ネクティアーノとの会談と都市国家シャロンの騒乱
僭主ネクティアーノの館で仕えるマーヤの伝手を使って、アウローラの父であるネクティアーノとの会談に漕ぎつけたロズヴェータは、威厳溢れるネクティアーノから思わぬ発言で目を剥いた。
立派な口髭を生やし、アウローラと同じ氷結の瞳には、冷徹なまでの意志を感じる。恰幅は良く、鋭い視線と相まって一廉の人物と見受けられた。敗戦国シャロンの中にあって、初めて気概を失っていない人物に出会ったとロズヴェータは感じていた。
貴族に相応しくネクティアーノに合わせたオーダーメイドの服に、磨き上げられた革の靴。僭主ネクティアーノのとして正式な客を出迎える時に着用する礼服をしっかりと身に着けた彼は、一国の主としての威厳をこれでもかとロズヴェータに感じさせた。
ロズヴェータが通されたのは、ネクティアーノの執務室。
公式な訪問ではなく非公式に尋ねたにしては、ネクティアーノの私的な空間の最上位の空間まで通されていた。ネクティアーノの館には、僭主の館に相応しく公的な空間と私的な空間がある。
獅子の紋と王冠の王国を例にとれば、王の私的な空間、すなわち後宮と呼ばれる場所にロズヴェータは通され、緊張を感じないわけにはいかなかった。
都市国家シャロンの警察機構と揉めたロズヴェータは、調停をお願いできるか、さもなくばアウローラと共に離脱の許可を求めてきたのだ。
体が沈み込むほどの皮張りのソファに座らせられたロズヴェータに遅れること少し、王侯貴族に比べれば突然の訪問だったにも関わらず、すぐにネクティアーノは現れてロズヴェータの正面に座る。
鋭い眼光に晒され、緊張も相まってごくりとつばを飲み込むロズヴェータ。
「……で、娘が欲しいというのは君かね? 未だ娘は立派な淑女とは言えないのだが、些か結婚は早いのではないかね?」
「は!?」
「む、まさか違うとでも? 我が娘の中でもアウローラは、中々の愛らしさ。まさか娘がいらないとでもいうのかね?」
「いいえ……そんなことは、ないのですが」
「そうだろう。そうだろう。自慢の娘だ。父の目から見ても、どこに出しても恥ずかしくないし、引く手数多なのだからな。まぁおいそれとはやるつもりはないが」
咳払いをしたのは、一緒に部屋に入ってきていた使用人のマーヤ。
「ふむ? まぁ、茶番はここまでにしようか。時間もあまりないようだしな。で、警備隊長エンディアムの話だったな?」
あまりの落差に、ロズヴェータは茫然としていると、咳払いをしてネクティアーノが場を仕切りなおす。
「ああ、ええ。その通りです」
「うむ。よろしい。なんとかしよう」
「え、あの、よろしいので?」
「よろしいので、とは心外な。願い出たのは、そちらだったはず」
「ええ、まぁそうなのですが」
ちらりとロズヴェータは視線をマーヤに向ける。彼女は、表情を崩さず頷いている。それはどっちの意味だとロズヴェータは、内心焦っていた。提案に乗れということなのか、それともダメなのか。どちらともとれるマーヤの頷きの意味に、頭を悩ませていたが、即座に答えなければネクティアーノに対する返答が用意できない。
「それでは、お願いいたします。あまりこちらに長居もできませんので」
「リオングラウスは、聖地の奪還に動くのかね?」
「……一介の騎士には、なんとも」
「ふふふ、中々に用心深いな。しかし、そのくらいでないとやっていられないのかもしれんが……」
ロズヴェータの返答に、ネクティアーノは満足したように膝を打つ。
「よろしい。では、明後日ここを出発しなさい。ああ、くれぐれも、騒動は控える様に」
「はい。ありがとうございます」
ソファから立ち上がり、礼をして立ち去るロズヴェータの後ろ姿を見てネクティアーノは感慨深げに頷いていた。
「御屋形様、よろしかったのですか。そんな安請け合いをして」
使用人マーヤの問いかけに、ネクティアーノは頷く。
「エンディアムの馬鹿のことなら、なんとでもなるだろう?」
「しかし、エンディアム様はともかくその周囲に反抗勢力が集まっています」
「ちょうど良いじゃないか。まとめて潰す機会と捉えてみようではないか」
「街中で流血が起きますが……」
「ふむ、それでは少し、あの少年に働いてもらうか」
「……」
「私のアウローラを欲しいなどと……まだ私をお義父さんと呼ばせるつもりはないし、もし仮に、もし仮にだ! そう呼ぶ日が来るとすれば、あの少年には相応の実力を示してもらわないとな!」
「……」
あれは、本気だったのかと若干引き気味にマーヤはネクティアーノの背中を見つめていた。
「お嬢様に嫌われないと良いですが」
「そこは、そのぅ……マーヤ。なんとかしておいてくれ」
