星月夜の魔女
読みに来てくださってありがとうございます。
ぼくが外の世界を旅していたとき、一人の女性に出会った。
魔女かと思った。
そのときのぼくは疲れ果て、身体は重く、病気にでも掛かってしまったのかと思っていたが、なんとか足を引きずって進んでいた。
そんなときに、ふと女性を見つけた。
その女性は、黒いドレスを身にまとい、黒いボロボロの傘を持って、塀の上に座っていた。
ボロボロに見えた傘は、一部レースで出来ていたようだ。空は晴れていたから、日傘だったのかな?
「何、してるんですか?」
そう、ぼくが聞いたら、彼女はそっと首をかたむけて
「待っているんです」
誰を、とは聞かなかった。
このあたりは戦いがあった国だ。旦那さんか、恋人ってのがよくある話。
そう決めつけていた。質問攻めにするのは野暮ってものなんだ。
「早く帰ってくるといいですね」
何も、深く考えずにそう返すと、彼女はまたそっと首をかしげた。
「ええ。わたくしはいつまでも待っています。ところで、ここで出会ったのもきっと縁。お茶でも飲んでいかれませんか?」
とてもありがたい言葉だったので、甘えることにした。立ち上がり、先を行く彼女の背を追う。
日傘をくるくると回しながら、るるる~ららら~♪と唄う彼女は、最初に見た時より、とても幼く見えた。
あぁ、楽しそうで良いなぁ……。
くるくる回る傘は、風にあおられることなく、軽い足取りとともに歩いて行く。
そうして行き着いたところは、とても人が住めるとは思えない廃墟だった。
「……本当に、この家ですか?」
まずい。この女性は本当に悪い魔女だったのでは!?
殺される? 食べられる!?
そう思ったのも束の間。彼女が扉がありそうな所に手を伸ばした瞬間。廃墟だったはずの家は、古いけれどきれいな家に変わっていた。
あれ? 魔女は魔女でも良い魔女?
なにもはめられていなかった窓には硝子が入っていて、レースのカーテンも見える。扉はもちろん、玄関らしき所の外側には灯りも付き、暖かさがある。
「さあ、どうぞ」
入ってもいいのか、入らない方がいいのか、迷う。
旅人として、出されたお茶は簡単には信用できない。
だけどこのときのぼくは、他人と話すということに飢えていたし、なにより休みたかった。ここまで付いてきたし、もとはといえば、ぼくが最初に話しかけた。ここで……。
「ここで入らなくても、構いませんよ。お茶もお菓子も、貴方がお持ちのものを食べても良いですよ。わたくしも誰かと話したかったのです」
頭の中を読まれたのかと思った。ぱっと顔を上げると、悲しそうに笑う彼女がいる。泣きそうな瞳に、罪悪感がじりじりと浮かぶ。
「……お話だけでも、よろしいですか?」
「もちろんですわ」
そう断って、ぼくは室内に入った。
彼女は平時一人なのかもしれない。
小さなテーブルに椅子は一つ。カップも一つ。スプーンなどのカラトリーは見えないけれど、食器棚と呼べそうなものがないので、そう結論を出した。
奥へと入っていった彼女が戻ってきたとき、日傘を手首に掛け、お茶セットとお菓子をのせたトレイを持ってきた。
「そちらに座ってください。こちらは気が変わったらどうぞ」
そして彼女は一つしかない椅子をぼくにすすめ、自分は日傘をひらいてそこに座ろうとする。
え!? 座れないでしょ!?
そう思ったけれど、ドレスをふわりと広げ、優雅に座った。
「ふふふ。わたくしは魔女ですから、このくらい平気ですわ」
あっさりと魔女を名乗られてしまった。
良いか悪いかは分からないけれど、本物だったようだ。
ぼくもゆっくり座り、カバンからお茶を薄めた水っぽいものを取り出す。美味しいかそうでないかは聞かないで欲しい。だけど、これは故郷から持ってきたので、信じるに値するお茶なんだ。
何か聞かれたときにと、無意識に言い訳のように心に言葉を並べていると、彼女は世間話から始めた。
ゆったりと聞こえる声は心地よく、相づちを打っていたのに、ぼくも自分のことを話し始めた。
故郷で流行病があったこと。
治療薬がなく、国の人が大勢亡くなったこと。
国の健康な若者が、薬を求めて旅に出たこと。
ぼくもその一人であること。
だけど、もう五年も前であること。
国に帰りたい。けれど薬は見つかっていない。ぼくとしては、どうすれば正解なのか分からない。
「ここ数日は身体が重く、風邪でも引いているのか寒い気がするんです。出来るなら死ぬ前に国に帰りたいですが、このまま帰っても迷惑をかける気がして……」
ゆっくり頷いてくれてた彼女は、ぼくの背に手を当て、さすってくれていた。とても気持ちが良く、なにも言われていないけれど、『大丈夫』と言われているような気に満たされていた。
五分、十分くらいだろうか。記憶が途切れてしまい、ハッとした。
「すみません!! ぼく……もしかして寝て……」
目の前の彼女は塀の上に座っていた時のように、首をかたむけた。
「お疲れだったのでしょう。ところであなたの国は、東の大陸の左にある国でしょうか? 少し前に似たような病のことを聞きました」
