表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
俺の死んだ日 〜猫たちの時間8〜  作者: segakiyui
7.万里子
23/31

1

「ん…」

 ざらざらとした感触のものが頬に触れている。それは異様に生温かくねっとりしていて、そのくせ、ひどく器用に俺の頬の表面を滑っている。ぼんやり目を開けると、突然、視界にくわっと開いた、世にも恐ろしげな真っ赤な口が広がった。

「どわっ!! つっ!」

 思わず喚いて跳ね起きた俺は、頭の中を駆け抜けた痛みに眉をしかめた。そろそろと右手を挙げ、こめかみ近くの側頭部に触れてみると、ざりっとした感触があった。どうやら殴られたところから、ちょっと出血したらしい。

「ここは…」

「にゃん」

「え?」

 のろのろ辺りを見回しかけた俺は、猫の声にぎょっとして視線を向けた。

「ルト…か?」

「にゃあん」

 どこかの建物の一室らしい殺風景なコンクリートの床に、ちょこんと座っていた青灰色の猫は、少し口を開けて鳴いて見せた。

「お前、どっから…」

「にゃ…」

 こっちだよ、と言いたげに腰を上げ、主人を思わせる優美な動作でゆっくりと壁の近くに歩み寄る。部屋を照らしているぼんやりとした裸電球の光の下で、その場所に太い鉄格子の嵌まった小窓があり、ルトにとっては御誂え向きに、何かの荷物らしい木箱が何個か積み上げてあるのがわかった。ルトは、ひょい、ひょい、と箱を伝って窓へとたどり着き、思案するように鉄格子の間から外を見ていたが、不意にするりと外へ抜け出していった。

「なるほどな、猫はいいよな」

 ぼやきかけた俺は、次の瞬間ぎょっとした。出ていったはずのルトが、再びぬっと顔を突き出したのだ。そればかりか、ピンと立てた耳の後ろで、上品にくねらせている尻尾まで見える。

「おい…お前、『空飛ぶ猫』(フライング・キャット)だったのか?」

「にゃあ!」

 馬鹿なことを言ってるな!

 そんな感じでルトは鋭い鳴き声を上げた。金目でじろりと俺を見据える。ぞくりとして、不承不承頷いた。

「わかったよ、そこへ行けってんだろ?」

「にゃん」

 わかってりゃいいのさ、と言いたげに、ルトは耳を倒して『人撫で声』(と、猫の方から言うのかは知らないが)で鳴いた。 

「言っとくが、俺は正直言って…」

 木箱に足をかけ、バランスを取って立ち上がりながら、言いかけたことばを飲み込んだ。この上、ドジの照明を『実地』でやって見せる訳にはいかない。足の下で木箱が軋み音を立て、妙な反響音となって部屋の隅に澱んだ。よし、うまく行ったぞ。次の木箱だ。こっちへ乗ると……。

「わっ…わっ……わっ……」

 ぐらあっと木箱が揺れ、俺は慌てて手近の別の木箱に手を伸ばして体を支えた。落ちかける木箱を、必死に残った左足で押し込む。どうやら中身のないものがあるらしい。

「この……厄介…だな…」

「にゃっ」

 早くしろよ。

 ルトが切羽詰まった声で促す。

「そう、急かすなよ…」

 他人が見れば、確実に目を覆いたくなるだろう、実に危ういバランスで、俺はなんとか一番上の木箱まで這い上がった。そこに乗ると、天井まではほんの少し、体を二つ折りにして、かろうじて頭を打たなくて済む、と言う状態になる。

「あ…そうか…」

 ルトの方を見やって、俺はようやく納得した。

 この部屋は、どうやら地下の倉庫として使われていたらしい。ちょうど窓の下辺にあたるところが地面の高さで、ルトはそこに4本の足を開いて立っている。鉄格子越しに覗くと、外はどこかの埠頭らしい風景が広がっていた。気づいてみると、微かに鉄錆の匂いに混じった潮の香りもする。

「港…か」

 呟いてはっとした。万里子はどうした? あれからどうなったんだ?


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