第7話 気付いてあげるべきだった
「ねぇ、これは居る? 」
「………よく分からない 」
蓮のご飯を食べてから20分ほどで用意をし、私達のアジトから車を出して30分、そこそこの時間で春翔ちゃんが住んでいるアパートに着いた。
鍵をあの騒ぎで無くしたから家に入れないと春翔ちゃんは言っていたけど、親良から貰った海外製のその場で合鍵を作れる器具によって簡単に家に入れてしまい、使った私が言うのもあれだけど、人間の技術は怖いなと思ってしまった。
そして家に入り、最低限必要な生活用品を車に詰め込むためにダンボールを用意したけど、必要最低限の物を考えるのが春翔ちゃんにとってはとても難しいようだ。
「えっと…春翔ちゃんが最低限欲しいものって何? 」
「…ラジオ…保存食…発煙筒…医療バック…後は」
「えっと…生活の中でのものでお願いできない? 」
何故か災害グッズの様なものを欲しがる春翔ちゃんの考えに疑問を抱きながらも、とりあえず脱線した話を元に戻す。
「………分かんない 」
「分かんないって…春翔ちゃんは一人暮らしなんだよね? 」
「うん 」
「なら自分が一人暮らしの時にあったら便利なもの、最低限必要なものを想像してみて 」
「………服と下着と…コーヒー 」
「うん、じゃあとりあえずはそれを詰めようか 」
とりあえず目標ができたため、服を畳み始めた春翔ちゃんの隣でこの家で1番高そうなコーヒーの抽出機のコンセントを抜いて、コードを畳んでから少し重い抽出機をダンボールの中に詰める。
「あと他にはいるものはないの? 」
「うん… 」
(…趣味とかないのかな? )
家に入った時に一通りこの家の中を見回ったけど、19歳の一人暮らしにしてはゲームの1つも無ければテレビすら無いし、リビングにあるのはクーラーと冷蔵庫と小さな机だけで、寝室にも延長コードと安そうなベットしか置かれていなかった。
この引越し紛いがすぐに終わるのは私にとってはいい事だけど、正直言ってこの子はどんな生活を送って居たんだろうと、関係が浅いながら心配になってしまう。
「ねぇ、春翔ちゃんって普段何を食べてたの? 」
「保存食と………曙希が作ってくれた…ご飯… 」
表情を暗くさせて息を不自然にさせる春翔ちゃんを見て、余計な事を聞いてしまったと後悔しながらも背中を優しく摩ってあげると、春翔ちゃんは潤んだ赤い目を指先で擦り、少し不自然になった息を深呼吸をして落ち着かせた。
「ごめんね、余計なことを聞いて 」
「うんん…大丈夫 」
まるで自分に言い聞かせるようにそう言う春翔ちゃんを後ろから抱きしめ、優しく頭を撫でてあげるけど、春翔ちゃんは暗い表情をしたまま同じような服達を畳み始めた。
その姿に申し訳なさを感じながら体を離し、もう一度頭を撫でてから何か明るい話題をしなきゃと頭を回す。
「ねぇ、これが終わったら何処かでお茶でもする? 親良からお金もらったし 」
「要らない………それより、聞きたいことがある 」
「何? 」
「『反逆者』のメンバーってあれだけしか居ないの? 」
「…うん、実はそうなの 」
「じゃあ『処刑人』達の数はどのくらい? 」
「正確には分かんないんだけど…私達が持っている以外の17種類の『幻想器』は全部『処刑人達が持ってるの…あっ、春翔ちゃんが1人倒したから後は16種類だね 」
「…向こうの方が戦力が多いんだね 」
「うん、そうだね 」
確かに春翔ちゃんの言いたい事はよく分かる。
ハッキリ言ってしまうと、『処刑人』と『反逆者』の戦力には大きな差があるし、しかも向こうは人を殺すだけ殺して、私達の中でのトップレベルの幻想体を持つ貞香や蓮との戦闘になるとすぐに逃げてしまうため、中々敵の戦力を削れないことが続いていた。
