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俺の死んだ日 〜猫たちの時間8〜  作者: segakiyui
5.舞台裏
18/31

4

「遅いんだから!」

「ごっ、ごめっ…ごめん……ちょっと…寄るっ……寄るっ、ところっ…があっ…て」

 俺ははあはあ息を切らせながら弁解した。

 万里子は喫茶店の一席で、目の前のテーブルに数個の空になったグラスを並べている。

「来ないのかと思って、やけ食いしちゃったもん」

 ぷっと膨れて唇を尖らせた。瞳に淡く寂しげな色を浮かべる。

「わ…悪いっ…買…物して……あーっ!」

「何っ!」

「買ったもの、忘れてきたっ!」

「なぁんだ」

 溜息をついて後ろにもたれる万里子を睨みつける。なぁんだって、ゴキブリキャッチホイを置いてきちまったんだぞ、『見舞い』の品に。

「いいじゃない、また買えば。ねえ、それで、一緒に探してくれるんでしょ、木田さん」

 甘えた声で訴えて立ち上がった万里子がレシートを渡してくる。

「…ああ」

 溜息混じりに受け取って、会計を済ませながらドアを開ける万里子を見やる。

「うふ」

 ぺろっと舌を出した彼女は、後をついて店を出た俺に歩幅を合わせようとしながら笑った。

「ごちそうさま」

「…よく食べたなあ…3420円って、何食べたらデザートだけでこれだけになる?」

「遊び人なんでしょ? お金ないの?」

「あんまり」

 肩を竦めて見せると、万里子はくすくす笑った。通りすがりの男が、万里子の表現を借りれば『物欲しそうな』目で彼女をみる。それを意識しているのかしていないのか、万里子はそうっと体を寄せて囁いた。

「木田さんみたいな人、好き」

「え?」

「なんかすごく安心できるの」

 女の子に『安心できる』と言われた場合、いい歳をした男としては、喜ぶべきなんだろうか、悲しむべきなんだろうか。

「ここよ」

 やがて万里子はちょっと小洒落た感じの建物の前で立ち止まった。

「この辺りで椎我さんを見たことがあるの」

 ゆっくり見上げる万里子に、俺も視線を上げた。

 白と黒のモノトーンで統一したビル、1階はファンシー・ショップ、その入り口の横に白いエレベーターがある。押しボタンの横には2階から上の階についての表示があった。2階はCDショップ、3階はダンスフロア『モナミ』、4階は鴨田商事。

 ん? 待てよ? 鴨田ってどこかで聞いたような……。

 俺の視線に気づいたらしい万里子が、表示を読んで眉を寄せる。

「これ…」

「ん?」

「鴨田のおじさまの会社だ……こんなところに支店があったの?」

「鴨田のおじさまって?」

「うん。お父さんの親戚なんだけど、お父さんの会社を外から支えるって。研究所に居て…」

 唐突に万里子はことばを切った。次第に夕暮れ一色に染め上げてくる、落ちていく日差しの中で、不安そうに俺を見上げる。

「まさか………おじさまが…」

「……」

 俺も万里子の疑いがよくわかった。

 薬品の産業スパイ事件は小沢ー鴨田ー春日井という繋がりだ。もしここで椎我を見つけるか、あるいは鴨田商事と椎我が度々接触して居たのがわかれば、春日井のスパイ容疑は動かなくなるだろう。そうして、あつしを事故死させた裏に居た人物の見当もついてくる。

「どうする?」

「行く」

 俺の問いに万里子は間髪入れずに応じた。鴨田商事の表示を見る目は厳しい。

「来てくれるわよね、木田さん」

 振り仰いでくる瞳は打って変わって必死の色を湛えていた。不安が形になりそうなのを、それでも目を閉じるまいと見据える強い意志。

「ああ」

 俺は、そういう目に逆らえた試しがなかった。

 

