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俺の死んだ日 〜猫たちの時間8〜  作者: segakiyui
6.人魚姫
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3

春日井家は、俗に言う高級住宅街にあった。まあまあ広い家で(もっとも朝倉邸と比べてしまうと、物置とまではいかなくとも離れの一部屋、程度になってしまうのだが)、日差しを暖かく浴びているところは、ごく普通の幸福な家庭を想像させた。

「こっちよ、入って」

「あ…うん…失礼します…」

「誰もいないのよ」

 すたすたと歩いて行きながら、万里子は肩越しに声を投げた。

「おとうさんは仕事、おかあさんは病院……だもん」

 軽い足取りで階段を上がっていく万里子の後を慌てて追い、俺は万里子の私室らしい部屋へ踏み込んだ。

 8畳ぐらいはあるのだろうか。白い女の子らしいベッド、白とピンクとクリーム色で統一された、カーテン、枕カバー、ベッドカバーと調度類。俺にとっては全く馴染みのない『少女』の世界が広がっている。どこか甘い匂い、机の上に白い鳥のゼンマイ仕掛けのようなおもちゃが載っている。その鳥の頭を軽く突いて、俺を振り返り、万里子はすうっと片手をベッド周囲と洋ダンスのあたりへ差し伸べた。

「はい、どうぞ」

「うっ」

 そこには所狭しとぬいぐるみの群れが並んでいた。とてもじゃないが、人魚姫はなんとか見分けても、猫とぶたといるならだがを選り分ける自信はなかった。

 そろそろと万里子を窺い、協力を求める。

「うん」

 万里子は慣れた様子でぬいぐるみに向き直ると、ひょいひょいと神業的な動作で3体ほどのぬいぐるみを引っ張り出した、いや、出そうとした。

「あれ?」

「どうした?」

「この人魚姫、前とちょっと違うみたい」

「え?」

 はっとして俺は万里子の側に近寄った。

 人魚姫は、かなり精巧に作られた、ぬいぐるみと言うよりは可動性のある柔らかな人形だった。岩に座り、下半身の青緑の鱗の尾の先に紅のヒトデらしい星型を飾り、波打たせた金の髪を胸元に垂らしている。優しい造形の口元は今にも歌い出しそうにふっくらと作られており、水滴を模したのか、髪には小さく光るビーズが絡められている。その髪と胸を抱くように交差する2本の白い腕も華奢で愛らしい。

「どこがどうおかしいんだ?」

「うん…どうって…」

 万里子は人形をベッドの上に置いてしげしげと眺めた。

「ちょっと、恥ずかしがってるみたい」

「恥ずかしがる?」

「そうよ。あたし、これをもらった時に、お兄ちゃんが『お前にとって一番大切な物だから』って言ったことばも忘れてないもの。それから毎日見てきたのよ。やっぱりどこか変だわ……どこなんだろう」

 万里子は考え込んだ。

 その間、俺はすることがなくて部屋の中を見回していたが、ふと、ベッドの隅の方にある写真立てに目が止まった。万里子とあつしの写真、仲良さそうににっこり笑って写っている。写真の万里子は安心しきった顔であつしにもたれて何かを抱いている。あつしの温和な笑みが、既にこの世にないものなのだと言う想いは、俺を微妙に落ち込ませた。

「ん?」

 不意に気づいて、俺は慌てて写真立てを手に取って見つめた。間違いない、万里子が抱いているのは人魚姫だ。

「春日井くん!」

「え? …あ、これ!」

 万里子もすぐに利用価値に気がついた。写真と目の前の人魚姫を見比べ始める。数分もしないうちに、高らかに言い放った。

「わかった! これ、手が違うんだ!」

「手?」

「ほら、こっちの写真の方はお腹あたりに手が降りてる。でも、こっちは胸まで上がってる」

「ずれたんじゃないのか?」

 尋ねると、万里子は首を振った・

「ううん、これ、接着剤か何かで止めてあるから」

「接着剤?」

「うん」

 もしかすると。

 俺は閃いた。

「春日井くん、ちょっとそれを貸し…」

 がしゃりっ。

「残念ながら」

 不意に耳元で物騒な音が響いて、ことばを呑んだ。ゴリ、とこめかみに冷たいものが押し当てられる。聞いたことのある声が静かに命じた。

「それはこっちへ貰おうか」

「椎我さん!」

「お静かに、お嬢さん」

 男は悲鳴じみた声をあげた万里子を淡々と制した。こめかみからひんやりとした空気が伝わってくる。中腰になったまま動くことができない。

「本当に、散々手こずらせてくれましたよ、あんた達は」

 椎我は舌なめずりをするような粘っこい口調で続けた。どうせ人の命をリモコン車で狙いながら漫画読んでるような奴だ、根が暗いに決まってる、うんと暗いはずだ、夜中のドブ底の水たまりぐらい暗いやつだきっと。動けないまま、心の中で罵っておく。

「さ、それを渡すんだ」

「いやっ!」

「渡さないと、この男の頭がぬいぐるみと一緒に飾られることになってしまうよ?」

 嬉しそうな声にぞっとする。全然笑えないユーモアの持ち主だ。まあ俺もそうユーモアのレベルを比べられるものではないが、にしても、女の子に言うようなことばじゃない。

 万里子は紙のように白くなって俺を見つめた。

「木田さん…」

「あ、あのさ」

 止せばいいのに、『一言病』が出てしまった。

「俺の頭って、割とぬいぐるみと合うと思うよ」

「この!」

 がきっ。

 耳が痛くなる音が響いた。激痛が走り込み、頭の中の星のラインダンスを跳ね飛ばし蹴り飛ばし、頭の中を7回半ほど走り回った挙句、もう片方の耳から抜けていく。それに引っ張られるようにへたへた前方へ崩れ込んで行く感覚が、俺が最後に感じたことだった。


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