けれどその圧倒的な不利な状況に風穴を開けてくれたのは春翔ちゃんだ。
きっとこの子はこれから多くの人を救うために…あの快楽殺人者共を殺すだろう。
「終わった… 」
「あっ、お疲れ様 」
そんな事を話しながらもずっと手を動かしていた春翔ちゃんはダンボールの蓋を閉じると、置いてあるガムテープを伸ばしてちぎり、ダンボールの口をテープで固定した。
「…本当にこれだけでいいの? 」
「うん… 」
もっと大事になるかと思っていたけど、最終的には必要品が詰められたダンボールは合計で4つしか作られていないし、時間も2時間ほどしか経っていなかった。
(まぁ、生理用品とか下着はアジトに戻ればあるし…生活用品が足りなかったら親良に頼めばいっか )
「じゃあ春翔ちゃん、アジトに戻ろっか 」
「…うん 」
早く帰って防衛任務に戻りたいから、すぐにダンボールを3つ重ねてそれをいっぺんに持ち上げ、1番軽い小物が入ったダンボールだけを残して狭い廊下を歩き、空いた右手でドアノブを倒して外に出ると、外は夏の日差しがアスファルトの大地を炙っており、その暑さは陽炎が見えるほどだった。
(今年は…暑いなー )
特に暑い今年の夏に汗をかきながらも、カンカンと音が鳴る階段を降り、左腕に荷物を傾けてから右ポケットの中に手を突っ込んで、来客用の駐車場に置いた赤い『エクストレイル』の鍵を開けて後ろの座席にダンボールを詰める。
ちょうどダンボールが詰め終わった時に後ろから階段を降りる音が聞こえ、額に滲んだ汗を拭いながら後ろを振り返ると、そこにはダンボールを重たそうにして持っている春翔ちゃんがこちらにやって来ていた。
「えっと…そんなに重い? 」
「たす…けて… 」
助けを求める声に慌てて春翔ちゃんに駆け寄り、ダンボールを取り上げるように持ち上げると、春翔ちゃんはゼェゼェと息を荒くさせて俯いた。
(全然軽いんだけどなぁ… )
これなら片手で持てるほどの重さのダンボールを揺らし、本当に春翔ちゃんは力がないなと思いながらダンボールを車に詰めると、後ろから声がかかった。
「ねぇ 」
「どうかした? 」
「………トイレ行ってくる…ちょっと待ってて 」
「分かった、降りてくる時はちゃんと鍵を閉めるんだよ 」
「うん 」
階段を登って部屋に向かっていく春翔ちゃんを後目に、春翔ちゃんが戻ってきた時に車の中が暑くなってないようにしようと思い、熱気がこもった座席に乗り込んでから、ブレーキを踏んでエンジンを掛け、クーラーの風量をMAXに調整する。
それから車の中の熱気が冷気で完全に吹き飛び、少し肌寒いと感じるようになっても春翔ちゃんは帰って来なかった。
「…少し遅いなぁ 」
トイレにしては時間が掛かるなと思ってしまうけど、そう言えばどちらかとは言ってなかったなと考え、クーラーの風量を調整しながらまだ微かに暖かいハンドルに顔を乗せて、気長に春翔ちゃんの帰りを陽炎で揺れる夏の街中を眺めながら待っていた。
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「……… 」
見慣れた殺風景な部屋の片隅にあるアルバムを手に取り、それをそっとめくる。
するとそこには沢山の笑顔があった。
それは僕のものでは無い。
いつも僕の隣に居てくれた…曙希のものだ。
その笑顔は僕の闇を見る目が焼け潰れるような笑顔。
どこまで明るくて…どこまでも眩しい。
いや…そんな言葉では到底表しきれない。
「……… 」
不意に視界が滲み、涙が零れた。