鴨田商事はビルの雰囲気によく合った、クリーム色のドアで廊下と隔てられていた。ほんの小さな一部屋を借り切っているだけらしく、簡素すぎるほどそっけない様子、ドアの表示もガラス窓に黒く『鴨田商事』とあるだけだ。

「どうやら…いないみたいだな」

 出入りしている数人の男の訝しげな目に白々しく咳払いする。男達は一般サラリーマン風、特に怪しげな風体の男はいない。

「うん…」

 ほっとしたように頷き、万里子はことばを継いだ。

「そうよね……そんな事ないわよね」

 くるりと向きを変え、

「心配して損しちゃった。帰ろう、木田さん」

「ああ」

 足取り軽く先に立って角を曲がった万里子に、引き続いて曲がろうとして危うくぶつかりかける。

「な」

 何なんだ、と唸りかけて、前方の角を曲がってくる男に気づいた。一度しか見たことはないが、いくら俺でも自分を殺そうとしてくれた男の顔を、おいそれと忘れるわけがない。

「くそっ」

 が、周囲には身を隠せそうな場所はない。幸い、男は別の男と口論しながらやってきていた。一か八か、やって見るしかない。

「春日井くん」

「…」

 万里子は緊張した表情で頷き、俺の左側に回った。うまく行けば、そう、ほんの一瞬、椎我がこっちを見なければ。

 俺達は店を探していて、たまたま4階まで上がってきてしまったのだ、そう言う顔でぶらぶら歩きながら椎我達に近づいていった。次第に声が間近に迫ってくる。

「だから!」

 椎我がヒステリックな声を上げる。

「あれは仕方なかったと言ってるだろう!」

「仕方なかったで済ませられるのか!」

 相手も負けじとやり返す。近づく俺達、歩いてくる椎我達、距離が縮まる、3m、2m、1m……。すれ違った瞬間、万里子が大きく息を吸うのが聞こえた。

「予想外だったんだ、万里子に、あんな男が」

 ムキになってまくし立てていた椎我が、ふいに何かに気づいたようにことばを切る。ぎくりと万里子が体を竦める。俺の胸にパッと赤ランプが点る。次の瞬間、俺は万里子の手を引いて走りだしていた。

「あ!」

「こいつら!!」

 叫ぶ声に混じって激しい足音が追ってくる。俺は万里子とエレベーター横の螺旋階段を駆け下りながら喚いた。

「どうするっ?!」

「っ」

 はあはあと息を切らせる万里子は不安げに背後へ目をやり、いきなり俺を近くの凹みに引っ張り込んだ。立っていた少年が一瞬鋭い視線を投げ、すぐに和らげる。

「ハイ、あき!」

「ハイ、万里子。えらく慌ててるね」

「匿ってよ!」

「わかった。中に入るのはまずい、こっちへおいで」

 凹みと見えたのは3階のダンスフロア『モナミ』の入り口だった。古くからの知り合いのように声をかけた万里子に頷いてウィンクし、俺と万里子を受付の下にしゃがむように指示しながら、少年は俺に尋ねた。

「あんた、万里子の新しい彼氏かい?」

「いや、その」

 戸惑って万里子を見ると、彼女は少し肩を竦めた。

「前はよく来てたの。ここ、芸能人も来るのよ」

「…さ、黙って。お客がきたよ、お宅達の」

 ばたばたと駆け込んで来る音が響き、椎我のますますヒステリックな声が叫んだ。

「おい! 今ここに14、5の女と、もうちょっと歳食った男が来なかったか?!」

「ああ、その人達なら、今下に駆け下りてったみたいだけど」

「下だな!」

 意外に早いな、とぼやいた椎我は途中で思いとどまったらしく、横柄な口調で確認した。

「いや、お前が嘘をついてるってこともあるからな、店の中を見せてもらうぞ!」

「どうぞ。だけど5000円払ってくださいよね、こっちも商売だし」

「ちっ」

 叩きつけるように札を置いた音がして、椎我がフロアの中へ入って行く。


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