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俺の死んだ日 〜猫たちの時間8〜  作者: segakiyui
4.模造品

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3

「あたし…本当はお兄ちゃんと血は繋がってないの」

 エレベーターで1階へのボタンを押しながら、万里子は話し出した。一刻も早く手紙を出したいと言う俺に付き合ってくれたのだが、本当は男の人が合わせるべきなのよ、と笑った。

 お兄ちゃん、春日井あつしはそうしてくれる人間、優しすぎるほど優しい、妹思いの人間だった。家族のことを話すときも、誰よりも多く誰よりも先に妹のことを話した。その時の奴は、いつものどこか悟ったようなアルカイック・スマイルじゃなかった。本当に愛おしそうに、話すことさえ無上の喜びであると言いたげに、妹のことを話した。この世に兄妹として生まれてきた絆を、何よりも感謝したい、そう呟いたこともあった。

「知ったのはね、中1の時。……お兄ちゃん? 知らなかったと思う。私は、冬の雪の日に、春日井家の前に捨てられてたんだって。雪の日なのに周りに足跡が一つもなくて、たぶん、捨てられた後、雪が降ったんだよね……どこからきたのかわからない子だからと言って……万里の彼方より来た子と言う意味で、万里子……」

 エレベーターが微かな浮遊感を伴いながら、俺達を階下へ運んで行く。

「ほら、よく、学校の宿題にね、自分の名前がどうしてつけられたかを調べて来なさいって言うのがあるでしょう? あの時、おかあさんったら、何て答えたと思う? 万里の彼方にある幸せも手に入れられる子……だから万里子、だって……ふふっ……おかしいの」

 万里子は小さな笑い声を上げて、背を向けたまま、肩を竦めて見せた。

「おんなじ、万里の彼方でも、大違いなのにね」

「…」

「それでね、私が自分が捨て子だって知ったのはね」

 万里子はふいに固い声になった。

「中1の頃、アルバイトするのになかなか許してくれないから、つい冗談で、『やっぱり、あたしはここの家の子じゃないんだ』って言ったの……そうしたら、おかあさんもおとうさんも、一瞬真面目な顔になって黙り込んじゃって……その後、すぐにごまかしたけど、そんなのってわかるじゃない? あたし、しつこく何度も聞いたの。おかあさんは違うの一点張りだし、おとうさんはバカな事を言うなとしか言ってくれない。お兄ちゃんだけは、そんな事があるわけないって怒ってくれたけど、あたし、本当の事が知りたかった……ううん、たぶん知りたかったけど、知りたくなかった。それ以上知ったら、あたしの居場所がなくなるような気がして…」

 クン、と軽いショックの後、エレベーターのドアが開いた。入れ違いに入っていく2人連れのOLが、俺と万里子の組み合わせを興味津々で見つめながら通り過ぎる。横目で眺めた万里子はそっと手を伸ばし、俺の腕を掴んだ。どきりとする間も無く体を寄せてくると、不愉快そうに眉を寄せた女性2人に一言、

「オバン」

「まあっ!」「何よっ!」

「おいっ」 

 ヒステリックなOL達の声はすぐに閉まったドアに遮られて、俺は冷や汗を流した。

「何を言うんだ、ほんとに」

「うふっ、だって、木田さんをモノホしそうに見てたんだもの」

「物欲しっ」

 思わず絶句する。

 なんて怖いことを言うんだ、最近の中学生は。

 ひきつる俺の腕に平然と片腕を絡ませて、万里子は俺をマンションの玄関へ導いた。管理人が眼鏡の奥から睨みつけるのも気にした様子もない。それでも、通りへ出ると、さすがに歩きにくかったのか体を離し、万里子は話を続けた。

「にせものでも……良かった。にせものの家族でも……。でも、おとうさんの秘書の椎我さんが、知りたがって焦れていたあたしに、あたしが捨て子だって教えてくれたの。ショックで…みんなが信じられなくて……不良になってやろうと思った。だから、椎我さんが重役の1人と話しているのを立ち聞きしていて見つかった時椎我さんが『おとうさんに話してもいいよ』って言っても話さなかったの。……だけど、そのせいで…あんなことが起こったわ」

「あんなこと?」

「お兄ちゃんも殺されて…おとうさんは警察に追い回されて」

 俺はぎょっとした。

「おかあさんはノイローゼになって……みんな……あたしのせいで」

 もしこの子の言っていることが本当なら、万里子はとんでもない秘密を知っている生き証人ということになるんじゃないのか。まだ、誰にも知られていないだけで。

 ぎゅうっと万里子は俺の手にすがって来た。体を震わせながら、遅れまいと付いてくる。

 俺は速度を落とし、一所懸命に目を見張って涙を零すまいとしている万里子の歩調に合わせた。しばらく黙り込んでいた万里子は、前方にポストを見つけると、顔を明るませて俺を振り仰いだ。

「ポスト!」

 笑んだ瞳のあたりに淡く光を放つものがあるのを、俺は素知らぬふりをした。

「出して来てあげる!」

「頼む」

 封筒を受け取り、万里子はいそいそとポストに駆け寄っていく。

 その後ろ姿を見ながら、ふと、あつしは、万里子と血が繋がっていないことを知っていたような気がした。でなければ、兄妹の絆を結んでいることにあれほど固執するだろうか。事あるごとに、あつしは「妹の万里子が」と言った。「万里子」と言う時には、必ず「妹の」をつけていた。初めは俺への説明の為かと思ったが、家族構成を呑み込んだ後でも、必ず「妹の万里子が」と口にするのに、どことなく不審を覚えていた。まるで、自分に言い聞かせているようにも聞こえたからだ。

(あつしも万里子に魅かれていたかも知れないな)

 魅かれていることを隠す為に、兄妹の絆を喜んだ。出会って離れてしまう恋人ではなく、いつまでも愛し続けられる兄妹の絆を喜んだ。そう考えるのは、あつしを美化し過ぎだろうか。

 肌寒い風にピンクのスカートの裾を翻らせながら、万里子は走って戻ってくる。その笑顔を見ながら、そう考えるのが、あつしの独特のアルカイック・スマイルに一番似合っているような気がした。


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