するとそれに合わせて潰れた腕の映像が頭に流れ、まだ消化されてない食べ物が残る吐瀉物を片付いた地面にぶちまけてしまう。
「はぁ…はぁ…うぉっ… 」
込み上げる吐き気を抑えられず、また吐いてしまった。
あぁ…こんな感じで夜中に沢山吐いた時も…何がなんだか分からずに包丁で壁を穴だらけにした時も…曙希がずっと側にいて…何度も抱きしめてくれて…何度も言葉を投げかけてくれた。
どうしてかは分からないけど…七星が曙希に僕とあまり関わらない方が良いと言っていた事は知ってる。
それを聞いた時は七星を殺そうと思ったけど…曙希はこう言ってくれた。
『絶対に嫌…七星が私を思ってそう言ってる事は分かるし、他の友達からも言われた。でもね、あの子はずっと重りをつけられて闇の中にいるの…誰かが手を引かないと、そのまま沈んで溺れ死んじゃう。だから私は春翔の手を引く。私が人生を損しても…もし春翔がパニックになって私を傷付けたとしても…絶対に離さないし、絶対に見捨てない 」
正直、曙希の言葉は意味が分からないものだらけだった。
言葉の全てを理解できるほど…僕は頭が良くないから…
でも、心に生まれた殺意を溶かすほどの光が心に差し込んだの事は明確に覚えている。
だから僕は………
「はぁ…はぁ………ペッ 」
覚悟と共に口の中に残った酸っぱいようで苦い液を床に吐き捨て、地面に無惨に落ちたアルバムを拾い上げてそれを電子レンジの中に入れる。
それに続くように押し入れの襖を開いて昔に2人でやっていた様々なトランプ、寝室に置いてある写真、昔に貰った手紙も電子レンジの中に入れ、キッチンの下に置いてあるサラダ油で電子レンジの中を湿らせる。
けれど足りない…
思い出を捨てるためには、もっと捨てないといけない。
だからこの曙希が何度も遊びに来てくれた思い入れのある部屋にサラダ油をぶちまけ、空になったプラスチックの容器を部屋の奥に投げ捨てる。
そしてカウンターの中に置いてあるカセットガスを油まみれの電子レンジの中に転がし、電子レンジの設定を800Wで最大時間までに調整する。
「…バイバイ曙希………絶対に曙希の事は忘れないし…曙希の未来を奪った奴らは…みんな殺すね 」
油まみれの思い出の品達にお別れをし、電子レンジのスイッチを入れる。
奇妙な機械音が響く油まみれの部屋を10秒ほど眺めてから廊下を歩き、もう戻ることの無い家の鍵を閉めずに外に出て天羽さんが待つ車に戻る。
「あっ、おかえり 」
「…遅くなって…ごめん 」
「いいよいいよ。本当による所はない? 」
「うん… 」
「ならアジトに帰るからね、シートベルトをお願い 」
「分かった… 」
車のシートベルトを留め具に固定し、高い音と共にバックする車の窓から遠くに見える壊れた街を眺める。
(………あのコーヒー…もう飲めないんだ )
きっと瓦礫の下になった曙希との行き付けの喫茶店を思い出す。
綺麗な記憶は簡単に壊れてしまうのに…嫌な思い出はちっとも壊れないし…ヒビが入ってその記憶が霞むことも無い。
そんな僕を苦しめるように作られたような頭を恨んでいると、車はゆっくりと坂道を降り始めた。
思い出の家が遠のく。
部屋に撒いた油に炎が引火すれば間違いなくあのアパートは火事になるだろうと考えていると、不意に心の中に後悔が生まれてしまった。
けれど思い出の品が身近にあっても、きっと悲しみで泣いてしまうため、これで良かったんだと言い聞かせるけど、窓ガラスに映る2つの赤い目からは涙が零れていた。
(………バイバイ )
もう二度と戻ることはできない家を思いながら、ただ静かに涙を流していると、どこか遠くの方で爆発音が聞こえたような気がした。