びしっと背を伸ばし、彼女の顔を見つめる。
たしかにぼくの国は東の大陸の、と言われるクマの国だ。そしてぼくの故郷は左耳だ。
「そんな遠くから……本当にお疲れさまでした」
そんな労りの言葉より、もっと話して欲しい。失礼なのは分かっているけれど、取りつくことも出来ない。
彼女がその話を聞いたのは、今から一年ほど前だそうだ。その時はいた彼女の師匠が、分かる範囲で薬を作り、その旅人に持たせてくれたそうだ。薬が効いたのか、ダメだったのかは分からない。
そして今は師匠も居ないそうなので、薬を作ることは出来ない。
結果は分からないが、この話を持ち帰ることは出来るのでは? と言われた。
希望が見えた。一度帰っても良いかもしれないと思い始めた。
「あなたも大変お疲れでしょう? もしよろしければ、こちらをどうぞ。回復薬です」
この家に居るだけで、とても元気になっている気がするのに、こんなに良くしていただいていいのだろうか。
「何から何まで良くしていただいて、本当にありがとうございます! ぼく、もう行きます!」
「もう少し休んでいかれては?」
「いいえ、もうすっかり。身体は軽くなりましたし、今のうちに行きます。お世話になりました!」
善は急げ。国の風習で深く頭を下げた。北の大陸であるこの地では、馴染みのないものだろうけれど、感謝と礼を込めて。
足取りは軽い。ついさっきとは大違いだ。
走り出したい気持ちを押さえて、しっかりと前を向いて進んだ。
◆◇◆◇
「ご挨拶しなくてよろしかったのですか?」
東の大陸からの若い旅人が、わたくしたちの家から去っていった。
わたくしは立ち上がり、家から出ないようにして、彼女を見送った。
綺麗な女の人でした。他人に襲われないように男性のふりをしていたのか、元からそういう方なのかは見えなかったけれど。
「年月が過ぎて薬が合わなくなったのであろう。回復薬を飲んでくれて助かったのぅ」
「おかえりなさい。師匠」
「あぁ。先程戻った」
「知らない女性にとりつくのは良くないと思いますが?」
「……守っとっただけじゃ」
……その言い方。おそらく彼女をお守りしつつ、ここまで連れてきたことでしょう。
部屋に戻り、師匠に飲み物を用意しましょう。わたくしたちの感覚で一・二年を最近というのは悪い癖なのですが、最近の師匠のお気に入りは、黒猫のぬいぐるみです。師匠が入ると本物の猫のようになるので不思議です。
師匠はこの世界を見るために、と言って色々な国、大陸をさまよう旅人のようなことをしています。わたくしはずっとこの地にいるので、師匠が何かに入っているのかは知りません。気まぐれに人や国を助けているようです。
……今はミルクを飲むネコさんですけど。
「いかがでしたか? 東の耳の国」
「変に略すな…………半分じゃった」
「……そうですか」
……半分。おそらく半分の方は亡くなり、残りはなんとか、といったところでしょうか。とはいえ、略すなということを師匠に言われたくはないですね。わたくしも師匠に似たんでしょうけれど。
この世界が壊れ始めた兆しは見えておりましたけれど、住んでいるのはほとんどが人間です。わたくしたちのような魔女も、ほんの一握りですがいます。ですが、あまり関与出来ません。
ほんの少しだけ、今回のようなお手伝いは出来ますが、それだけです。
魔女といえど、無力なのです。
「さて、私はもうゆくぞ」
「あら、今回は早いのですね」
いつもならば二日ほどゆっくりされていらっしゃいますけれど。今日は二時間も経っていないのでは?
「パクリュでもトスリコでも、カセがきな臭いという情報を得た。様子を見てくる」
「……ネコさんで行かれるのですか?」
「あぁ。あの大陸は霊体では怪しすぎるからのぅ」
西のカセ大陸は、四大陸の中で最も技術が進んでいる国です。この北のミネルも、わたくしの故郷の南のパクリュも、魔術に特化されているだけで、科学の技術はちっとも進んでおりません。
「なにか分かったら手紙を飛ばす。そなたはそれまでここで待つように」
「かしこまりました」
カセ大陸の魔法普及率は二十パーセントにも満たないと聞きます。おそらく、師匠の正体は見つからないことでしょう。
そうして、師匠はふわりと消えました。
わたくしももう一度外に出て、人を待つことにしましょう。
困っている人を助けることは、わたくしの魔女としての生き甲斐と言えましょう。
わたくしが困っていたとき、助けてくださった師匠のように。
見返りを求めず、なんてことない顔をして、人を助けたい。
そのためならいつまでだって待っていられます。
困っている人を見つけるために。
助けを求めている人が、わたくしを見つけられるように。
わたくしはずっとあの高台の塀の上に座っています。
理を外れることは出来ないけれど。
わたくしにできる範囲のことを致します。
日傘をさして、お待ちしています。
初めての一頁ものでした。
ありがとうございました。