北川雪乃。男子高校生から一目惚れされる
以前書いた、「深爪の少女」のキャラクターが登場しますが、この作品だけ読んでも、問題ないように書いたつもりです。
浜田優也の容姿は、決して悪くない。とは言え、良くもない。恋をしたことはあるが、交際まで発展したことはない。告白したこともないから、仕方ない。「ない」「ない」ばかりの地味な男子高校生だった。
三年生の冬の朝、昼食のパンを買う為に、通学路から少し外れた、コンビニに入った。普段は、母親の弁当を持参するので、この店に入ったのは初めてである。
店内に客はいない。それどころか、店員もいない。
そのうち出てくるだろうと、パンを選びレジへ行った。
しかし店員は見えなかった。
「すいませ〜ん」
適当に、声を掛けてみた。
「すみません。今、行きます」
カウンター奥から返答があり、黒縁メガネの女性店員が出てきた。
その女性を見た優也は、カバンを落としてしまった。マンガみたいなリアクションだと頭の片隅で思ったが、それどころではない。
慌てて、カバンを拾った。
(――なっ、なんなんだよ、この人)
とんでもなく可愛い。めちゃくちゃ可愛い。マンガのヒロインみたいに可愛い。
マンガのヒロインに、マンガみたいなリアクションしたって、仕方ない。
名札を見ると「きたがわ」と書いていた。
(――北川さん? でいいのかな)
浜田優也、人生初の一目惚れ。
北川はパンを会計した。
「350円です」
「え、あ、はっ、はい!」
北川に見惚れていた優也は、慌てて財布を出した。
(――うわ。マジで恥ずかしい)
そんな優也の様子に、北川が笑った。
「ふふっ」
その笑顔を見たとき、優也は、またカバンを落とした。
――なんか、なんか頭がおかしくなりそうだ。
その日から優也は、そのコンビニに通い続けた。登校時、下校時、休日もパンでも、ガムでも、ジュースでも、とにかくそこで買う。
店外から覗いて、北川以外の店員のときは、入らなかった。
優也は通い続けたが、北川の事は、名前以外、何も知らないままだ。
彼女は常に機械的に接客する。
これだけ毎日来たら、こっちの気持ちに気付いても、おかしくないだろう。しかし、彼女は完全にノーリアクションだ。
――多分、オレみたいな客は今まで、何人もいたはずだ。で、「またか、面倒くさいなあ」くらいの感覚でスルーしてる。これが一番しっくりくる。
何人もの男たちが、散っていったのだろう。
勝手に想像して、作り上げた戦友たちに思いを馳せ、独り言をこぼした。
「せつねえ」
誰かに話したい。
アドバイスが欲しいとかじゃない。この気持ちを吐き出したい。
翌日の下校時に、優也は友人の高樹慎太郎に、声を掛けた。
類は友を呼ぶ。高樹も地味なやつだと思う。いつ、どこで役に立つのか分からない変な知識を、やたら持っているくらいしか特長もない。
「なあ、ちょっと付き合ってくれよ」
「何だよ。めずらしいな」
「高樹さあ、こっちから曲がった先のコンビニ、行ったことある?」
「いや、まずその前に、そのコンビニを知らねえんだけど。うち、隣にセブンイレブンあるし」
「ああ、そうだったな」
二人で話しながら、目的地へ向かった。
コンビニの入口近くに、到着した。高樹に気付かれない様に、店内を覗くと、カウンター内に、北川がマネキンのように、立っていた。
「高樹、悪いけどコーラ二本、買って来てくれない? 奢るからさ」
「え? 優也、入らねえの?」
「ああ、まあ、頼むよ。買い物すれば分かるから」
釈然としない表情のまま、高樹は入って行った。
五分後、高樹が出てきた。何故か、少し怒っているようだ。
「……おい、なんだよ、アレ」
「アレ?」
「オレに見せたかったのは、あの店員だろう? 思わず、カバン落としたじゃねえかよ」
(あっ、お前も?)