マーヤは主の要望に口をひん曲げて、黙って頭を下げるしかなかった。
「それにしても、娘の帰郷と合わせて愉しくなってきたな!」
アウローラに見せる優しい父親の面とは全く別の僭主としての面を見せて、ネクティアーノの瞳はぎらぎらと輝いていた。
◇◆◇
警備隊長エンディアムは、この時37歳。家系は都市国家シャロンの建国から脈々と繋がる武官の家系である。血に対する信仰とも言えるものが、あの人の子供なのだから大丈夫だろうという、ぼんやりとした権威となってエンディアムの周りに人を集めていた。
少なくともエンディアム自身は、周りから期待されるその役割を大きく裏切ることなく、この年まで大過なく過ごしていた。気質は善良であり、争いを好まない性格は軍人向きとはとても言えないが、暴走気味に決断をすることがあり、それを果断と評することもできる。
元々都市防衛の要であり、ネクティアーノの右腕であった老オルランドが戦死した時も、さらにその後継として期待されていたハメルが病死した時も、己の職責を全うしたとエンディアム自身は思っている。
傍から見てそれが自己の権力を拡大しただけ、と見えたとしても、野放図な混乱に都市国家シャロンを落とし込むよりは、自身が権力を掌握した方がマシ、程度の認識は持っていた。
武官の序列で言えば、1と2が消えたのだ。当然のごとく、武官の序列が繰り上がる。その頃からだろう。彼の周りに、色々な思惑をもった人間が集まるようになったのは。
だが、エンディアム自身はそんな彼らの要請に応えることこそが、自身の役割だと感じていた。事実彼が、元上司であった老オルランドとハメルから期待されていた役割というのが、まさにそれだった。
良質な血統による武官意見のとりまとめである。
戦場で命を懸ける彼らは、何よりも部下を統率するための権威を必要としていた。だからこそ、エンディアムのような、能力的には平々凡々であるが良質な血統を持つ者を序列の3位につけていたのだ。
命令する者がいなくなり、直接ネクティアーノの下につくようになっても、彼は自身の役割をそのままだと思っていた。だからこそ、彼の周りに集まる声を、ネクティアーノに対して強く主張するし、その意見の調整に心を砕いてきた。
それが、自身でも思わぬ方向に進み始めたのは、つい最近である。
「このままでは、シャロンは危険なのではないでしょうか?」
敗戦から不安を囁く声は、遠回しに彼の耳にも届いていたが、彼を囲む定例の会合にまでその議題が上がってくることはなかった。
それがついに彼の耳に届く。
その議題を上げたのは、エンディアムが信頼を置く部下の一人。
「こう言ってはなんですが、ネクティアーノ様のご判断は、シャロンを危機に晒しているのでは」
段々とそのような声が上がっていって、ついには彼の周りに集まる全員からネクティアーノの治世に対する不安と不満の声が上がる。
しかし、それが具体的な形をもったもの、というよりは、ふんわりとした空気のようなものだ、とエンディアム自身は認識していた。
彼が考えるネクティアーノの治世は安定しているし、少なくとも飢えることなく民を食べさせている。三日月帝国との戦争には負けたが、それは時の運でしかない。
先は暗いかもしれないが、少なくとも喰えてはいるのだから、敗戦した割にはマシであろうと。
それが急激に変化したのは、つい昨日のことだった。
「暴力沙汰を起こした外国出身の傭兵を、ネクティアーノ様が匿っている」
そのような報告がエンディアムに上がってきたのだ。
敗戦により、治安の悪化する都市国家シャロンの内部では、その維持に日々多大な労力を必要としている。それをわからないかのようなネクティアーノの行動に、エンディアムを囲む部下達はネクティアーノに意見すべしと結論を出してエンディアムを見る。
「致し方ないな。少しネクティアーノ様にご意見申し上げねばなるまい」
そう言って僭主ネクティアーノの館に向かうエンディアムに、護衛の為と称して武装した彼の部下が付き従う。その数は、30程度にもなり、2個騎士隊程度にはなっている。
その数を、エンディアム自身は自分も立派になったな程度の認識しか持ち得なかった。
それが他人からどう見えるかなど、彼の考えの中にはなかったのだ。
ネクティアーノの館の中に入ってから、物々しい雰囲気を感じ取るまで彼は、異常を察知することもなかった。
門番に武装の解除を命じられ、部下が言い争いに発展することはあっても、それが自身の反乱へと結びつくなど考えもしなかった。
門番との言い争いをエンディアムの仲裁で辞めさせ、エンディアム自身が単独でネクティアーノの館に入り、いつものようにネクティアーノに面会を請う。
