。
「……人数は最小限が望ましいのですが」
あえて苦言を呈するロズヴェータに、大店銀行の店主は小太りな首をすくめて申し訳なさそうに頭を下げる。
「申し訳ありません。どうしても、と聞かないもので」
感情の伺わせない視線を彼らにそそぐと、ロズヴェータは脅しをかけるのを忘れない。
「今回の依頼は、虎髭の男爵から受けた、不良貴族の護衛を叩きのめす、ことに限らせてもらいます。自分達の身は自分達で守ってください。まぁ、言うまでもないでしょうが一応ね」
温度を感じさせないロズヴェータの声に、商人たちは憤慨するもの僅かに顔色を悪くするものと反応は様々だった。
ロズヴェータが念を押したのは、彼らが物見遊山でいられると困るのが一つ。
どう穏当に済ませても修羅場にしかならない。もう一つは主導権を取っておく必要があると感じたからだ。若輩と侮られることを、ロズヴェータは無意識に察している。
「では、急ぎましょう」
衛士の巡回経路を避けて行くには最短距離を走るということができない。
鬼ごっこと並行して何度か調べた経路を進む。
そして、件の貴族の敷地の近くまで来たときに違和感を感じた。
「──なんだ?」
本来なら三頭獣の隊員と合流するはずの地点で、十数人の集団と対峙している。互いにフードを被り、棍棒を手にした危険な集団。
これが不良貴族の周囲を取り囲むゴロツキだというのなら、まだわかりやすい。
だが、明らかに統率の取れた集団であり、ゴロツキとは一線を画すように見える。しかもフードで顔を隠す意味が分からない。
視線を後ろの強欲商人達に向けてみても、どういうことだと口々に囁くのみ。
──コイツ等ではない。とすると……?
互いに手の出しようがなくお見合いをしている二つの集団。虎髭の男爵が応援をよこしたのかと考えてロズヴェータはそれも否定する。
だとすれば、連絡がないのはおかしい。
「……」
無言の内にロズヴェータは集団の先頭に出る。影のように従うユーグを連れて闇夜に目を凝らす。若干のざわつきが味方からあったが、それを無視して至極わかりやすく前にでる。
もし、ロズヴェータの予想通りなら、ここで争うのは悪手だ。
「代表は?」
低く抑えた声に、背の低いおそらく女が前に出てくる。
「あれは、こちらの獲物だ。手を引いてもらおうか」
指さす方向は不良貴族の邸宅。
何かに気づいた代表の女が一気に挙動不審になる。手を頭に当てて天を仰ぎ、続いて下を向いて俯く。どこか既視感のある光景に、ロズヴェータも首をかしげる。
「……ニャーニィ様では?」
「え?」
影のように寄り添っていたユーグの声に、思わずロズヴェータが声を漏らした。同時にユーグを振り向き、その予測をもってもう一度目の前の女を見る。
……確かに、ニャーニィだった。ロズヴェータの記憶にある同期の姿に合致する。
「なぜか憤慨されている様子」
「なぜだろうな?」
「さて、本人に確認なされては?」
「あー……」
小声で囁くロズヴェータとユーグは、先ほどまであった緊張感が急速に薄れていくのを感じる。
ツカツカと歩み寄ってくるニャーニィが、2人の間近で立ち止まる。事情を知らない2つの集団が緊張で身を固くする中、小声で彼女が、囁く。
「ロズヴェータ、今やばいの、助けて」
彼女の騎士隊の前でみせた凛々しい姿とは打って変わり、泣きそうな声で頼み事をしてくる。
フードと頬当ての奥で眉をひそめ、ロズヴェータは、ユーグと視線を交わす。
「時間がない。突入する方向を決めようか」
「助かるわ。今度何か奢るから!」
「高いからな」
簡単な打ち合わせを済ませると、自らの騎士隊へ戻る。正面はニャーニィが、後背をロズヴェータが担当することに決まった。
「そういえば、あの屋敷は抵当に入っているので?」
何気なく聞いたロズヴェータの質問に、強欲商人達は頷いた。
「お気の毒でしたね」
そう言って苦笑する彼に、疑問の視線を向ける商人達だったが、ロズヴェータは答えることなく足を進めた。
副題:ロズヴェータちゃん、鬼ごっこで楽しむ。