笑いそうに、なってしまった。
「……で、優也、どうするんだよ? まさか告る気か? オレらなんか相手にする訳ないだろ」
「オレら」と自分も含めて、諦める高樹が面白い。こいつなりの、優しさかも知れない。
「頭じゃ、分かってんだけど。あっ、とりあえず、そこの駐車場でコーラ飲もうぜ」
駐車場へ移動し、空きスペースでコーラを開けた。
「……で、優也はどうしたいんだよ?」
「分からないんだよ。」
「付き合いたい、とかじゃないだろ?」
「う〜ん、恐れ多いなあ」
「友だちになりたい、くらいか?」
「まあ、それでも奇跡だと思うけど」
ため息が出てしまった。彼女どころか、友だちですら、無理っぽい。
変な言い方だけど、可愛すぎなんだよ。夢見るのも許されないくらい、可愛いってなんなんだよ。
「高樹、とりあえず、今日は引き上げようぜ。変な事に付き合わせて、悪かったな」
帰り道、高樹が神妙な顔で、話し始めた。
「優也、マルゴってフランスのお姫様を知ってるか?」
「知らないって、分かってて訊くなよ」
「まあ、そうだよな。すっごい美人だったらしいんだけど、その評判がな」
「うん」
「あれは、男を救うというよりは、破滅させるたぐいの美しさだ、という言葉らしい」
「北川さんも、そういう感じだと?」
「なんか上手く言えないけど」
「なんとなく分かるよ。ヤバイよな」
それ以上の会話もなく、寒風の中、二人で黙って帰宅した。
休日の午前中、優也は欲しくもないパンを買い、会計をしている途中、北川がビタッと固まり動かなくなった。店外の歩道に、視線が固定されているようだ。
優也も振り返り、視線を追った。
視線の先は、歩道をスタスタと歩いていく若い女性の後ろ姿だ。
――知り合い? 友だち?
その女性が見えなくなり、我に返ったらしい北川は、慌てて会計を再開した。
「すっ、すみません」
彼女の顔は真っ赤だ。
普段は、まるでアンドロイドのような彼女が、妙に人間くさく感じた。
なんだろう。この変な胸騒ぎは。
ある朝、登校するなり、優也は高樹に呼ばれた。
「優也、あの店員の事、聞きたいか?」
「ああ、何でもいいから、聞きたい。オレ、なんも知らないんだ」
「まあ、オレは見たまんま、なんの脚色もない話をするぞ。後悔するなよ。昨日の事だ」
高樹は、夜中、カップラーメンを無性に食べたくなった。台所を漁ったが、都合よくあるわけもない。
カップラーメンを買いに、コンビニへ出掛けた。
いつものセブンイレブンではなく、優也と行ったコンビニで買う事にしたのは、単純に北川を見たかったからだ。
美人を見るのはオレだって楽しい。
(――いたらいいけど。いなかったら、中に入らないで帰ろう)
街灯も少ない薄暗い道路の先に、コンビニが見えた。そこだけ明るくて、ホッとした。
不意に入口から、北川が出てきたので、驚き、立ち止まった。
北川は、高樹に気付いていないようだ。
入口横の灰皿で、タバコを喫い始めた。
(えっ! タバコ喫うのか!? ありえねえ!)
あまりにもイメージと違いすぎて、ショックが大きい。
高樹は、一歩も動けず、タバコを喫う北川を見ていた。いつの間にか、見惚れていた。
気怠そうな表情で、煙を吐き出す北川は美しかった。コンビニの照明に照らされた横顔は、美しかった。
――やべえ、オレまで、おかしくなりそうだ。
北川は喫い終わり、吸殻を灰皿へ捨てた。タバコのパッケージも、軽くねじって捨てた。最後の1本だったらしい。
店内に北川が戻ったのを確認し、灰皿へ向かった。
灰皿の中は、薄い口紅が付いた吸殻が1本、その横にねじられたタバコのパッケージだけ。
慌ててスマホを取り出し、写真を撮ると、逃げる様に走って帰宅した。
ラーメンの事など、忘れていた。
「……という訳だ」
スマホの写真を見せながら、高樹は話した。
「ちなみに、そのタバコはハイライトっつって、世界一売れた事もある。おっさんタバコの代名詞だ」
「その情報、今いるか?」
「まあ、いらんな。でさ、優也。どうする? もう、冷めたか?」
「……そのハイライトってタバコ、手に入らないか?」
「はっ? 何言ってんの、お前?」
「北川さんが好きな物が、どんなもんか、知りたいんだ」
「マジかよ!?」
「北川さん、多分、オレに1ミリも興味ないと思う。少しでも、今よりマシな関係になれるなら、何でもしたい」
「愛の反対は憎悪ではなく、無関心。か……」
「そんな、ひでぇ事、誰が言ったんだよ?」
「マザー・テレサ」
三日後の夜、自室の優也の目の前に、ハイライトとライターがあった。
今日、学校で高樹が、一言だけ言って、渡してきた。
「入手方法は、訊くな」
一本取り出し、咥える。恐る恐る火を点けた。
「あれ? 意外と大丈夫かも?」
一回、吸い込んで吐き出したとき、そう感じた。
大間違いだった。その5秒後、優也に、ハイライトの恐ろしさが叩き込まれた。
車酔いどころではない、めまいが襲ってきた。先端1センチも喫っていない。
床に倒れる様に寝る。周りがグルグル回った。
目を開けていると、視界のグルグルが辛い。
目を閉じると、脳内のグルグルが辛い。
逃げ場がない。
水が欲しいが、一歩も歩けないだろう。それ以前に、立ち上がることさえ無理っぽい。
――なんだ、こりゃあ!?