庭園を鑑賞しながら、ネクティアーノとの面会を待っているとしばらく見なかったネクティアーノの娘アウローラを久しぶりに見かけて声をかける。
「これは、お久しぶりでございます。海外の留学でしたか、また一段とお美しくなられて……わたくしがあと20は若ければ、是非婚約者に名乗りを上げていたところですな」
軽口を叩くエンディアムに、アウローラは微妙な表情を向けて、それでも挨拶を交わすことはした。
「はて、御気分でも優れないのかな」
使用人のマーヤがエンディアムを呼びに来てネクティアーノとの面談の時間になる。重厚な扉を開けてネクティアーノの執務室に入ると、大きな窓を見ながらネクティアーノは背を向けていた。
「僭主には、ご機嫌麗しゅう」
「うむ……まぁかけられよ」
都市国家を主導する僭主と警備隊長という上司と部下と言う関係でも、互いに礼儀を忘れないのは、お互いの職分を分かっているからだった。
僭主ネクティアーノは、その才覚で一代で成り上がった傑物であるものの、血統に裏打ちされた権威というものを持ち合わせてはいない。だからこそ、エンディアムと言う善良で血統の良さを売りにしている凡人に礼儀をもって警備隊長に据えているのだ。
「僭主、先日外国の傭兵が市内で暴力沙汰を起こしそれを僭主が庇われたとお聞きしました。今、治安を維持するのに警備隊の多大な労力を際しているときに、それはいけません」
ソファの対面に座る僭主ネクティアーノに対して苦言を呈する。通り一遍の主張をしたのち、ネクティアーノから謝罪の言葉と、暴力沙汰を起こした犯人を連行すれば、仕事は終わりだと考えていたエンディアムに対しては、僭主ネクティアーノから帰って来たのは深いため息だった。
「エンディアム警備隊長、君は現在の地位が分かっているのかね?」
「……ええ、警備隊長と認識しておりますが」
「いいや、そうではない。そうではないのだよ。今や君は、反ネクティアーノ、つまり私に対する反乱の急先鋒となっている」
「はぁ!? なんですかそれは!?」
冗談を言っているようには見えないネクティアーノの言葉に、エンディアムは目を剥く。
「それで、確認なのだがね。君は私に変わってシャロンを統治する気があるのかね? 今のシャロンを」
エンディアムにじっくり考えさせる間を与えず、ネクティアーノは交渉を開始する。
「ま、待ってもらいたい。まず、反乱の容疑ですが何かの間違いでは?」
「いいや、証拠も挙がっている。で、どうなのかね?」
「い、いえ、そんな」
言葉を濁すもののエンディアムの頭の中ではネクティアーノの言葉を幾度となく反芻していた。
シャロンの僭主の地位は、美味しい。しかし、今のシャロンはどうだろう。交易で富を蓄積できるはずの僭主の地位は、今や心身をすり減らすリオングラウス王国とエルフィナス帝国との板挟みの状態にあると言っていい。
さらに国内状況も悪い。警備隊長をやっていれば当然治安の状況に日々接している。日に日に悪化するその状況を知っていれば、内憂外患の真っただ中ということが否でもわかる。
「……」
辛抱強く見つめるネクティアーノの視線に耐えきれないようにエンディアムは、口を開いた。
「私は、とてもではないですが僭主など、今の地位ですら過分に感じている所です」
「そうか……いや、そうか。君がそう言う考えならば、仕方ないな」
一方のネクティアーノは、エンディアムの言葉に自身の予想を裏付けながら頷く。
「では、その点を踏まえて、君の周りにいる者達をよくよく見まわしてみたまえ。君を誘惑して、私の地位を得ようと、まぁつまり苦労だけを君に押し付けて楽をして利益をかすめ取ろうとしている輩が、いないかね?」
ネクティアーノの言葉に、今まで俯いて顔色を悪くしていたエンディアムが顔を上げる。
「……まさか」
「そのまさかと言う奴さ。帷幕の内に柵を張り巡らせるのは、何も我々だけの特権ではないのだからね」
オリリ・ノルフェ・マーヤをして、陰湿にして臆病と評したエンディアムの顔色が、青から赤へ変わっていく。
「……僭主。誓って私は……」
「ああ、うん。君は、そんな男ではないと私は信じているとも」
「……はい。それで、どうすれば?」
「私は君が彼等を正道へ立ち戻らせることができると信じているが……」
「いいえ、切るならば迅速な対応こそが必要かと思います」
顔色を戻して、エンディアムは探るような視線をネクティアーノに向ける。ここでネクティアーノの思う通りに動かないのが、エンディアムと言う男のしぶとさにつながっている。
「……ふむ、しかし治安の維持は急務であろう?」