最悪の脳内で、優也は妄想した。
深夜のコンビニ前で、優也はハイライトを喫っている。そこへ北川が出てくる。
「あら、タバコ喫うの?」
「ええ、まあ、学校には内緒にしといて下さい」
「ふふっ、大目に見てあげるわ。あっハイライト?」
「まあ、これじゃないと喫った気、しないんですよね」
「あたしもハイライトなのよ、ふふっ」
――これだ、これしかない!
優也は、一週間、なんとも馬鹿げた努力をし、ハイライトを半分くらいは喫える様になっていた。
高樹に話すと、ゲラゲラ笑われた。
「なんだよ、その無駄な情熱は!?」
「今夜、決行するぞ、なっ?」
「なっ? って……。まさか、オレも行くのか!?」
「慰めてくれよ」
「なんでフラれる前提なんだよ……」
その夜中、二人はコンビニの近くにいた。コンビニ内から、ここは見えない。
北川が店内にいる事は、確認済みである。
「なあ、優也、さみぃよ」
「大丈夫だ、オレも寒い」
諦めたように、高樹はため息を吐いた。
「今日、タバコ喫いに出てこなかったら、どうすんだよ?」
「明日だ、明日」
「オレは、来ねえからな!……あっ誰か来た」
店の隣の駐車場から、女性が来た。
しばらく店内を覗き、入って行った。
「どっかで見たような……」
優也は、その女性を見た気がするが、思い出せない。
数分後、女性が出てきた。そのまま、入口横の灰皿へ行き、タバコに火を点けた。
店内からの照明で、女性が見えやすくなり、高樹が口を開いた。
「すげえ美人じゃねえか?」
「あ、ああ……。確かにな」
北川とは違う、大人の美しさを持つ女性だと優也は思ったが、今はそれどころではない。
「あ……あれ? 北川さん?」
店から北川が出てきて、タバコを喫いながら、女性と話し始めた。
「おい、優也、マジでどうすんだよ? なんかおかしいぞ」
言われなくても分かる。何か、自分には理解出来ないおかしな事が、起きている。
店内に、北川だけ戻り、店内の照明が消えた。閉店の準備をしているらしい。
しばらくすると、裏口から出てきた北川と女性が、二人で歩きだした。
「おい、優也、なにボケッとしてんだよ、追うぞ」
「えっ、マジでか!?」
「少しでも知りたい、って言ってたじゃねえか」
「なんかストーカーっぽくないか?」
「お前は立派な、ストーカーだ。とっくに」
前の二人に、ある程度の距離を取りつつ、コソコソ追いかけた。
前の二人は何か話しているが、内容までは聞こえない。
(――あっ!)
北川と歩く女性の後ろ姿を、見ていて思い出した。
(――北川さんがレジしているとき、顔を赤くして、見惚れていた人だ)
あのとき感じた、胸騒ぎが帰ってきた。
不意に、前の二人が、立ち止まった。
優也たちも足を止め、隠れた。
(なにしてんだ? なに話してんだ?)
北川が何か言ったあと、女性に軽くキスをした。
(――嘘だろ)
自分が見た光景が、信じられない。
優也の隣では、高樹がビクッと震えた。
北川たちは、再び、歩き始めた。
優也たちは、もう歩けなかった。
歯がカタカタ鳴ったが、寒さのせいじゃない。
「優也、大丈夫かよ?」
優也は何も言わず、来た道をトボトボ戻り始めた。慌てて、高樹も後を追った。
――こんなのって、あるかよ? 普通に告白して、フラれた方がどんだけ幸せなんだよ。
コンビニ前まで、戻ってきた。
優也は、大きなため息を吐いた。
「高樹、変な事に、巻き込んで悪かったな」
「お、おう……。気にすんなよ」
「なんか、ないのかよ?」
「なんかって、なんだよ?」
「いつも言ってるみたいな、格言とか名言とか」
「……」
「慰めてくれよ」
「……ハイライトが好きな女に、惚れた男は傷つくが、人として成長する」
「それ、今、作っただろ?」
優也は、力なく笑った。
高樹も、力なく笑った。
なんか、もういいや。北川さんの幸せを、祈ろう。おお、ホントに成長したか、オレ?
部屋の引き出しに隠した、ハイライトが母親に見つかり、父親にぶん殴られる三ヶ月前の出来事。
就職した運送会社の先輩に誘われて行った食堂で、北川に再会する八ヶ月前の出来事。
全く、自分に気付かない北川雪乃に傷つく八ヶ月前の出来事。
最後まで読んで頂き、感謝します。
北川雪乃をもう一度、動かしたくて書いたようなものです(笑)