「より大きな災いを取り除くためには、致し方ないかと。ですが、私の手勢を使うのは難しいかと」
「ああ、それならばうってつけの人物がいる」
「なるほど、で私は何を?」
自身の手を汚すのは避けるエンディアムの言葉に、ネクティアーノはそれでも問題ないと頷く。
「そうだな、君は君に甘言を囁き、不利益を蒙らせようとしている者達を一か所に集めてもらえるかな?」
「それを一網打尽と?」
「可能であればね、集める理由は君の方で考えてくれたまえ」
それぐらいはできるだろう、と暗に聞くネクティアーノに、エンディアムは頷いた。
◇◆◇
「無罪放免する代わりに、警備の手伝いをしろと」
「……胡散臭いですね」
翌日ネクティアーノから来た手紙に目を通すロズヴェータは、同じく手紙を回し読みした美貌の副官ユーグの言葉に内心だけで頷いた。
「……僭主は、貴方なら受けるだろうと言われました。報酬も決して安くはない金額を。それに捕まえる者達の生死は問わぬとのことです」
昨日ゴロツキから助けたネクティアーノの館で働くマーヤと言う少女は、堂々とそんなことを言ってのける。
「これを受けないと、先日の約束は履行できないということか?」
つい鋭くなるロズヴェータの口調に、マーヤは首を振る。
「私からは、お答えいたしかねます」
「少しだけ考える時間をもらいたい」
「はい、本日中に答えをもらってくるように申し付かっております」
「答えが出たら、いずれにしろ館まで送らせよう」
そう言って背を向けるロズヴェータの背中に、マーヤは厳しい視線を向けていた。
「やりましょうよ。隊長!」
「やるべき、是非に。生死を問わずなんでしょう? こんな美味しい案件ないですって」
先に副官ユーグから話を聞いていた分隊長達の反応は、概ね好意的なものだった。
騎士見習いのネリネは、昨日の一件依頼乗り気になっているし、人が斬れれば何でも構わないバケツヘルムの分隊長バリュードは、前向きな返事しかよこさない。いや、むしろ人を斬るために積極的に理由すら探す有様だった。
一方で慎重派の意見としては、ここでそんな騒乱に巻き込まれる必要があるのか。どこまで行っても都市国家シャロンの内紛であって、首を突っ込めばこの都市の住民から、いらぬ非難を受ける可能性がある。
こちらの意見は、兵站を任せているラスタッツァからの意見であった。
どうも都市国家シャロンに入ってから思うように補給が上手く行かず、さっさと離れたいというのが本音のようだった。
「御決断を、ロズヴェータ様」
美貌の副官ユーグの声に、ロズヴェータはシャロンの騒乱に介入するか決断をしなければならなかった。
ロズヴェータ:駆け出し騎士(銀の獅子)
称号:同期で二番目にやべー奴、三頭獣隊長、銀の獅子、七つ砦の陥陣営
特技:毒耐性(弱)、火耐性(中)、薬草知識(低)、異種族友邦、悪名萌芽、山歩き、辺境伯の息子、兵站(初歩)、駆け出し領主、変装(初級)
同期で二番目にやべー奴:同期の友好上昇
三頭獣隊長:騎士隊として社会的信用上昇
銀の獅子:国への貢献度から社会的信用度の上昇
毒耐性(弱):毒からの生還確率が上昇。
火耐性(中):火事の中でも動きが鈍らない。火攻めに知見在り。
薬草知識(低):いくつかの健康に良い薬草がわかる。簡単な毒物を調合することができる。
異種族友邦:異種族の友好度上昇
悪名萌芽:行動に裏があるのではないかと疑われる。
山歩き:山地において行動が鈍らない。
辺境伯の息子:辺境伯での依頼で影響度上昇
陥陣営:連続で落とし続けている限り、味方の能力に強化効果。(連続7回)
兵站(初歩):兵站の用語が理解できる。
駆け出し領主:周囲から様々な助言を得ることが出来る。
変装(初級):周囲からのフォローを受ければ早々ばれることはない。
信頼:武官(+25)、文官(+31)、王家(+17)、辺境伯家(+50)
信頼度判定:
王家派閥:少しは王家の為に働ける人材かな。無断で不法侵入はいかがなものかと思うが、まぁ大事に至らなくてよかった。
文官:若いのに国のことを考えてよくやっている騎士じゃないか。領主として? 勉強不足だよね。派閥に入れてあげても……良いよ? けれど、招待状の貸しは大きいわよ。
武官:以前は悪い噂も聞こえたが……我慢も効くし。命令にはしっかり従っているし戦力にはなるな。待ち伏せが得意とは知らなかった。 最近何かしたのか?
辺境伯家:このままいけば将来この人が辺境伯家の次代の軍事の中心では? 元気があって大変よろしい! 領主としてもしっかりやっているしね。
副題:ロズヴェータちゃん、汚い大人の話し合いに巻き込まれる。




